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www.newsweekjapan.jp/watanabe/2016/11/post-26.php
2016年11月04日(金)17時00分
by Yukari Watanabe
<知識層からときに「白いゴミ」とまで蔑まれる白人の労働者階級。貧困と無教養を世代を越えて引き継ぐ彼らに、今回の選挙で「声とプライド」を与えたのがトランプだった>(写真:筆者が取材したニューハンプシャー州のトランプの選挙集会)
無名の作家が書いたメモワール『Hillbilly Elegy』が、静かにアメリカのベストセラーになっている。
著者のJ.D.ヴァンスは、由緒あるイェール大学ロースクールを修了し、サンフランシスコのITベンチャー企業の社長として働いている。よく見るタイプのエリートの半生記がなぜこれだけ注目されるのかというと、ヴァンスの生い立ちが普通ではないからだ。
ヴァンスの故郷ミドルタウンは、AKスチールという鉄鋼メーカーの本拠地として知られるオハイオ州南部の地方都市だ。かつて有力鉄鋼メーカーだったアームコ社の苦難を、川崎製鉄が資本提携という形で救ったのがAKスチールだが、グローバル時代のアメリカでは、ほかの製造業と同様に急速に衰退してしまった。失業、貧困、離婚、家庭内暴力、ドラッグが蔓延するヴァンスの故郷の高校は州内でも最低の教育レベルで、2割は卒業できない。大学に進学するのはごく少数で、トップの成績でも他の州の大学に行くという発想などない。大きな夢の限界はオハイオ州立大学だ。
ヴァンスは、そのミドルタウンの中でも貧しく苦しい家庭環境で育った。両親は物心ついたときに離婚し、看護師の母親は新しい恋人を作っては別れ、そのたびに鬱やドラッグ依存症を繰り返す。そして、抜き打ちのドラッグの尿検査があって困ると、当然の権利のように息子に尿を要求する。それを拒否すれば、泣き落としや罪悪感に訴えかけてくる。母親代わりの祖母がヴァンスの唯一の拠り所だったが、十代で妊娠してケンタッキーから駆け落ちしてきた彼女も、貧困、家庭内暴力、アルコール依存症といった環境しか知らない。小説ではないかと思うほど、波乱に満ちた家族の物語だ。
【参考記事】トランプが敗北しても彼があおった憎悪は消えない
こんな環境で高校をドロップアウトしかけていたヴァンスが、イェール大学のロースクールに行き、全米のトップ1%の富裕層にたどり着いたのだ。この奇跡的な人生にも興味があるが、ベストセラーになった理由はそこではない。
ヴァンスが「Hillbilly(ヒルビリー)」と呼ぶ故郷の人々は、トランプのもっとも強い支持基盤と重なるからだ。多くの知識人が誤解してきた「アメリカの労働者階級の白人」を、これほど鮮やかに説明する本は他にはないと言われている。
タイトルになっている「ヒルビリー」とは田舎者の蔑称だが、ここでは特に、アイルランドのアルスター地方から、おもにアパラチア山脈周辺のケンタッキー州やウエストバージニア州に住み着いた「スコットアイリッシュ(アメリカ独自の表現)」のことである。
ヴァンスは彼らのことをこう説明する。
「貧困は家族の伝統だ。祖先は南部の奴隷経済時代には(オーナーではなく)日雇い労働者で、次世代は小作人、その後は炭鉱夫、機械工、工場労働者になった。アメリカ人は彼らのことを、ヒルビリー(田舎者)、レッドネック(無学の白人労働者)、ホワイトトラッシュ(白いゴミ)と呼ぶ。でも、私にとって、彼らは隣人であり、友だちであり、家族である」
つまり、「アメリカの繁栄から取り残された白人」だ。
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「アメリカ人の中で、労働者階級の白人ほど悲観的なグループはない」とヴァンスは言う。黒人、ヒスパニック、大卒の白人、すべてのグループにおいて、過半数が「自分の子供は自分より経済的に成功する」と次世代に期待している。ところが、労働者階級の白人ではその割合は44%しかない。「親の世代より経済的に成功していない」と答えた割合が42%だから、将来への悲観も理解できる。
悲観的なヒルビリーたちは、高等教育を得たエリートに敵意と懐疑心を持っている。ヴァンスの父親は、イェール大学ロースクールへの合格を知らせると、「(願書で)黒人かリベラルのふりをしたのか?」と尋ねた。ヒルビリーにとって、リベラルの民主党が「ディバーシティ(多様性)」という言葉で守り、優遇するのは、黒人や移民だけ。知識人は自分たちを「白いゴミ」と呼んでバカにする鼻持ちならない気取り屋で、例え自分たちが受けている福祉を守ってくれていたとしても、その事実を受け入れるつもりも、支持するつもりもない。
彼らは「職さえあれば、ほかの状況も向上する。仕事がないのが悪い」という言い訳をする。
そんなヒルビリーに、声とプライドを与えたのがドナルド・トランプだ。
【参考記事】<対談(後編):冷泉彰彦×渡辺由佳里>トランプ現象を煽ったメディアの罪とアメリカの未来
トランプの集会に行くと、アジア系の私が恐怖心を覚えるほど白人ばかりだ。だが、列に並んでいると、意外なことに気づく。
みな、楽しそうなのだ。
トランプのTシャツ、帽子、バッジやスカーフを身に着けて、おしゃべりをしながら待つ支持者の列は、ロックコンサートやスポーツ観戦の列によく似ている。
彼らは、「トランプのおかげで、初めて政治に興味を抱いた」という人たちだ。「これまで自分たちだけが損をしているような気がしていたし、アメリカ社会にモヤモヤした不満を抱いてきたけれど、それをうまく言葉にできなかった」という感覚を共有している。
「政治家の言うことは難しすぎてわからない」「プロの政治家は、難しい言葉を使って自分たちを騙している」「ばかにしているのではないか?」......。そんなモヤモヤした気持ちを抱いているときに、トランプがあらわれて、自分たちにわかる言葉でアメリカの問題を説明してくれた。そして、「悪いのは君たちではない。イスラム教徒、移民、黒人がアメリカを悪くしている。彼らをひいきして、本当のアメリカ人をないがしろにし、不正なシステムを作ったプロの政治家やメディアが悪い」と、堂々と「真実」を語ってくれたのだ。
トランプの「言いたいことを隠さずに語る」ラリーに参加した人々は、大音響のロックコンサートを周囲の観客とシェアするときのような昂揚感を覚える。ここで同じ趣味を持つ仲間もできる。しかも、このロックコンサートは無料だ。
「トランプの支持者は暴力的」というイメージがあるが、それは外部の人間に向けての攻撃性であり、仲間同士ではとてもフレンドリーだ。
この雰囲気は、スポーツ観戦とも似ている。特に「チームびいき」の心境が。レッドソックスのファンは、自分のチームをとことん愛し、ニューヨークヤンキースとそのファンに強い敵意を抱く。この感情に理屈はない。
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トランプの支持者に取材していた筆者は、ヴァンスの本を読んでいて「まったく同じ人々だ」と感じた。ヴァンスが説明するアパラチア山脈のヒルビリーに限らず、白人が多い田舎町では同じように「トランプ現象」が起こっている。
ヴァンスは家族や隣人として彼らを愛している。だが、「職さえあれば、ほかの状況も向上する。仕事がないのが悪い」という彼らの言い訳は否定する。社会や政府の責任にするムーブメントにも批判的だ。
困難に直面したときのヒルビリーの典型的な対応は、怒る、大声で怒鳴る、他人のせいにする、困難から逃避する、というものだ。自分も同じような対応をしてきたヴァンスが根こそぎ変わったのは、海兵隊に入隊してからだった。そこで、ハードワークと最後までやり抜くことを学び、それを達成することで自尊心を培った。そして、ロースクールでの資金を得るためにアルバイトしているときに、職を与えられても努力しない白人労働者の現実も知った。遅刻と欠勤を繰り返し、解雇されたら怒鳴り込む。隣人たちは、教育でも医療でも政府の援助を受けずには自立できないのに、それを与える者たちに牙をむく。そして、ドラッグのための金を得るためなら、家族や隣人から平気で盗む。
そうなってしまったのは、子供のころから努力の仕方を教えてくれる人物が家庭にいないからだ。
【参考記事】「誰かに認められたい」10代の少女たちの危うい心理
ヴァンスはこう言う。「僕のような子供が直面するのが暗い将来だというのは統計が示している。幸運であれば福祉の世話になるのを避けられるが、不運ならアメリカの多くの田舎町で起こっているように、ヘロインの過剰摂取で死ぬ」と。彼がアイビーリーグのロースクールに行って弁護士になれたのは、ずば抜けた天才だったからではない。幸運にも、宿題を強要する母代りの祖母や、支え合う人間関係について身をもって教えたロースクールのガールフレンドなど、愛情を持って支えてくれた人たちがいたからだ。ヴァンスのように幸運でなかった者は、「努力はしないが、バカにはされたくない」という歪んだプライドを、無教養、貧困とともに親から受け継ぐ。
この問題を、どう解決すればいいのか?
ヴァンスは、ヒルビリーの子供たちに、行き場や自分のようなチャンスを与えるべきだと考える。そして、悪循環を断ち切ることだ。だが、その方法については「僕にも答えはわからない」と言う。
「だが、まずオバマやブッシュ、顔のない企業のせいにするのをやめなければならない。そして、どうすれば改善するのか、自問するところから始めるべきだ」
これは、ヒルビリーだけではない。私たちもそうしなければならないだろう。
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