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市民がやるべきことは何か
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2016-01-04 反戦な家づくり
10年前に比べれば、政治に関心のある市民は、あきらかに増えているように見える。
10年前は、コイズミカイカクで日本がめちゃくちゃにされ、イラク戦争に出兵したような時代。
それまでの日本の政治から、急カーブで旋回していた時代だ。
私がこのブログを書き始めたのも、その危機感に辛抱たまらなくなったからだ。
そんな時代と比べても、今は政治的市民が増えた。
その一方で、選挙の投票率はどん底に落ちている。
国政選挙で5割ということは、ほとんど「有権者」の体をなしていない。
もちろんその最大の戦犯は民主党の裏切りクーデターであり、数千万人がバカらしくなったり諦めたりして、選挙に行かなくなってしまった。
棄権が5割というのは異常事態だが、全部が無関心層というのはたぶん違う。
2割くらいはどこの国でも無関心層がいるけれども、あとの3割は、無関心と言うよりも「諦め」や「嫌悪」という積極的な棄権であるとみるべきだ。
ちなみに、自公に投票する層は、コイズミ郵政選挙以外は、ほぼ25%程度で安定している。
つまり、今の時代は、自公勢力を中心にして、先鋭な政治的な市民と、政治を嫌悪したり諦めたりする層とに、政治的な分化、分裂化が激しくなっていると見ることができる。
突然だが、ナス嫌いの人にナスのおいしさを伝えるのにどうすればいいかを考えてみる。
私は子どもの頃ナスが嫌いだったが、小学校3年くらいに焼きナスを食してから、一転して好物になった。
今から思えば食わず嫌いだったのだろう。食わず嫌いの人には、おいしく調理して一度食べてもらえば、こんな劇的な変化もあるかもしれない。
とはいえ、大人になるまで食わず嫌いできた人に、最初の一口を食べてもらうのは、なかなか骨の折れることだ。
まして、一度期待して食べてみたものの、口の中で劇辛だったり、飲み込んでから食中毒おこしたりした人に、いくら「おいしいよ」「食べなきゃ体に悪いよ」と言ったところで、まず食べることは無いだろう。
今おきていることは、ナス好きが集まって、ナス食べようと連呼しているような状態だ。
一度は失望した人たちに戻ってきてもらわないと、ナス党は多数派にはなれないのだが、ナス好きがナスナスと連呼することは、失望した人たちに「もう一回くってみっか」と思わせる効果は期待できない。
もちろん、ナス好きが絶滅しかけている今、大挙して連呼することは、これはこれで重要だ。
世の中にナスを好きな人間は、まだたくさんいるのだとデモンストレーションしなければ、存在自体がかき消されてしまうかもしれない。
しかし、再び多数派を占めようというのならば、デモンストレーションだけでは埒があかない。
なんとかして、一度食べたけど腹こわした人たちに、もう一度食べてみようと思わせなくてはならない。
そのための創意工夫が、いま求められている。
@ウナギ屋作戦
焼きなすのいい臭いを振りまいて、その気にさせる。
A料理教室作戦
地域でおいしい食べ方教室を開いて少しずつ人気を取り戻す。
Bあるある大辞典作戦
なんと!こんな効果が!! と宣伝する
(ねつ造はいけません)
Cセット売り作戦
牛肉とセット販売。別ジャンルと連携することで、販路拡大。
などなど。
街頭で「食べよう」と連呼するだけでなく、地域や人脈のなかで、着々とナス好きを増殖させる作戦を立てなくてはならない。
同時に、組織だって、できるだけ広範囲に運動を広げなくてはならない。
一部のナス好きがナス連合やオールナスや総ナスを名乗ってバラバラに動くのではなく、焼きナスが好きな人も、ぬか漬けが好きな人も、肉詰めが好きな人も、ナスステーキが好きな人も、お互いに違いを認めながら異文化交流して、統一的に進めなければならない。
俺は焼きナスだ、いや肉詰めだ、といがみ合っているようでは、ナス嫌いに馬鹿にされることはあっても、ナスを喰わせることは100年たってもできない。
ナスですら、かように困難な道のりだ。
いわんや政治に於いてをや。
夏の選挙は衆参同時選の可能性が高まっている。
今の趨勢のままいけば、共産党と大維はやや増えて、民主と維新は半減以下、社民と生活は党の存続が危うい。
街頭の盛り上がりが直接票に結びつかないことは、1960年以来、何度も証明されている。
自然を感じるトンボやチョウチョも重要だが、目には見えないミミズがいなければ畑は豊かにならないのだ。
今最も重要なことは、ミミズや微生物が豊富な畑の土壌をつくることだ。
さっきのナスの例で言えば、日常生活の中で、いろんな作戦を考えてナスを食べる機会を作る、目の細かい組織を作ることだ。
もちろん、それは半年ではとてもできるものでは無い。
5年、10年、もしかしたら20年かかるのかもしれない。
でも、それができた時初めて、民主主義とはこれなんだ と言うことができるだろう。
トンボやチョウチョだけに期待して、足下を忘れてはいけない。
そのことを肝に銘じて、2016年を始めていきたい。
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