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プミポン国王大誤算、タイ君主制が存続の危機に
皇太子がドイツで豪遊、海外でタクシン元首相と密談か
2016.11.8(火) 末永 恵
空港の離発着の電光掲示板にも、巨大な国王の写真と追悼メッセージが掲げられている(筆者撮影)
タイの“ハリー・ポッター”と言われる小説「トーンデーン物語」。
今から約10年ほど前発売され、国民的大ヒットとなったことからそう呼ばれ、アニメにもなった。子供から大人までタイで知らない人はまずいない。
物語は、身寄りのない捨て犬の主人公が、王族という新しい家族を得て、これまで想像もつかなかった第2の人生を謳歌させるハッピーエンドのお話。
彼女の名前は、「クン・トーンデーン」。「クン(Khun)」とは敬称で、トーンデーンはタイ語で「赤銅色」を意味する。
世界の王室には英国のエリザベス女王を筆頭に無類の愛犬家の国王や女王がいるが、先頃亡くなったタイのプミポン国王も犬を愛してやまなかった。
国王から片時も離れなかったクン
“クン”は、プミポン国王が寵愛した愛犬の「ロイヤルドッグ」(王室犬、雑種の雌)のこと。体毛が赤っぽい色だったため親しみを込め、国王が自らそう命名した。
シンデレラ物語を自でいくかのように“平犬”から“王犬”へと身分が変ったクン。昨年12月、「享年17歳」と人間の年齢で言えば約120歳の大往生を遂げるまで、国王はまるで自分の子供や分身のように全幅の信頼をクンに寄せた。
国王とタイ首相との“首脳会談”から、王室のセレモニー、病院など各地への視察、町でのお買物・・・。どこに行くにも国王の傍らには、クンがいた。
国王は自ら執筆したこの小説の中で、「常に人の心を察し、しかもとても聡明。容姿も優れている」とまるで自分の“娘”のようにかわいがり、「ナマズの観察も大好きでお手の物だ(笑)」と国王の趣味にも興味を注ぐクンを深く愛し、クンが描かれたクールなTシャツに身を包むのが好きだった。
王室への名誉毀損などを禁じるタイの不敬罪は、世界で最も厳格で、最長15年の禁錮刑が科される。
昨年末には、クンを「風刺」するコメントを投稿したとし、男性が同罪で逮捕され懲役30年ほどの刑に問われた事件があった。不敬罪は王族である「王犬」にも適用されるのだ。
もともと動物収容所から、あわや殺処分となるところを国王に助けられた野良犬は、才色兼備なロイヤル・ドッグとして、その恩義を返すかのように、国王への忠誠心を貫き、国民からも深く愛された。
タイでは当時、軍がクーデターを頻繁に起こし、政治的混乱で国内事情は混迷を極めていた。
これを案じた国王はクンを主人公にした小説を執筆することで、自分の身分を理解し、任務を全うしたクンを通し、罪のない国民に軍や政治家がそれぞれの野望や私欲を強いる異常な状況の中、彼らに分をわきまえるよう促そうとしたとされる。
そして歴史的な大ベストセラーとなった。
アピシット元首相と会談する生前のプミポン国王。足元にはいつもトーンデーンがいた(出典:DNA)
国王が亡くなった今、国王不在という異例の事態で、この「トーンデーン物語」が再び、国民の心の拠り所になっている。
また、タイ王室には“もう一匹”世界に名を馳せたロイヤルドッグがいる、「フーフー」だ。
こちらは新国王への即位が予定されているワチラロンコン皇太子の愛犬。偶然にもクンと同じ17歳で昨年2月に死去。厳かな仏式のお葬式が開かれ、皇太子も喪に服した。その聡明さと忠誠心で国民からも愛されたクンとは一線を画し、フーフーはご主人様と同様、素行が“奇想天外”なことで知られた。
ウィキーリークされた米外交文書にも登場するほどの奇行だ。
同極秘文書には、「空軍大将」の称号を持つ白いふわふわ毛のミニプードルが、特注の一張羅の軍服姿を着て大使ら各国外交官が一堂に会した会合にご主人様のワチラロンコン皇太子と臨席する様子が描かれている。
「フーフー空軍大将」は、ディナーテーブルの上に靴(4つ足には特注の靴を履いていた)のままでまずは主賓席にジャンプ、その後、「ピョン」「ピョン」と来賓客のところまで行き、「ゴックン」「ゴックン」・・・。
そこに置かれていたグラスに顔を突っ込み、中の水を平らげてしまった。ご主人様の皇太子はそれを傍観していただけという。
犬犬の仲だった国王と皇太子
皇太子の犬好きは、国王の動物愛護からの純粋な気持ちとは少し違うようだ。動物をこよなく愛す国王は、その慈悲深さから国民から深く絶大な敬愛を受けてきたが、皇太子自身は海外滞在が多く、さらにその奇行で国民から不人気だ。
その自覚から、「父と同じことをして人気回復のイメージ作りをするとともに、父親への対抗意識もあったかもしれない」(欧米のタイ王室研究家)と言われている。クンとフーフーの年齢やその“寵愛”ぶりからもそう想像されても不思議ではない。
もともとこの2人は、犬猿の仲と言うよりは、「犬犬の仲」。決して関係は良くなかった。最大の理由は、皇太子の奇行にある。気性が荒くて怒りっぽく、3度の離婚にめげず女好きで遊び人。
1年の多くを海外で暮らすその豪遊奔放なライフスタイルに各界から「どう見ても国王の器じゃない」と酷評されてきた。
しかし、皇太子の母上、シリキット王妃が「女性に興味を持ちすぎるけど、あの子はとってもいい子」と絶賛。公の場でも2人はいつも恋人同士の様にしっかり手を繋ぐ姿が恒例だ。
唯一の息子、王位継承第1位の皇太子を溺愛し、“王子様教育”においても、「国王と王妃が対立してきた」(前出の研究家)とも言われ、国王が素行について説教をしても反省しない皇太子を見限り、次女のシリントーン王女に1978年、王位継承権を与えた。
タイの憲法では1974年以来、王女への王位継承を認め、同王女への即位も想定していたのは明らかだ。
日系企業でも会社の正門に国王の写真と哀悼のメッセージが飾られている(筆者撮影)
しかし、今、タイでは19世紀以来初めてとなる前国王の死後何日にもわたり新国王が不在という異常な状態が続いている。筆者は先日、そんなバンコクを訪れた。
空港や町は、活気や平静を取り戻しているが、航空会社の客室乗務員(赤がトレードマークのエアアジアはチェックインの表示を黒に変更)、免税店やタイマッサージの店員まで、黒いリボンや腕章をつけたり、さらに国王の写真や映像が黒縁で飾られたスクリーンに映し出されるなど、国全体で1年間の喪に服している状況が見て取れる。
日系企業も会社の正面に大きな国王の写真とお悔やみメッセージが書かれた告知版を掲げ、社員の制服には黒いリボンが付けられ、国王への追悼を表している。
町で派手な色の服を着ていると警察から呼び止められたり、反発すると連行される人もいるぐらいだ。
それは、軍事政権が社会的混乱を警戒し、国民全体が国王の死に打ちひしがれているイメージ作りに躍起になっている表れとも取れる。
クーデター後の強権は国王逝去への準備だった
軍事クーデターが起きた2014年以降、総選挙を先送りし、一時軍事独裁に傾いたのではと危険視されたタイだったが、実際には国家的な混乱を避けるため、国王死去から新国王誕生までの道筋を平和的に進めるための準備だったかもしれないと、今になっては思える。国内動乱を抑えるには、軍事的強権が最も効果的だからだ。
言い換えれば、今のタイにとって国王を失った衝撃がそれほど大きいのだ。
国王が即位した時代に比べ、今は王室への敬愛やその社会的影響力は著しく低下している。この間、何度も軍事クーデターが起きても、それを乗り越えてこられたのは国王がいればこそだった。
その唯一の拠り所を失った衝撃は、タイの人以外には恐らく理解できないだろう。ここ100年間で一番の辛い試練を迎えていると言っても過言ではない。
平静を装うタイ人だが、不安は募る一方だ。気になるのはやはり「お世継ぎ」問題。知人であるエアラインの客室乗務員は次のように危惧する。
「皇太子の乗った飛行機に乗務したことのある友人は、あの年齢であの素行、とんでもないと言う。タイ国民は(彼が国王になることを)望んでいない。国民は国王が望んでいた通り、シリントーン王女が国王になればいいと思っている。王室内が国王派と王妃派に二分されているだけでなく、利権争いに発展すれば問題をさらに複雑化するのでは」
どの世界でも王位継承は常に「権力闘争」の舞台となってきた。その中で、長年病床にあり高齢であったことから「お世継ぎへの移行」は万全と思われていたタイだったが、蓋を開けてみれば、国王死去直後から、すったもんだの繰り返しを続けている。
プラユット暫定首相が葬儀後、「(新国王の誕生は)7日から15日以内」と公言したが、数時間後に、ウィサヌ副首相が取り消すという異例の発表。さらに、王位継承は国王の葬儀後、「最大で172日後」と大修正。
結果、異例の皇太子の王位継承見送りで、プミポン国王の右腕で軍部へ大きな影響力を持つタイの最高実力者、枢密院議長のプレム元首相(96歳)が暫定摂政を務めることに決まり現在、国王の職務を代行している。
新国王の即位が延期されたのは、世界の王室の中でここ10年ほど「最も裕福な王室」(国王の個人資産約300億ドル=約3兆9000億円。2015年7月米有力誌「フォーブス」)として君臨する王族の莫大な資産分与の問題が最大の要因だ。
世界の王室には税金だけで賄われる英国のケースもあるが、タイ王室の年間支出は約5億ドル以上に及び英国王室の約10倍を超えている。そうした巨額の支出は、王室に莫大な資産があればこそ。
サウジアラビアなどの産油国の王室資産が200億ドル程度と言われるほど、タイ王室の資産額は突出しているのだ。具体的な数字は公表されていないものの、亡くなったプミポン国王の資産は6兆円に達するとも見られている。
バンコク中心部(日本大使館など)を含め国内全土に広範囲に不動産を有し、最王手のセメント企業、サイアム・セメントやサイアム商業銀行など、超巨大複合企業へ積極的に投資するなどで巨額の富を築いてきた。
その莫大な遺産を、王妃を含め長男の皇太子以下、兄妹一男三女で分割することになる上、王族に関わるそれぞれの勢力がその利権獲得に第三者として介入してきており、問題は泥沼化、複雑化している。
国王と王妃の対立
王位継承においては、王室で「国王対王妃」の対立で2派に分かれ、それが生前の王位継承を妨げた最大の障壁だった。
後継者にシリントーン王女を推し、プレム暫定摂政(前枢密院議長)を筆頭に「陸軍を中心とする軍」「既得権を持つ華僑系財閥」の国王派と、長男のワチラロンコン皇太子を後継者に、「空軍を含む警察」「タクシン率いる華僑系新興勢力」が支える王妃派が激しく対立。
皇太子以外でその駆け引きの中心人物にあるのは、軍事政権のプラユット暫定首相ではない。96歳と高齢のプレム暫定摂政だ。国王の絶大な信頼を得て首相も経験し国王の強力なリーダーシップの下、30年近くも政財官界、軍に極めて強力な影響力を持ってきた。
高齢で求心力低下と見る専門家やメディアはあるが、今年もプレム氏の誕生日前日には(8月25日)、プラユット首相(元陸軍司令官)、プラウィット副首相兼国防相(元陸軍司令官)などタイ軍事政権首脳陣をはじめ、タイ最大級の財閥で、CPグループのタニン会長ら財界人もプレム枢密院議長(当時、元首相、元陸軍司令官)の誕生日を祝った。
恒例の誕生会祝賀会には毎年、タクシン派の「警察の最高幹部」だけでなく、過去には天敵、タクシン元首相の妹、インラック前首相も訪れるほどで、タイではプレム議長を通じ、軍、警察が国王に忠誠を示す慣行と捉えられている。
1980年代のプレム政権は、非議員のプレム首相が特権階級の軍と任命制の議会上院をバックに、長期政権を築いた異例な政治体制を築き、「半分の民主主義」と呼ばれた。
今年8月には国民投票で可決した軍政の憲法案で非議員(軍人)の首相が認められ、上院を任命制に戻すことも織り込むなど、軍の大御所のプレム氏を崇拝するプラユット暫定首相が「半分の民主主義」体制を復活させた背景からも、国王死去後のシナリオ作りに、今も絶大な影響力を軍に誇示するプレム暫定摂政のしたたかな企みが見え隠れする。
国王死去後、首相があたふたと王位継承時期を変更せざる得なかった背後にはこのプレム氏と皇太子の駆け引きがあったと思われる。
ウィキリークスは、民主的に選ばれ、絶大な人気を誇ったタクシン政権を倒した2006年のクーデターの主導者は、プレム枢密院議長(当時)とシリキット王妃と暴露する。
海外に亡命しているタクシン元首相は、2006年のタクシン政権を追放した軍事クーデターと、タクシン派インラク政権を倒した2014年の軍事クーデターの黒幕をプレム氏と名指し、「スーパーパワー」とその影響力を今も警戒している。
一方、プレム氏を中心とする反タクシン派は、タクシン元首相が皇太子に接近することを警戒する。
それはタクシン派が再び政治的勢力を復活させるだけでなく、1年後の戴冠式で、新国王となった皇太子が罪人のタクシンに恩赦を与える可能性があるためだ。実際、タイでは新国王即位時に歴史的に罪人に恩赦を与えてきたからだ。そうなればタクシン氏の帰国が可能になる。
皇太子はもともとタクシン元首相から経済援助を得たりするなど、2014年のクーデターまでは緊密な関係にあったが、それ以後、タクシン氏とは疎遠になっている。しかし、タクシン氏が恩赦や利権に絡み、皇太子に再び、近寄って来ることも想定できる。
もともと「王女を新国王に」と国王とともに望んでいたプレム摂政や陸軍と皇太子の仲は悪く、ここにきて、皇太子が反タクシン派のプレム一派を翻弄し、王位継承に関する問題や将来的な利権に絡みタクシン問題をちらつかせ、優位に立とうとするかもしれない。
プレム一派の一番嫌がるシナリオを交渉条件に示すことで、皇太子の立ち位置は今、優勢にあると言えるだろう。
そんな中、軍事政権筋は、「12月1日に皇太子が新国王に即位する」とする見通しを示した。しかし、“キャスティングボード”を握る渦中のワチラロンコン皇太子は10月末に、父上の国王の「49日」を待たず、再び、海外に。
皇太子とタクシン元首相、海外で密会?
現在、一人息子と愛人が住むドイツに滞在中で今月中に帰国するというが、以前もプラユット暫定首相が10月中に即位可能と示唆していた経緯もあり、即位時期は「皇太子次第で不確定」と見るのが筋だろう。
海外亡命中、日本訪問時にモンテネグロのパスポートを利用し、日本に入国したことがあるタクシン氏。お互い海外で接触する方が拘束も少なく便利なのだろう。
ドイツでも高級スポーツカーを乗り回し、自由奔放で華美な生活を堪能している皇太子が手中に収めたいのは莫大な資産であり、様々な責務が課される国王即位ではない。
既得権を永遠に一人占めするためには、形式的に新国王に即位し、あとは父上のプミポン国王が18歳で即位したように、11歳の一人息子に譲位する可能性が十分にある。
プミポン国王の求心力はここ10年間に著しく低下していた。2006年の民主政権打倒のクーデターへ王宮の積極的な関与を止めることもできなくなっていた。
それどころか、2008年にはシリキット王妃が王室派の「黄シャツ」のデモ参加者の葬儀を主宰した一方で、2010年の「赤シャツ」が政府軍によって殺害された際は沈黙を守り、それが事態をさらに悪化させた。
王室が政争で片方に肩入れし、軍事政権を容認することで不敬罪法が乱用され、さらには国王が巨額な国の富を牛耳るというのでは、世界の民主的立憲君主制とはあまりにかけ離れている。タイの君主制は崩壊寸前にあると言ってもいい。
唯一の希望は王に即位するワチラロンコン皇太子が、自らの行いを改め、不敬罪法の廃止や王政既得権集団の粛清を図り、他の国の立憲君主制に准ずることである。
プミポン国王の最大の誤算は、その確固たる道筋を、そしてその王位継承の筋書を示せなかったことにある――。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/48315
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