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『ゲゲゲのゲーテ 水木しげるが選んだ93の「賢者の言葉」』(双葉社)
水木しげるが最期の仕事で綴った、戦争による死への恐怖と平和への思い「戦争に行くのが嫌で嫌で仕方がなかった」
http://lite-ra.com/2016/02/post-1944.html
2016.02.02. 水木しげるが最期の仕事で綴った言葉 リテラ
昨年11月30日、多臓器不全のため93歳で亡くなった水木しげる。後世の漫画家たちにあまりにも大きな影響を与えた巨匠でありながら、90歳を超えても旺盛に新作をつくり続けていた彼の突然の死に日本中が悲しみに包まれたのを昨日のことのように覚えている読者も多いことだろう。
そんな水木しげるが生涯の最期に残した仕事が出版され大きな話題を呼んでいる。その本の名は『ゲゲゲのゲーテ 水木しげるが選んだ93の「賢者の言葉」』(双葉社)。『若きウェルテルの悩み』『ファウスト』などでおなじみの、あのゲーテに関する本である。水木しげるはこの本を校了させた翌日に転倒、緊急入院となってしまったのだと言われている。
ゲーテと水木しげる、少し意外な組み合わせだが、本人が〈水木サンの80パーセントはゲーテ的な生き方です〉と語るほど、水木しげるにとってゲーテの言葉は人生の指針であり続けてきた。そんな水木しげるとゲーテとの出会い、そのきっかけは「戦争」であった。
〈ゲーテと聞くだけで、今でも背筋がしゃんと伸びるような気がします。ゲーテの助手、エッカーマンが書いた『ゲーテとの対話』(岩波文庫、全三巻)は水木サン(水木氏の場合、これが一人称)にとって一番大切な本でしょうね。
少年のころ、戦争が始まって憂うつでした。戦争に行くのが嫌で嫌で仕方がなかった。死ぬのが恐ろしかったのです。遠からず、弾丸が飛び交う戦地に行くと思うと、「人生って何だろう」と探求したい気持ちがわき起こってきました。
本を読みあさった。河合栄治郎という偉い先生が編んだ青年のための読書案内で、お勧めのマル印がある本を片っ端から読みまくり、人生を深く考察し始めたのです。
ニーチェやカントやショーペンハウエルを読みました。小難しかったり、堅苦しかったり、虚無的だったりしましたが、我慢して読み進めました。倉田百三の『出家とその弟子』も読んだ。聖書も読んだ。小説も山ほど手にしました。
とりわけ『ゲーテとの対話』には生きていく上の基準が満載されていました。偉ぶらないで自分のことは自分でやり、世の中を偏狭にではなく幅広く見ていて、すなわちゲーテは偉いと感服したわけです。詩人で小説も書き、ドイツのワイマール公国宰相にもなったのだから賢いはずです。
人生とは何かはとうとう分からずじまいでした。ただ、生きていること自体の燦然とした輝きに目がくらみ、「死にたくない」と痛切に思いました〉
戦争をきっかけに、「自分の命」を見つめ直すようになった水木は、「人生って何だろう」といった哲学的命題に思いを馳せるようになり、そこからニーチェ、カント、ショーペンハウエル、聖書などを読む濫読の時代に突入。そのなかでゲーテと出会うことになる。彼はとくに『ゲーテとの対話』に心酔し、戦争に行く時にも岩波文庫から出ていた『ゲーテとの対話』の上中下三巻を雑嚢に入れて持って行くほどであった。数ある本のなかでも、ゲーテの言葉がとりわけ水木しげるの心に響いたのはなぜだったのか。水木しげるはこのように語っている。
〈ゲーテはひとまわり人間が大きいから、読んでいると自然に自分も大きくなった気がするんです〉
〈他の連中は思考して、考えたことを吐露するという感じだけれど、ゲーテの場合は人生とか、人間とか、すべてを含んだ発言なんです。幅が広いから参考になるわけですよ。そこへいくとニーチェなんかは特別なときの言葉が多かったように思いますね〉
〈ゲーテは人生をじっくりと味わった言葉ですよねえ。ショーペンハウエルやニーチェとかは、ケンカ腰で喋るような感じで(共感できなかった)ね。
日本ではニーチェ的な考え方はあまり上手くいかないのと違いますか。ニーチェというのは他人に勝たなけりゃいかんという苦しい考え方をして、大騒ぎしてるからねえ〉
〈他人と比べるから不平不満を感じるわけですよ。本人が納得して満足すれば、それが幸せってことになるんじゃないですか。出世して自分だけいい思いをしようと思ったら、ニーチェの思考ですよ。水木サン(水木は自分のことをこう呼ぶ)にとって、ニーチェは怖いね〉
〈ゲーテの言葉は水木サンにとって具合がよかったんじゃないですか。人物で尊敬するのは、ゲーテだけなんです〉
〈暴力的なことや突飛なことはすべて私の性に合わないのだ。それは、自然に適っていないからね〉、このような警句に溢れた『ゲーテとの対話』に綴られた言葉は、後に水木作品に頻出する名言「けんかはよせ。腹がへるぞ」にもつながってくるのだろう。
水木しげるの作家生活を振り返ると、「妖怪」を題材にしたマンガに匹敵する、いや、ひょっとしたらそれ以上に重要なテーマとして「戦争」があったというのはよく語られている。彼にとって「戦争」というのは創作活動において本当に重要で、〈戦争体験が自分をマンガ家にした〉(「新潮45」1990年7月号/新潮社)という言葉を残しているほどである。彼が「戦争」を題材にしたマンガにどのような思いを託してきたのかは、「ユリイカ」2005年9月号(青土社)に掲載された平林重雄氏による論稿「水木しげると戦争漫画(増補改訂版)」に詳しい。
彼は人生を通じて継続的に戦争に関するマンガを描き続けた。それは、マンガ家としてのキャリア最初期、貸本マンガに作品を描いていた1950年代にまで遡る。なぜ彼はそこまで戦争にこだわり続けたのか。そこには、死んでいった仲間たちへの思いがあった。
〈やっぱり死んだ人ですよ、私は戦後二十年ぐらい人にあまり同情しなかったんです。戦争で死んだ人がいちばんかわいそうだと思ったからです〉(足立倫行『妖怪と歩く』文藝春秋)
〈ぼくは戦争ものをかくとわけのわからない怒りがこみ上げてきて仕方がない。多分戦死者の霊がそうさせるのではないかと思う〉(『総員玉砕せよ!』講談社)
幸いなことに、戦死こそしなかったものの、水木の戦争体験もかなり悲惨なものだ。彼はニューブリテン島ラバウルの激戦地に送られ、爆撃により左手を失って復員しているが、彼が残した戦争中のエピソードを読んでいると、生きて帰ってこられただけでも奇跡としか言いようのない体験も多く経験してきている。例えば、不寝番で兵舎から離れていたところを敵の奇襲にあい、彼の所属する分隊が全滅したというエピソードはマンガや随筆のテーマとしてたびたび取り上げられた。もしも不寝番の担当が違う時間帯であったら、彼は生きて日本に帰ることはできなかったかもしれない。
水木しげるの戦争マンガで取り上げられる戦争には「勇ましさ」がまったくないというのが特徴的だ。彼がマンガに描いたのは、一貫して「負け戦」であった。水木は上官たちにいじめ抜かれる兵士や、戦争末期の日本軍が人の命を物のように扱った理不尽な行いなど、軍隊の暗部を描き続けた。ここで描かれているのは、いわゆる「戦記もの」のマンガが描くような、勇ましい軍隊ではない。みじめで格好悪い兵士たちの姿である。水木しげるが貫いたこの姿勢は、当初読者から芳しい反応を得ることができなかったようで、「負け戦では売れない、勝たなくてはダメです」と忠告を受けたこともあるようなのだが、彼は生涯その姿勢を崩すことはなかった。そして、こんな言葉を残している。
〈戦記ものと称する一連のマンガ「0戦はやと」とか「紫電改のタカ」「我れは空の子」での一発の銃はなんのために発射するのか、というと、自分の身を守るためで、いわば冒険活劇漫画であって、本来の意味での戦争マンガというものではないだろう。とにかく戦争のオソロシサは少しもないし、万事つごうよく弾丸がとび、考えられないほどつごうよく飛行機もとんで万事めでたい。食料なんかも常にあり、感激ありで、読んでいるものは戦争を待望したくなるくらいだ。(中略)しかし、ぼくは、本当の戦記物というのは「戦争のおそろしいこと」「無意味なこと」を知らせるべきものだと思う〉(「朝日ジャーナル」1973年7月27日号/朝日新聞社)
〈自分としては、下級兵士たちのカッコ悪い日常を描くことで意味もなく死んだ彼等の無念さを伝えたいと考えたのです〉(朝日新聞1974年4月10日)
しかし、どんなに水木しげるが戦争体験者として戦争の悲惨さを繰り返し主張しても、平成日本はその恐ろしさを忘れどんどん右傾化していった。その先鞭をつけたとも言える、小林よしのり『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』(幻冬舎)がヒットした時、水木はエッセイマンガを通じてこんな警鐘も鳴らしている。
〈私は『戦争論』で、ふとあの戦前の勇ましさを思いだし、非常になつかしかったがなんだか輸送船に乗せられるような気持ちになった(中略)『戦争論』の売れゆきが気になる。「戦争恐怖症」のせいかなんとなく胸さわぎがするのだ〉(『カランコロン漂泊記 ゲゲゲの先生大いに語る』小学館)
昨年は、水木しげる、野坂昭如と、その作家生活のなか、一貫して戦争の恐ろしさを伝え続けてきた作家が次々と亡くなってしまった年であった(野坂原作「マッチ売りの少女」を水木が漫画化したり、水木の単行本に野坂が巻末解説を書いていたりと、実はこの二人は浅からぬ関わりがある)。
昨年の安保法制強行採決をはじめ、日本は急速に「戦争」の気配に覆われつつある。水木しげるや野坂昭如が作品を通じて語り続けてきたメッセージが忘れ去られることのないよう、ひとりでも多くの人に読んでほしい。
(新田 樹)
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