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黒人プリマの活躍に透けるアメリカ社会の本音と建前
2016年07月02日(土)田村明子 (ジャーナリスト)
先日、ご近所に住むジェニファーに久しぶりに顔を合わせた。
おそらく70代半ばの彼女はこのところリューマチがひどく、歩行補助機が手放せなくなって外出もままならないのだろう。
開口一番に、私にこう聞いてきた。
「どう、最近? バレエ見てる?」
「いやあ、もう見たいダンサーがあまりいなくて。話題と言えばミスティだけど、踊りは相変わらずいただけない。でも彼女をけなしたら、racist(人種差別主義者)と言われるからねえ」
「あっはっは。内輪ではみんなけなしてるわよ」
体は弱っても、あっけらかんとした性格は変わっていない。ジェニファーは高らかな笑い声を残してゆっくり去っていった。
メトロポリタン歌劇場で上演された「白鳥の湖」(筆者撮影)
このジェニファーとは、実はかつてニューヨークタイムズ紙でダンス批評を書いていたジェニファー・ダニングである。
80年代から90年代にかけて、アナ・キセルゴフと並んでニューヨークのダンス評論家として名を這わせ、バレエ関係者なら知らないものはいなかった。
ダンサーを見守る目は優しく、あまり辛らつなことは書かなかったけれど、視点のはっきりした腕利きのライターだった。
初の黒人プリマ、ミスティ・コープランドのポスター(筆者撮影)
初の黒人プリマ登場
ニューヨークを基盤とするアメリカン・バレエ・シアター(ABT)は、今年も例年通りメトロポリタンオペラハウスで2カ月弱に渡る春のシーズンを終えた。
そして今話題のミスティとは、昨年の夏、鳴り物入りで女性プリンシパルダンサー(プリマ)に昇格された、ミスティ・コープランドのことだ。
ミスティの昇格が発表されたとき、コアなバレエファンの間では「なぜ彼女が」という疑問の囁きが多く聞かれた。
だがその声も遠慮がちだったのは、ミスティ・コープランドがABT始まって以来、初めての黒人女性プリンシパルだったからである。
シングルマザーに育てられ、恵まれない環境でバレエを続けながらついにダンサーとして北米最高の頂点に到達したというミスティ。その彼女を、テレビ、新聞など大手メディアは競うように取り上げて、アメリカ社会を象徴する美談として祭り上げてきた。
愛らしい顔立ちと、端正なプロポーションもあって、今や彼女の名前はバレエファンでなくても知っている。
“Play the race card”の意味は
多くの人で賑わうメトロポリタン歌劇場(筆者撮影)
だが純粋に1ダンサーとして、プリンシパルに相応しい実力かどうかというのは賛否両論。いや、はっきり言うと長年バレエを見てきた人々の間では、「彼女が白人だったなら、今でもコールド(群舞)の一員だっただろう」という意見が主流なのである。
私も20回以上彼女の踊りを見たが、クラシカルダンサーとしての技術に難があり、表現にも深みが感じられなかった。いくら何でもプリンシパルはないだろうと信じていただけに、昨年のアナウンスメントを聞いたときはちょっとショックだった。
She played the race card.
と、ある熟年のバレエファンの知人は口にした。
Play the race card.とは、主に黒人がマイノリティであることを利用して、有利な立場に自分をもっていくことを意味している。
でもそんなことは、とてもおおっぴらに口にできない。熊川哲也氏もどこかに書いていたが、もともとクラシックバレエ界とは白人至上主義の世界である。その中で、ようやく黒人プリマが誕生したのだ。
これまで黒人男性のプリンシパルはデズモンド・リチャードソン、カルロス・アコスタなど数名いたが、女性では初めての快挙とあって、とてもではないがいちゃもんなどつけられる空気ではないのだった。
人気低下に悩むバレエ団
メトロポリタン歌劇場のホール内(筆者撮影)
アメリカンバレエシアターは、北米でナンバーワンのクラシックバレエカンパニーとして知られてきた。
バレエに全く興味がない人でも、ミハエル・バリシニコフの名前は聞いたことがあるだろう。1974年にソビエト連邦(当時)から亡命したときに、彼を団員として迎えいれたのがこのABTだった。
バリシニコフが舞台に立つ日には、ABTの公演チケットは毎回完売で、当日限定販売の立見席を求めて、人々は前夜から列に並んだというから、バレエもロックコンサート並みの人気だったのだろう。
だがこのところ、会場では空席が目立つようになった。赤字続きで運営にも四苦八苦しているという噂である。
その理由の1つは、ダンサーの質の低下で集客がままならなくなったこと。
特に女性のプリマの衰退は著しく、芸術監督のケヴィン・マッケンジーは、英国ロイヤルバレエ、ボリショイやマリインスキーバレエなど、海外のスターダンサーたちを一本釣りしてゲストプリンシパルとして迎え、どうにか体裁を保ってきた。
だがその予算も尽きたのか、今シーズンはほとんど子飼いのダンサーだけで勝負をしている。ミスティ・コープランドのプリンシパル昇格も、そんな事情の中で行われたことだった。
ニューヨークの夜景(iStock)
ミスティ昇格にメディアが果たした役割
ミスティの昇格を後押ししてきたのは、メディアである。
特にジェニファーの古巣であるニューヨークタイムズ紙は、ミスティ・コープランドが群舞として入団した当初から、初の黒人女性プリンシパルダンサーになるか、と何かにつけて彼女を取り上げてきた。
そんな彼女はドキュメンタリー映画には取り上げられる、先日急死したプリンスのミュージックビデオに出演するなど、話題性が確実に実力を凌駕していったのである。
ここまで世論が盛り上がってきては、芸術監督のケヴィン・マッケンジーも、彼女をプリンシパルにさせる以外、選択の余地はなかっただろう。昨年の夏、ついにミスティのプリンシパル昇格が発表された。
今シーズン、ミスティ主演の日だけはチケットが完売になったようである。何度もマスコミに登場している話題の彼女を一目見ようと、バレエファン以外の人々も劇場にやってきたのだろう。その意味では、ABTの経営陣のもくろみは成功した。
バレエダンサーの私生活は意外と地味なものだが、ミスティだけはブロードウェイのゲスト出演、自伝の出版、コマーシャル出演と景気の良い話題ばかり。ついには彼女とオバマ大統領との会談も実現したようである。
タイムズスクエアを行き交う人々(iStock)
アメリカ社会の本音と建前
アメリカ社会には、現在でも人種差別が歴然と存在する。その一方、マイノリティの成功者を必要以上に持ち上げることで「だから自分たちはフェアなのだ」と主張してバランスを取ろうとする一面もある。
アメリカ社会の本音と建前といったところだろう。ミスティ・ブームは、こうしたアメリカ人の罪悪感とうまくマッチしたのではないだろうか。
ちょっと飛躍するけれど、ドナルド・トランプのような極端な思想の人間が大統領候補に挙げられた背景には、Politically Correct(直訳は政治的に正しい、だが倫理的に正しいというニュアンス)でいることを強いられ、納得のいかないままに沈黙してきた白人社会の欲求不満も、存在しているのに違いないと思う。
ミスティブームはABTの経営不振を救えるか
好意的に考えると、ミスティの存在は、子供たちにとっては良いお手本になるだろう。次の世代の黒人の子供たちに、夢と勇気を与えてくれることは疑いもない。またこれまでアメリカ社会が黒人にしてきた仕打ちを考えると、黒人プリマが少しぐらい贔屓されてもまあ良いのではないか、という気にもなる。
だが純粋にバレエファンとしての感想を聞かれたら、他にもっと昇格に相応しいダンサーがいたのに、と思うのが正直なところだ。
ABT初の日本人ソリストだった鍛冶谷百合子さんが、昨シーズンを最後にパートナーと共にヒューストンバレエに移ってしまったのも、今のABTの経営陣の方向性に見切りをつけてのことに違いない。
ミスティ人気は、いつまで続くのか。彼女がABTの経営難を救うことができるのだろうか、長期的に見守っていきたいと思っている。
http://wedge.ismedia.jp/articles/print/7154
自分の望む自分になる―ハンディを武器に変えたプリマ、ミスティ・コープランドを世界が絶賛
たとえ体型に恵まれなくても、肌の色が違っても、私は自分の望む自分になる―2015年6月30日、ミスティ・コープランドは自分の夢を叶えました。アフリカ系女性として初めて、アメリカン・バレエ・シアターのプリンシパルに選ばれたのです。大きな壁を乗り越えた彼女に世界中の感動が感動と称賛の声を寄せています。
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唯一無二のバレリーナ ミスティ・コープランド
出典: https://www.facebook.com
ミスティ・コープランド(1982年9月10日生まれ、ミスーリ州カンザスシティ出身)。名門アメリカン・バレエ・シアター(以下ABT)のソリスト。貧困家庭に育ち、アメリカ各地を転々とする幼少期を過ごしました。13歳からバレエを始め、アフリカにルーツを持つバレリーナとしてはABT初のプリンシパル(主役を踊る首席バレリーナ)昇格が予定されています。
そんなミスティの生き方には、私たちの人生に役立つヒントがたくさん。今回はそんな彼女のストーリーを紹介します。
母子家庭で貧困に喘ぐー厳しい幼少期
出典: http://www.gettyimages.co.jp
ミスティは貧しい母子家庭で五人兄弟の一人として育ちました。衣装代レッスン代コンクールの受験料…バレエを習うのはお金がかかります。ミスティはプロのバレエ・ダンサーに必要な早期教育を、貧しさゆえに受けることが出来ませんでした。それどころか時々で替わる母親のボーイフレンドの家を転々とするような幼少期だったといいます。
13歳、天賦の才能を見出される
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彼女の運命が変わるのは13歳の時。バスケットコートで遊んでいる際、地元のバレエ教師シンシアに偶然見出され、バレエを始めます。容姿、柔軟性、何より一流のバレリーナになるには欠かせない「目標のために努力は惜しまない気質」を備えていたのです。
3か月でトゥ・シューズを履く、過酷なレッスン
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プロになるには遅すぎるスタートでしたが、そこからの努力が桁外れ。一日3クラスのレッスンを受け、最低4年はかかると言われるトゥ・シューズを3か月で履き、たった8か月で「くるみ割り人形」の主役クララを演じました。彼女がいかに才能に恵まれているかが分かるスピードです。
母と別れ、16歳でバレエの道を選択
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そんな努力が実り、15歳の時には最初の奨学金を受けます。そんなミスティを、シンシアは自宅に引き取り、支援しました。しかしお金になると知った母親が、彼女を取り戻そうとしたのです。最終的に裁判となりましたが、彼女自身の判断で親権をシンシアに移しました。彼女がまだ16歳の時でした。
違いを魅力にーありのままの自分を受け入れる
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18歳でミスティは世界最高峰のバレエ団の一つABTに入団します。しかし、念願のプロになった後も、苦労の連続でした。
まずは体型の問題。入団当初の彼女は、バレリーナにしてはグラマラスな体型だったのです。そこで1年をかけて体重を落としアスリートのような筋肉質の身体になりました。しかしバレリーナに求められるのは華奢な首筋、白鳥のような腕。彼女の身体はクラシック向きではないと言われました。しかし、素晴らしいダンスで批判をはねのけ、今では彼女の個性として広く認められています。
肌の色が違っても、バレエは踊れる―開拓者としての戦い
出典: https://www.facebook.com
またクラシック・バレエはヨーロッパのダンス・カルチャー。登場人物はヨーロッパ的な人物=白人が多いのです。近年は様々な人種のバレエ・ダンサーが活躍していますが、圧倒的に白人のバレエ・ダンサーが多い現実を否定できません。ミスティ自身も「肌の色のせいで役を逃した」と思うこともあったようです。しかし、彼女は腐ることなく努力を続け、2007年ABTにとって三人目のアフリカ系女性ソリストとなりました。
2週間で550万回再生されたアンダーアーマーのCM
出典 YouTube
スターとなったミスティは2014年7月30日に公開されたスポーツブランド・アンダーアーマーのCMに出演します。このCMは読み上げられるナレーションは、彼女が13歳でバレエを始めた時に実際に届いた、バレエアカデミーから不合格通知。
志願者様へ。当バレエアカデミーへのご応募ありがとうございます。選考の結果、残念ながら不合格となりました。理由は身長・アキレス腱の太さ・脚線・座高・胸の大きさです。貴女の身体はバレエを踊るのに向いていません。13歳という年齢も、バレエを始めるのには遅すぎます。(注:動画中のナレーションを筆者が適せん翻訳・意訳しています)
出典 https://www.youtube.com
しかし、そんな「不適切」とされた身体で、ミスティは素晴らしいダンスを披露します。鞭のようにしなやかなターン、力強い跳躍、そして完璧なバランスのポーズ。常識を乗り越え、自分自身さえ乗り越えて、彼女は自分が望む自分を手に入れました。その姿に世界は拍手喝采し、CMは大ヒットとなります。
アフリカ系として初めてアメリカバレエ界の頂点に
出典: https://www.facebook.com
動画の発表の後、ミスティは「白鳥の湖」で見事なオディット・オディールを踊ります。「伝統的な芸術形式に近代的な運動能力をもたらす」と評価され、良くも悪くも従来のクラシック・バレエと一線を画する彼女のバレエ・スタイルが認められたのです。
そして2015年6月30日、ABTは8月1日付で彼女をプリンシパルに昇格させると発表しました。約75年の歴史のABTの歴史の中で初めて、アフリカにルーツを持つダンサーとしてプリンシパルに選ばれたのです。
快挙を伝えるハフィントン・ポストの取材に、彼女は以下のように答えました。
私のようなバレリーナを、見たことはありませんでした。そして私は、前を歩んできた、すべての“褐色の”バレリーナたちを受け入れる存在として、ここにいるのです。
出典 http://www.huffingtonpost.jp
遅すぎるスタート、人種差別―そのすべてを乗り越えて
出典: https://www.facebook.com
すべての困難を自力で克服し、ハンディを受け入れ、それを自らの魅力に変えて頂点に立ったミスティ・コープランド。その姿は、肌の色に関係なく世界中のすべての女性を励ましてくれます。32歳という遅いプリンシパル昇進も、彼女なら力に変えてくれることでしょう。
仕事で孤立無援になった時、新しいことを始める時、不安になるのは誰しも同じこと。その不安に負けていては現実を変えることはできません。心が折れそうになった時、彼女の唯一無二のダンスに力を分けてもらいませんか?きっと、明日への活力を分けてくれるはず。
Misty Copeland
https://www.facebook.com
ミスティ・コープランドのFacebook公式アカウント。
American Ballet Theatre
http://www.abt.org
アメリカン・バレエ・シアター公式ウェブサイト。
CURATOR
http://by-s.me/article/166848097278699202
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