http://www.asyura2.com/16/senkyo201/msg/188.html
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「「公平」が「法規範性を持つ」とした瞬間にそれは権力的介入を意味する:toriiyoshiki氏」
http://sun.ap.teacup.com/souun/19436.html
2016/2/12 晴耕雨読
https://twitter.com/toriiyoshiki
「衣の下から鎧」などという生やさしいものではない。
剥き出しの権力的介入を示唆した答弁。
とんでもない。
…要は「政治的に公平」だと誰が判断するかで、政府や行政機関が判断した瞬間、それはすでに「公平」とは無縁のものだ。https://t.co/ZBSoRQeZlX
かといって国民の多数決で「公平」を決められるものでもない。
「公平」が定義不可能であるゆえに、放送法でいう「放送の政治的公平」は実質的に倫理規定にとどまらざるを得ない。
「公平」が「法規範性を持つ」とした瞬間にそれは権力的介入を意味する。https://t.co/ZBSoRQeZlX
これまで築き上げてきた「民主主義のイロハ」を無視したような言説が次々に閣僚や有力政治家の口から出ることに、ぼくは安倍政権の半端ならざる危険性を感じざるを得ない。https://t.co/ZBSoRQeZlX
よ、余計なお世話じゃあ!…って、これも結局は厚生労働省の天下り先を増やすというだけの話ではないかと思うぞ。
「胴囲85cm」のメタボ騒ぎがそうだったように。
→「飲み過ぎ」減へ数値目標…政府が基本計画原案 : 読売新聞 https://t.co/vzeD6f3PH7
ICRPは「何の科学的根拠もなく」勧告を行なっているということになるねえ。
…安倍内閣の閣僚の無思慮(事実関係の無視)と牽強付会ぶりは凄まじい。
いやしくも民主主義国において「言葉」がこんなに軽んじられていいものか、と思う。https://t.co/FjBJJ0MwJb
はて、そう言えばこの人は元アナウンサーじゃなかったっけ?…その時代から取材もせず、その場の思いつきみたいなことを口走っとったんかなあ。https://t.co/FjBJJ0MwJb
思い出すままに。
昔、Hさんという女性アナウンサーがいて、NHKから民放に移籍するとき「NHKでは自分の言葉で喋れない」という名台詞を吐いた。
そのとき彼女と一緒に仕事をしてきたディレクターたちが「だって自分の言葉で喋らせたら番組がぶち壊しだもんなあ」とボヤいていたのが思い出されるw
Hさんは民放に移ってもさして活躍することはなかったが、その後政治家になって、いまは代議士夫人かなんかにおさまっているはずである。
ま、そんな生き方もあるさ、という話…。
あと「ニュースセンター9時」の初期の女性キャスターにMさんという人がいて世のおやじ族の絶大な支持を受けていた。
ぼくは一緒に仕事をしたことはないが現場では評判の悪い人だった。
煙草の臭いが嫌いで、彼女を送迎するハイヤーは当然禁煙だが、煙草臭が残っていると激怒して車を交換させたりした。
Mさん、いまはどこでどのようにお過ごしなのだろうか?
国谷裕子さんがHさんやMさんと違うのは、現場で彼女のことを悪くいう人とは会ったことがないということだな…。
>釣本直紀 一部の人からしか評価されない分かる人だけが分かる番組に、日本国民が受信料を課せられる意義は有るのでしょうか。その姿勢は大衆に向けたマスメディアというより山に篭った陶芸家に見えます。アトカタも無くなって困るのは、その一部のテレビ村の人達だけなのでは。
NHK職員ではなくなったので自由な立場から言わせてもらうが、視聴率に左右されない番組があった方がいいと思っている。
この方は「分かる人だけが分かる番組」というが別に難解な番組ではない。
世の多数派の人たちの関心から外れたことをやるだけ。
サリドマイド患者のいまにせよ、ぼくが高く評価した番組でいえば「ナチス・ドイツの障害者に対するジェノサイド」にせよ、あるいはぼく自身がこだわってきた「福島原発事故のその後」にせよ、こういうことを地道にやる番組がなければ、テレビなんてものは要らない。
ぼくの個人的な考えですが…。
そもそも40年ほど前、ぼくは「少数派視聴者」の一人だった。
TVドキュメンタリー(当時「ルポルタージュにっぽん」という番組があった)と小川紳介らのドキュメンタリー映画は、方法論は違うが、ぼくのなかでは等価であり、こうした映像を通して社会の現実を知り、様々なことを考えたのである。
だから、ドキュメンタリー志向は自分のなかで自然であり、一貫もしていた。
「かつての自分のような視聴者」のために番組を作り続けたのである。
そうした視聴者は社会のマジョリティではないかもしれないが、確実にいまもいて、そういう人たちへのラブレターは届いたと自分では思っている。
大袈裟に言えば、そうしたあり方を許容するのが「文化」だとぼくは思っている。
だから、いまのNHKには批判も危機感もてんこ盛りにあるが、そうした「世の中の関心からズレたところをきちんと掘る」番組が作られ続けている限りはぼくは受信料を払い続けるだろう、一視聴者として。
NHKにとって目下最大の問題は、籾井さんの存在ではなく、大本営発表みたいなニュースですらない(そんなの昔からだw)。
視聴率を追うなら民放と同じで存在価値がないにも拘らず、視聴率を得なければ国民に支持されていないと見做され存在価値を認められないというジレンマである。
ぼくは個人的に割り切っていたが、組織としてそう簡単に割り切れる話ではないということは理解している。
>kamio hisashi しかし、この発言がすごすぎる→「法律で、テレビの番組も何時から何時まできちんと見るということにすればいいと思います。この番組を見なければ会社に就職させないとか」(NHKの経営委員 安田喜憲氏)
ひいきの引き倒し以前の問題だな、これ。
うんざり。
なんでこんな変な人を経営委員に選ぶんだろ?
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