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米首都ワシントンのスミソニアン航空宇宙博物館で展示されるエノラ・ゲイ〔AFPBB News〕
「日本を殺せ」が米国で大ヒット、東京だった次の原爆 オライリーが描く「逆説の日米戦争」、歴代大統領・大量殺戮の言い訳
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/48575
2016.12.8 高濱 賛 JBpress
■「パールハーバー」75年目の風景
今年もまた真珠湾攻撃記念の日を迎えた。あれから75年目だ。米各紙はこぞって「リメンバー・パールハーバー」ものを扱っている。
カリフォルニア大学バークレイの歴史学者は筆者にこう指摘している。
「米国民が真珠湾を忘れようとしない理由は2つ。1つは強力な軍事力を持っていても敵はどこから攻撃してくるか、決して油断してはならない、という教訓。いま1つは広島・長崎原爆投下を正当化するための、攻撃してきたから完膚なきまでに日本を打ちのめしたのだ、という言い訳だ」
今年はバラク・オバマ大統領の広島訪問がついに実現した。現職米大統領の訪問はこれが初めてである。加害者としての「謝罪」はなかった。「謝罪」を巡って米国内では反対論が強かったことを配慮してのことだった。
が、「非核」への大統領の祈りの行間には無言の「謝罪」と「反省」の念がにじみ出ていた。少なくとも日本国民の大半はそう受けとめ、オバマ大統領の広島演説を高く評価した。
その後大統領に当選したドナルド・トランプ氏も「謝罪をしないのならオバマ演説は問題ない」と不問に付した。オバマ大統領の勇断は「レガシー」として残るだろうが、トランプ政権でこれ以上前進することはまずないだろう。
■ベストセラー「Killing」シリーズに「大日本帝国」が登場
Killing the Rising Sun: How American Vanquished World War II Japan by Bill O'Really & Martin Dugar Henry Holt and Company, 2016
今、米国で「Killing the Rising Sun」(昇る太陽を殺す)というおどろおどろしいタイトルの本が売れている。
「ライジング・サン」とは、日本のこと。
著者は当初ずばり「Killing Japan」(日本を殺す)というタイトルを考えていたという。ストレートすぎて批判を招くとの危惧からタイトルを変更したらしい。
著者は、テレビに著書に大活躍の保守派ジャーナリストのビル・オライリー氏(67)だ。近年「Killing」シリーズを手がけ、本書はその6冊目だ。
これまでに「Killing Abraham Linclon」(エイブラハム・リンカーン第16代大統領の暗殺)を皮切りにジョンF・ケネディ第35代大統領の暗殺、イエス・キリストの処刑、ジョージ・パットン将軍の謎の死、ロナルド・レーガン第40代大統領の暗殺未遂などをテーマにしている。
■トランプ当選でますます輝く「フォックス・ニュースの顔」
オライリー氏は、司会者を務めるフォックス・チャンネルのニュース解説番組「ジ・オライリー・ファクター」では歯に衣着せぬ辛口コメントを売り物にしている、今一番脂の乗り切ったジャーナリスト。
自らの政治的、社会的スタンスは、米中産階級の「良識」に基づくとしている。法を遵守し、犯罪を憎み、家族や隣人を大切にし、キリスト教を重んずる、「古き良きアメリカ」こそが自分のよって立つ拠り所だと言い切っている。
その意味では、まさに大統領選でドナルド・トランプ氏を大統領に押し上げた「白人中産階級」の代弁者と言える。保守主義者だが、過激な超保守派とは一線を画している。
ニューヨーク生まれ。カトリック教徒。マリスト大学を卒業後、2年間高校で英語を教えたのち、ボストン大学大学院(BU)でジャーナリズム修士を取得。地方紙記者やラジオ・テレビ局で22年間働いたのち、95年ハーバード大学行政学大学院で行政学修士を取得している。
ジャーナリストとして働く傍ら、近代史の研究を続けており、自宅には数千冊の蔵書があるとも言われている。これまで著した著書は23冊。「Killing」シリーズは毎回100万部は売れているという。
真珠湾攻撃に始まり、原爆投下で終わる日米戦争。そのストーリーを米国人が描いた歴史書では、MIT(マサチューセッツ工科大学)のジョン・ダワー博士の「War without Mercy」(容赦なき戦争、1986年)や「Embracing Defeat: Japan in the Wake of World War II」(敗北を抱きしめて、1999年)の右に出る本はないだろう。
それに挑戦しようというのだからオライリー氏も大変な自信家だ。「Killing」シリーズでは事実関係を調査するためにフリーランサーのマーティン・ドゥガード氏(55)をリサーチャーに雇っている。シリーズはすべて同氏との共著になっている。
日米戦争に詳しい専門家の中には本書にはかなり事実関係の誤認や史実に誤りがあると指摘する者もいる。
だが、それでもなおかつ、本書が売れに売れている理由は、本書が「白人中産階級」の視点に立ち、平易な文章で、人物中心に太平洋戦争を描いている点にありそうだ。それは、トランプ次期大統領の視点に近い、と指摘する向きもある。
■長崎の次は東京を標的に考えていたトルーマン
本書を読み解くうちにこれまで見落としていた「新事実」に出くわす。
米英ソの三国は1945年7月、ベルリン郊外でポツダム会談を行う。米国は対日政策を英国に提案し、中国を加えた3国の名で、戦後勝利方針と日本軍隊の無条件降伏を観測するポツダム宣言を発表した。
日本政府が対応に苦しんでいる間に、米国は8月6日広島に、次いで9日長崎に原子爆弾を投下した。8月8日、ソ連は日ソ中立条約を無視して宣戦布告し、満州・朝鮮に侵入した。
日本政府が御前会議で、昭和天皇の裁断によりポツダム宣言を受諾し、連合国側に通告したのは14日。長崎原爆投下から5日。
8月9日午前10時46分。トルーマン大統領はヘンリー・スチムソン国防長官、レスリー・グローブ将軍ら側近と今後の対応を協議していた。
「大統領は長崎への原子爆弾投下が成功したことを知らされていた。日本は台風シーズンに突入、さらに原爆投下を続行するとすれば遅延が予想された。大統領は天候が回復すればできるだけ早期に第3弾を投下すべきかどうか決断を下さねばならない。その標的は東京だった」
もう少し無条件降伏が遅れれば、原子爆弾を東京に落とされていたのだ。
「広島同様、長崎でも多くの非戦闘の民間人が死傷している。大統領は日本国民を抹殺することは望んでいなかった。しかし日本軍部はこれだけの損害にもかかわらず、降伏しようとはしていない」
「日本政府指導者はその強情さのために日本国民の犠牲など全く考えていなかった。大統領と親しいリチャード・ラッセル上院議員は『(原爆を使用したのは)できるだけ多くの米兵の命を守るだけでなく、日本人の女子供に対する人道的な感情があったからだ』としたためていた」
原爆投下を正当化するため、その後トルーマン大統領からは何度か説明が繰り返された。だが、そのトーンはこの時点から終始一貫していた。
日本本土に上陸することで戦闘が泥沼化し、多くの米兵の命が失われかねないこと。と同時に日本の一般市民を巻き込み、多くの日本人の生命が奪われる。それを避けるために原爆を落とし、無条件降伏させたのだという理屈だ。それは今も半数近くの米国民が信じて疑わない。
■カーター、ブッシュ父子はトルーマンの決断を支持
原爆投下を命じたトルーマン大統領の決断は正しかったのか――。
世論調査では、54年前、正当化していた米国民は63%だった。それが15年には56%に減少している。今では米国民のうち34%が正当化しない(残り10%とは無回答か、分からない)と答えている。
54年の間に正当化すると答えた米国民は7パーセントポイント減っているが、まだ半数以上は正当化しているのだ。
別の世論調査では、トルーマン大統領の決断を「支持する」とした米国民は1945年には85%だった。それが69年後の2005年には57%になっている。
著者のオライリー氏は執筆段階で歴代大統領に書面でトルーマン大統領の決断について賛否を問うている。回答したのはジミー・カーター、ジョージ・H・W・ブッシュ、ジョージ・W・ブッシュ各大統領だ。大統領直々の書簡が本書に掲載されている。
カーター氏は回顧録「A Full Life:Reflection at Ninety」(充実した生活:90年代を振り返って)に記された文章をそのまま引用し、「私の考え方は変わっていない」と記している。
「私は潜水艦内のラウドスピーカーでトルーマン大統領の原爆投下演説を聞いた。もし投下しなければ陸上戦となり、50万人の米兵および多くの日本人が戦死する、それを防ぐための苦渋の選択だったという演説だった」(日付なし)
ブッシュ大統領(パパ)は、こう回答している。
「トルーマン大統領の決断は正しかった。もし原爆を投下していなかったら大勢の米兵、(太平洋戦争に参戦した)自分も含め、戦死していただろう。もし当時自分が大統領だったらどうするか、私も同じ決断をしていただろう。厳しい決断だったが、正しい決断だった」(2016年1月5日け)
そしてブッシュ大統領(息子)は、こう答えている。
「大統領にやり直しはない。大統領は、自分が正しいと信じたことを実行するしかない。そしてその結果についてはすべて責任を取ることだ。トルーマン大統領はまさにそれをやってのけた」
「私はトルーマン大統領のタフネスさと信念、そして戦略的なビジョンに感服している。トルーマン大統領は米国の国益を第一に国をリードした。後からどのような批判があろうが気にかけなかった」(2016年2月9日付)
■10秒間の沈黙、「トルーマンと機長ティベッツとの初対面」
最終章にあまり知られていないエピソードが紹介されている。
1948年冬、トルーマン大統領と広島に原爆を投下したB-29爆撃機「エノラ・ゲイ」の機長、ポール・ティベッツ大佐(のちに空軍准将)との対面場面だ。大統領が広島原爆投下作戦に関わった米軍将兵をホワイトハウスに招いたのだ。
「2人は何も言わずに向き合っていた。大統領は10秒ほど言葉を発しなかった。それから『君はどう思う?』と尋ねた。ティベッツ大佐は大統領の質問の意味を痛いほど分かっていた」
「そして『大統領閣下』と応じ、一息ついて『私は命じられたことを実行に移したまでです』と答えた。大統領はデスクを叩いてこう言った。『その通りだ。君を出動させたのはこの私だ』。そのデスクには『The Buck Stops Here』(全責任は私にある)というガラス製の大統領の座右の銘が置かれていた」https://www.trumanlibrary.org/buckstop.htm
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