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2016-01-21
逸見庸さんが「怒りの芯」について書いています。今日の朝日新聞朝刊にある「オピニオン」(15面)のページで、「時流に抗う」と言い切っています。
このなかで、安倍晋三首相は、祖父の岸信介首相(当時)を手本に、「戦争法」(安保法)を死に物狂いでやってきましたが、野党には「死に物狂い」などまったくない。国会前のデモにしても、「冗談じゃない、あんなものかよ」という気がしますね、といいます。
若い人の運動については、逸見さんは、「例えば米国や欧州でのサミットに反対するデモは、資本主義のあり方そのものに反対している。あまりにもむき出しで、びっくりしちゃうんですけどね。日本とは『怒りの強度』が全然違う」と、言います。
どこか日本的なもの、現状維持を望んでいるような感じがしますね。全体としては「何としても社会そのものを深いところから変革したい」という強いパッションが見えないんです。つまり、今の自分が現状維持に保たれることを願っている。つまり、「怒りの芯」がないということです。
市場経済と言葉が関係するのは、購買者・消費者としての人間であって、怒る人間とか変革する人間ではないということです。「人間を締め出していると言うことですかね。疎外ということです。ぼくらは歴史を作る主体だと教え込まれて生きてきたけど、果たしてそうであったのか。歴史の主体ではなくて、歴史の対象なんじゃないでしょうか」
逸見さんは、「天皇についても同じようなことが言えます。天皇との会見のときに、広島の原爆については、地元民法の中国放送の時に質問が出され、朝日、毎日、読売はそんな質問はしません。そうしたことを冷笑し、馬鹿扱いすることが、時とともに組織や社会をどれだけ悪くしていくことでしょうか。コンフォーミズム(社会順応主義)の傾向はますます、きつくなっている」と強調します。
そして、「衆議に従って、ではなく緊急動議的に発言していく勇気が必要なんだ。おずおずとした発言でいい。かっこ悪く、ぶつぶつでいい。自分がそういうことに直面したときに、果たしてどれだけ誠実でいられるかという問題だと思うんです」と述べています。
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