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アメリカ統治下で言論統制、沖縄で重要文章3900枚が発見される!出版許可申請書や許可の通知文等!
http://saigaijyouhou.com/blog-entry-9405.html
2016.01.02 22:00 真実を探すブログ
沖縄のメディア「琉球新報」によると、アメリカ統治時代に行なわれていた言論統制の詳細な文章が発見されたとのことです。発見された資料の数は約3900枚で、1953年1月から56年6月までの間に琉球政府が扱った文章となっています。
資料の中には出版許可申請書や米国民政府への照会文、申請者への許可・不許可の通知文などが事案ごとにまとめられており、歴史的な価値があると言えるでしょう。
☆米統治下の言論統制、浮き彫り 琉球政府文書3900枚発見
URL http://ryukyushimpo.jp/news/entry-196809.html?utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter
引用:
米統治下の沖縄で行われていた言論統制に関する大量の琉球政府文書が30日までに見つかった。1953年1月から56年6月までの間に琉球政府が扱った文書で、出版許可申請書や琉球政府内での決裁書類、米国民政府への照会文(英文)、申請者への許可・不許可の通知文などが事案ごとにまとめられていた。琉球政府文書を保管している県公文書館には所蔵されておらず、県内の男性が自宅で保存していた。
:引用終了
米統治下の言論統制、浮き彫り 琉球政府文書3900枚発見 「暗黒時代」解明の鍵に https://t.co/Bj9P1qdLV0 pic.twitter.com/UpaeXwiGIj
— 琉球新報 (@ryukyushimpo) 2015, 12月 30
【密かに保管されていた方に敬意を表します】
琉球政府文書3900枚発見
米の言論統制記す
米統治下53〜56年
暗黒時代♂明の鍵に
琉球新報 2015.12.31 pic.twitter.com/g1MBEc22pF
— ジョージ (@GeorgeBowWow) 2015, 12月 31
琉球新報
米統治下1953-1956、「暗黒時代」の琉球政府文書3900枚「発見」
米支配者による「言論統制」実態解明に・・・
A「復帰運動」「共産主義」を強く警戒。 pic.twitter.com/NbjEhhvdZR
— BARA (@BARANEKO) 2015, 12月 31
1950年代前半は沖縄戦後史の中でも「暗黒時代」と呼ばれ、未だに不明な部分が数多くあります。このような資料は歴史の背景を解明する重要なピースになるはずで、今後の解析結果に期待をしたいところです。
それにしても、資料を保管していた男性は素晴らしいと思います。他にも第2次大戦時代の重要な資料を戦後に暴露した方も居ましたが、その勇気と判断力に拍手です!
辺野古内陸部にも「軍施設」:未公表米文書:機能強化された巨大基地
沖永良部島の復帰運動
アメリカからみた【原子爆弾&天皇統治権(Nuclear weapon)】第二次世界大戦
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米統治下の言論統制、浮き彫り 琉球政府文書3900枚発見
http://ryukyushimpo.jp/news/entry-196809.html?utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter
2015年12月31日 05:05 琉球新報
発見された琉球政府文書「出版物に関する書類」
米統治下の沖縄で行われていた言論統制に関する大量の琉球政府文書が30日までに見つかった。1953年1月から56年6月までの間に琉球政府が扱った文書で、出版許可申請書や琉球政府内での決裁書類、米国民政府への照会文(英文)、申請者への許可・不許可の通知文などが事案ごとにまとめられていた。琉球政府文書を保管している県公文書館には所蔵されておらず、県内の男性が自宅で保存していた。許可申請された出版物の中には、米統治に抵抗した政治家・瀬長亀次郎氏による政党機関紙「人民」や、後に公選行政主席となる屋良朝苗氏の「教育新聞」などが含まれていた。沖縄戦後史の中でも“暗黒時代”と呼ばれる50年代前半に、どのような言論統制が行われていたのか実態を解明するための極めて重要な1次資料だ。
文書は「出版物に関する書類」の題名で年次ごとにとじられており、53、54年分が各3冊、55年分が2冊、56年1〜6月分が3冊で計11冊。全体で約3900枚に及ぶ。琉球政府秘書課の永久保存文書だった。
許可申請されていた出版物には琉球大学の学生による「琉大文学」、米国留学経験者がつくる「金門クラブ会報」、ハンセン病療養所・沖縄愛楽園の入所者による琉歌集「梯梧」などもあった。高校生の文芸誌や校内新聞なども申請を出していた。
また、琉球政府が出版申請者の思想傾向、政党関係、家庭状況、交友関係などを調べるよう琉球警察に依頼した記録やその回答が数件分、残されていた。
新規に発行する出版物の許可申請書のほか、定期刊行物の継続申請書、廃刊届、発行人の名義変更なども含まれていた。疏球政府の行政主席官房から各地方支庁に対し、出版物に関する調査を指示する通達や、新たな布令の通知など、行政機関の間でやりとりされた文書もあった。
文書から確認できた申請や通達などの件数は、53年が96件、54年が61件、55年が103件、56年前半が75件で計335件。出版が許可されたケースだけでなく、不許可や却下になったものもある。
53年10月には許可済みの定期刊行物も再び許可を取り直すよう民政府の指令があり、琉球新報社が全従業員の名簿を提出するなど、各新聞社や出版社が経営に関する詳細な資料を添えて継続申請を行っていた。
当時、沖縄では出版者が琉球政府に許可申請書を提出し、琉球政府は民政府の承認を受けた上で、発行を許可していた、琉球政府が「許可に差し支えない」と判断したものを民政府が不許可としたり、独白に出版の条件を付けたりしたものもあった。
発見された文書は沖縄の日本復帰後、県庁の庁舎内に保管され、80年代に建て替えに伴う取り壊しの際に流出したとみられる。
沖縄の言論統制に詳しい門奈直樹・立教大名誉教授は大学院生だった66年2月、琉球政府の物資保管所でこれらの文書の一部を調査していた。
今回、文書が見つかつたことについて門奈名誉教授は「米統治下で基本的人権である表現や言論の自由がなかった事実が、凝縮されて記録されている最高の1次資料。発見に大変驚いている」と話している。(安田衛)
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