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なんと総計1000万部減!新聞はやっぱり「消えるメディア」なのか?
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47271
2016年01月06日(水) 磯山 友幸「経済ニュースの裏側」 現代ビジネス
■読売新聞が丸ごと消えたのと同じ
日本の新聞の凋落が止まらない。日本新聞協会が集計した2015年10月時点での新聞の総発行部数(一般紙とスポーツ紙の合計)は4424万部と1年前に比べて111万部も減少した。ピークは1997年の5376万部だったから、18年で950万部減ったことになる。日本最大の発行部数を誇る読売新聞が一紙丸ごと消えたのと同じ減少である。
部数の減少はまさに「つるべ落とし」だ。2000年から2005年までの5年間の減少部数は114万部だったが、2005年から2010年の5年間では324万部、2010年から2015年の5年では508万部も減った。今年中に、ピークから1000万部減になるのは確実だが、下げ止まる気配はまったくみえない。
なぜ、新聞が読まれなくなったのか。改めて言うまでもないが、人々の情報の取り方に劇的な変化が起きたことが大きい。新聞の「紙」という優位性がインターネットの登場によって急速に失われていったのだ。
新聞がピークを付けた翌年の1998年に米グーグル設立され、2002年にはブログが急拡大、2006年ごろからツイッターやフェイスブックといったSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)が急速に普及した。このころから新聞の発行部数の急落が始まったのは決して偶然ではない。
2010年以降、スマートフォンが普及し始めると、新聞の部数減少の傾向に拍車がかかった。ここで「紙」を上回る利便性を持った「ツール」が登場したとみていいだろう。ツールがどんどん進化し続ける中で、新聞の優位性はどんどん後退しているのだ。
「新聞を広げて読むと他のお客様のご迷惑になりますのでおやめください」
そんな車内アナウンスが行われるようになったのはいつごろからだろう。かつて、朝の通勤風景と言えば、新聞を読みながらというのが当たり前だったが、今では手のひらに乗る携帯電話より大きいものを拡げるのが「迷惑」というメンタリティに大きく変わった。ツールとして「邪魔」、「不便」と感じられているのだ。
■始まって以来の危機
筆者が新聞社を辞めて5年になるが、インターネットがどんどん普及しても新聞社内には危機感は乏しかった。10年くらい前まで、「紙は一覧性があって便利だから絶対に滅びない」という主張が大勢を占めていた。
コンテンツつまり新聞の中味も大事だが、それ以上にニュースを届けるまでの新聞というツールの形に圧倒的な優位性があると、当時の経営陣は信じていたのだろう。
一気に大量の新聞を印刷する高速輪転機や、各家庭を末端で掌握する新聞販売店網に強さがあるというわけである。輪転機や販売店網は誰でも簡単に持てないから、基本的に新規参入のない業界である。
その新聞の「ツール」としての優位性が、スマートフォンなどの登場で一気に瓦解したのだ。今後5年をみても新聞紙は進化の遂げようがないが、スマートフォンなどのツールは今後も形を変えてより便利になっていくに違いない。新聞の部数自体はさらに減少が続くことになるだろう。
新聞はその歴史が始って以来の危機を迎えていると言っても過言ではない。それは新聞が生まれた「きっかけ」を考えてみれば、一目瞭然だ。
新聞が生まれたのは1500年から1600年頃のことだったと思われる。現存する世界最古の新聞は、ドイツのハイデルベルグ大学が所蔵している「レラツィオン」という新聞だが、これは1605年の創刊である。ヨハン・カルロスという製本職人が副業として150部を作って売っていたらしい。
だが、新聞はドイツで発明されたのか、というとそうとは言い切れない。日本にも1615年の大阪夏の陣を報じた瓦版が、早稲田大学に残っている。実はこのころ、世界各地に新聞が登場しているのだ。
なぜか。前提として「情報」を求める「個人」が社会の中に育ったことが上げられるが、それ以上に大きかったことがある。技術革新である。同じものを大量に作成し、それを一斉に遠方に運ぶ技術。1445年にヨハネス・グーテンベルグが発明した活版印刷機が広く普及しすると共に、それを各地に運ぶ郵便制度が整備される必要があった。
■驚きのアンケート結果
欧州での郵便制度の創始は1490年ごろ。神聖ローマ帝国の皇帝から商人タクシス家が郵便事業の独占権を与えられたことでネットワークが構築された。今から500年あまり前のことだ。
それ以降、新聞は着々と発展を遂げてきた。印刷技術の進化で量産に磨きがかかり、郵便網は世界を覆った。20世紀までの間、新聞社は情報を運ぶ主体として拡大を続けたのである。読者からすれば、最も便利なツールだったのだ。
だが、パソコンとインターネットの登場は500年の歴史を根底から揺さぶった。パソコンを使えば誰でも文書を大量に複製することができるし、インターネットによって、一気に全世界の人にその文書を送ることができる。印刷機と郵便に代わる「技術革新」が起きたわけだ。当然の事ながら「新聞」の形は大きく変わらざるを得なくなる。
筆者が2011年に新聞社を辞めて、ジャーナリストとして自立するのを決めた時、前述のような時代の大変化を頭では考えていた。組織ではなく個人でも戦える時代が来そうだと感じていたのだ。だが実際には、思っていた以上の変化のスピードである。新聞は今までの形では到底生き残れないところまで変化が進んでいる。
この5年の間に、世界の新聞業界では、紙を廃止するところがいくつも出てきた。紙を止めてネットに特化するわけである。あるいは、紙に掲載する情報を、紙が読者に届くよりも前に、ネットの流すのは当たり前になってきている。いわゆるネットファーストだ。情報の受け手の視点に立てば、しごく当たり前のことだ。
ある日本の新聞社で、紙を廃止すべきだと思うかというアンケートを現場の記者らに取ったのだという。結果は「廃止すべき」が過半を占めたらしい。だが問題は、それで経営が成り立つかどうかだ。
日本の新聞も電子新聞を始めているが、新聞とデジタルの併用が原則で、デジタルだけの場合も紙の新聞とそん色ない代金を取っている。課金さえできれば、紙からデジタルに切り替え可能だとみるのは早計だ。
新聞事業の場合、収入は購読料だけではない。ほぼそれに匹敵する規模の広告料収入を得ている。紙の新聞に全面広告を出せば1回1000万円は下らない広告料がかかる。ところがデジタルになると広告料金は劇的に低い。つまり、紙からデジタルにシフトした場合、広告収入が激減してしまうのだ。また、紙を止めてデジタルだけにした場合、購読料も現状の水準を維持できるかどうか微妙だ。
■新たな形のメディアが生まれる可能性
もちろん、販売店や印刷工場の従業員をすべて切り捨て、広告社員や記者の給料を劇的に下げれば、デジタル新聞だけでも成り立つ可能性はある。だが、現実に紙の新聞の発行を続けながら、大胆な構造改革を行うのは難しいだろう。
新聞の総発行部数の減少は今後もさらに大きくなる可能性が高い。スマートフォンの進化などデバイスの利便性が高まり、紙からのシフトが一段と進むことも大きい。加えて日本の場合、新聞の熱心な読者であり続けた「団塊の世代」が、ついに新聞を読まなくなる時が近づいている。ここでの紙の新聞へのニーズの変化はこれまでになく大きいものになるだろう。
昨年末、新聞業界は消費税率を引き上げる際の軽減税率の対象に、新聞を含めるよう大合唱した。だが、今後も部数が激減していく新聞代の消費税をオマケしてもらっても、それで新聞業が復活するわけではない。
情報を求めるという人々の欲求に変化がない限り、情報を伝達するメディアの存在意義は失われない。間違いなく、新しい時代に即した、より便利な形のツールが生まれてくる。2016年は新しい形のメディアが生まれてくる年になるかもしれない。
本来ならば500年の栄光の歴史を持つ新聞が知恵を絞る時なのだが、どうもそうした動きにはなっていない。衰退産業である新聞社どうしが買収・合併しても、残念ながら新しい形は生まれない。
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