明治以降・・・連綿と、あまりにも深く、深く、 『 一億・総白痴化電波歴史教育 』の負荷を掛けられ、じゃぶじゃぶの被洗脳奴隷状態である、そのおのれの振り回され度数を自覚する必要がある・・・反日中華や韓国人のような、発想で溜飲を下げ手エツに入り、結果的にサル回しのお猿さんよろしく、ニッポンジン大好きガイコクジン・国際金融サル回しの使い走りになっている、おめでたいガイコク日本人代表・・>40.
_______________________ 近衞 文麿 ( このえ ふみまろ、1891年(明治24年)10月12日 - 1945年(昭和20年 )12月16日)は、日本の政治家。栄典は勲一等公爵。 泰明尋常小学校を経て学習院中等科で学んだ。一学年上には後に「宮中革新派」となる木戸幸一や原田熊雄などがいる。当時華族の子弟は学習院高等科に進学するのが通例だったが、近衛は旧制一高の校長であった新渡戸稲造に感化され一高に進学した。続いて哲学者になろうと思い東京帝国大学哲学科に進んだが飽き足らず、マルクス経済学の造詣が深い経済学者の河上肇や被差別部落出身の社会学者・米田庄太郎に学ぶため、京都帝国大学法科大学に転学した 。 河上との交流は1年間に及び、彼の自宅を頻繁に訪ね、社会主義思想の要点を学び、深く共鳴している。これがのちに政権担当時の配給制などに結びつく。スパルゴーの『 カール・マルクスの生涯 』とトリノ大学教授ロリアの『 コンテンポラリー・ソーシャル・プロブレムズ 』の2著をもらっている。 京都では 木戸幸一、 原田熊雄、織田信恒、赤松小寅などと友人になった。大卒者の初任給が50円程度であった当時に毎月150円の仕送りを受け取っていた。下鴨で一年間を過ごしたのち、毛利高範の娘・千代子と結婚し宗忠神社近くの呉服店別荘を借り移り住んだ。首相を辞職した西園寺公望が1913年(大正2年)に京都に移ると、清風荘を訪問し西園寺に面会した。近衛家と西園寺家は共に堂上家であるが縁が薄く、2人が顔を合わせたのはこれが初めてであった。60歳を越す元老の西園寺は学生の近衛を「閣下」と持ち上げ、近衛は馬鹿にされているのかと気を悪くしている。 以上、単なるオモテの/wiki情報 _______________________ 中国にも韓国にも北朝鮮にもアメリカにもロシアにも、ましてやこの『 ニッポン 』にも 当たり前のように、『 成人 』や『 星人 』や『 くそ 』や『 どクソ 』も混在しながら生息している。 自分都合のご都合スタンダードで、悦に入りたい気持ちは、イタイほど解るが・・・・ 「 まだ、わからないのか 」と肚の中で笑われる、いわゆる『 どクソのおめでたいガキ 』 ・・・のままで、一生が終る危険性がある・・・。
そこで、追加のオモテ情報・・・・
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ディロン・リードの経営者が日米安保条約を起草した。このディロン・リードの子会社カーライルの経営者であるブッシュ一族と、岸=安倍首相の一族は、ビジネス・パートナーであった。2015年現在の、日米安保条約を締結したのが岸信介である背後には、このビジネス・ネットワークが存在した。武器弾薬を販売し利益を上げる軍事商社ディロン・リードは、「 当然 」、自衛隊が世界各地・極東アジアで戦争を繰り返す事を望み、そのためには日本=自衛隊が海外で軍事力を行使する集団的自衛権の行使を「 望んでいる 」。
●『 チョン米・安倍晋三 』が、集団的自衛権の行使に執着する理由は、ここにある。
日本の再軍備=自衛隊の創立と、日米安保条約=在日米軍によって、ディロン・リードは莫大な収益を上げてきた。集団的自衛権の行使=海外で自衛隊が軍事力を展開するには、新しい装備を大量に購入する必要がある。自衛隊は、この日本兵器工業会=ディロン・リードを窓口として、新しい装備を購入する事になる。
●この< ディロン・リードと、安倍晋三と天皇一族、三菱以下財閥 >は、
「 ビジネス・パートナー 」である。 ●●●●戦争を主導した昭和天皇●●●● 19世紀初頭、世界帝国を建設しようと考えた英国はアジアに対し、アヘン=麻薬を売り、アジア人に英国に対する抵抗心を喪失させ、アヘン売買の利益でアジアを支配するための兵器を買う戦略を採用する。 英国のアヘン売買の中心となったのが、銀行ジャーディン・マセソンであった。マセソンは、英国がインドでアヘンを買い付ける資金を提供し、中国、日本にアヘンを運搬する船の建設費を出し、アヘンの売り上げはマセソンの銀行口座に振り込まれ、その資金で中国、日本を攻める兵器が購入された。兵器の代金は、マセソンの銀行口座で決済された。 マセソン、中国では香港に香港上海銀行(現在の中国の中央銀行)を支店として置き、日本では東京に日本銀行=日銀を支店として創立した。日本政府の井上馨、渋沢栄一に「命令」し、ノウハウを教え、日本銀行を創立させたのは、麻薬銀行マセソンのアレクサンドラ・シャンドである。
●●●●日本の中央銀行、日銀は麻薬銀行として創立された。●●●● しかし中国と違い、日本では麻薬は売れなかった。困ったマセソンは、福沢諭吉と天皇に相談し、日本人女性を誘拐し「 売春婦 」として海外に「 販売 」する事にした。貧しい農村の女性には海外で豊かな生活が出来るとダマシ、良家の娘達には洋裁学校を紹介すると騙し、天皇と三菱財閥は日本人女性を「 売春婦 」として、海外に売り飛ばした。天皇と三菱の経営する船会社、日本郵船が騙された女性達を売春婦として海外に運んだ。大部分が処女であった日本人女性達は、船の中で「 売春婦 」として教育するため、英国人水夫達に毎日、強姦輪姦された。これは天皇の「 命令 」である。 天皇が騙し、売春婦として海外に売り飛ばした日本人女性の数は、50万人を超える。大くの女性は、20歳代で梅毒等の性病で死に、または刃物で自分の喉を突き刺して自殺した。天皇一族の財産はこうして作られた。 参考:山田盟子「 ウサギたちが渡った断魂橋 」上下 新日本出版社 ( 唐行きさん )
「 第二次世界大戦に日本が参戦する事に昭和天皇は反対であったが、軍部と東条英樹首相の暴走と強硬さに押し切られ、嫌々ながら天皇は戦争に関与した 」という、デマ宣伝がマスコミによって流されている。「 天皇を何とかして戦争責任から逃がそう 」という宣伝である。
1995年3月19日付、毎日新聞は、
1944年7月20日付の天皇から、
東条英樹宛ての勅語を掲載している。
「 あなたは( 東条は )、 朕( 天皇 )の行う戦争において、
朕の指導の下、十分に職務を果たした。」 天皇はこの公式の勅語で、第二次世界大戦への日本の参加は、「 天皇が 」決断し行った = 朕の戦争 である、と断言している。そして東条英樹以下、軍部は「 天皇の指導に従っていた 」と明言している。天皇が戦争に反対の「 平和主義者 」などと言うのは、全くのデマ宣伝である事を、天皇自身がここで明言している。 山田朗は著書「 昭和天皇の軍事思想と戦略 」校倉書房刊・・で、膨大な資料と証言を積み重ねながら、政治と軍事の最高指導者として、また、最も正確な情報を収集し得る立場にいた者として、天皇に戦争を起こした責任がある、と結論付けている。この膨大な資料と証言に反論し得る研究は、まだ出ていない。
戦争中、侍従次長として天皇の側近中の側近であった 木戸幸一 は、著書「 側近日記 」東京大学出版会・・で、真珠湾攻撃の成功直後、戦争の開始を、「 天皇が喜び、飛び上がって、小踊りする 」様子を描いている。 戦争の開始を、「 喜び、飛び上がって、小踊りする 」天皇が、どうして「 戦争に反対する平和主義者で、軍部と東条英樹の強硬姿勢に引きずられた 」事になるのか?こうしたデマ宣伝の背後には、再び「 天皇を中心に日本を、力づくで統一 」しようと言う、日本政府の意図が透けて見えている。昭和天皇こそ、戦争を起こした責任者、戦争犯罪人として死刑に処されるべき犯罪者である。 _______________ つまり・・・・ 「 まだ、わからないのか 」とは、人さまに言うべき注意ではなく 無知蒙昧に浸り込んでいる、おのれ自身に対して言うべき、 御コトバになる。 単なる無知の 『 どクソの天然ガキ 』か、 普通の大人な 『 成人になっている 』か、 の分れ道は、ソコにある。
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