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米NBCテレビの討論会で演説する大統領選の民主党指名争い最有力候補、ヒラリー・クリントン前国務長官(2016年1月17日撮影)〔AFPBB News〕
ヒラリーの私用メールが暴いた外務省の赤っ恥 国益の毀損と責任感の欠如がもはや伝統に
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/46021
2016.2.10 森 清勇 JBpress
2月1日付の全国紙は、ヒラリー・クリントン前国務長官が公務に私用メールを使っていたのがさらに見つかったと報じた。米国では機密漏洩という視点で以前から問題視されてきた。
日本においては公用メールの管理という示唆でもあるが、ここでは同時に公開されたメールで明らかになった外務省高官の尖閣諸島国有化についての認識の甘さを取り上げたい。
当時のカート・キャンベル米国務次官補(東アジア・太平洋担当)が尖閣諸島を国有化する前の日本に、中国と事前協議を重ねる要請をしたことに対する佐々江賢一郎外務事務次官(当時)の回答が明らかになった。
■外務省の中国認識
米国は中国の激怒を予測し、「佐々江と日本政府に北京と協議」することを奨めるが、新聞報道に見る佐々江次官の発言は「中国が(国有化の)必要性を理解し、いずれ受け入れると信じている」(「日本経済新聞」、他紙も同趣旨報道)というものである。何と楽観主義の次官であったことか。
国際情勢、中でも中国の歴史や言動に全然学んでいないのではないだろうか。日々が闘いである外交の場で活動する、日本を代表する次官の発言とはにわかに信じられないほど初心である。
今日の日中間の大きな係争に発展する震源になり、国益の棄損につながっていると思うがいかがであろうか。
かつて園田直外相は外務官僚を「理路整然たるバカ」と呼んでいたそうである(杉原誠四郎『外務省の罪を問う』)。頭の切れはいいが、自分が日本人であり、日本の国益を主張すべき立場にあることを忘れる外務官僚が多いからであろう。
どうしてこんな人が次官になり、駐米日本大使になるのだろうか。ここで思い出すのが、佐々江氏の数代前の次官であり、同じく駐米大使となった斎藤邦彦氏のことである。
アイリス・チャンの『ザ レイプ オブ ナンキン―第二次世界大戦の忘れられたホロコースト』がベストセラーになり、南京攻略戦に伴う「事件」でしかなかったものが「南京大虐殺」として米国をはじめ国際社会に大々的に流布することになる。
日本は何としてもそうした嘘、捏造が広がるのを止めなければならなかった。
そこで、チャンと斎藤大使によるテレビ討論が1998年2月実施された。しかし、結果的にはチャンの言説を補強することになってしまった。
外務次官をやり、そして日本国を代表する駐米大使でありながら、南京大虐殺の捏造を暴いて日本の正当性を主張できなかったのである。このテレビ討論については「アイリス・チャンと斎藤邦彦駐米大使の討論」(http://www.history.gr.jp/nanking/books_changtv98.html)で検索可能。
日本人はディベートが下手だとよく言われる。大方の日本人はそうかもしれない。
しかし、日本国を代表する、しかも世界への情報発信源ともなっている米国のテレビ討論で、相手の主張を確固たるものにしてしまう結果をもたらしたのでは、何のための何処の国の大使か分からない。売国奴と呼ばれても大きな誤りではないであろう。
佐々江氏の場合はディベート以前の国際情勢認識、中でも隣国中国の歴史や言動に対する認識である。その後の中国の行動は佐々江氏の発言と全く違った方向をたどっており、外務省の認識が全く間違っていたということである。
日本にとって一衣帯水と言われる中国を知り、韓国・北朝鮮を知るのは、他のどの国よりも必要不可欠なことであるが、外務省は一体全体何をしているのだろうか。そして、どんな官庁なのだろうか。
■外務省に自浄能力なし
筆者は日米開戦にまつわる問題で外務省がどういう動きをしてきたかに関心があり、『外務省の大罪―幻の宣戦布告』を上梓した。
そうした結果、省庁改編には間に合わなかったが、「害務省」と化している外務省こそが第一に改編されて「国務省」となるべき官庁ではないかと書いた。外務省糾弾の嚆矢であったと自負している。
当時調べて分かったことは、宣戦布告の遅延は(軍部に責任がなかったとは言わないが、最終的かつ最大の要因は)紛れもなく外務省の失態であった。しかし、外務省は総力を挙げて隠蔽し、揚句に当事者たちが自己擁護する著作を出し続けたのである。
他方、罪を押しつけられた軍部側の著作はほとんど現れなかった。東条英機など、その衝にあった人が家族らに自己弁護するなと厳しく言いつけたからでもあろう。
東日本大震災と福島第一原子力発電所にかかわる対処において、関わった民主党の幹部たちが次々に自叙伝などを上梓したことを思い出す。多くは自己弁護のアリバイ作りではなかったかと思う。
往生際の悪い菅直人氏(当時の首相)は、自分の言葉を二転三転させながら、自己正当化だけのために今も裁判で争っている。
宣戦布告の遅延については状況証拠から多くの人が研究してきた。しかし、何よりも求められたのは外務省自身による調査であった。
実際、3人の外相(東郷茂徳・重光葵・吉田茂)が調査を命じ、「問題の解明」に当った。しかし、外交文書は原則30年で公開するという規定を反故にして50年どころか70年たった今も公開されていない。
いまにして思えば、北朝鮮の拉致問題と同じく、あえて調査するまでもなく、当事者たちが目の前にいるわけであり、事の推移は明々白々ではなかっただろうか。ただ、外務省の失態にしないための時間稼ぎであったに違いない。だから、永久に公開できないのではなかろうか。
そうした何よりの証拠は、「罪万死に値する」とも見られた当の奥村勝蔵1等書記官や、上司として監督責任を有した井口貞夫参事官が、吉田外相によって何事もなかったかのように後日事務次官に任命されていることであろう。
先の次官発言などは記録保管されるべきであろうが、都合悪い文書は破棄される可能性もある。外務省には公文書の保管意識が低いようで、開戦前夜の電文も何本かが見つかっておらず、歴史研究家を困惑させている。
松岡洋介外相が訪ソして日ソ中立条約を電撃的に結ぶが、この時のモロトフ首相あての英文書簡について加瀬俊一氏は「書翰はわたしが起草した。(中略)これは極めて重要な外交文書である。私はともかく音読して了承を得ると、原案に花押をしてもらった。これはその後記念に保存していたが惜しくも戦災で焼失した」(『戦争と外交(上)』)と述べている。
外交文書であるから当然「保管」であるが、「記念に保存」となれば、私的に持っていたとしか受け取れないし、それゆえに戦災で焼失したわけで、筆者は茫然自失したことを思い出す。
筆者が忘れられないもう1つのエピソードは、日米交渉は野村吉三郎大使を中心に進められたが、その下に若杉要公使がいた。体の具合が悪かったようで、交渉たけなわの頃は「寝たきり」であったという人もいるが、当時在米大使館で勤務していた松平康東1等書記官は「(若杉公使は)自分の東京の家を新築したもので、そのための家具を探し回っていて、大使館にいないことも多かった」と語る。
病気はカムフラージュであったことを示唆している。
野村大使がルーズベルト大統領やハル国務長官と頻繁に交渉していたというのに、公使はこの為体で、外交史にはほとんど顔を出さない。日米が丁々発止の交渉をしているさなかで、重要人物が公務に精励しないばかりか、自利で動いていたのである。
こうした状況が戦後の外務省でも繰り返されているというのは言いすぎであろうか。しかし、外務本省は無謬性を信じ切っているようで、日米貿易交渉や拉致問題などにおいても反省の声一つ聞こえてこない。
■拉致問題の本質
東大を中退して、「目標とプライド」を以って外務省に入り12年間勤務し、最後は拉致問題に担当課長として直接かかわるが失望して外務省を去り、「外務省の在り方にダメ出し」をした人物に原田武夫氏がいる。
「自前の情報機関を使って集めた北朝鮮現地情報を持たない日本政府には、北朝鮮に関する情報が決定的に欠如している。対北朝鮮政策と『国富の増進』という国家としての目標をリンクさせ、中長期的観点から物事を動かしていく発想もない」と知り、「ただただ北朝鮮や米国をはじめとする関係国の言葉に踊らされているままでよいのか」との疑問から外務省を去る(『北朝鮮外交の真実』)。
拉致問題では外務省が正面に立っているが、失敗続きである。中山恭子参院議員は「外務省には、拉致被害者が犠牲になっても致し方ないという方針が従来からあります」(「言論テレビ」2014.10.31)とも述べている。
一昨年5月、両国政府が発表したストックホルム合意で、北朝鮮の責務は「日本人の遺骨及び墓地、残留日本人、日本人妻、拉致被害者及び行方不明者を含むすべての日本人に関する全面的調査を行う」とし、しかも「調査はすべての分野を同時並行的に行う」となっている。
外務省の担当官が完全に北朝鮮の策略に乗せられているのである。日本は拉致被害者と行方不明者が最優先と口を酸っぱくして言ってきたが、日朝で交わした文書では最後に書かれている。
文書に表わされた順序はある意味で、優先順位あるいは比重の起き方を示すものであるから、同時に着手はするが、優先順位では後になることを認めたのも同然であり、拉致問題に手がつかないのは火を見るより明らかであろう。
しかも、拉致問題の制裁を、「北朝鮮の特別調査委員会による調査開始段階で、人的往来、送金、船の入港などの規制を解除する」とした。これでは、遺骨ビジネスで堂々と金を稼げるようになるし、また、制裁も問題が解決する以前の調査着手で解除されるというのでは、相手にとって旨みばかりの合意であったのである。
中山議員の言を再び借りると、「北朝鮮は拉致問題の解決を急がないと日本は動かないという相当な緊迫感を持っていると、私は承知していました。ところが、外務省と交渉を始めてみたら、どうも違う。非常に甘い。どうやら拉致問題に手を付けなくても、相当な資金を手にする術があると彼らは感じ始めた」というのだ。
これが、外務省の交渉失敗でなくて何であろうか。
日本は当初の5人を取り戻して以降は、拉致被害者の1人も取り返すことができずに弄ばれているのである。そこで議員は、「日本側の交渉担当者を交替させ、(中略)警察、公安、民間の専門家なども交えて共同で救出に当たらなければならない」と提言する。まともに交渉できない外務省への三行半である。
約束の期日までに調査結果を報告しない北朝鮮に対し、政府・外務省は何も対処できないままである。家族会は「予測の事態」と冷静に受け止め、「(交渉を)打ち切ってもいい」とまで言い出す始末である。
しかし、心中は察して余りあるもので、家族会も外務省を信頼していないのである。
■おわりに
外国に勤務する防衛駐在官は外務省に出向して「1等書記官兼て1等陸佐」などの肩書で赴任する。防衛駐在官が得た情報はすべて外務省あてに送られ、そこで開封され、外務省が必要に応じて防衛庁(当時)に配布することになる。
防衛庁に勤務した筆者は必要があって、防衛駐在官に情報を依頼したことがある。なかなか返事が来ないので催促した。そして返ってきた答えが、その件に関してはずっと前に外務省に情報を送ったというものであった。
任を終えた防衛駐在官からも外務省に送った重要な防衛情報が防衛庁に届いていないと何度か聞いたことがある。
担当の外務官僚が情報の重要性を分かっていないこともあろうが、そうではなく外務省が情報を独占したかったに違いないというのが大方の回答である。
佐々江次官の発言から発展して外務省という組織全体のことになったが、「外務省」という名からして、国民を向いていないとしばしば思うことがある。その典型が拉致問題である。
被害者家族に見える形での早急な解決が待たれるが、これまでの経過を見ても外務省では不可能であろう。中山議員が言うように、別組織を考える必要があるのではなかろうか。
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