http://www.asyura2.com/16/senkyo202/msg/127.html
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苛烈な悪政の時代に、「暴れる自由」を取り戻す。
http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/516f20437988127b0dc1b5c4491cdc29
2016年02月28日 | 安倍自民党の危険性 Everyone says I love you !
気鋭の政治学者白井聡氏との対談がすこぶる面白かった栗原康氏。
『大杉栄伝ー永遠のアナキズム』で第5回「いける本」大賞を受賞した、白井氏よりさらに後輩の注目の政治学者です。
この時代に、二人してレーニンと大杉栄の話ばかりしているのですが、社会主義をよく知らない私が読んでも痛快!
気分はもう、焼き打ち——栗原康×白井聡対談【前篇】
https://cakes.mu/posts/11519
気分はもう、焼き打ち——栗原康×白井聡対談【後篇】
https://cakes.mu/posts/11520
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大杉栄伝: 永遠のアナキズム
栗原 康 (著)
夜光社
暗い時代に乱れ咲く生の軌跡。米騒動、ストライキ、民衆芸術論…。破天荒な生き方というだけでは語りつくせない、その思想に光をあてた、新たな評伝の登場。
そんな栗原氏の新著「はたらかないで、たらふく食べたい」を紹介したのが、今、保守的と話題の朝日新聞(笑)の政治部次長、社説担当というから碌な人でなさそうな肩書の高橋純子記者。
しかし、彼女は朝日新聞に連載された憲法学者長谷部恭男教授と杉田敦教授の対談などを担当するなど、主に護憲派の立場の学者のインタビューをたくさんしています。
その彼女がこの本の中で感心したというのが
「ある工場のトイレが水洗化され、経営者がケチってチリ紙を完備しないとする。労働者諸君、さあどうする。」
という質問に対する答え。
はたらかないで、たらふく食べたい 「生の負債」からの解放宣言
栗原 康 (著)
タバブックス
やりたいことだけをやってはいけない、 かせがなければいけない、買わなければいけない—負い目を背負って生きることを強いられる「生の負債化」が進行する現代社会。今こそ新自由主義の屈折した労働倫理から解き放たれるとき!
労働組合の労働者なら
1 代表団を結成し、会社側と交渉する。
2 闘争委員会を結成し、実力闘争をやる。
などという答えが予想されるところ、皆さんはどうされますか。
こ
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か
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キ
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グ
タ
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ム
「船本洲治という1960年代末から70年代初頭にかけて、山谷や釜ヶ崎で名をはせた活動家は、第3の道を指し示したという。
3 新聞紙等でお尻を拭いて、トイレをつまらせる。
チリ紙が置かれていないなら、硬かろうがなんだろうが、そのへんにあるもので拭くしかない。
意図せずとも、トイレ、壊れる、自然に。修理費を払うか、チリ紙を置くか、あとは経営者が自分で選べばいいことだ――。」
学生に賃金を
栗原 康 (著)
新評論
ありえないほどの高学費。奨学金という名の借金。バイト・就活漬けの日々。…学生生活はなぜここまで破壊されてしまったのか!?想像してみよう、無償の大学を。万人の自由な生が花開く時空を。
その後の高橋記者の文章の展開は後掲するので読んでいただくとして、法律家に言わせれば、これが抵抗権ってやつですよ。
いま、トイレでしゃがんでいて用を足したところなのにチリ紙(ちりがみ。ちりしとも読む。昔のトイレットペーパーのこと。。。なんていう注釈いる?)がないのだから、ほかにどうしようもない。緊急事態なのだ。
人民をそのような切羽詰まった状況に追い詰めた権力の側が悪いのだ。
いま、我々はトイレで紙がないようなせっぱつまった状態に置かれているのではないか?
血税を吸い取れるだけ吸い取って、その税金で買って備えておくべきものを用意しないような政治。
安倍首相「税金は国民から吸い上げるもの」。「吸い上げた」血税は自分たちの汁にするな。正当に使え。
http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/b79aca285d1fb9ea6a542f06b0c02db9
・
これに対して
4 あきらめてそのままパンツを上げて、それを汚す
5 あきらめて手で拭く(カミに見放されたものは、自らの手でウンをつかめ、ってやつ)。しかし、手を洗おうとしたら洗面所の水も出ない。
みたいな生活を甘んじてしているのが私たちではないでしょうか。
「暴れる力」を取り戻そう!
現代暴力論 「あばれる力」を取り戻す (角川新書)
栗原 康 (著)
KADOKAWA/角川書店
いま、わたしたちは、徹底的に生きのびさせられている。生きのびさせられるために、暴力をふるわれつづけてきた。そろそろ、この支配のための暴力を拒否したっていいはずだ。あえて現代社会で暴力を肯定しなおす!!
つまり、こういうことだ。
自己責任の名のもとに私たちを使い捨てる社会に、企業に、反撃を開始する!この国の生きづらさの根源を「働くこと」から解き明かす宣戦布告の書。
闘いのテーマは、ただたんに「生存」である。生きさせろ、ということである。
生きていけるだけの金をよこせ。メシを食わせろ。人を馬鹿にした働かせ方をするな。俺は人間だ。
スローガンはたったこれだけだ。生存権を二一世紀になってから求めなくてはいけないなんてあまりにも絶望的だが、だからこそ、この闘いは可能性に満ちている。
「生きさせろ!」という言葉ほどに強い言葉を、私はほかに知らないからだ。(「はじめに」より)
生きさせろ!!
雨宮処凜 (著)
太田出版
関連記事
横浜地方公聴会で「安保法案」に反対する市民らが、身を挺して議員らの車を止めたのは抵抗権の発露だ。
http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/d0d4a5c157fc0a7eb937ad3cf15d145b
生活保護は生存権の具体化なのに、生活扶助費を毎年減額。寒冷地の暖房費まで減額。生きさせろ!
http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/41adb5d123547ec63dfd78d5bb044ef8
・
森川文人弁護士に
http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/c/4da5ff870e22e7069efd7bea6afb9d46
「俺は非暴力抵抗主義だから」
と言ったら、
「暴力をふるえる自由を持ち、なおかつ振るわないのが非暴力主義。お前は暴力がふるえないんだろ」。
去年言われて、ふるえるほど悔しかった言葉。
あばれる力を取り戻し、そして暴力は振るわない。
P.S.
森川、今日の東京マラソン、完走だってよ、フルマラソンで。
むしろ、もう憎い(笑)。
「だまってトイレをつまらせろ」 あなたならどうする
http://digital.asahi.com/articles/ASJ2V54CGJ2VUTFK00L.html?rm=390
2016年2月28日13時21分 朝日新聞
■政治断簡 政治部次長・高橋純子
「だまってトイレをつまらせろ」
このところ、なにかにつけてこの言葉が脳内にこだまし、困っている。新進気鋭の政治学者、栗原康さんが著した「はたらかないで、たらふく食べたい」という魅惑的なタイトルの本に教えられた。
ある工場のトイレが水洗化され、経営者がケチってチリ紙を完備しないとする。労働者諸君、さあどうする。
@代表団を結成し、会社側と交渉する。
A闘争委員会を結成し、実力闘争をやる。
まあ、この二つは、普通に思いつくだろう。もっとも、労働者の連帯なるものが著しく衰えた現代にあっては、なんだよこの会社、信じらんねーなんてボヤきながらポケットティッシュを持参する派が大勢かもしれない。
ところが栗原さんによると、船本洲治という1960年代末から70年代初頭にかけて、山谷や釜ケ崎で名をはせた活動家は、第3の道を指し示したという。
B新聞紙等でお尻を拭いて、トイレをつまらせる。
チリ紙が置かれていないなら、硬かろうがなんだろうが、そのへんにあるもので拭くしかない。意図せずとも、トイレ、壊れる、自然に。修理費を払うか、チリ紙を置くか、あとは経営者が自分で選べばいいことだ――。
船本の思想のおおもとは、正直よくわからない。でも私は、「だまってトイレをつまらせろ」から、きらめくなにかを感受してしまった。
生かされるな、生きろ。
私たちは自由だ。
◇
念のため断っておくが、別にトイレをつまらせることを奨励しているわけではない。お尻痛いし。掃除大変だし。
ただ、おのがお尻を何で拭こうがそもそも自由、チリ紙で拭いて欲しけりゃ置いときな、という精神のありようを手放したくはないと思う。
他者を従わせたいと欲望する人は、あなたのことが心配だ、あなたのためを思ってこそ、みたいな歌詞を「お前は無力だ」の旋律にのせて朗々と歌いあげる。うかうかしていると「さあご一緒に!」と笑顔で促される。古今東西、そのやり口に変わりはない。
気がつけば、ああ合唱って気持ちいいなあなんつって、声を合わせてしまっているアナタとワタシ。ある種の秩序は保たれる。だけども「生」は切り詰められる。
◇
「ほかに選択肢はありませんよ――」
メディア論が専門の石田英敬・東大教授は2013年、安倍政権が発するメッセージはこれに尽きると話していた。そして翌年の解散・総選挙。安倍晋三首相は言った。
「この道しかない」
固有名詞は関係なく、為政者に「この道しかない」なんて言われるのはイヤだ。
近道、寄り道、けもの道、道なんてものは本来、自分の足で歩いているうちにおのずとできるものでしょう?
はい、もう一回。
だまってトイレをつまらせろ。ぼくらはみんな生きている。
(社説余滴)「一息で言う」ということ 高橋純子
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11902872.html?rm=150
2015年8月7日05時00分 朝日新聞
政治社説担当・高橋純子
自分で問題をつくって、自分で答えを出す。どうも答えが決まらない時は、問題をもちこす。もちこしつつ考え続けるというのが、先月亡くなった、哲学者・鶴見俊輔さんの流儀だった。
第2次世界大戦中、海軍の軍属として南方に送られた。「運良く」人を殺さずに済んだが、戦後も考え続けた。もし殺せと命じられ、逆らえずに殺してしまったとしたら、どうしただろう? 何十年もかけて答えを出した。
「『俺は人を殺した、人を殺すのは悪い』と一息で言えるような人間になりたい」
11年前のインタビューで聞いた時は、正直よく意味がわからなかった。反省するでもわびるでもなく、「一息で言う」ってなんだ。そんなの簡単じゃないかと。
だが安倍政権下、言い訳したり人のせいにしたり、息を継ぎながらしか自らの非を認められない政治家の姿を見るうち、自分なりの解釈がついた。それは、反省するとか、おわびするという以前にある問題。自分の弱さから目をそらさず、自身の手で「必ずここに立ち返れ」という旗を立てることができるかどうかという問題なのだと。
その意味で日本はまだ、先の大戦の責任について一息で言えていない。しっかり旗が立っていないから、そこからどんな軌跡をたどって、いまどの地点にいるのか見通しがきかず、「国際環境の変化」なるものに、ずるずると引きずられてしまっている。
「今こそ、日本人の大転向の時代なんですよ」。2007年、最後にお会いした際、鶴見さんは言っていた。
「戦争のできる国への転換、USAの属国であることに反対しない、そのことに自ら納得する状態への転向は、もうすでにここにある」
まさにその大転向が成されようとしている戦後70年の夏、全国各地で、若い世代が反対の声を上げ始めている。彼らは自分たちが享受している平和や自由が、何と引き換えだったのか、歴史の中に身を置き、自分の頭で考えている。だからこそいま「誰も殺すな」と声を響かせ、次の世代の目印となる旗を立てようとしているのだと思う。
「We are a minority,but a great minority.(われわれはなるほど少数派だ、しかし大きな少数派である)。そこに希望を見いだし、運動の継続を考えていく」。鶴見さんがのこした言葉はきっと、その旗の支えとなるだろう。
(たかはしじゅんこ 政治社説担当)
(社説余滴)「いざという時」が来た 高橋純子
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11838600.html?rm=150
2015年7月3日05時00分
政治社説担当・高橋純子
黄色いプラスチックケースの上に乗り、小雨降るなかマイクを握ったその人の頬は、心なしか紅潮していた。
「若い諸君の力強い声、いきいきした姿に接して、この国のいまと未来にもう一度、私は自信を持ちました」
憲法学の重鎮、東京大名誉教授の樋口陽一さん、80歳。先々週の金曜日の夜、10代、20代前半の大学生らが結成した「SEALDs」が主催する、安全保障関連法案への国会前抗議行動に参加した。街頭に立ったのは、44年前、弁護士会のメンバーと仙台駅頭で裁判官の再任拒否に抗議して以来2度目だという。
2004年に、取材でご自宅を訪ねた時のことを思い出す。前年にイラク戦争が開戦、戦後日本が問い直されている時に、何をどう考えるべきか、粋な和服姿で縦横に語ってくれた。ただ、時事問題に関して、紙面ではコメントしないという姿勢は一貫していた。「でも、いざという時が来たら、街頭に立って、ミカン箱の上にでも乗って、演説しますよ」
「消費」されることを避け、発言の「重み」を保持しておきたいということだろうと理解した。一方で、まだ若く、血の気が多かった私は「それって、行動しない知識人の言い訳なんじゃない?」と疑った。そういう人はきっとずっと「まだまだ」と言い続けるに違いない、と。
だが、「いざという時」は来た。
「不真面目な人たちによって、戦後日本が営々と築き上げてきたものが解体される瀬戸際にある」「それに甘んじることは、我々が辱められること。跳ね返しましょう」
場が沸き、拍手が起こる。「デートをキャンセルして来た」と言う女子大学生。「首相に勉学意欲を刺激され、賢くなっている」と皮肉る男子大学院生。「私たちが目指す平和は『平和安全法制』の中にはない」「国民なめんな!」「勝手に決めるな!」。これからを生きる世代の言葉と、これまでを生きた先達の言葉が路上で混ざり合った。
畑を耕す人。種をまく人。水をやる人。民主主義は手間と時間がかかり、経験則はあっても「正解」はない。誰も世話をしなければ枯れ、多くの人が手をかければ、いつか実がなる。その「いつか」を信じる人たちがいま、「私の言う通りにすれば間違いないぞ」とうそぶく政治権力に、自分なりの言葉とスタイルで対峙(たいじ)しようとしている。
(たかはしじゅんこ 政治社説担当)
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