幣原首相発案説というのは要するに昭和天皇からこうしろと命令されてその通りにやったという説になりますね。唯の1政治家が自分の独断でそんな恐ろしい事を言える筈もないですから. そして昭和天皇はマッカーサーと戦後政策について何回も会談を重ねたので両者が相談して決めたという結論にしかならないでしょう: 8. 9条に関するマッカーサーの覚書について、それが幣原喜重郎からの発案だったという説(私はそれが真相だと考えていますが)を倉山さんももちろんご存知だと思いますが、やはり否定されるお立場ですか? 「主権国家としてあまりも恥ずかしい憲法」とは、まさしく幣原もその謗りを受けることを承知の上での提案であり、本人もまた「狂気の沙汰」との自覚があったことは、元秘書官だった平野三郎が聞き取りまとめた報告書にも記されています。 なぜあえて狂気の憲法を、マッカーサーからの命令という表向きの形をとってまで導入しようとしたのか。 もちろん天皇制の維持という目的があったこともありますが、幣原本人の世界平和実現という壮大な構想あってのことでしょう。金森徳次郎も同様のことを幣原から聞かされ口外無用と口止めされていたようです。 もちろん、一国の首相とはいえ個人の独断で(私は昭和天皇その人の意向も加味されていると思いますが)9条のような条文を盛り込むなど常軌を逸していますが、常軌を逸した草案を真っ先に支持し徹底した改革案を作れとお命じになったのは昭和天皇でした。これにより閣議が納まったと幣原は平野に証言しています。 もちろん、マッカーサーの議会証言、幣原の外交五十年、平野三郎の憲法調査会へ提出した報告書などに資料的価値がないと判断されればそれまでですが、少なくともアメリカが日本を奴隷国家にしようと日本国憲法を押し付けたのだ、という保守一般の考え方は卑屈に過ぎないかと私は思うのです。 Comment by 上田 勝 — 2014年5月4日(日曜日) @ 12時15分45秒 9.上田様 否定します。 もちろん、それらの史料を検証した上で、信用できないと断じています。
少なくとも幣原発案説の決定的証拠とはなりえません。 このあたりの記録は、現在進行形の記録以外は自動的に疑ってかかる必要があります。 幣原発案説は、「マッカーサーノートが何月何日(何時何分)に書かれたか」という立場からの検証に耐えうるのでしょうか。 Comment by kurayama — 2014年5月4日(日曜日) @ 12時37分29秒 10. 倉山様、ご返答ありがとうございます。
9条を誰が発案したか、という問題に関して、検証に耐えうる決定的証拠というものは存在しません。マッカーサーメモにしても、原本が紛失してしまっている以上、確実なものは存在しないとさえ言えます。昭和24年1月24日の幣原・マッカーサー会談も、詳細は当人同士でなくては知りえず、それぞれの証言や著作を信頼しないとすれば他は関係者の記憶や伝聞に基づく憶測の類しかありません。 そう言ってしまうと身も蓋もないので、あえてお答えすると、メモがホイットニーに渡されたのは2月3日。しかし書かれたのはいつかと言うと、1月24日からホイットニーに渡されるまでの間、としか言えません。 例えばですが、幣原・マッカーサー会談で話し合われた内容を、マッカーサーが会談後すぐにメモとしてまとめ、そのまま保管していた、という仮説を立ててみましょう。 ケーディスによれば、マッカーサーメモでは、自衛のための戦力すら否定していたので、その部分を削除したとの証言があります。現在の9条のもとになったのはあくまでもケーディスによって修正されたものです。それに対して、幣原は9条に関し、一貫して自衛のための戦力すら放棄するということを公式見解として言い続けた。まるでケーディスの修正などなかったかのようにです。 もしマッカーサーメモが彼の信念から発したものであったなら、ケーディスの修正を黙認したりするでしょうか。私は、ケーディスの修正があろうがなかろうが、一貫して自衛のための戦力すら放棄すると言い続けた幣原の方にこそ本物の信念を感じ取るのです。それは芦田修正のあとも変わりません。 マッカーサーメモは、幣原との会談の直後に書かれた。だから幣原の信念そのままに自衛のための戦力ももたない内容で書かれていた。書かれた時点ではワシントンからの指令もあり、マッカーサーは日本側の草案作りに直接的な介入はしなかった。それが毎日新聞のスクープによって状況が変わり、メモ(幣原との会談記録)をケーディスに渡して憲法改正のモデルプラン作りを指示した。 もちろん、証明しろと言われても無理ですが、歴史、こと政治に関しては、公に公表され、記録されていることばかりでは読み解けないことも事実ですから、自分の好ましいと思えるストーリーに理屈をつけてしまうという悪癖からは人間なかなか抜け出せません。 Comment by 上田 勝 — 2014年5月8日(木曜日) @ 00時58分28秒 11.>自分の好ましいと思えるストーリーに理屈をつけてしまうという悪癖 と開き直られると、何も言えないのですが。。。
仮に不自然極まりない貴殿の仮説が正しいとしましょう。 幣原ってバカですか? なお、ご自身で仮説として筋が通っていると思いかもしれませんが、 まったく逆の結論を導ける仮説は、仮説としても成立しません。 貴殿が挙げられた事実すべて、マッカーサーが発案者でも合理的説明は可能です。 Comment by 倉山 — 2014年5月8日(木曜日) @ 03時36分21秒 12.上田様が述べられた仮説は、私も以前、読んだ事があります。 特に資料に基づいた学問的な論説ではなかったので、そのときは「そんなこともあるのかな〜」位の感想でした。しかしこうなると改めて、検証し直さねば、と思いました。 そういう意味で、ありがとうございます。 素人にとっての検証とは、資料を当たる事ではありません。 上田様もおっしゃっておられるように、「証拠は無い」のですから。 あとは、そういう論が出てくる下地とか、人々の思いとか、国民性を考えるなどの常識的な考察になります。 日本は、たった一度、戦争に負けただけで「もう二度と戦争はしません」と国を挙げて誓った国民性です。 これは世界に誇ってよい日本人の特性(平和的に物事を解決したい)だと思います。 けれども、日本の常識は世界の非常識で、そんな国民が他に居たら是非教えて頂いきたいです。(GHQの洗脳がきわめて効果を発揮しやすい、平和で素直な国民性です) 隣国など、千年たっても恨みを忘れない、とのたまいますが、日本人は原爆を落とされたからといって、恨んでアメリカに落とし返そうとするでしょうか? とんでもない。 そういう国民だからこそ、「天皇陛下も永久平和を望んでおられた、9条は幣原氏の発案だ」とか言われれば、そうかもしれないな〜、と日本人なら受け入れやすい論です。 でも、隣国人だったら、「おまえ、あほか!」でおしまいですよ。 天皇陛下は確かに平和や国民の幸福を願っておられたでしょう。それについては異論はありません。 しかし、だから「平和憲法」になった、というのは理論の飛躍だと思います。 昭和天皇は口を閉ざしたまま崩御なさいました。なら、臣民はあれこれ詮索せず、 日本国を皆が安心して暮らせる良い国にする事こそ、第一義だと思います。 それには「お人好し」であってはならないでしょうし、証拠も無いのに、「日本人の耳に心地よい思い込み」で道を誤ってはならないと思います。 Comment by ばあちゃん — 2014年5月8日(木曜日) @ 12時46分28秒 http://www.kurayama.jp/modules/wordpress/index.php?p=1223
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