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(回答先: 日本と中東の男女格差はどちらが深刻か(1)〜女性実業家「イスラムが女性を家庭に縛ると解釈するのは誤っている」と/川上泰徳 投稿者 仁王像 日時 2016 年 11 月 03 日 07:02:02)
日本と中東の男女格差はどちらが深刻か(2)/川上泰徳
2016年11月02日(水)
http://www.newsweekjapan.jp/kawakami/2016/11/post-23_1.php
首都リヤドにある国立キングファイサル病院で初の女性部長となったセルワ・ハッザ眼科部長(当時45歳)は、1960年代に女子教育が始まったサウジでは「女子教育第一世代」だった。米国に留学して眼科医として働きはじめ、80年代半ばに彼女の研究結果が学会の開会式で表彰されることになった。受賞者の名前が呼ばれ、次々と壇上に上がって王族から賞状を授与された。しかし、ハッザさんの名前は呼ばれなかったという。
ハッザさんは会の小休止の間に王族の方に歩いていき、「閣下、私は賞をいただきにまいりました。もし、テレビの前で女性に賞を与えるのをお気になさるならば、テレビを止めても結構です」と言ったという。王族は「分かった」と答え、会の再開後、ハッザさんの名前が呼ばれた。
いまではサウジの学会でも女性が賞を受けることは珍しいことではなくなったという。ハッザさんは「欧米はいつもサウジの女性がどんなに遅れているかばかり問題にする。しかし、文化が変わるには時間がかかる。私たちは私たちのペースで、確実に進んでいる」と語った。日本では150年近く前の明治5年(1872年)の学制発布で女子教育が始まったことを考えると、日本はとてもサウジの状況をわらう立場にはないことになる。
2007年にヨルダンで行われた統一地方選挙を取材した時、90余りの市で市長選挙があり、その中で唯一女性市長に当選した南部ハサ市のラナ・ハジャヤさん(当時30歳)に話を聞いた。ハサ市はヨルダンでも男性優位の部族的な伝統が強い南部地域にあり、女性市長の誕生は異例のことだった。
ハジャヤさんはハサ市で地域開発を行う技師として勤務したことから、28歳で地方自治省から突然、市長に任命された。市長はまだ政府の任命だった。就任当初、市長室に年配の男性が来て、ハジャヤさんがいるのを見て、出て行った。もう一度のぞいて「市長はどこだ」と聞いた。ハジャヤさんが「私です」と答えると、男性は急にかしこまって「水道の水が出ません」と訴えた。「今日、担当者を行かせます」というと、男性は「今日と言ってくれた市長さんは初めてです」と感激した。それまでの市長は自分の部族から職員を雇い、事業でも優先した。それが当たり前になっていたが、ハジャヤさんは部族ではなく、市民の利益になるかどうかで優先順位を決めた。
問題があれば市役所に部族長や宗教指導者などを招いて、意見を聞いた。会合では男性同士怒鳴りあっても、市長のハジャヤさんに話す時には一転丁寧で穏やかな口調になった。「イスラムでは男性は女性を保護し、尊重しなくてはなりません。女性を侮辱したり、感情的になったりすることは、男性としては許されないことです。みなさんとても協力的でした」と語った。
官選市長として3年務めた実績が市民に支持され、初の公選制で市長に選ばれた。ハジャヤさんは「女性はなかなか機会が与えられませんが、公職につけば地域をまとめる力を発揮することができます」と語った。
ヨルダン南部で国際協力機構(JICA)が女性たちに山羊の放牧や養蜂などを始めるための小型融資をし、女性の収入創出とエンパワメント事業を10年以上実施したことがある。その取材をした時に、日本人のプロジェクト担当者が、ヨルダンでは女性が事業を始めて収入が生じると夫もその事業を手伝うようになり、家族事業のようになる、と語った。
私も事業に参加している夫婦を数組訪ねて話を聞いたが、事業を始める前は夫だけの収入で、妻がお金の使い方や家族の在り方について意見を述べることはなかったが、自分に収入ができると、初めて何に使うかを夫と対等に相談するようになったという。
女性市長のハジャヤさんの話や、JICAのプロジェクトに参加した女性たちの話を聞くと、イスラム世界での男女格差は、女性差別の発想からくるのではなく、男性中心の伝統に由来するもので、女性が教育を受け、社会に出て働いたり、社会的な地位についたりすることによって、男性と女性の関係は変わりうるということではないか、と思える。
イスラムに反して社会進出しているのではない
ここに紹介した女性たちはすべてそうだが、中東で社会的な活動をしている女性たちは毅然としていて、自信にあふれている。彼女らはイスラムに反して社会進出しているのではなく、「イスラムでは男女は平等であり、女性は男性と同じく社会的な責任を負う」と語る。イスラム世界で社会的に活動しようとする女性たちの多くを支えている価値観は、やはりイスラムである。もちろん、現実には中東の男女格差は歴然としてあるのだが、イスラムの考え方を発展させる形で女性が社会進出することで、将来、男女格差が縮まる可能性があるのではないかと思う。
それに対して欧米や日本では、中東ではなはだしい男女格差が生じる理由をイスラムの教えのせいと見る傾向があるが、イスラム世界で男女格差に挑戦している女性たちがそうは考えていない。イスラムは幅広い概念を含み、男性中心主義の伝統的な価値観とつながる要素もあれば、女性の地位を向上させ、社会進出を促す要素もある。イスラムでは「女性の尊重」は重要な価値である。女性を家庭に縛り付けて「保護」することを「尊重」と考える部族主義のような男性中心主義の考え方もあれば、女性の社会進出を保証することが「尊重」という考え方もあり、イスラムの中でせめぎあいがある。男性中心主義の現実だけを見て、イスラムは「女性差別的」と考えるのは偏見であろう。
さらに「男女平等」と言えば、欧米にもともとある価値観であるかのように思うかもしれないが、英国で女性に男女平等の参政権が認められたのは1928年である。欧米の女性の政治参加は100年の歴史もない。さらに英国で女性が男性と対等の参政権を得られるまで、17世紀中葉にあった英国の市民革命から250年もかかっている。「自由」や「平等」も"西洋的な価値"というよりも、西洋社会の発展の結果実現されたものである。
イスラム世界の中核である中東で不平等や不自由な面があるのは事実だが、それは中東の国々はすべて強権体制で、民主主義も、情報公開も、政府を批判する報道の自由も制約されているという現状のもとで、女性の社会進出が阻害されているためであろう。その上に、紛争も蔓延している。そのような非人間的な状況では、男女格差の問題だけでなく、イスラムの考え方の中にある平等や自由という人間を尊重する価値観が実現されていないと考えるべきだろう。
「日本の男女格差111位は中東レベル」と言う時、G7に入り、治安も保たれ、民主主義も、報道の自由もある日本で、この男女格差は異常なことと考えるべきだろう。日本では、何が、女性を政治、経済、社会から排除し、社会の発展を阻害しているのだろうか。女性の社会進出を阻む要因が明確な中東で、女性たちの話を聞いてきた経験から考えるなら、問題の所在が見えにくい日本の状況は、中東よりも深刻に思える。
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