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古舘伊知郎「報ステ」降板 〈本誌だけが書ける〉全真相
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「週刊文春」2016年1月14日号 :東京新報
プロレス実況で鳴らした古舘伊知郎が、『報道ステーション』のキャスターに起用されたのは二〇〇四年のことだった。それから十二年、還暦を過ぎた古舘の降板が発表された。“報道キャスター”たらんとした彼の心を折ったものとは何だったのか。総力取材で迫る。
十二月二十三日、テレビ朝日本社八階の特別会議室。年内最後の放送を終えた『報道ステーション』スタッフらは、毎年恒例の真夜中の忘年会を開いていた。
この場に居合わせた中堅局員が、かすかな“違和感”を覚えたのは、早河洋テレビ朝日会長の挨拶だった。
「毎年、この時間にネクタイを締めて会社にあがるのは大変なんですよ」
こんな軽口を叩いた早河会長だったが、いつもの口ぶりとは少し違った。
前出の中堅局員が語る。
「毎年、会長はスピーチをするのですが、いつも大げさに褒めちぎるか、内容に文句や注文をつけるかの、どちらかでした。芸能に強い会長だけに、視聴率アップのために『AKB48を番組に引っ張り出せ』などと頓珍漢なことを言うこともありました。でも今回は、珍しくあたりさわりのない話をしたので、不思議に感じたのです」
むしろ緊張が走ったのは、メインキャスターの古舘伊知郎(61)の挨拶だった。
「今年いちばんヒヤッとしたニュースはですね……」
スタッフの脳裏にあったのは、昨年三月に起きた元経産官僚・古賀茂明氏による“電波ジャック”事件だった。
だが、古舘は「原節子さんが亡くなったことです」などと、話題となったニュースを振り返り、“事件”に触れることはなかった。
忘年会はビンゴ大会などで、大盛り上がりを見せた。なかでも異様なハイテンションぶりだったのが古舘だ。
十二年前の『報ステ』立ち上げ時の幹部局員らと思い出話に花を咲かせ、その機嫌のよさから、前出の中堅局員は「翌年に向けてやる気満々のように感じた」。
“異変”が起きたのは、大盛況だった忘年会がお開きになった後だった。例年、古舘はアナウンサーや幹部局員を連れ、夜の街に繰り出すのだが、この日は違った。まっすぐ帰宅の途についたのだ。
■コメントを放送作家と考える
そして、古舘が忘年会を後にすると、幹部スタッフは衝撃的な事実を知らされる。篠塚浩取締役報道局長は、番組プロデューサー、報道局の幹部ら数人を呼び出し、こう告げた。
「来年三月をもって古舘さんは番組を降りる。明日十時、正式に発表する」
翌二十四日、テレビ朝日は、古舘が二〇一六年三月をもって『報ステ』を降板すると発表した。
「降板を知らされていたのは、古舘本人と一部の役員だけ。ほとんどの番組スタッフは降板を聞かされておらず、ニュースで第一報を聞いて仰天していました。ただ、年内の放送は終了しており、何ら詳しい説明がないまま年末休暇に入ってしまったのです」(番組スタッフ)
『ニュースステーション』の久米宏のあとを受け、二〇〇四年から十二年にわたり出演し続けた古舘は、今やテレ朝の「夜の顔」。だが、その降板劇は異例ずくめだった。
古舘は会見で、降板を決めた時期について、こう語っている。
「今年(二〇一五年)の夏くらいに、一つの区切りとして辞めさせて頂きたいと言った」
実は、古舘が辞任を口にしたのは今回が初めてではない。
「心が折れました。今期限りで辞めようと思う」
一二年の五月、放送ラインナップをめぐって、当時のプロデューサーと対立した古舘はこう口にした。
「その日は、トップニュースが消費税だったのですが、当時原発問題にご執心だった古舘さんは三番手に据えられた原発事故のニュースをトップでやりたいと言い出したのです。プロデューサーと話し合っているうちに古舘さんは『お前とは感性があわねえ』と激高し部屋を出て行ってしまった。そして翌日、幹部らの前で『辞める』発言が飛び出したのです。ただ、『俺を取るかプロデューサーを取るのか』と辞任をちらつかせるのは古舘さん流の交渉術で、結局、このプロデューサーが異動となり、騒動は収束しました」(テレ朝関係者)
また、これとは別に、一度辞意を伝えたことを降板会見で自ら明かしている。
「二年ぐらい前に『別の挑戦をしたい』と(当時の早河)社長に言ったら、二年契約が残っているから頑張ってよと(言われた)」
古舘はこの頃からテレ朝への不満を募らせていた。
一四年七月、十年ぶりに雑誌のインタビュー(『AERA』七月十四日号)に登場し、テレビ業界への不満を吐露している。
〈とにかく口にさるぐつわした状態で10年たったわけです〉
開始十年を迎えても思い通りにならない番組に苛立ちを強める古舘。
一方のテレビ朝日にも古舘への冷ややかな空気が広がりつつあった。
膨らむ制作費がテレ朝にとって重荷になっていたのだ。
年間十二億円を超えるという古舘の出演料。さらに古舘の事務所「古舘プロジェクト」がスタッフを十名ほど派遣しており、制作費も発生している。テレ朝は、古舘の出演料と合わせて総額三十億円を古舘プロジェクトに支払っているという。
「かつてテレ朝は、久米と番組制作を担当した久米の事務所『オフィス・トゥー・ワン』に対して、出演料や制作費などで総額二十億円ほど払っていました。テレ朝としては何とか減額させたかったのですが、交渉は最後までまとまらなかった。『報ステ』が始まった頃、古舘プロジェクトへの支払いは、その半額程度だといわれていました。しかし年々高騰し続けていったのです」(前出・中堅局員)
『報ステ』スタッフとの亀裂も徐々に広がっていった。
ある『報ステ』スタッフは、「古舘さんは、最後まで久米さんの幻影に怯えていた」と指摘する。
「古舘さんは反権力を気取っていますが、もともとはノンポリで、信念をもって政権や自民党を批判しているわけではない。自民党を臆せず批判していた前任の久米さんを意識しすぎて、キャスターは反権力であるべきと思い込んでいるに過ぎないのです。久米さんはコメントも自分で考えていましたが、古舘さんは、ニュースの知識も素養もないので、オンエア直前まで放送作家とコメントを練っています。そのため、古舘さんのコメントは台本を棒読みしているように聞こえてしまうのです」
こうした姿勢は当然、スタッフに見透かされていた。
「なぜか古舘さんは毎日新聞とTBSを参考にしており、毎日十七時からのミーティングでも『毎日に掲載されている、このニュースをやろう』と、決まっていたラインナップをひっくり返すことも多々ある。納得のいかない内容変更に辟易しているスタッフも少なくありません」(同前)
■“同志”に裏切られた古舘
こうした“報道キャスター”気取りの限界が露呈したのが、朝日新聞の慰安婦誤報問題だった。
「一四年八月、朝日新聞が過去の慰安婦報道について謝罪しましたが、『報ステ』はこのニュースをなかなか取り上げず批判を受けました。
さらに同年末、第三者委員会の報告書公表を受け、古舘さんは『思うことは、人間は間違いを犯すんだということ。間違いを犯したときにすばやくどう対応するかが非常に問題』と語り、さらなるバッシングを浴びたのです。そして自分の意見を言う機会が減り、コメンテーターに丸投げするようになったのです」(同前)
もう一つ、古舘の心が折れるきっかけになったのが、絶大な信頼を寄せていたチーフプロデューサーM氏の“更迭”だ。
「M氏は古賀氏をコメンテーターに起用した張本人です。経産省を辞めた古賀氏を古舘氏に引き合わせ、三人は原発問題などで共鳴しあうようになった。しかし一四年九月、『報ステ』は川内原発の報道をめぐって、原子力規制委員会の田中俊一委員長の発言を不適切に編集したとして、BPOから放送倫理に違反すると認定された。そこでM氏は一五年四月に、『報ステ』を離れ、経済部長へと異動することが決まった」(前出・テレ朝関係者)
そして、事件は起きた。
三月二十七日、コメンテーターとして出演中の古賀氏が、前代未聞の“電波ジャック”を起こす。
〈テレビ朝日の早河会長あるいは古舘プロジェクトの佐藤(孝)会長のご意向で今日が最後ということなんです〉
〈菅(義偉)官房長官をはじめ、官邸の皆さんにはものすごいバッシングを受けてきました〉
こうした古賀氏の“不規則発言”に対し、古舘は「古賀さんの意向に沿って出来ていないとしたら申し訳ないと思っている」となだめるが、古賀氏の暴走は止まらない。
〈私、全部録音させて頂きましたので、そういう風に言われるのであれば、全部出させて頂きます〉
そして極め付きは、古賀氏が〈I am not ABE〉と書かれた紙を手にしたことだった。そして菅官房長官を名指しして〈陰で言わずに直接、文句を言ってきて欲しい〉と言い放ったのだ。
テレ朝幹部が語る。
「昨年一月、『イスラム国』の人質となったジャーナリスト後藤健二氏に関するニュースにおいて、唐突に『アイ・アム・ノット・アベ』と安倍首相を批判しています。このとき同様、『報ステ』及び古舘は、古賀氏を全くコントロールできておらず、二度にわたって、恥ずかしい場面を視聴者にさらけ出してしまったのです」
実は、直後の四月から『報ステ』は大幅なリニューアルを予定していた。
「それまでは朝日新聞色が強く、レギュラー・コメンテーターを朝日新聞の編集委員が務めてきた。これを曜日ごとに日替わりの外部コメンテーターに一新したのです。このリニューアルは、テレ朝にとって、最後のテコ入れでした。これでうまくいくなら、古舘の『報ステ』を続けたいという気持ちだったようです。ですが、古賀氏の事件を巡り、番組関係者からと思われる古舘バッシング情報が出始め、『報ステ』はリニューアルどころではない大混乱に陥りました」(同前)
こうした『報ステ』最大のキーマンが、早河会長だ。
「もともと古舘プロジェクトの佐藤会長を三年がかりで口説き落とし、古舘のメインキャスター就任を実現させたのは早河氏です。『報ステ』の成功もあって、二〇〇九年、早河氏はテレ朝初の生え抜き社長に就任します。その後、朝日新聞から吉田慎一氏が社長として送り込まれましたが、お飾りに過ぎない。会長として、今も絶大な権力を振るうテレ朝のドンです」(同前)
■“報道キャスター”の仮面
同志と考えていた古賀氏が“電波ジャック”事件を起こし、側近のM氏は番組を離れた。さらに二人三脚で『報ステ』を作り上げた早河会長との距離が広がったことが古舘の孤立を決定づけた。
「早河氏もすっかり変わってしまった。報道機関のトップであるにもかかわらず、安倍首相と食事したことが嬉しくて仕方がなかったようで、周囲に吹聴していました。『安倍さんからだ』と携帯の着信履歴を周囲に見せびらかしていたこともありました(テレ朝は否定)。安倍政権批判を繰り返す古舘の司会ぶりを快く思わず、『何とかならないか』と現場に苦言を呈していたそうです」(同前)
そして、昨年夏、古舘はテレ朝に降板を伝えた。二年前とは異なり、強く慰留されることはなかった。
「早河氏に口説かれて、憧れの報道番組を始めた古舘は、“報道キャスター”という偽りの仮面をかぶり続けてきた。だが本来ジャーナリストではない彼は、その仮面の窮屈さに耐え切れなくなったのでしょう。
一方、最高権力者に上り詰めた早河氏にとって、『報ステ』はリスクとコストが見合わない番組になった。起こるべくして起きた別離でした。テレ朝が切る形でなく、古舘からの“辞意”という形で、番組降板が決まったことは、早河氏にとって、最高の終幕でした」(同前)
本誌は早河会長の自宅を訪ねた。ハイヤーで帰宅した早河会長はこちらに気付くや、車内に荷物を置いたまま、自宅に逃げ込み、質問さえ受け付けなかった。
では四月から『報ステ』はどんな番組になるのか。
「キャスターが自分の意見を言わず、淡々と進行する番組になるといわれています」(別のテレ朝関係者)
後任のメインキャスターには、「宮根誠司や羽鳥慎一らの名前が取り沙汰されていますが、二人とも帯番組を持っており、四月から登板することは有り得ません。局内で有力視されているのが、『報ステ』で現場リポーターを務める富川悠太です。古舘が休暇中に番組を仕切り、視聴率も落ちなかった」(同前)
ただ、ここでも早河会長の“天の声”が下りる可能性が高いという。
「現在、早朝の情報番組『グッド!モーニング』に出演している坪井直樹です。彼は『ニュースステーション』のスポーツコーナーを担当していましたし、夕方のニュース番組のキャスターを十年以上務めるなど、実績も十分あります。そしてなにより、早河会長のお気に入りでもある。早ければ一月中にも発表されるかもしれません」(同前)
しかし、番組の行く末を危ぶむ声は少なくない。
「NHKは『クローズアップ現代』を二十二時開始に調整中です。これまでニュースを好む視聴者はNHKの『ウオッチ9』をみた後、『報ステ』にチャンネルを合わせるという流れができていました。しかし、『クロ現』参入で、その流れが断ち切られるのではないかと局内では危機感を募らせています」(同前)
降板会見で、「不自由な十二年間だった」と語った古舘。『報ステ』に遺したものとは、一体何だったのだろうか。
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