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ドイツ、フランスとともにEUの中心にいた英国はなぜ離脱を決めたのか?(※イメージ写真)
英国EU離脱でどうなる? ドミノ離脱にEU消滅の可能性〈dot.〉
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160715-00000113-sasahi-eurp
dot. 7月16日(土)7時0分配信
欧州が揺れている――。
6月24日、世界中に衝撃を与えた、英国の国民投票によるEU(欧州連合)離脱。その後、残留を求める機運が高まったものの、辞任したデービッド・キャメロン首相の後任となったテリーザ・メイ氏は「EU離脱を成功させる」と決意表明した。
メルケル独首相は「英国とEUの交渉の道は険しい」と発言。英国とEUの溝は当面の間、埋められそうにない。
自由と平和の理念を掲げ、理想の国家共同体を目指したEU。ドイツ、フランスとともにその中心にいた英国はなぜ離脱を決めたのか。
しかし、ここで別の疑問も生じる。そもそも「欧州は統合せよ」と主張したのは当の英国元首相ウィンストン・チャーチルではなかったか?
チャーチル元首相は1946年に「ヨーロッパ合衆国創設」を提起した。これに続き、第2次世界大戦の反省を踏まえ、欧州に二度と戦火をおこさぬよう各国に呼びかけ、石炭と鉄鋼の産業地帯「アルザス・ロレーヌ地方」を共同管理下に置くことが定められ、1952年にECSC(欧州石炭鉄鋼共同体)が創設された。これが今のEUの原点である。
その後、ECSCは1973年にEC(欧州共同体)となる。しかし、英国がECに加盟するまで、多くの紆余(うよ)曲折があったと、経済学者の浜矩子氏は著書『EU消滅』(朝日新聞出版)で述べる。
「フランスの元大統領ド・ゴールは英国に激しい拒絶反応を示した。英国はもともと7つの海を渡り歩いて他国の富を奪った『海賊国』。フランス、ドイツ、イタリアなど宮廷文化が根底にある『陸欧州』とは全く異なると警戒心を抱いていた。さらに、ド・ゴールは、英米の密接な関係も気に食わなかった。英国はさしずめ『アメリカが送り込んだトロイの木馬』だ」
英国が結局EC加盟というゴールにたどりり着いたのは、ド・ゴールが死去した1970年から3年過ぎた1973年。しかし同書によると、英国はその念願のEC加盟でも他国と衝突している。
「ECが目指したのは『ヒト・モノ・カネの移動の自由化』。ドイツ、フランス、イタリアが『通貨統合先行』を重視したのに対し、英国は『市場統合先行』を主張した。ここでも政治と計画を優先する大陸欧州勢と、経済と成り行きを優先する英国が反目した。ド・ゴールの指摘通り、海賊国の『やってみなきゃわからない』『出たとこ勝負』という感性と正面からぶつかったのである」
その後ECは、1993年のマーストリヒト条約発効で、より政治色の強いEUとなった。だが、英国は統合通貨「ユーロ」の導入はしなかった。そこに経済的合理性を見いだせなかったのであろう。浜氏の指摘通り、実利を重んじる海洋性国家のメンタリティが表出したように思える。
英国EU離脱の真相は本当に移民に対する反発や右翼民族主義だけにあるのか。欧州統合の歴史を丹念にひもといていけば、多種多様な国家を統一することに無理があったことがわかる。EUは結局、英国という「海賊」を手なずけることはできなかったのだ。
さらに、浜氏は英国のEU離脱はスウェーデンやデンマークに波及するとも述べている。ロシアと国境を接するフィンランドにはEU残留のメリットはあるかもしれないが、北欧諸国はもともと海洋性国家であり、英国同様、「海賊国」的な歴史を持っている。ノルウェーに至っては、EUにもユーロにも加盟していない。
とくに政権が中道右派で、反移民機運が高く、王室を持つなど英国との共通点が多いデンマークのEU離脱(=DEXIT)の現実性は高いのではないだろうか。デンマークはマーストリヒト条約批准を「国民投票」で否決した歴史的事実もある。
迫り来る世界危機“欧州ショック”を乗り切るためにも、今回の出来事を冷静に分析し、新しい協調のあり方を探り、周辺国との恒久平和の実現に向けた方策を見いだすことが求められている。
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