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日本酒「憲法と人権」今冬も 京都弁護士会と佐々木酒造
京都新聞 2016年01月06日 12時24分
http://www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20160106000058
京都弁護士会や京都弁護士協同組合、佐々木酒造(京都市上京区)が企画し、2005年に誕生した日本酒「憲法と人権」が今冬も販売されている。
後味のよい「大吟醸」、程よい酸味の「吟醸あらばしり」、さわやかな味わいの「しぼりたて新酒」の3種。720ミリリットル入りで約1千〜約2500円。2〜3本入りの贈答用もある。
京都弁護士協同組合は「昨年は安保法制など憲法を考える機会が多かった。今年が平和で一人一人が大事にされる社会になるよう願い、一献傾けて」。同組合TEL075(212)9036。
【参考記事】
以下は「佐々木酒造について」から抜粋
私は男3人兄弟の末っ子で、まさか酒屋を継ぐことになるとは思っておりませんでした。
上の兄は「飲んで無くなってしまうものを造るのはいやだ」と言って建築の道に進んでしまい、二番目の兄が跡を継ぐべくして、神戸大学の農学部に行ってバイオテクノロジーの研究や酒米の研究っていうテーマで卒論書いたりして、着々と酒造家の道を歩んでいたのですが、突然「俳優になる」と言って出ていってしまいました。
いつも自己紹介のところで佐々木酒造です、と言ってもあまり皆さんご存じない感じなのですが、最近は俳優の佐々木蔵之介の弟です、というと結構知ってくださる方があって、うれしいような複雑な気分です。
まあ、そんなことで、大学では中国文学科だった私が嫌々酒屋を継ぐことになったわけです。
たまたまうちの蔵は、むかし豊臣秀吉が自分の家として建てた聚楽第のあった南端にあるのですが、秀吉がこの場所に聚楽第を建てた理由の一つとして「水の良さ」があったそうです。秀吉は茶道が趣味で、各地で茶会を開いていますし、聚楽第の敷地の中に千利休の茶室付きの家を建ててやって、そこで一緒にお茶を楽しんだという話も残っていますので大昔から水のよい地域であったことは確かです。
関西大学の楠見教授の調べでは、京都の街の下にはラグビーボールを横向けで水平に切ったような形で、縦が33キロ、横が12キロ、一番深いところで水深800メートルの岩盤で出来た水瓶があるそうです。
京都は三方を山に囲まれた盆地になっていまして、それぞれの山の岩盤を伝って地中に潜り込んだ水がその水瓶に溜まっていく形状になっているんです。また、普通ならそのまま海へ流れてしまうところなのですが、この京都の水瓶には出口が南西の天王山と男山の間の辺りに一本あるだけなので、少しずつしか流れていかない、という水の溜まる条件が揃っているんです。この水瓶には琵琶湖の水量の約8割の水が蓄えてられると楠見教授が発表されています。世界的に見てもこんな地形はめずらしくて、1000年もの間、都が京都に置かれたのはこの類い希なる地形、そしてこの豊富な水があったのが大きな理由だといわれています。現在でも良質で豊富な地下水は変わりなく、小川通りに並んでいるお茶の家元などはもちろんのこと、豆腐や湯葉、生麩など、水が命の産業はいまも洛中には多く残っています。
うちの蔵は二条城の北側あたりにあるのですが、皆さん、京都の造り酒屋というと真っ先に京都の南の伏見を連想されることと思います。もちろんそれはその通りで、現在の伏見区ではあの狭い範囲に20軒ほどの蔵元が密集していまして、全国的に見ても灘に次ぐ全国第二位の生産量を誇る酒処として全国に知られています。
ところが、京都の造り酒屋の起源は洛中、旧京都市内なんです。昔の資料などを見ていると、私どもの蔵の創業が明治26年で、その時点で131軒の蔵元がありました。この頃は伏見よりも洛中の方が蔵元の数も生産量も多かったんです。
もっとさかのぼれば、室町中期には300軒あまりと、もちろん日本最大の酒処だったわけです。伏見の酒蔵さんは大手が多いですが、それに対して洛中の蔵元では、家内制工業的な小さな蔵元が多くて、都での小さな市場でのシェアの食い合いをしていたわけですから、自然と淘汰されていって減っていき、いまはうちだけになってしまいました。
まあ、洛中のように、ここまで強烈に減った地域も珍しいのですが、全国的に見ても昭和48年をピークに毎年少しずつ清酒の生産量は減ってきて、現在は蔵元の数も生産量も半減してしまっています。今、全国では1500蔵ほどの蔵元がありますが、今後増える、ということは考えられない厳しい業種であることは確かです。
「京都の商売は儲けることよりも続けることを考えろ」とか、「京都の老舗は100年150年は鼻たれ小僧、300年続いてやっと一人前」なんて言われます。うちの蔵は創業120年程度ではありますが、せっかく代々続いてきた商売ですし、酒蔵というのはまず新しく始められる商売ではありませんので、なんとか残していきたい、せめて次の代までは残していきたいと思っています。それに、こんなに水のいい場所でお酒造りができるということは本当に有難く、自然の恵みに感謝しておりまして、初めは嫌々ながらのスタートでしたが今では応援してくださる方々のおかげもあり、楽しくやらせていただいております。
みなさまのご期待に添えるよう、規模は小さいながらもこだわりをもった良質の製品づくりをこころがけて、細々とでも事業継続できたらいいな、という気持ちで今後とも頑張ってまいります。
1970年4月1日生まれ。産業機械販売会社の営業を経て、25歳で蔵に入る。現在、日本酒講座やイベントを通じて新たな日本酒ファンを増やすことに務めている。趣味は格闘技などのスポーツ観戦。
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