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転換期のアメリカがど真ん中に突きつけられる問い
旅の形、国の形(アメリカ・ニューヨーク)
2016.9.17(土) 原口 侑子
鉄骨の十字架とワールドトレードセンター跡地(出所:Wikipedia)
9.11のちょうど半年後だった。私は春休みに暇を持て余す学生だったので、誘われて二つ返事で飛行機のチケットを取った。
チケットは安かったがその分ニューヨークのJ.F.K国際空港は物々しい雰囲気で、イミグレの待ち時間は長かった。まだ、ワールドトレードセンターのツインタワーに突っ込んでいく2機の飛行機の映像は記憶の中で生々しかった。
しかし街にには定常運用の人々の日常が広がっていた。少なくとも私にはそう見えた。私は何事もなく動く地下鉄に乗り、コーヒーを持って公園を散歩する人々を眺めた。
世界を揺るがす大事件があってもそれでこの町が終焉を迎えるものではなく、人々はその後もこの町に暮らし続けているのだという、きっと彼らにとっては当たり前のことを、道端のホットドック屋さんに、公園を散歩する犬とマダムに、ブロックの曲がり角にあるコーヒー屋さんに、私は新鮮な気持ちで見た。ロウアーダウンタウンには3月のまだひんやりと肌に冷たい風が吹いていた。
初めてのニューヨークだったので、やることはたくさんあった。自由の女神を拝むと、日が暮れないうちにグラウンドゼロまで歩いた。
その灰色の空き地は平らにならされて、ほとんどがらんどうになっていた。半年前までここに高いビルが建っていたなんて想像もできなかった。ただ、まだ少し残った瓦礫のすき間にたくさんの旗がはためき、柵には色とりどりのリボンがかけてある。黙とうをする者がいて、すすり泣く者がある。花を置く者がある。彼らの記憶の中では、ここにあった巨大な2棟のビルはまだ昨日のことのように現在と近接しているのだろう。
私はそこにただ突っ立って、まるで場違いな気持ちと、その空間に漂う悲しみが自分の中にもするりと入り込んでくるような気持ちを交互に感じていた。私はこの事件「直後」の場所に物見遊山でやってくる資格を持っているのだろうかなどと考えた。
だから、隣にいる観光客らしきカップルが、沈痛な面持ちのままカメラのシャッターを切っているのを見て、正直なところ少し、ホッとした。
夜になるとブロードウェイでミュージカルを観た。演目は「キャバレー」。ミュージカルにやってくる観客たちがカジュアルな格好で、最後にはスタンディングオベーションが起こり、そんな舞台と日常の近さが全部「アメリカらしく」見えて、私は観光客らしく感激していた。ここは自分たちの空間でもある、という感覚があった。
大通りを練り歩く緑色の人たち
夜が明けると日曜日になった。ニューヨーク観光は続き、私はマンハッタンの北の方を歩くことにした。
セントラルパークを通り抜け、メトロポリタン美術館でゴッホを見て外に出ると、美術館の前の車通りが封鎖されていて、なにやらざわざわと騒がしい。反射的にキュッと腹のあたりが緊張したが、何のことはない、今日はお祭りのようだった。
お祭りで賑やかな街路を東西南北に歩いていく。碁盤の目になった街並みにはお洒落なカフェと場末のバーが代わる代わる立ち並び、下町と山の手が混ざり合ったような感覚が街歩きに楽しい。
お祭りは町に深く分け入るたびに盛大になってくるように思われた。街路はどこをどう折れてもワイワイと活気に満ちている。ビール瓶を手に歌う者がいて、肩を組んで踊る者がいる。今日はいったい何の祭りなのだろう。
しばらく歩いたのちに意を決して、通りに面したバーに入って聞いてみると、マスターと思しきおじさんが笑って答えた。
「なんだ、きみ、観光客なの。緑色の服着て歩いてるから、知ってるんだと思った」
「何も知らないよ。おとといニューヨークに来たんです」
「今日はセイント・パトリックス・デイのお祭りなんだよ」
「セイント・パトリックス・デイ?」
「そう、アイルランドのお祭り」
「アイルランド?」
「正確には、アイルランド移民のお祭りだね。みんな緑色のものを身に着けて歩くんだよ」
「ほんとだ」
マスターは私にビール瓶を1本渡した。私はその日たまたま緑色のセーターを着ていた。
「あなたもアイルランド移民なの?」と聞くと、
「おれ? ちがうよ」とマスター。「ちがうけど、祝うんだよ、そういうもんじゃない? きみ、アメリカは初めて?」
「うん、初めて」
「そうか。アメリカにはいろんな人がいるからな。彼らの祭りはおれたちの祭りで、おれたちの祭りは彼らの祭り、みたいな感じになる」
「へえ」
「だからきみも、楽しんでね」
そう言われて、楽しくなってきた。ビール瓶を片手にバーに別れを告げ、まだ日の高いマンハッタンを西へ東へと歩いた。緑色の服を着て緑色の帽子をかぶった人々が、大通りを練り歩いていた。ぱっと見たくさんの人種がいた。
3月17日、セイント・パトリックス・デイのパレードの中を、私も歩き続けた。
モザイクの街並みに感じたアメリカらしさ
ニューヨークはアメリカの都市というよりもコスモポリタンの都市だという人は多い。モザイクのように埋め尽くされた人並みに、近づいて目を凝らすとアイルランド系だったりアフリカ系だったり、ひとりひとり出自は違う。しかし海を隔てた遠くから眺めてみると、その人並みは出自を問わず「アメリカ」という色をしているようにも見える。
“彼らはもうすでに僕たちで、僕たちもまた彼らなのだ”という異質なものへの近さを、異質なものを取り込んでその異質性を多様性に変換する過程を、それでも全体として緑っぽく染まっている今日のモザイクの街並みの中で、また私は「アメリカらしく」感じていた。
でもそうしたら、2棟のビルに突っ込んでいった飛行機だって、私たちのすぐ近くにあるものなのかもしれない。
私は前日に見たグラウンドゼロの灰色と、パレードの緑色を同時に頭に思い浮かべて、少し混乱していた。一体何が、異質なものを近くして、「同じもの」にするのだろうか?
それからもう、15年が経とうとしている。グラウンドゼロにはメモリアルが建った。
牧歌的な時代はとっくに過ぎ去り、人は同じなのか、違うのかという問いは、人を同じとみなすのか、違うとみなすのかという、より技巧的な問いに形を変えて世界を直撃している。いよいよ時代の転換期を迎えるアメリカの、ど真ん中を直撃している。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/47895
トランプ氏、「オバマ大統領は米国生まれ。以上」−初めて公に認める
Jennifer Jacobs
2016年9月17日 04:08 JST
謝罪はせず、疑惑を始めたのはクリントン氏だと対立候補を批判
オバマ氏の出生地問題はトランプ氏の支持集め策の一つだった
米大統領選挙の共和党候補、ドナルド・トランプ氏は16日、オバマ大統領が米国市民であることを初めて公に認めた。トランプ氏は数年前から、オバマ氏の出生地を問題視することを支持集めの一つとしてきた。
トランプ氏はワシントンにオープンしたトランプ・インターナショナル・ホテルで記者団に対し、「オバマ大統領はアメリカ合衆国で生まれた。以上」と発言。オバマ大統領の出生地をめぐる疑惑をそもそも騒ぎ始めたのはヒラリー・クリントン氏だとして、対立候補を批判。「ヒラリー・クリントンとその陣営が2008年にこの疑惑を掘り起こした。その決着を私が付けた」とトランプ氏。「これでわれわれは皆、アメリカを偉大な国に戻す仕事に戻れる」と述べた。
原題:Trump Acknowledges Obama’s U.S. Birth After Years Stoking Doubt(抜粋)
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2016-09-16/ODM1HGSYF01U01
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