http://www.asyura2.com/16/senkyo199/msg/473.html
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新9条論に反対する。立憲主義の理想は達成できず、危険な改憲に利用されるに決まっていて非現実的。
http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/e171bfa3b31f371153bf7a99e96b3616
2016年01月10日 Everyone says I love you !
「9条問題の本質をつかむ。『新9条』は不要?必要?」
と題して、2015年12月に東京・永田町の参院議員会館で開催された討論会のことが、本日、2016年1月10日の産経新聞で大きく取り上げられています(ウェブ上では10ページ!)。
右から井上達夫東大教授、伊勢崎賢治東京外大教授、伊藤真弁護士、ジャーナリストの今井一氏。
1対3で孤軍奮闘だった伊藤先生は、龍谷大学法学部、伊藤塾で同僚でした。
これまで、この新9条論のことはあえてこのブログでは取り扱ってきませんでした。
だって、安倍政権の改憲に利用されるに決まっているからです。しかし、ウルトラ改憲派の産経新聞まで利用しようとしだしたのですから、黙殺ばかりもしていられないでしょう。
それにしても、これからご紹介する新9条論は、私が信頼しているあの想田和弘監督さえ、安保法案が成立したとたんにマガジン9条で唱え始めたので、私もびっくりポンしたものです。
まあ、ある意味、リベラルの悪い意味でのいい加減さというか、脆弱性を示しているのがこの新9条論といえるでしょう。
あの賢い想田さんがどうしちゃったんだろうとびっくらこいた。しかも、安保法案が通ることを前提に原稿を用意していたところにがっかり。
ちなみに、リベラル保守とかいう中島岳志北大教授も報道ステーションで新年早々、立憲主義の観点からの9条改正を主張しました。
安保法制反対で名を鳴らした元自衛官の伊勢崎賢治東京外大教授も新9条論者で、いろんなところで発言しています。
なにより、これまたリベラル派新聞のはずの東京新聞でも何度も取り扱われています。
朝日新聞でも、作家の高橋源一郎氏、、「左折の改憲」の池澤夏樹氏などが同じような主張をしています。
これらの様は、2014年の東京都知事選挙で、脱原発派が小泉元首相が支援する細川護熙候補支持に雪崩を打ってまわった姿をほうふつとさせます。
まあ、田原総一朗氏は論外だからw
さて、東京新聞によると、新9条論とは
『戦後日本が平和国家のあるべき姿として受け入れてきた「専守防衛の自衛隊」を明確に位置づける。
解釈でも明文でも、安倍流の改憲を許さないための新九条である』
といっています。
また、冒頭の討論会を主催して司会もした今井一氏は、この記事の中で
「立憲主義を立て直すことが先決という危機感から、解釈の余地のない『新九条」論が高まっている」
と言っています。
あのですね、およそ憲法・法律の条文なんて、どんなに細かく規定しても解釈の余地がないだなんてこと、ありえませんよ。
そもそも、解釈の余地がないというなら、今の憲法9条なんて、戦争は放棄する、戦力は一切持たない、交戦権は否認すると、これでもかというくらい明確に詳細に規定しているのです。
それでも、個別的自衛権はある、必要最小限度の武力として自衛隊は合憲だ、自衛戦争も合憲だという憲法学説も相当に有力なのです。
そして、この規定にもかかわらず、安倍政権は自衛隊がアメリカの戦争に参戦する集団的自衛権さえ、9条に違反していないと解釈したのです。
というわけで、新9条論が立憲主義確立に役立つだなんてことはありえません。
そもそも、憲法改正には各議院で3分の2以上の多数で発議しないといけないことになっているのに、リベラル派でこんな憲法改正の発議なんて可能性ありますか?
逆に、安倍政権に選挙で3分の2を取らせないようにするのに四苦八苦しているのに、まともな内容であればあるほど、新9条なんて改憲案が国会を通るはずがありません。
つまり、新9条論にメリットなど何一つないのです。
ほんとはリベラルでさえないリベラリスト、井上教授と今井氏。井上教授なんて、9条2項は削除すべきだと言っている。自民党案よりひどい。
逆に新9条改憲論のデメリットは、もちろん、9条改正論を持ち出すことで、安倍首相の改憲論に利用されるに決まっていることです。
だって、自民党が賛成しなかったら、憲法改正なんてできやしないんですから、どんな改正案でも国会審議の中で換骨奪胎されてしまうのは必定です。
結局、新9条論者は、民主党らを改憲の3分の2に取り込むのに利用されるだけでしょう。
現に、今井一氏の9条改正案なんて、防衛裁判所という名の軍事法廷まで規定されてしまっています。まあ、昔から国民投票至上主義者の今井氏はもともと自民党の改憲を裏から手助けしている人だと思いますが。
同じ東京新聞のコラムで、いつも鋭い文芸評論家の斉藤美奈子氏が、新9条論者と東京新聞、朝日新聞のことを痛烈に皮肉っています。
『ま、議論だけなら、いくらでもおやりになればいい。だけど私が官邸の関係者なら「しめしめ」と思いますね。
「東京も朝日も『つぶさなあかん』と思っていたが、意外と使えますよ、総理」「だな。改憲OKの気分がまず必要だからな」
(略)
現行の条文でも「地球の裏側まで自衛隊を派遣できる」と解釈する人たちだ。条文を変えたら、おとなしく従うってか。新九条とはつまり、安保法論議の過程での禅問答に疲れ、「憲法を現実に近づけませんか」って話でしよ。それは保守政治家がくり返してきた論法だ。
このタイミングで、あの政権下で、改憲論を出す。彼らはウハウハである。
「あとは新九条論者と護憲論者の対立を煽るだけですよ、総理」、
「だな。もう新聞も味方だからな」
そして、新9条論は、安保法制に反対する運動を分断します。
安保法案が戦争法案だとして反対した人々の中には、小林節慶大名誉教授のようにもともとの改憲論者から、私のような9条の条文に手を触れるべきではないという原理原則論の護憲論者まで、幅広い層が結集していました。
ところが、新9条論には私のような護憲論者は乗れませんから、排除されてしまうのです。
そんなことで、この夏の参院選挙で、改憲勢力に勝てると思っているんでしょうか。もう、市民運動としても、政治運動としても百害あって一利なしです。
とうとう産経新聞が特集するほどにまで、改憲派から利用価値を認められてしまった新9条論。冷静になって、しばらく封印しておいてもらいたいものです。
伊藤先生はもとより、伊勢崎さんにも期待しているんですが。
そのうち、憲法9条2項の交戦権の否認なんてあったな〜〜、ってことになりかねない。
参考記事
澤藤統一郎の憲法日記さんより
「新九条論」は連帯への配慮を欠いた提言として有害である
http://article9.jp/wordpress/?p=5803
・
自民党憲法改正草案にダメ出し食らわす!
小林 節 (編集), 伊藤 真 (編集)
合同出版
二人の憲法の専門家が強烈赤点添削!
護憲論者の伊藤真と、改憲論者の小林節が、憲法改正に対する意見は違っていても、憲法は国家をしばるものという点において意気投合! 自民党の「憲法改正草案」のどういうところがダメなのか、現代の日本における憲法研究者の第一人者であり、草案作成のプロセスも知る2人が、徹底的に論じ合う。
伊藤真の憲法入門[第5版] 講義再現版
伊藤 真 著
日本評論社
憲法の伝道者といわれる著者が、人権尊重、立憲主義、平和主義などの基本原理と理念を具体的事例を織り込みながら、日本国憲法の神髄をわかりやすく解説。今日の憲法状況を踏まえ、定番の入門書を5年ぶりに改訂。
憲法問題 (PHP新書)
伊藤 真 (著)
PHP研究所
本書はカリスマ塾長の異名をとる著者が、自民党改憲案を検証した上で、憲法の本質を歴史的な観点からわかりやすく解説。96条には民主主義ならではの危険を避ける意図があること、9条が変わるとどうなるかについても言及。
想田さんや伊勢崎さんがきわめてまじめな気持から提案されているのはわかるんです。
でも、条文で何でも解決しようというのは、実務法曹から見るとかえって律儀すぎます。
ともかく、想田さんがいきなり新9条論を唱え始めたのには、鎌田慧さんが細川候補支持に回った時と同じくらい驚きました。
なぜリベラル改憲派が動き出したのか? 9条2項削除論も 左派の内部矛盾を露呈…
http://www.sankei.com/premium/news/160110/prm1601100027-n1.html
産経新聞 1月10日(日)10時29分配信
憲法9条に関する公開討論会の様子。(左から)今井一、伊藤真、伊勢崎賢治、井上達夫の各氏=平成27年12月18日、東京・永田町の参院議員会館
集団的自衛権行使の限定容認を含む安全保障関連法をめぐっては、護憲を訴えるリベラル・左派から「立憲主義の破壊だ」などと激しい安倍晋三政権批判が巻き起こった。そのリベラル勢力から、憲法9条改正を求める“改憲派”の動きが活発化し、護憲運動の内部で激しいあつれきを引き起こしている。今回の憲法解釈変更を認めない点は同じだが、“改憲派”は「安倍政権の解釈変更はダメで、自衛隊は合憲というのは欺瞞だ」などと主張。一方で従来型の護憲派は「そうした主張は改憲勢力を利するだけだ」と反発を強める。両派の論者が登場した討論会をのぞいてみた。
「9条問題の本質をつかむ。『新9条』は不要?必要?」
そう題した討論会は昨年12月、東京・永田町の参院議員会館で開催された。市民グループ「国民投票/住民投票情報室」が主催し、事務局長でジャーナリストの今井一氏が司会を務めた。今井氏は「『解釈改憲=大人の知恵』という欺瞞」(現代人文社)との著書があり、リベラル内“改憲派”の1人だ。
討論会では3人の有識者が意見を交わした。弁護士の伊藤真、東大教授の井上達夫、東京外大大学院教授の伊勢崎賢治の3氏で、伊藤、伊勢崎両氏は昨年の安保法制の国会審議にも参考人として招かれた。討論会の冒頭、3氏がそれぞれの立場を語った。
「私は平和主義、非武装中立を徹底すべきだと主張している。原理主義だと批判されるが、9条については筋を通すべきだ。未来永劫変えてはいけないとは全く思っていない。改正には賛成だが、改悪には反対だ。改正するにもタイミングがある。今の段階でやるべきではない」
そう述べた伊藤氏は司法試験受験の予備校・伊藤塾塾長として、「司法試験の神様」とも称されたカリスマ講師でもある。9条を「ある意味で人類の理想だ」と評価し、「(改正は)理想と現実が食い違うときに、少しでも理想に近づけようというゴールを見失ってしまうことになる」と訴えた。
一方、井上氏はリベラル内“改憲派”を代表する論客だ。近著「リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください」(毎日新聞出版)などでの厳しい“身内”批判が話題を集めており、討論会でも舌鋒鋭く言い放った。
「憲法をめぐる議論は、安倍政権に象徴される右派の議論も、伊藤さんに代表される護憲派の議論も、ともに欺瞞的だ」
政府・与党のような「自衛隊も集団的自衛権も合憲だ」という立場も、民主党のような「自衛隊は合憲だが、集団的自衛権は違憲だ」という立場も、井上氏は等しく誤りだと断じる。
「自衛隊は世界有数の軍事組織なのに『戦力でない(から合憲だ)』というのは全くの欺瞞だ。9条2項は『陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権は認めない』と明確に言い切っている。『専守防衛ならOKだ』と言っている連中が『安倍政権は集団的自衛権行使まで広げようとしている、解釈改憲だ』と言ったところで、説得力はない」
井上氏は9条2項を「削除」し、現実と憲法の乖離から目を背ける欺瞞から脱却するべきだと主張している。「9条のため憲法上、戦力は存在しないことになっている。だから戦力を統制する規範がない。憲法は自縄自縛の非常に危険な状況にある」と訴えた。
最後の1人、伊勢崎氏はNGOや国連の職員として紛争処理などに携わった経験がある。かつては9条護持派だったが、現在では「新9条」への改正を提唱。集団的自衛権の不行使や、個別的自衛権の行使は日本施政下の領域に限定することなどの明文化を主張している。
伊勢崎氏の見方は、「安倍政権が集団的自衛権の行使を可能にした」という一般的な理解とは異なる。かつて海上自衛隊がインド洋で行った他国軍への給油支援について、「国際法から見れば、日本はすでにNATO(北大西洋条約機構)の集団防衛、集団的自衛権の行使に参加したことになる」と指摘。自民党以上に民主党に手厳しい。自民党政権で始まり、民主党政権が強化したソマリア沖海賊対処の自衛隊派遣については、こんな見解を披露した。
「それまでの海外派兵は『世界の悪者をやっつけるため』と謳っていたが、海賊対処の名目は『日本の国益のため』だ。これは戦後初めてだ。われわれは武力を国益のために使ってはいけないはずだ。歴代の自民党政権がやったことより、違憲という意味では最大の違憲行為だ」
■「侵略されたら白旗を」
そんな3氏が登壇した討論会はもっぱら、「原理主義的護憲派」の伊藤氏と、「9条2項削除論」の井上氏が意見をぶつけ合う構図で進んだ。改憲派、護憲派双方に厳しい批判を加える井上氏の主張にはうなずかされるところも多かった一方、伊藤氏の論には首をかしげざるを得なかった。
「解釈改憲は(自衛隊の前身である)警察予備隊の発足から始まっていると思う。お三方は、どこからの解釈改憲がけしからんと思っているのか。安倍政権からか、ここ(警察予備隊発足)からか」
司会の今井氏がそう問題提起したのは、「安倍政権の憲法解釈変更はダメだが、自衛隊を容認する憲法解釈は合憲だ」という主張への疑問に基づく。井上、伊勢崎氏はおおむね今井氏と認識を共有しているが、伊藤氏は「警察予備隊から憲法違反だ」と短く述べつつ、今井氏の質問そのものに食ってかかった。
「この国で守られていないのは9条だけじゃない。民主主義なんてこの国、一度も実現したことがないじゃないですか。1人1票なんて一度も実現したことがない。今の国会議員はすべて、最高裁が違憲状態と判断した選挙で選ばれている。この国は憲法の規範と現実が食い違っているのはある意味、あったりまえのことなんです。9条だけやり玉に上げるのはまったく理解できない」
これに対し、井上氏は「安全保障の在り方に関わる問題と、定数是正の枠がいくらかという問題では規模が違う」と述べ、選挙制度など「マイナーな憲法解釈のゆがみ」と9条は同一視できないと指摘した。選挙制度で人は死なないが、憲法に明記されない巨大実力組織の存在は、ひとつ間違えれば国家の存亡や人の生死に関わる。井上氏の指摘はもっともだが、伊藤氏はなおも反論した。
「決して些末なことではない。すべての国会議員が違憲状態の選挙で選ばれ、そこから首相が選ばれ、その内閣で最高裁判事が選ばれる。三権を行使するすべての公務員が憲法に違反する状態で選ばれている。9条と比べて些末な問題とはまったく考えない」
伊藤、井上両氏の対決は、さらにヒートアップした。
「(伊藤氏らは)自衛隊が海外に行って人を殺すことに反対だという。もし日本が侵略されたとき、国内で自衛隊が日本人を守るために敵を殺すのは認めるのか、認めないのか」
井上氏にそう迫られた伊藤氏は「個別的自衛権を否定しますから、認めない」と即答し、「だから軍隊を持つなら、たとえ個別的自衛権の行使であっても国民皆兵、徴兵制で行くべきだ」と続けた。個別的自衛権を認めないと言いつつ、認める前提で「徴兵制」を持ち出す論理には唐突感があるが、伊藤氏はさらに続けた。
「ただ徴兵制は、国家が国民に殺人を強制することになる。それは個人の尊重という観点から許されない。そこからさかのぼると徴兵制は無理だから、つまり軍隊を持つこと自体が無理だという筋を通すべきだ」
この論理には傍聴していた一般参加者も理解に苦しむところがあったらしく、会場から改めて「侵略を受けた場合はどうするのか」との質問が飛び出した。伊藤氏はこう答えた。
「仮に侵略されたときにはどうするか? それは白旗をあげることだ。警察や(自衛隊を改組した)国境警備隊が正当防衛や緊急避難の範囲で武器を使用することはあるかもしれないが、武器を持たない市民は、非暴力、不服従を徹底すべきだ」
「誰も住んでいない岩の塊を取ろうというところはあるかもしれないが、人々が生活している日本に、命を奪い、生活を破壊する目的で侵略してくる国があるか。テロ組織のようなもの以外に、国がそういう行動に出ることは現実的には考えていない」
伊藤氏の「白旗論」は、過去にある知識人が「もしソ連が攻めてきたら白旗を掲げ、赤旗を掲げれば日本は助かる」と非武装中立を訴えたことを想起させる。40年近く昔、東西冷戦期のエピソードだ。またもや井上氏がかみついた。
「戦わずに白旗を上げろというのは『諦観的平和主義』という。これは不正な侵略にインセンティブ(動機付け)を与えて危険だ」
これに対し、伊藤氏は「非暴力や不服従のさまざまな抵抗はするが、暴力や武力を行使して抵抗することはしないという意味だ」と補足。「ガンジー主義」での反撃は、個人の心構えとしては崇高だが、「他人に強制できない」(井上氏)のは確かだろう。
伊藤氏には会場から別角度の質問が飛んだ。「集団的自衛権も個別的自衛権も認めないというが、もし日本が侵略されたら、国連安保理に助けを求め、世界の軍隊に日本を守ってくださいと言うのか」。つまり、国連の集団安全保障をどう考えるかとの質問だ。
「私はそれは拒みます」。そう即答した伊藤氏だが、「各国がそれぞれの国益に従い、独自に考えて」判断すべきことだとも付け加えた。さらに「そのとき、私は『国内が戦場になる形での武力行使はやめてくれ』と言う」とも述べた。
どうにも歯切れが悪いが、「日本有事でも助力は拒むが、勝手に助けてくれるなら拒否はしない。ただし注文は付ける」という主張と理解できる。そのような態度が国際的に理解されるだろうか。
なお、徴兵制については、井上氏は良心的懲役拒否権を保障したうえでの導入を訴えた。軍隊の民主的統制が、戦争への歯止めにつながるとの考えからだ。「懲役拒否が本当に機能するか」と質問した若者には、冗談めかしつつもこう指摘した。
「自衛隊が危険な状況にいて、自分たちは安全地帯に身を置いているのは今の若者だ。なぜ懲役拒否権を行使できないって被害者ヅラするの? 君たちが許しがたいタダ乗りをしているだけだ」
■運動論のワナ
伊藤、井上両氏の応酬を見る限り、旧来型の「護憲派」と、「新9条派/9条2項削除派」の間に横たわる溝は深い。それは護憲派の「運動論」をめぐるやりとりにも如実に表れていた。
「世論調査では、憲法9条を守るべきだと考える国民のうち、7割以上が自衛戦争は認めている。どう考えるか」
司会の今井氏がそう3氏に質問し、同様の公開質問状を護憲派団体「9条の会」に出したが、回答がない状況だと説明した。9条の会と関係の深い伊藤氏は、次のように答えた。
「9条の会にはいろいろな考えの人がいる。その質問に対し、組織としてどう考えているかは答えられない。『あなたはどっち』と踏み絵のように突きつけていくのは、運動を分断させる方向に使われてしまう」
井上氏や今井氏のような議論は「敵(=改憲派)を利する」ということだろう。会場からも、リベラル勢力が“改憲”を唱えることに懐疑的な声が相次いだ。
「新9条という議論が出ていると知人に話したら『国会前(のデモ)に来ていない人が遠くから言ってるんじゃないか』と。リアルにその感覚は分かる」
ある男性はそう発言。別の女性も、「戦争する国になる」「9条が壊されようとしている」といった「分かりやすい」スローガンを掲げて護憲運動を進めるべきだと主張した。
こうした立場を、井上氏は手厳しく批判した。
「デモに参加しない奴は何も言うなという。典型的な運動論の落とし穴だ。運動に入ること自体は立派でも何でもない。そこで自己満足してもらっちゃ困る。自分たち自身を、自分たちの頭で批判的にもう一度、考え直してください」
司会の今井氏も声を荒らげる場面があった。
「わけの分からない解釈改憲が進行して集団的自衛権、安保法制が認められているのは、9条の中身をあいまいにしてきたからだ。その反省がなく、次の参院選でも『みんなで9条守りましょう』で行きましょうという。反省をなぜできないんですか!」
「アベ政治を許さない」といったスローガンに見られるように、「反安倍政権」を前面に打ち出して結集を図る運動の在り方には、伊勢崎氏が苦言を呈した。
「私は『自衛隊返ってこい』という政治勢力ができればいい。安倍政権打倒じゃない。そうでないと元のもくあみだ。安倍政権や自民党政権が続いても、戦争しなければいい」
伊勢崎氏は、紛争地の環境やPKOの在り方自体が激変している状況で、海外派遣中の自衛隊が大きなリスクを負わされていると指摘。自衛隊をいったんすべて帰国させ、憲法について国民的な議論を行うべきだと主張する。伊勢崎氏は「民主党が一番罪深い」とも重ねて批判し、自民党や改憲派の一部も取り込む形での運動が必要だと指摘した。
約3時間に及んだ討論を、伊藤、井上両氏は次のように締めくくった。
「今、改憲プロセスを発動すべきではない。あいまいにしようというのではない。私たちが主体的な主権者として声をあげ、行動できるだけのリテラシーを身につけるため、いったん棚上げということも十分ありうる。憲法と法律の区別すらつかない人がまだ圧倒的多数だ。立憲主義なんて言葉は数年前からメディアに載るようになっただけだ」(伊藤氏)
「伊藤さんのような話は『お前らまだ民度が低いから無理だ』という議論にしか聞こえない。民主主義の最善の学校は民主主義自体の実践で、偉そうな知識人が教えてくれるものじゃない。改憲やったらアホなことになるかもしれないが、その手痛い失敗から学習していく。押し付け憲法論には反対だが、憲法が借り物なのは確かだ。借り物のまま、主権回復してもう60年たっている。いい加減にやめてください」(井上氏)
リベラル派から、ここまで公然と“改憲”が語られるようになったのは大きな変化だが、旧来型護憲派の反発は強烈で、政界にもその主張をすくい上げる勢力は見当たらない。しかし、こうした議論の封殺に走るようなら、護憲運動の敗北はまだまだ続くだろう。討論会を見ての率直な感想だ。(政治部 千葉倫之)
マガジン9条 映画作家想田和弘の観察する日々より
http://www.magazine9.jp/article/soda/24567/
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憲法9条の死と再生
http://www.magazine9.jp/article/soda/22727/
・
自衛隊を米軍の補完部隊として差し出すための「戦争法案」が、9月17日にも参議院本会議で強行採決されるとの見込みをメディアが伝えている。この記事が出る16日には、すでに委員会で強行採決されているかもしれない。あるいは、反対運動の高まりや野党の抵抗が効果を発揮し、採決は延期されるかもしれない。
いずれにせよ、安倍晋三政権の特徴のひとつは、民主的な理念や手続き、民意を尊重しないことである。日本テレビが9月4日から6日にかけて行った世論調査では、法案を今国会で成立させることに批判的な人が65.6%に及び、肯定的な24.5%を大きく上回ったが、そんなことはお構いなしに、強行採決する可能性は高いといえるだろう。
だから少々気が早いかもしれないけれども、僕はここで、抵抗虚しく法案が可決されてしまったときのことを考えてみたい。
* * *
もし法案が可決されれば、自衛隊は「専守防衛」の原則から逸脱し、海外で米国の戦争に参加できるようになる。したがって日本国憲法第9条はほぼ死文化する。実に残念かつ遺憾だが、それが私たちいわゆる「護憲派」が直視しなければならない現実ではないだろうか。
実際、共同通信の報道によれば、9月14日の国会前デモに現れた大江健三郎氏はこう言ったそうだ。
「法案が成立すれば、平和憲法の下の日本はなくなってしまう」
僕は護憲派の大御所的存在である大江氏のこの見解に同意せざるを得ない。
憲法第9条が書かれた当初、それは徹底した非戦と非武装を宣言するものだった。したがって自衛隊の存在も許されなかった。これは当時の吉田茂首相などの国会答弁などでも明らかである。
しかし冷戦が激化し、朝鮮戦争が勃発して、状況が変わった。9条を起草させたマッカーサー元帥自らが日本の再軍備化を指示し、警察予備隊が作られた。そしてそれはやがて保安隊を経て自衛隊に改組され、「自衛隊は合憲」との憲法解釈が定着した。米軍の兵站に他ならない米軍基地の存在や日米安保条約も容認されていった。
実はこの時点で、憲法第9条は7、8割方死んでいたのである。
しかし9条にはそれなりの存在意義もあった。少なくとも9条を根拠にして、集団的自衛権の行使は禁じられてきた。そのため、自衛隊が海外でできることは厳しく制限されてきた。無論、100%潔白ではない。日本政府はベトナム戦争やイラク戦争といった米国の侵略戦争を肯定し、米軍に基地や燃料、カネを提供し続けてきたのだから。とはいえ、日本は9条を盾にして、かろうじて米国の戦争への加担を最小限にとどめてきたといえるのではないだろうか。
その均衡が、今回の「戦争法案」によって破られようとしている。憲法9条のかろうじて生きながらえている部分にトドメを刺され、9条そのものが殺されようとしているのだ。
こう書いても、護憲派からは異論が出るかもしれない。「いや、戦争法案が通ったとしても、まだ9条は生きているんだ」と。その気持ちはわからないでもない。実際、これから違憲訴訟を行ったり、戦争法廃止のための運動をしたりする際には、現行の憲法第9条をその根拠にすることになるであろう。その意味では、まだ生きているのかもしれない。
しかし、その「生」は極めて脆弱なものだ。9条は集団的自衛権行使の歯止めになれず、したがって自衛隊をコントロールすることができず、いわば亡骸同然になる。もしそうなった場合、私たちは、その受け入れがたい事実と、正面から向き合わなければならないのではないだろうか。
でなければ、護憲派はいつまでも9条の屍体を後生大事に「護り」、腐乱していく屍体とともに心中せねばならなくなる。だが、法案が通った暁には、9条に関する限り、もはや「護る」ものなど何もないのである。護るべきものは、すでに死んでいるのだから。
私たちは、9条の亡骸とともに心中するわけにはいかない。
私たちは、9条の亡骸を手厚く葬るとともに、心機一転、「新しい9条」を創って、自衛隊の行動に歯止めをかけ、制御する手立てを講じなければならない。「9条護憲派」は「9条創憲派」に生まれ変わらねばならないのだ。
こう書くと、護憲派からは「想田は隠れ改憲派か」との批判が飛んでくることはわかっている。
だけど僕は、批判を恐れずに、自分の思うところを書かなければならない。私たちにとって最も大事なのは、日本という国がこれまで曲がりなりにも基本姿勢として保ってきた平和主義を守ることであり、9条の条文を守ることではないのだ、と。また、主権者の総意の下に「新9条」を創らなければ、日本の平和主義は9条とともに朽ちていく運命にあるのではないか、と。そして9条の条文がいくらそのまま保存されていても、自衛隊が米国の戦争に参加することを止められないのなら、何の意味もないのだ、と。
では、どうしたら「新しい9条」が創れるのか。
まずは、日本の安全保障を巡るスタンスについて、「私たちはいったいどうしたいのか」の本質的な議論を始めることが必要になるであろう。
日本国憲法の最初の趣旨の通り絶対非暴力を貫くのか。それとも個別的自衛権のみを行使する自衛隊だけ認めるのか。それとも集団的自衛権も行使する軍隊を認めるのか。日米安保条約は保持するのか。それともいずれは廃止すべきなのか。米軍基地は残すのか。それともお引き取り願うのか。
かなり意見が割れると思う。
しかし、これは私たち主権者がもはや避けては通れない議題であろう。どんなに困難であろうとも、なんとか意見をすり合わせ、決めなければならない。そして死文化した9条の代わりに、私たちの総意のもとに「新9条」を創るのだ。
個人的には、現行の日本国憲法第9条の徹底した非暴力・非武装の理念は素晴らしいと思う。それを究極の理想として目指すことは間違っていない。とはいえ、今ある自衛隊をいきなり廃絶することが現実的とはどうしても思えない。少なくとも当面の間、個別的自衛権は容認せざるを得ないだろう。しかし、海外にまで派兵して集団的自衛権を行使するのは、日本のためにも世界のためにも愚の骨頂だと思う。米軍基地も日米が合意の上で、100年くらいかけて少しずつ縮小・廃止していくべきであろう。
僕は、そうした方針を恣意的な解釈が不可能なくらい明確に書き込んだ「新9条」を制定すべきだと考えている。実際、僕の上記のような基本的スタンスは、異論はたくさんあるにせよ、日本の主権者の多数派の考えではないだろうか。様々な世論調査を見る限り、日本の主権者の多くは、個別的自衛権と自衛隊は容認するものの、集団的自衛権には否定的だからだ。
もちろん、そのような「新9条」を制定するには、極めて困難なハードルがある。まずは新9条に賛同する議員を多数当選させ、国会の3分の2を占めなければならない。そして国民投票を発議させ、私たち主権者の過半数によって承認されなければならない。このプロセスには、順調にいったとしても非常に膨大な時間と政治的エネルギーが必要であろう。しかし、私たちは自分たちの力で、主体的かつ民主的に「新9条」を制定する努力をすべきだと思うのだ。それこそが、日本の立憲主義と平和主義を守るための、唯一の道だと思うのだ。でなければ、自衛隊を自由に海外派兵したがっている勢力が、その趣旨に沿った改憲を仕掛けてくるのを、私たちは防ぐことができないと思う。
いかがであろうか。
ピンチはチャンスである。安倍晋三政権の誕生という絶体絶命のピンチのおかげで、私たちはいま、本当の意味で「憲法」や「民主主義」や「平和主義」と向き合おうとしている。反対運動の盛り上がりは、そのことを明確に示している。
チャンス到来、なのである。
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