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ポピュリズムの波にのまれた共和党の蹉跌(前編)
ポピュリズムを利用した共和党、選挙後に分裂か?
トランプタワーで大統領選出馬を表明したドナルド・トランプ氏(2015年6月16日) PHOTO:JUSTIN LANE/EUROPEAN PRESSPHOTO AGENCY
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GERALD F. SEIB AND PATRICK O’CONNOR
2016 年 10 月 28 日 07:25 JST
2015年6月。ドナルド・トランプ氏がニューヨークに立つトランプタワーのエスカレーターで降りてきて大統領選への出馬を表明した瞬間から、ポピュリスト(大衆迎合主義者)型の共和党が急に台頭し始めた。
だが、彼がそれを作ったわけではない。
トランプ氏を大統領候補に担ぎ上げた現在の共和党は、この40年間に同党に押し寄せてきた新たな有権者の波によって形成されてきたものだ。つまり、ジョージ・ウォレス氏を支持した南部の有権者や、ロナルド・レーガン氏に鞍替えした民主党員、パット・ブキャナン氏がかき集めたポピュリスト、そして保守派の草の根運動「ティーパーティー(茶会)」の歩兵たちのことだ。
共和党のエスタブリッシュメント(主流派)はこうした新たな有権者を喜んで受け入れた。その多くが労働者階級で、銃や中絶、同性婚といった社会問題に関する共和党の姿勢に賛同もしていた。だが主流派はポピュリストの強い欲求に応じて党の経済的アプローチを調整するということを怠った。
それをやってみせたのがトランプ氏だった。大統領選への出馬を表明した際、全国規模の世論調査でトランプ氏の支持率はわずか3%から5%しかなかった。だが彼はその後、自由貿易は有益ではなく有害だと考える数百万人もの新たな有権者の思いを代弁してみせた。彼は社会保障やメディケア(高齢者向け医療保険)の給付金には手を付けないと言った。移民が米中間階級の経済的・文化的に豊かな暮らしを引き裂いているという恐怖を執拗に訴えた。
有権者の不満は一気に爆発し、共和党の幹部たちに衝撃を与え、主流派を活動不能に陥らせた。11月8日の大統領選の結果がどうあれ、これは何年にもわたって共和党の方向性を変えることになるだろう。
1968年の大統領選で、第三政党の候補者として出馬した元アラバマ州知事のウォレス氏PHOTO: PRESTON STROUP/ASSOCIATED PRESS
トランプ氏の選挙活動は、これまでに共和党に押し寄せた波と同様に、新たな有権者を同党に引きつけることになった。しかし、別の有権者を遠ざけることにもなった。トランプ氏は深い亀裂を生じさせた。その亀裂は修復が難しく、共和党を二分さえしかねないものだ。一方は新たに勢いづいたポピュリストのグループであり、もう一方は伝統的な中道かつ保守派のグループだ。
仮にトランプ氏が勝利すれば、共和党をよりポピュリスト寄りの方向へ導こうとするだろう。そうなれば、主流派や保守派、財界のリーダーらが追い払われる可能性がある。彼は貿易や移民、外交政策面で自身に同意しない人を軽視する傾向を強めている。トランプ氏と意見を異にする人々は共和党が自分たちの居場所なのかどうかを見極めざるを得なくなるだろう。
トランプ氏が負ければ、共和党が依って立つ基盤は何かという険悪な論争が党内で発生する可能性が高い。トランプ氏を支持した党員は、同氏を支持しなかった主流派の「多くを名指しで」非難するだろう――。エリック・カンター前下院共和党院内総務はそう予測する。
いずれにせよ共和党は「ドナルド・トランプから教訓を学び取る」べきだとカンター氏は言う。その教訓とは、「われわれの政策は(多くの平均的な米国人にとって)必ずしもプラスの結果をもたらしてはいないとの怒りを抱えた人々を取り込んできた」というものだ。
問題はエリート主義
こうした不満の爆発をはるか以前に理解していた共和党員は少なからずいた。ティム・ポーレンティー氏は2001年に早くも、共和党は「ただのカントリー・クラブではなく、サムズ・クラブの政党」になる必要があると警鐘を鳴らした(訳注:サムズ・クラブとはウォルマート傘下の安売り店のことで、こういった店で買い物をする庶民層のこと)。ポーレンティー氏は後にミネソタ州知事となり、2012年には大統領選の候補者指名争いにも出馬した。
ブキャナン氏は初めて大統領選の予備選に出馬した1992年に、移民に対して不満を抱える有権者層を取り込んだ。同氏は「われわれは『いずれそうなる』と言っていた」と振り返る。「そして実際そうなった」
米国とメキシコの国境に立つパット・ブキャナン氏(1996年3月) PHOTO: ERIC DRAPER/ASSOCIATED PRESS
ではなぜ、賢明なはずの他の大勢の政治家たちはトランプ氏のもとに兵隊たちが集まっている状況を把握していなかったのだろうか。
バージニア州選出の元共和党連邦議員トム・デービス氏は「エリート主義が問題だ」と話す。党内には「われわれは賢く、彼らは愚かである。彼らには中絶と銃というエサを与えておけばいい」という態度の人間が大勢いたとしたうえで、「そんな風である必要はなかった」と語った。
1970年。デービス氏はまだ若い政治家で、当時のニクソン大統領の顧問を務めていたハリー・デント氏のもとで仕事をしていた。デント氏はサウスカロライナ州出身で保守的な南部の有権者を従来の民主党支持から鞍替えさせようと目論んでいた。
南部の民主党員の多くは1968年の大統領選で、第三政党の候補者として出馬した、人種分離制度を支持する元アラバマ州知事のウォレス氏に投票した。同氏は南部の5州で勝利。彼を支持した人々は左傾化しつつあった民主党からの疎外感を抱いていたのだ。
デント氏とその仲間たちは共和党がこうした不満を抱いている民主党支持者の居場所となるように努めた。こうした有権者は共和党の財界寄りの経済政策に賛同していたわけではなかったが、徴兵拒否者への反発心や、人種分離廃止を達成するための強制バス通学への不信感、性と麻薬に代表されるカウンターカルチャー(反体制文化)への怒りといった文化的問題での連帯感を提供した。
ニクソンとレーガン・デモクラッツ
ニクソン、レーガン両氏の政治工作員を務めたジョン・シアーズ氏は、ニクソン氏は今のトランプ氏がポピュリストを引きつけているのと、ある意味同じような方法で民主党からの鞍替え有権者を取り込んできたと指摘する。ニクソン氏もトランプ氏も、メディアや当時の政界主流派らによって広く軽蔑されていた。
ニクソン氏は「アイビーリーグ校とニューヨーク・タイムズ、聖公会に対抗して出馬していた」とシアーズ氏は言う。南部の有権者を取り込む戦略は1972年のニクソン氏再選に役立った。そして中西部の小さな町の住民たちや北東部のリベラル派、西部の少数の保守派が長らく支持層の主体を占めてきた共和党に、新たなポピュリストの一翼が加わったのだ。デント氏は2007年に死去した。
南部を基盤とした共和党のポピュリズムの拡大は1976年の大統領選で一時、中断された。南部出身のバプテスト派キリスト教信者で農民だったジミー・カーター氏が当選したときのことだ。この民主党政権は失敗だったと広く認識されたが、共和党に新たな有権者の波をもたらす機会となった。
1980年。民主党から鞍替えしてレーガン氏に投票した、いわゆる「レーガン・デモクラッツ」は、リベラルな政策が自分たちの生活と地域社会の足を引っ張ったとする同氏の分かりやすい言葉に魅了された。彼らが共和党へ鞍替えしたことで、南部の地盤固めは完了した。レーガン・デモクラッツには不満を抱えたアッパーミッドウエスト(中西部の北側)の労働者階級も加わった。
レーガン・デモクラッツは税率の引き下げという保守派の政策を受け入れ、レーガン氏は移民による経済的な利点という共和党の党是をうたい上げた。日本製品に関税と制限を課すことで伝統的な保守主義を打ち破った。労働組合の組合員はこれを称賛した。
ポピュリズムの波にのまれた共和党の蹉跌(後編)
1976年8月にカンザスシティで開催された共和党全国党大会 PHOTO: ASSOCIATED PRESS
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GERALD F. SEIB AND PATRICK O’CONNOR
2016 年 10 月 28 日 10:34 JST
ドナルド・トランプ氏が大統領選への出馬を表明した瞬間から、ポピュリスト型の共和党が急に台頭し始めた。だが、彼がそれを作ったわけではない。トランプ氏を大統領候補に担ぎ上げた現在の共和党は、この40年間に同党に押し寄せてきた新たな有権者の波によって形成されてきたものだ。
• ポピュリズムの波にのまれた共和党の蹉跌(前編)
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パット・ブキャナン氏は初めて大統領選の予備選に出馬した1992年、行き詰まりつつある米経済の犯人は貿易と移民だと主張した。彼はカリフォルニア州サンディエゴ郊外のメキシコとの国境付近で選挙運動を行い、米国内に大量に流入する不法移民について懸念を表明。政府はその後、同氏が訪問した場所と同じ国境にフェンスを設置した。
同年の共和党全国大会での演説で、ブキャナン氏はリセッション(景気後退)からなかなか抜け出せずにいる中間層労働者たちのために共和党は立ち上がらなければならないと訴えた。カリフォルニア州北部に生息するニシアメリカフクロウの保護のために仕事を失った材木業者や、ロサンゼルスで暴動が発生した際に略奪者に立ち向かった韓国系米国人の自営業者などを引き合いに出した。
「彼らは米国民だ。われわれは彼らと再びつながる必要がある」。ブキャナン氏はそう訴え、「彼らが苦しんでいることをわれわれは知っている。そのことを彼らに知らせる必要がある」と述べた。ブキャナン氏はニクソン、レーガン両政権で大統領の側近を務めた。
共和党幹部はブキャナン氏と戦った。だが当時はまだ彼を勝たせるに十分な数のポピュリストがいなかったため、主流派候補のジョージ・H・W・ブッシュ氏に指名争いで負けた。ブッシュ氏はその後の大統領選で民主党候補のビル・クリントン氏に敗北。文化的な保守主義色を強めていた共和党は新たな有権者をいくらか引きつけたものの、その一方で中道派有権者を一部遠ざける結果になった。
共和党幹部はブキャナン氏の失敗は、メッセージに訴求力が足りなかったためだと考えた。だが、もっと良い説明がある。1992年と96年に第三政党の候補者として出馬した大富豪ポピュリストのロス・ペロー氏が、ブキャナン氏に流れるはずだった票の大部分を奪ったという説明だ。92年の大統領選でペロー氏の得票率は19%に達した。
1992年大統領選の討論会で握手を交わすジョージ・H・W・ブッシュ氏(左)とロス・ペロー氏 PHOTO: GREG GIBSON/ASSOCIATED PRESS
2000年。共和党の保守派と財界寄り勢力はジョージ・W・ブッシュ氏への支持で結束した。ブッシュ氏は伝統主義者と財界関係者に親しみやすいメッセージを携えてホワイトハウスに入った。
だが、新たに共和党の支持者となった労働者階級の有権者は、党の従来の経済政策に不安を募らせていった。そうした圧力は、草の根レベルの動向に最も近い立法機関である下院で最初に顕在化した。
その下院は、社会保障制度の抜本的見直しを求めたブッシュ氏の呼びかけをはねつけ、移民に反対する手段に出た。不法移民の短期就労を認める財界寄りの制度「ゲストワーカー・プログラム」や、すでに国内に滞在している1000万人余りの不法移民に合法滞在を認める措置を支持せず、当時のデニス・ハスタート下院議長(イリノイ州)は不法移民を排斥するキャンペーンを始め、メキシコとの国境地域で聞き取り調査を実施するよう委員会に命じた。
2006年。連邦議会は国境に沿って数百キロにも及ぶフェンスの設置を認める法律を通過させた。トランプ氏が出馬した当初から目玉としてきた政策の一つを議会はすでに先取りしていたわけだ。
共和党は、民主党が気候変動への懸念や化石燃料を敵視する主張を強めていったことからも恩恵を受けた。化石燃料を生産する州の労働者階級は共和党に傾いた。
ウエストバージニア州はおそらくその最も顕著な例だ。オバマ大統領が2008年に当選した際、同州議会を支配していたのは民主党であり、州に割り当てられている連邦上院議員の2議席と同下院議員3議席のうち2議席は民主党が占めていた。
そこで共和党は、石炭に対して戦争をしかけているとして民主党を非難。すると2014年には共和党が州議会の上下両院を支配し、連邦下院議員の3議席すべてを奪取したほか、民主党のジェイ・ロックフェラー氏が30年にわたって死守してきた連邦上院議員の席を奪うことにも成功した。
金融危機で広がった溝
今日のポピュリストを勢いづけてきたものは金融危機をおいて他になく、ウォール街や経済エリートたちへの不信感は募る一方だった。2008年秋の政府による金融機関救済は、それを強硬に求めた共和党幹部と、党の意向に甘んじなくなっていた保守的議員との間に溝を生じさせた。
最初の救済措置を支持しなかった共和党議員の数は、支持した議員より2倍多かった。その後、手直しされた不良資産救済プログラムが法律となった。
調査機関ピュー・リサーチ・センターによると、2007年12月から09年6月までのリセッション局面では、米国世帯の純資産(中央値)はほぼ半減した。中間および低所得層への打撃が特に大きく、大卒学位を持たない層はそれ以外の層よりも不利な状況に置かれた。
多くの米国民にとって実感を伴わない回復は、反体制的な主張を掲げる大統領候補を生む環境を作り出した。その点でトランプ氏ほどの適任者はいなかった。
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ニューヨークのトランプタワーで大統領選への出馬を表明したトランプ氏(2015年6月)PHOTO: JUSTIN LANE/EUROPEAN PRESSPHOTO AGENCY
彼はティーパーティー運動から生まれた政治的実践主義の流れも受け継いだ。これは住宅ローンで利益を上げてきた業界を連邦政府が救済したことに対する怒りを発端に2009年に火がついた運動であり、翌10年の下院選で共和党が多数党の地位を奪還した原動力にもなった。
共和党主流派は実際のところ、こうした新たな勢力の台頭を後押ししてきた。ティーパーティー支持派の票があてにできるうえ、共和党の広範な目的にそのエネルギーを利用できると考えたからだ。
2010年、上院の選挙運動委員会はティーパーティーから出てきた数多くの候補者に資金援助を行った。下院共和党の幹部はティーパーティーの候補者の一部に白羽の矢を立て、資金調達を手助けした。彼らはこの年の下院選で勝利した。
ただその後ほどなくして、ティーパーティーのポピュリストは下院共和党の幹部らに盾突くようになった。連邦債務上限を巡る攻防の中で、政府機関を一部閉鎖に追い込もうと試みたのだ。2014年に大統領候補を決める指名争いがバージニア州で行われた際には、ティーパーティーを基盤とする候補者が主流派のエリック・カンター氏を破った。幹部に盾突く反抗勢力が蜂起し、自分たちのパトロンを自らの手で葬ったのだ。
カンター前下院共和党院内総務(写真)はトランプ氏が大統領選で負ければ共和党の主流派の多くが名指しで非難されるだろうと予想する PHOTO: BILL CLARK/CQ-ROLL CALL/GETTY IMAGES
経済に対する不安感もまた、自由貿易の利点を信じる共和党の理念の中核を揺さぶってきた。NBCが傘下のケーブルチャンネルCNBCと2010年に共同実施した世論調査によると、共和党支持者を自認する人の52%が自由貿易は米経済に打撃を与えていると回答。米経済に役立っているとの回答は21%にとどまった。
この40年間の変化は結局のところ、緩慢ながらも容赦なく、共和党の姿を何か根本的に異質なものにした。
2012年の大統領選では米国で最も貧しい100郡のうち74郡で、共和党候補のミット・ロムニー氏が勝利した。
バージニア州選出の元共和党連邦議員トム・デービス氏はウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)が昨年掲載した1つの地図をしばしば引き合いに出した。1996年の大統領選では民主党候補が勝利したが、2012年には共和党候補が制した地区を色分けした地図だ。色分けされた地区はルイジアナ州の北からミシシッピ川の流れに沿うようにアーカンソー州やミズーリ州にまでほぼ途切れなく広がり、そこから東へ枝分かれしてケンタッキー、テネシー、ウエストバージニアの各州へと伸びている。
これらの郡は共和党の新しい支持層の中核をなしている。そこには農民や炭坑作業員も含まれる。音楽はカントリーミュージックが定番で、ブルーカラーもホワイトカラーも同じような割合で暮らしている。移民によって変貌した米国は希望と同じくらい不安もかき立てられている。
共和党は長い間、カントリークラブの会員や銀行家、大手企業幹部らの党とみられていたが、今や不安を抱えた労働者階級や小さな町の自営業者、中年の有権者によって動かされる党になりつつある。
同時に、新たな支持層を共和党に引きつけてきた文化的な保守主義は、これまで共和党が頼りにしてきた郊外の高所得者層の一部を遠ざけている。その結果、多くの面で民主党に有利な選挙人団の勢力図ができあがることになった。
こうしてトランプ氏を躍進させるお膳立てが整った。彼は今年の大統領選に、有名人特有の尊大な態度で乗り込んできた。そして、長年にわたる共和党幹部に対する有権者の不信感に乗じてのしあがってきた。有権者のそうした憤りに直接訴えかけることで、昔ながらの保守派世代をひっくり返したのだ。
「私はアウトサイダーだ。そして予備選で勝利した」。トランプ氏は6月にNBCの番組「ミート・ザ・プレス」でそう話した。「私は大勢のエスタブリッシュメントと戦い、全員を負かした」
(筆者のジェラルド・F・サイブはWSJワシントン支局長)
米大統領選特集
• クリントン派とトランプ派、対立はオフィスにも
• 共和党の広告戦略、にじむクリントン政権の受容
• クリントン氏、ミレニアル世代の支持拡大
• 米大統領選で重要なフロリダ、上下院選でも脚光
• 米大統領選「負託なき勝者」を待つ混乱
http://jp.wsj.com/articles/SB11740957682223234214304582399170310808952?mod=wsj_nview_latest
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