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アルジェリアのモスク。アルジェリアは1830年にフランスに征服され1962年まで植民地だった(資料写真)
過去の植民地支配を決して謝罪しないフランス オバマ広島訪問をフランスはどう見たか
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/47061
2016.6.13 山口 昌子 JBpress
フランスは第2次世界大戦では連合国側であり日本の“敵国”だった。そして現在、核を保有する国である。
そのフランスが、今回のオバマ米大統領の広島訪問に強い関心を示した。「戦死者への敬意、謝罪はせず」(左派系の「リベラシオン」)、「ヒロシマ、オバマ謝罪せず」(保守系の「フィガロ」)というように左右を問わず新聞の見出しには一様に「謝罪」という言葉が並んだ。
「リベラシオン」は、安倍首相とオバマ大統領が原爆ドームを背景に手を取り合っている写真を掲載した。記事では「71年前、雲ひとつない快晴のある朝、死が空から降り、世界が一変した」という言葉をはじめ、大統領の演説を丁寧に紹介。演説に先立ち、広島平和記念資料館を訪問して自ら折った折り鶴を資料館と子供たちに渡したり芳名帳に署名したこと、原爆死没者慰霊碑で花輪を献花して黙祷したことなどを長文の記事で伝えた。2人の生存者、坪井直さんと森重昭さんと言葉を交わし、元教員の坪井さんの言葉に長い間、耳を傾けたことも丁寧に伝えていた。
「フィガロ」はオバマ訪問に先立ち、フリー記者のピエール・ジョヴァによる長文の記事を電子版で流した。ジョヴァ記者は、ホワイトハウスのコミュニケーション担当の補佐官でオバマのスピーチライターでもあるベン・ローズが報道陣に配布した文書を紹介した。
記事では、補佐官が「米国は、我々の指導者と第2次世界大戦に従軍した男女を永遠に誇らしく思う」と述べたことが強調されていた。また、「彼らの大義は正当であり、我々は彼らに非常に感謝している」「今回の大統領の訪問は、戦時中に命を落としたあらゆる無垢の人々の記憶に敬意を表するためである」という補佐官の言葉を取り上げ、広島訪問の目的が原爆の犠牲者への「謝罪」ではないと強調していたことも報じていた。
ちなみに「ルモンド」は、1面トップで被爆者の森重昭さんと大統領が抱擁している写真とともにオバマ広島訪問を報じた。大統領が2009年にプラハで演説し「核廃絶」を唱えたが、米国の国内世論に屈して実施できない事情など、「反核が妨げられている」状況に主眼を置いた報道だった。
■ベトナムに謝罪しなかったミッテラン
それにしても、なぜフランスのメディアは原爆投下への「謝罪」の有無にこだわったのか。
それは、フランスの「謝罪しない論理」が背景にあるからだ。
ベルリンの壁崩壊後の1993年、ミッテラン大統領(当時)はフランスの国家元首として初めて共産主義国家ベトナムを訪問した。
ベトナムは1887年から、第2次世界大戦中の1945年に日本軍によってフランスから解放されるまで、フランスの旧植民地だった。その後、1954年のディエンビエンフーの戦いでフランスが敗北し、同年7月のジュネーブ協定で独立戦争が終結したことでフランスは完全にインドシナ半島から撤退した。
フランスの一部メディアは、社会党出身のミッテランがベトナムの植民地化を公式に「謝罪」するのではないかと推測した。だが、ミッテランは「謝罪」しなかった。
一方で、ミッテランはディエンビエンフーの戦いの地を視察し、フランス軍が取った作戦は「エラーだった」と指摘したことがニュースになった。
■「植民地制度は不正だ」と言いながら・・・
フランスは、北アフリカのアルジェリアも130年以上(1830〜1962年)にわたって植民地にしていた。
アルジェリアの独立は「血で血を洗う」と言われた内線戦争(アルジェリア戦争、1954〜62年)の末に果たされた。現大統領のブーテフリカは、当時、アルジェリア民族解放戦線の一員としてフランス軍相手にゲリラ戦を展開した人物である。
アルジェリア独立後のフランスへの帰還者は約100万人に達した。今もフランス人の10人に6人はアルジェリアと関係があると言われる。
ブーテフリカ大統領は2000年にフランスを公式訪問し、議会での演説で、「過去に犯した誤りや、時には不当な犯罪を懺悔することに躊躇しない国がある」と述べ、植民地時代と過去の戦争についてフランスに「謝罪」することを求めた。以来、アルジェリアは「謝罪」を要求しつづけているが、フランスはこの要求に応じていない。
シラク元大統領が2003年にアルジェリアを訪問した時は、フランスが「イラク戦争反対」だったこともあり大歓迎されたが、やはり「謝罪」はしていない。
2005年には、フランスの「旧植民地からの帰還者支援法」の中で「植民地化の肯定的役割」という表現が植民地化を正当化しているとして両国の関係が悪化。シラク政権は結局この表現を削除した。
2007年にサルコジ前大統領が公式訪問した時には、首都アルジェとコンスタンティーヌとで2度演説したが、このときも「謝罪」はしなかった。
サルコジは、「植民地制度は不正だ」「アルジェリア人の魂が切り刻まれた」としながらも、「未来はより重要だ」と強調。宿敵だったフランスとドイツが第2次世界大戦後に仏独友好条約(62年)を結び欧州連合(EU)へと発展したように、フランスとアルジェリアが核となって「地中海連合(UPM)」という「賭け」に出ようと訴えた。
サルコジに同行したクシュネル外相(当時)は「言葉で謝罪することに何の意味があるのか。行動こそ大事だ」と語り、フランスがアルジェリアとの間で総額約50億ユーロ(当時の換算で約8250億円)の取り決めに調印したことを強調した。アルジェリアの地元メディアは、「植民地制度糾弾は良い方向」だが、謝罪しなかったので「不十分」だと批判した。
オバマ大統領が広島への原爆投下を「謝罪」するか否かは、フランスにとっても歴史認識にかかわる重大事だった。しかし、フランスがアルジェリアの求めに応じて「謝罪」することはないだろう。
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