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「『古人は君子を作り小人を作らないのを教育の根本方針としていたのです。』:内田樹氏」
http://sun.ap.teacup.com/souun/19277.html
2016/1/16 晴耕雨読
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朝ご飯前に一仕事。
岡潔の『風蘭』が文庫解説。
岡のいう「修羅道」について書きました。
すこし引用しておきます。
「岡は知性の十分に発達していない段階で、他人をあれこれと『批判』させることは『修羅の行為』だと書いている。
『あれは、人の欠点を見いだして、そして全体を否定するというやり方で、これは明らかに衝動的判断です。
つまり、修羅の行為をさせているのです。
/修羅の行為のうちでも、とくに悪質なものです』
現代人は切れ味の良い批評をすぐれた知性の証だとみなし、「寸鉄人を刺す」ような言説をよろこぶ。
『そんなふうにしていると人の長所がわからなくなってしまい、また欠点に対する厭悪感が増大します。
人の長所がわからず短所に対する厭悪感の強いのを小人といい、人の長所がよくわかり短所に寛大なのを君子といいます。
そして古人は君子を作り小人を作らないのを教育の根本方針としていたのです。』
鮮やかな手際で人を切り捌くような批評の言葉に僕たちは爽快感や全能感を感じることがあり、またにもかかわらず生命力の衰えを感じることもあります。
それはそれが「修羅の行為」であり、小人のおこないだからである、と岡に指摘されて胸を衝かれました。
そういう「批評行為」はコンテンツの当否や政治的正しさのレベルではなく「小人か君子」かのレベルにおいて論じられなければならないという知見は現代に見られなくなって久しいものでした。
日大演劇科の『演劇創造』の取材だん。
お題は「戦争」でした。
「第二次世界大戦では、戦勝国も敗戦国も、戦争の総括に成功した国はない。すべての参戦国が固有の『偽りの物語』を語り、語ることのできない『穢れ』を抱え込み、それが今も症状として回帰している」というお話をしました。
京都精華大学の来年度の教員紹介文に自己紹介を書きました。
養老先生と並んで登場です。https://t.co/SpjjKABZTy
「メンバー見るとわりと野蛮な大学」というふうにご評価頂いて、「そういうのが好き」という高校生に来て欲しいです。
今年の入試では「学者の会」に参加している教員がたくさんいる大学、SEALDsのメンバーがたくさんいる大学を「抑圧的でない、自由な校風の学校」と評価して、偏差値や就職率よりも「キャンパスの風通しのよさ、手触りの暖かさ」を基準に選んでくれる受験生がどれくらいいるか僕は注目しています。
例えば明治学院大学の倍率が有意に増加した場合、それには強権に屈せず言うべきことを言うまっとうな教員と学生を擁する大学であることを、去年さまざまな機会に証明したことが深く与っていると思います。
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