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ここまでやるの? 完璧主義者ヒラリーのディベート対策、その舞台裏 驚異的な速読と暗記力
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49848
2016.10.03 渡辺 将人 北海道大学准教授 現代ビジネス
■驚異的な速読と暗記力
政治家ヒラリーを誕生させた2000年連邦上院選挙の陣営本部で、アウトリーチという集票部門にいた筆者が目の当たりにしたのはヒラリー・クリントン(当時大統領夫人)のディベート(テレビ討論)への周到な準備の姿勢だった。
ヒラリー陣営では選挙のディベートの準備に向けて、政策分野ごとに大きなファイルを作り上げる。下準備をするのは陣営本部の各部門のスタッフである。
アウトリーチという属性別の集票戦略の部門であれば、黒人、ヒスパニック系、アイルランド系などの個別の有権者集団のコミュニティが抱える問題の現状を把握してもらう必要があり、かなりの情報量になる。
いつしかファイルはまるでアコーディオンのような分厚さになった。筆者は当初、ファイルは政策部門の少数の幹部とスピーチライターの下準備用なのだと思っていた。
しかし、驚いたことにヒラリー本人が隅々まで目を通していた。
ページの端に付箋のような紙がつけられて各部門に戻されてくる。疑問点がびっしりと書き込まれていた。上級幹部のメモかと思いきや、本人の手書きだった。内容に全て目を通していなければ生じ得ない、的確かつ鋭い指摘ばかり。必要に応じて担当局長(ディレクター)がヒラリー本人に呼び出されて説明を行う。
我々陣営スタッフの間でよく対比的に語られていたのが、ゴア副大統領だ。
2000年のニューヨーク州のヒラリー陣営上院選本部は、大統領選挙ゴア陣営のニューヨーク支部を兼ねていた。ゴア副大統領は政策の要点だけをざっくり知ることを求め、ファイルも薄いものでよいという指示だった。
これに対して、ヒラリーは完璧主義で細部まで知ろうとした。ファイルはどんどん分厚くなった。
暗記力に優れているヒラリーは、事前の勉強会ですべてを頭に入れたので、ディベート会場では資料をほとんど必要としなかった。
陣営本部内のウォールーム(作戦室)のモニターでディベート観戦中、スタッフ達で司会の質問直後に回答を叫ぶ「早押しクイズ」のようなゲームをしていたことがある。たいてい画面の中のヒラリーが、「遠隔腹話術」のようにほぼその通りに話した。筆者にとって衝撃だったのは、ヒラリーの見事な回答ではなく、スタッフとのシンクロの度合いだった。
この問題ではこう返すという膨大なパターンを準備し、それをヒラリーが完全に咀嚼して内在化していた。ヒラリーの中に100人以上のスタッフの頭脳と分厚いファイルが詰まっているようだった。
かといってアドリブが苦手なわけではない。政策論争であれば延々と一晩中でも原稿無しで語れる。しかし、政策論争であることが条件だ。ヒラリーは詩的なレトリックで聴衆をうっとりさせることには興味がない。
■「原稿」に凝るオバマ、「情報」に凝るヒラリー
2008年の民主党予備選でオバマは演説型、ヒラリーはディベート型といわれた。的を射た分類だと感じる。
オバマは情報量や知識で圧倒するのではなく、自分の生い立ちの「物語」を武器に「エトス」に満ちた説得力を重視する。作家であり詩人でもある文才を活かしてドラフトをまとめていた。オバマ本人がチーフ・スピーチライターだった。
オバマほど「原稿」に凝る人はいない。聞き手が酔いしれ、魂の高揚を感じる流麗なレトリックに凝る。ある意味ではオバマの演説は「原稿」が完成した段階で終了している。それは演説でこそ輝く才能だった。
ヒラリーは直前まで「情報」に凝る。政策の鬼であり、1枚でも多くのインデックスカードを正しく理解しようと貪欲だった。その姿はまるで大学の競技ディベートのディベーターであり、法廷弁護士のそれだ。オバマは同じ法律家でも憲法学者に軸足があり、法廷の闘士ではない。
アメリカで現代の政治家にディベートがテストとして課されているのは、演説はプロンプターという文明の利器に頼ることもできるからだ(オバマはアドリブも好んだ)。政治家のコミュニケーション力の化けの皮をはぐには欠かせないと考えられている。
2004年の大統領選挙ではブッシュ息子(ジョージ・W・ブッシュ)の背中のスーツ下に音声受信機のようなものが挟まれているのではないか、参謀のカール・ローブが耳に入れているのではないかという「陰謀論」まがいの話が一部で膨らんだ。ブッシュ息子はディベートがまるで苦手だったからだ。オバマは「両刀」だが、前述のようにどちらかといえば演説派である。
議会選挙のディベートはヒラリー向きだった。大統領選挙ほどには人格が評価基準の重きを占めず、個別の政策にスポットが当たるからだ。政策論争になればヒラリーは俄然力を発揮する。
上院選当時、ヒラリーの相手候補の共和党下院議員は、投票棄権歴が多く政策に弱さを抱える中、若さと爽やかさでヒラリーを脅かそうとしていた。人格論争に持ち込まれないよう、「政策面では絶対の自信があることを示し続けること」が陣営戦略の骨子だった。
■ゴア副大統領という反面教師
ただ、政治家が選挙戦で行うテレビでのディベートは、名称こそディベートという名がつけられてはいるが、アカデミックなディベートのように政策の有効性と論理的説得力で優劣が決まるわけではない。
大統領選挙ディベートは表情や抑揚に滲み出る風格込みで評価される点で演説と競技ディベートの間に位置している。専門知識とロジックだけに偏れば、議論には勝っても、「勝負」に負ける。
アメリカ政界でも語り種になっているのが、2000年大統領選挙での民主党のアル・ゴアとブッシュ息子のディベートでの「事件」だ。
ゴアは数字を入れさえすれば説得力が増すという勘違いをおこし、1回目の討論で数字の引用に固執したが、ブッシュに「いい加減な数字(Fuzzy Math)」だとデータの信憑性を一蹴され信用を失った。
ゴアは前述のように、準備過程では政策の細部を詰める努力をしていなかったのに、数的データで威嚇する戦法をとった。対するブッシは、知識や雄弁さで自分を飾らず徹底して「普通のおやじ」を演じた。
また、ゴアはブッシュが見当違いのことを言い出すとため息混じりに薄笑いで小首をかしげてみせた。緊張してたどたどしくても「誠実」だったのはブッシュという声が強まり、「ファクト(知識)ではゴア、スタイル(姿勢)ではブッシュ」とメディアは伝えた。
ヒラリーにとってゴアは最大の反面教師である。別稿「トランプの『強さ』と民主党の隠れた『急所』」で述べた3分類でいえば、ディベートは「玉」を吟味する機会だが、政策能力だけでなく、人物的魅力が審査基準として外せない。
素顔のヒラリーは情に厚い親分肌だが、有権者はメディアを通して判断する。2008年予備選ディベートで「彼(オバマ)の好感度の高さには同感ですが、私もそんなに酷くないと思いますよ」とヒラリーが言うと、オバマは「あなたも最低限の好感度ならありますよ」と返した。公の舞台で恥をかかされたのだ。
ブッシュ息子とは違う意味で「気さくなおやじ」であるトランプは、「人物的魅力」でヒラリーを脅かすかもしれない。ヒラリーにできることは、準備だけはいつも通り完璧にしておくことだった。
初回ディベートの様子は次稿「杞憂に終わった『トランプの乱』」(gendai.ismedia.jp/articles/-/49849)で検討した。
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