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[私見卓見]日中の相互研究を「公共知」に 早稲田大教授 劉傑
1988年、中国国営テレビで「河殤(かしょう)」という歴史ドキュメンタリー番組が放送され、中国社会に大きな衝撃を与えた。黄河と黄土によって育まれた中華文明の閉塞性を反省し、中華民族の復興のため海に向けて国を開くべきだというメッセージを発したのだ。
天安門事件後、番組は放送禁止の処分を受けたものの、「海洋国家」という強国構想は水面下で温められてきた。中国の最近の海洋戦略は、こうした長年のビジョンの具現化とみることができる。
中国人の根底にある発想は「弱い国はいじめられる」という意識だ。中国人は経済成長によって大国の誇りを取り戻す一方で、屈辱的な近代史の記憶に基づいて今日の世界を認識している。
また、海の主権範囲に関する中国の主張は49年までの蒋介石が率いた国民党政府の立場を継承したものだ。台湾を含む「一つの中国」を主張する共産党政権にとって、これを変更することは自らの正統性を否定することにつながり、認めがたい事情もある。
日本では台頭する中国は地域の覇権を追求する脅威になるのではないか、国際社会のルールを守らないのではないかといった警戒が強い。日中の信頼関係を阻害するのは国民同士のトラウマだ。領有権の主張自体は互いに取り下げられないが、対立を回避する道はある。それは「知の共同空間」から生まれるはずだ。
大きな問題は、東アジアで日本研究が停滞していることだ。地域の国際関係に深刻な影響を及ぼしているといえる。近代において、中国の知識人は日本経由で西洋の「知」の概念を貪欲に吸収しながらも、日本研究にはあまり関心を示さなかった。そのため、中国では本当の意味の「日本学」も「アジア学」も確立されてこなかった。
現在、中国内の日本研究拠点は100カ所程度。研究者も1千人規模にとどまり、千年以上の厚みを持つ日本の中国研究に比べてあまりに貧弱だ。一方、日本の中国研究は日本国内で消費され、その成果は十分に中国に伝わっていない。知の断絶は相互信頼にもろさをもたらした。
日本研究と中国研究をアジアの「公共知」に育成することが求められる。そのためには研究者同士の交流のほか、日本研究を志す中国人学生の育成などを進めるべきだ。歴史と領土問題の克服には、双方の国民が旧意識から脱却することが不可欠だ。
[日経新聞11月21日朝刊P.18]
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