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特別リポート:10代の過激化、なぜ米国は止められなかったか
6月6日、17歳の米高校生がビットコインを使って過激派組織「イスラム国」(IS)に献金する手順をツイートし、IS参加目的の友人のシリア渡航を支援。過激派のエスカレートの結果、自身も逮捕されるに至った。なぜ米国は若者の過激化を止めることができなかったのか。写真は昨年懲役11年が宣告された少年のツイッターでのメッセージを示す元タリバンの徴募担当者で、過激化対策めぐるムスリムの取り組みを研究するムビン・シャイク氏。同氏のトロントの自宅で5月撮影(2016年 ロイター/Chris Helgren)
[マナッサス(バージニア州 6日 ロイター] - 実生活では17歳、年齢のわりに小柄で、障害のある手をポケットに隠していることが多かった。オンラインでは、「@AmreekiWitness」を名乗る。ツイッター上で最も活発な過激派組織「イスラム国」(IS)支持アカウントの1つだった。
アリ・シュクリ・アミンは、何カ月もかけて、危ない一線にどんどん近づいていった。
2014年、郊外に住む高校生だったアミンは、ビットコインを使ってイスラム国に献金する手順をツイートしはじめた。2015年初めには、同じ学校に通うレザ・ニクネジャドのシリア渡航を支援する。目的はIS参加だった。こうしてエスカレートした結果、同年2月には彼自身が逮捕されるに至る。
同年6月11日、かつては優等生だったアミンは、外国のテロ組織に対する重要な支援について共謀していたことを認めた。米政府のもとには、彼の友人だった18歳のニクネジャドが海外で死亡したとの未確認情報が入っている。
アミンが法廷で有罪を認めるまでの2年間、過激さを増す彼の考え方を和らげようと多くの人が努力してきた。彼の友人や家族、宗教指導者、そして元タリバンの徴募担当者といった人々だ。現在では中断されているが、米国務省がツイッター上で行った「Think Again Turn Away(考え直して、向きを変えよう)」というキャンペーンも、アミンの計画を思いとどまらせようとした。
だが、こうした取り組みはいずれも散発的だった。アミンが過激主義へと走る道を止められなかったことに象徴されるように、イスラム武装勢力への米若者の参加を思いとどまらせるための政府の取り組みはバラバラだ。犯罪組織に魅せられる若者に対しては大規模な研究機関や対策プログラムがあるが、過激派のイデオロギーに魅了される若者については、そうしたシステムが存在しない。
「9.11」米同時多発攻撃から15年近くが経つが、アミンの事件が示しているように、米国には、自国の若者を過激主義から遠ざけるための、あるいは収監された若者に過激主義を捨てさせるための明確な戦略や十分なリソースが欠けている。
混乱する取り組みの一方で、米国内でのテロ関連の逮捕件数は増加している。2015年には少なくとも71人が「ジハード(聖戦)」関連の事件で起訴されており、「9.11」以来最多となった。イラク及びシリアの過激派グループに参加、又は参加を試みた米国人は250人以上に達する、と下院国土安全保障委員会は9月に推定している。
昨年、同委員会スタッフらは、過激主義対策における「コミュニティへの権限委譲」という2011年の戦略には、明確なリーダーシップもしっかりした予算措置もなく、進捗を評価することが困難であるという結論をまとめた。
委員会スタッフが検証した4つの連邦機関を合わせても過激主義対策の年間予算は約1500万ドル(約16億円)であり、従来のテロ対策措置に数十億ドルが使われているのに比べるとごくわずかだった。
国土安全保障省では、近日中に、宗教指導者から精神医療カウンセラー、地方自治体、法執行機関などの地方グループに対し、1000万ドルの補助金を提供する予定である。
<場当たり的対策>
だが、コミュニティレベルのグループは限られた財源のもとで運営されている。イスラム過激主義に対する防壁として有力な候補の一つがモスクだが、ケンタッキー大学のイーサン・バグビーによる2011年の調査によれば、その平均収入は7万ドルで、他の宗教組織の15万ドルに比べて半分以下である。
元タリバンの徴募担当者で、過激化対策へのムスリムの取り組みを研究するムビン・シャイク氏によれば、「たいていの人は、場当たり的に(過激化対策を)やっている」と話す。シャイク氏は2014年にソーシャルメディア上でアミンとも言葉を交わしている。「必ず成功すると言えるような対策はない」と彼は言う。
アミンとその母であるアマニ・イブラヒムは1999年にスーダンから米国に移住してきた。アミンはまだ2歳そこそこである。彼らは数年にわたって親戚と共にバージニア州の狭小な部屋に住み、母親が2011年に再婚するまで、1つのベッドに寝ていたという。アミンが14歳の頃である。
イブラヒムは息子に対して過保護な母親であり、供述書では、息子が慢性的な健康問題を抱えており、自分も恐怖感と「何か悪いことが息子のみに起きるのではないかという予感」を抱いていると述べている。
アミンが10歳のときにクローン病(炎症性腸疾患で、激しい腹痛と下痢を引き起こすことがある)との診断を受けた直後から、イブラヒムは息子をスポーツ活動に参加させず、友達の家に泊まることも禁じた。アミンは1人で過ごすようになった。
アミンもその母親も、ロイターからのインタビューの要請に応じていない。彼らの見解は、連邦検事に提出された供述書に詳細に記されている。
<目に見える過激化>
10代になったアミンは、家族とは別にイスラム教を学び始めた。アミンは司法心理学者に対し、両親が実戦しているような「儀礼的な」ものとは違って、イスラム教の知的な側面に惹かれるようになったと話している。ネット上で調べているうちに、彼はIS支持者のもとにたどり着き、彼らと交流するようになった。10代の若者は突然自分が知的で価値のある人間だと感じるようになったと、逮捕後、供述書の一部として提出された司法心理学者の報告書に書かれている。
彼は「ジハードの理想主義的なイメージ」や、イスラム政府は西側諸国の政府より優れている、無人機による攻撃は邪悪である、ムスリムは虐げられているといったイスラム国の主張に惹かれていった、と司法心理学者に語っている。
アミンが何時間もネット上で接触したIS支持者の1人が、アブドラと名乗るフィンランドのティーンエイジャーである。彼は、時間が経つにつれて彼らの思想は強固になっていったと話している。アブドラは起訴されていない。
「最初は、あるグループを支持する、ジハード主義者を支持するという程度だった。本格的なIS支持者になったのは、基本的にはシリア内戦が始まった頃だ」と現在21歳のアブドゥラはあるインタビューで語っている。「軍に対する自爆攻撃は許されると言い始めた」
バージニア州マナッサスのオズボーンパーク高校に通うアミンの振る舞いは目に見えて変化していった。2013年、高校2年になる頃には、彼はますます過激になっており、ムスリムの同級生が1日5回の礼拝をサボっていると厳しく非難し、中東での混乱についての議論に誘い込もうとしていた。
この頃、ISはシリア政府、シリア反体制派双方と衝突し、主要都市や敵の検問所を支配下に収めるようになっていた。ISは批判者や対立グループを誘拐・殺害することで知られているが、ソーシャルメディアを利用して主張を広めることにも長けていた。ISはツイッターその他のソーシャルメディアを介してムスリムの若者にアピールし、西側諸国の出身者も含め、若い外国人戦闘員の参加を促した。
2013年秋に行われたグループチャットで、アミンのクラスメート3人は彼の過激な意見を和らげようと試みた。「彼が何を言っても茶化そうとした」とクラスメートの1人はあるインタビューで語っている。彼はアミンの意見を本気に受け止めたことなどなかったという。
シンクタンクのブルッキングス研究所が行った調査によれば、アミンが過激思想にのめり込んでいった2013年に、ISを支持するツイッターアカウントの数は2倍近くに増えたという。
2013年末、アミンはクローン病の症状の再発により入院し、数週間学校を欠席することになった。この年8月にアミンは、高校に在学したままでジョージメイソン大学が提供する大学レベルの講義を受けられる名誉あるプログラムに参加し始めたが、これも辞めなければならなかった。
プログラムを辞めてまもなく、両親はアミンが以前よりも室内で長時間過ごすようになっていることに気づいた。両親はアミンの携帯電話やパソコンを覗いて、ジハードやISに関するメッセージを見つけた。
「息子がインターネットにアクセスすることを許したことで、イスラムに関する誤った情報に接したり、良くない人たちに出会ったりするリスクに晒してしまうとは考えてもみなかった」と母親のイブラヒムは書いている。「自分が単に世間知らずだっただけでなく、大切な責任を放棄してしまったと思っている」
息子のネット上での活動に気づいた後、イブラヒムとアミンの継父ヤシル・ラストムは、バージニア州のイスラム教指導者であるモハメド・マジッド氏と面会した。この地域において、過激主義グループに惹かれた若者に対するカウンセリングで有名な人物である。彼はアミンを自分に会わせるようアドバイスした。
<散漫な試み>
マジッド氏とアミンはスカイプ経由で面会し、話し合った。マジッド氏はアミンに「アル・アクダリ」と呼ばれるイスラム教の文献に基づく講義を行おうとしていた。だが最初の面会の後、両親がアミンから携帯電話とパソコンを取り上げてしまい、アミンは叔父のもとに移ったため、2回目の面会は実現しなかった。
マジッド氏は、アミンのような若者のカウンセリングは何度かやったことがあると話している。彼らは孤独で傷つきやすく、目的意識を求めている。過激主義グループの徴募担当者は、こうした若者に「君たちは英雄で、偉大な目的に貢献できる」と語りかける。マジッド氏によれば、アミンは現実世界では決して感じたことのない万能感をネット上で味わっていた。「人生の節目を迎えて非常に傷つきやすくなる若者に見られる、典型的なパターンだ」と同氏は言う。
最初の面会の後、マジッド氏は叔父の家にいるアミンに連絡し、モスクが主催する1週間のキャンプに参加しないかと誘った。スポーツやハイキング、カヌー漕ぎ、さらにはイスラムに関する講義を含む、ティーンエイジャーを対象とした春の恒例行事である。キャンプの後、アミンは両親のもとに戻った。
マジッド氏は、アミンのようなティーンエイジャーに対するカウンセリングの訓練を受けた、米国内でも数少ない人材の1人である。「アリとの時間が十分だったかは分からない」とマジッド氏は言う。面会は1回、電話で言葉を交わし、キャンプでの交流があったきりだ。「たぶん、彼を変えることもできたとは思う」
<ISへの傾倒>
元タリバンの徴募担当者で、現在は大学の博士課程で過激主義へのムスリムの介入を研究するムビン・シャイク氏は、2014年にアミンとネット上で言葉を交わしている。シャイク氏は2010年以来、オンラインで過激主義者との交流を続け、彼らの意見を変えようと努力している。
裁判所の記録によれば、アミンのツイッターのタイムラインには、ビットコインを利用してISに献金する方法がつぶやかれていた。オンラインでのセキュリティ確保や暗号化についてのアドバイスも提供していたという。
アミンは2015年、裁判官への供述書のなかで、「これまでの人生で出会った大人たちは、適切な答えを与えてくれなかった」と書いている。「非常に大切で重いテーマに関して、初めてまともに相手にしてもらえるだけでなく、実際にアドバイスを求められているのだと感じた」
シャイク氏はアミンの様子を知ろうとして、2014年4月にメッセージを送っている。この時点でアミンはすでに2カ月にわたってFBIの監視対象となっていた。アミンは、自分と話をすることについて政府機関がマジッド氏と「対立」していたことを知っていると話していた。「自分は何か疑わしいことを企んでいたわけではない。今のところ、よい人間になり、法律上の問題は避けようとしているだけだ」と書いていた。
その夏、ISは2人のジャーナリストの斬首刑を行い、米国はイラクとシリアで空爆を実施した。
米国では、セントルイス郊外のファーガソンで非武装の黒人ティーンエイジャーが白人警官に射殺された事件をめぐる、抗議行動や暴動の発生が報道の中心だった。アミンはこうつぶやいている。「アラーがファーガソンで正しいジハードを呼び掛け、人々をイスラムに導きますように」
アミンは2014年、「欧米諸国で育ち、人々の心情を理解し、雄弁ではあるがイスラム的な意味で知識の豊かな代弁者をイスラム国は必要としている」と書いている。彼のアカウントは現在停止されている。ロイターは、SITEインテリジェンスグループから彼のツイートのスクリーンショットの提供を受けた。
同年8月、アミンは次のようにツイートしている。「ISには欠点もある。しかしISが目に入った非ムスリム全員の首を斬っているなどと主張するなら、そこで議論は終わってしまう」
<プログラムの欠如>
同年の秋、アミンの両親は再び息子がネット上で困った活動を行っていることに気づいた。マジッド氏のアドバイスに従い、彼らはアミンのことをFBIに通報した。母親は裁判官に対し、FBIが息子をISから守ってくれることを期待した、と書いている。
「私たちはこのアドバイスに従った。この判断が、息子に対する捜査や起訴へとつながった」と母親は書いている。「息子が海外に行かなかったことを嬉しく思う反面、逮捕されることに一役買ってしまったことで、非常に混乱し、悩んでいる」
アミンは最初に捜査官の取り調べを受けたときに、罪状を告白している。アミンとその両親は、その後約4回にわたってFBIの捜査官と会っている。弁護士が裁判所に提出した書類によれば、逮捕後も、アミンは他のIS支持者に対する捜査に協力的であるという。
6月の罪状認否の際に、アミンは学校の友人であったニクネジャドを過激主義に誘ったこと、彼とISの連絡員を引き合わせ、シリアに渡航できるように空港まで付き添ったことを認めている。裁判所の記録によれば、ニクネジャドはシリアでISの戦闘員になったという。
米国の法執行機関当局者は、未確認の情報としながらも、ニクネジャドがイラクかシリアで死亡した可能性があると述べている。彼の母親は、家族が悲嘆に暮れていると書いている。「そして、レザ1人が過激化の犠牲者ではない」
アミンは懲役11年、その後も生涯にわたって監視下に置かれるという刑を宣告された。彼の弁護士ジョゼフ・フラッド氏によれば、2016年4月の時点では何の過激主義矯正プログラムも受けていないという。
「宗教教育、過激主義矯正プログラム、脱過激主義サービス、その他どんな介入プログラムにも接していない。もちろん、彼個人の状況に即した対応を受けてない」とフラッド氏は書いている。「連邦刑務局には、現状、そうしたプログラムが決定的に欠けている」
連邦刑務局では、テロ関連も含め、どの受刑者に対しても矯正プログラム、釈放準備に関して同一のアプローチを適用しているという。
現在18歳のアミンの釈放予定は2025年だ。
(Yasmeen Abutaleb記者、Kristina Cooke記者、翻訳:エァクレーレン)
http://jp.reuters.com/article/usa-extremists-teen-idJPKCN0YW0VJ
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