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国際社会全体が混乱に陥っている。「西洋の没落」は目に見えて明らかになっているし、資本主義や国民国家など既存のシステムも上手く機能していない。資本主義の終焉について語られることが多くなっているが、我々は現在が時代の転換点であることをしっかりと認識する必要があるのではないか。
ここでは京都大学名誉教授の佐伯啓思氏のインタビューを紹介する。
『月刊日本』2月号
佐伯啓思「さらば、資本主義!」
http://gekkan-nippon.com/?p=8465
<現代文明は「全般的危機」に陥った>
―― 2016年は世界同時株安、イランとサウジアラビアの国交断絶、そして北朝鮮の水爆実験発表で幕を開けました。シリア紛争やIS問題も解決の兆しを見せておらず、国際社会全体が混乱に陥っています。
【佐伯】 「資本主義の全般的危機」という言葉がありますが、今日の世界は「現代文明の全般的危機」という様相を呈してきていると思います。現代文明の中心には、西洋の啓蒙主義が切り開いたヒューマニズムやリベラルデモクラシー、個人の自由競争からなる市場経済、そして産業の発展を支える科学技術があります。西洋の啓蒙主義者たちは、これらは普遍的な理念であり、これによって人類は幸福になると考えていました。
しかし、これらが本当に普遍的理念と言えるのか、極めて疑わしいところがあります。実際、これらの理念が世界に広がれば広がるほど、逆説的に、その限界が顕わになりました。啓蒙主義は植民地主義や帝国主義をもたらし、二度の世界大戦を引き起こしました。ヒューマニズムやリベラルデモクラシーが中国やイスラム社会に根付く様子はなく、むしろ摩擦を生じさせています。これは日本にも当てはまることです。日本は明治時代にこれらの理念を取り入れましたが、多くの混乱を引き起こしてきました。
これらが普遍的理念であれば、民族や国家を超えて受け入れられるはずです。しかし、現実にはそうはなっていません。ということは、これらは決して普遍的ではないということです。それ故、これらの理念が西洋以外の国々で上手く機能しないのは、ある意味で当然のことなのです。
問題は、現在のアメリカを見ればわかるように、西洋でもこれらの理念が上手く機能していないことです。例えば、リベラルデモクラシーは結局、多数決によって力の強い者が弱い者を支配する政治に行き着きました。それにより、大衆煽動や迎合をいとわず、とにかく多数派を確保して、自分のやりたいことを押し通すという風潮が強くなってしまいました。アメリカ大統領選の共和党候補であるドナルド・トランプ現象もその典型です。
また、市場経済は格差を拡大させ、貧困層を生み出しました。しかも、先進国は国内マーケットが飽和状態になったため、新興国のマーケットに依存せざるを得ません。そのため、新興国の経済状況が悪化すれば、同時に先進国の経済状況も悪化するという状況にあります。ヘーゲルの「主と奴」の議論を借りれば、先進国が新興国を支配しているように見えて、実は新興国が先進国を支配しているとさえ言えます。
さらに、科学技術も行き着くところまで行ってしまい、これ以上の技術革新が人間を幸福にするのかどうか疑わしくなりました。遺伝子工学が一体何を生み出すか不明瞭ですし、原発についても今後の見通しがつきません。少なくとも確かなことは、技術革新をして産業に応用すれば、無条件に人間が幸せになるわけではないということです。これが我々の置かれている現在の状況です。(中略)
<西洋人は大義のために命を捨てられるか>
―― とりわけ深刻なのが西洋とイスラム社会の対立です。佐伯さんは『テロの社会学』(新書館)で、西洋がイスラム社会に対して持つ「負い目」を指摘しています。
【佐伯】 それは9・11テロに対する西洋の反応に端的に表れています。彼らはあのテロに接し、宗教的大義のために命を捨てる人間がいることに衝撃を受けたはずです。
西洋はこれまで自由や民主主義といった世俗的な価値観を掲げ、個人の幸福を追求してきました。それは20世紀後半から21世紀にかけて、かなりの程度達成されました。しかしその結果、「自分たちは何のために生きているのか」という人生の目標が見失われてしまいました。
新たな目標を探すにしても、かつてのように「自由への闘争」は目標にはなり得ません。既に自由や民主主義は実現されているし、そもそもこれらの価値観はどこかインチキ臭いからです。自由だ民主主義だと言ったところで、現実には格差が広がり、見捨てられる地域が増えています。学校内では子供のいじめや自殺も起こっています。暴力は至るところで見られます。
そのため、西洋人たちは、これらの価値観に代わる、何か新しい大義を心の底で模索していたのだと思います。もっと言えば、命を賭けてでも守るべき大義をどこかで欲していたのだと思います。
そうした時に9・11テロが起こったわけです。しかも、あのテロは狂信的な人間によって行われたのではなく、飛行機をビルにぶつけられるほど高度な技術と冷静さを身に付けた、ある意味で合理的な人間によって行われました。西洋人がそこに、テロの良し悪しは別にして、イスラム社会に対する畏怖を交えたある種の恐怖感を感じたとしてもおかしくありません。(以下略)
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