★阿修羅♪ > 国際14 > 218.html
 ★阿修羅♪  
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ
G7サミットに象徴される帝国主義時代と たいして変わっていない統治の仕組み [橘玲の世界投資見聞録]
http://www.asyura2.com/16/kokusai14/msg/218.html
投稿者 軽毛 日時 2016 年 6 月 10 日 15:29:49: pa/Xvdnb8K3Zc jHmW0Q
 

橘玲の世界投資見聞録
2016年6月9日 橘玲
G7サミットに象徴される帝国主義時代と
たいして変わっていない統治の仕組み

[橘玲の世界投資見聞録]
 伊勢志摩で行なわれたG7サミットで、安倍首相はアメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、イタリア、カナダの首脳、欧州理事会議長、欧州委員会委員長とともに記念写真に納まった。アメリカは初の黒人大統領となったオバマ氏、ドイツは女性のメルケル首相が参加したが、欧米諸国のなかに唯一、日本が加わるという構図は第二次世界大戦前と同じだ。世界は大きく変化したのに、統治の仕組みは帝国主義の時代とたいして変わっていないのではないか――そんなことを思ったのは、気鋭の国際政治学者、五十嵐元道氏の『支配する人道主義』(岩波書店)を読んだからだろう。

 帝国主義や植民地主義はすでに過去のものとされているが、五十嵐氏はここで、戦前から戦後へと国際社会をひとつのイデオロギーが通底しているとの論争的な主張をしている。そのイデオロギーとは「人道主義」だ。

帝国主義時代の「人道主義」とは?

 帝国主義や植民地主義の時代に「人道主義」は奇異に感じるかもしれないが、奴隷解放運動はキリスト教団体などの人道主義運動から始まり、18世紀末にはイギリスやフランスで奴隷制の廃止が大きな政治問題になっていた。これは「ひとは生まれながらにして平等」とするイエスの教えに奴隷制が反するからであり、奴隷の子孫であるカリブなどの黒人(あるいは白人との混血であるクレオール)のなかに、自由民となって奴隷制廃止の政治・言論活動を行なう者が現われたからでもあった。彼らは英語やフランス語を流暢に話し、高い教育を受け、ヨーロッパ人と同等かそれ以上の教養を持っていた。

 フランスがアフリカに目を向けるようになったのは、北米やインドでイギリスとの植民地争奪戦にことごとく破れたからだった。そのイギリスがアフリカや中近東の権益を強く意識するようになったのは、アメリカが独立してしまったからだ。こうして、それまで奴隷貿易の基地でしかなかったアフリカへの大規模な植民地化が始まることになる。このときのキーワードが「トラスティーシップ」(trusteeship)だと五十嵐氏はいう。

 トラスティーシップは信託における受託者のことであり、信託を受けた者の責任をいう(日本語では「信託統治」)。五十嵐氏はこの言葉を、「国際社会における介入、統治を「する側」と「される側」の非対称な関係、および介入・統治の場を指すもの」と定義する。国と国との関係が対等でなく、非対称であれば、そこにトラスティーシップが生まれるのだ。この定義により、帝国主義時代の宗主国/植民地はもちろん、第二次世界大戦後の開発援助国/被援助国、平和構築におけるPKO実施国/紛争(後)地域の関係を包括的にとらえることができる。

 トラスティーシップは受託国が相手側の主権を一定程度侵害するのだから、そこには道徳的な正当化が必要になる。それが「人間の痛み」(human suffering)で、貧困、飢餓、紛争、大量虐殺といった悲劇を防ぐには人道的介入が不可欠で、そこでは例外的に主権の侵害も許される、という論理になる。

 だが冷戦時代の歴史をすこしでも振り返れば、アメリカや旧ソ連が「人道」の名の下に他国への侵略や干渉を繰り返してきたことは明らかだ。ここで本来なら、「人道」は大きな矛盾に突き当たるはずだが、リベラルな国際政治学者たちはこの問題を意識的に避けてきたと五十嵐氏は指摘する。彼らは、「政治から切り離された人道主義」と「政治によって濫用された人道主義」の二分法を議論の前提にこっそり潜りこませるのだ。

 良心的な活動家にとって、「良い人道主義」は途上国のひとびとをいわれなき暴力から保護するための真心に基づく純粋なもので、政治の権力闘争から離れ、目的実現のためだけに政治を利用する。それに対して「悪い人道主義」は、醜悪な政治的動機を隠すための口先だけの方便にすぎない。

 これと同じ論理で、トラスティーシップも二分化される。植民地統治と冷戦後の平和構築活動は介入・統治「する側」と「される側」の非対称な関係である点では同じだが、リベラルな理論家は人道主義を基準に、自分たちの活動を植民地統治から峻別しようとする。植民地統治は統治者の自己利益の追求が目的であるから不正で、人道的介入は他者の痛みの軽減を目的とするから正義に適うのだ。

 だがいうまでもなく、これはご都合主義的な自己正当化にすぎない。

「トラスト」の最初は、イギリスのインド統治

 五十嵐氏はまず、人道主義の変遷を英領インドから始める。18世紀末にムガル帝国の権力が弱まり、インド全体の秩序が不安定化すると、この巨大な国をどのように統治すべきかがイギリスで大きな政治問題になる。このとき保守主義の思想家エドマンド・バークは、インドの統治権を腐敗した東インド会社からイギリス政府に移譲させ、政府は受託者としての責任(トラスティーシップ)を果たすべきだと論じた。これが、植民地統治に「トラスト(信託)」の論理が適用された最初だ。

 19世紀になると啓蒙主義・功利主義による植民地統治論が登場する。

 功利主義の祖ジェレミ・ベンサムの弟子であるジェイムズ・ミル(ジョン・スチュアート・ミルの父)はのちの植民地行政に大きな影響を与えた大著『英領インド史』(執筆は1806〜1817年)で、インド社会のさまざまな病理を分析した。ジェイムズ・ミルによれば、インドでは聖職者階級が行政権のみならず立法権、司法権まで掌握しており、「バラモンの手中では、王は彼らの道具にすぎない」。聖職者階級と政治権力の未分化は野蛮な社会の特徴で、インドの政治システムは「迷信」によって支配されているのだ(もっともミル自身はインドに行ったことがなく、インドの言語にも精通しておらず、イギリス国内で入手可能なさまざまな情報を総合してこの著作を完成させた)。

 次いで息子のJ.S.ミルが、病理を抱えたインド社会をどのように「治癒」すべきかの処方箋を示した。J.S.ミルは、黒人など有色人種が生来劣っていることはあり得ないとしたうえで、偶然的・環境的に優劣が決まることはあり、それは「教育」によって変えられるはずだと考えた。イギリスは文明的で、インドは野蛮であるのだから、両者の非対称な関係からトラスティーシップが生まれ、インドのひとびとを野蛮と独裁から解放することこそがイギリスの責務となるのだ。

 J.S.ミルは、日記に次のように書いている。

「ことによると、イギリス人は野蛮あるいは準野蛮な諸民族を統治するのに最も適した人々である」

 このようにして啓蒙主義者・功利主義者は、「文明国による“善意の独裁”が野蛮な社会を発展させるうえで最良の政治体制である」と論じるようになる。その手法は古典的なリベラリズムに基づいてインド社会を改良することで、インド総督ベンティンク卿は1829年、サティと呼ばれる夫を亡くした女性の自殺を違法とし、女児の殺害をはじめとするさまざまな悪習を廃止した。

 代表的な功利主義的植民地官僚であるT.B.マコーレーは英語を公用語とし、英語教育を普及させ、現地エリートをインド社会の大衆と帝国政府をつなぐ仲介者として育成することを目指した。マコーレーの政策の狙いは、「われわれ(イギリス人)と統治対象である何百万人もの人々の間の通訳者となるような、肌の色や血はインド人だが、趣味、意見、道徳、知識においてはイギリス人である」インドの中産階級を創出することだった。

 だがここで、人道主義的な植民地改革・社会改良を目指す功利主義的リベラルにとって思いもかけない事態が起こる。1857年から59年にかけてインド全土で、イギリスの植民地支配に抗議する大規模な反乱が起きたのだ(かつては「セポイの乱」と呼ばれたが、現在は「インド大反乱」の呼称が使われている。インドでは「第一次インド独立戦争」と呼ばれる)。

“善意の独裁”によってインドのひとびとを野蛮から解放しようと努力しているにもかかわらず、その統治を否定する反乱が起きたことは当時のイギリス帝国に大きな衝撃を与えた。こうして植民地に対する見方(まなざし)は大きく変更されることになる。かつてはインド社会は野蛮と独裁に苦しんでいるとされたが、それが「無秩序」という病理に変わったのだ。

 当時の啓蒙的なイギリス人にとって、自分たちの“善意”がインドのひとびとから拒絶されたという現実はとうてい受け入れることができなかった。そこで反乱の原因は、これまでの功利主義的な植民地政策が性急な西洋化をインド社会に強要したことあるとされた。それが「(反乱という)無秩序」を生んだのだから、独裁からの解放の前にまずインド社会を無秩序から保護しなければならない。こうして登場するのが「間接統治」(indirect rule)の概念だ。

 イギリスの植民地支配は「分割して統治せよ」といわれるが、間接統治では人種、部族、カーストなどそれまで曖昧だったインド社会のアイデンティティが強化され、さまざまな社会勢力が互いに対立するよう仕向けられた。それまでの啓蒙主義的な社会改良は後景に退き、インドを「遅れた社会」のまま固定化することが統治者であるイギリスにとっての国益となったのだ。

欧米諸国の「人道的な植民地管理」という発想

 イギリス帝国はインドを病理化したうえで、最初は功利主義的社会改良によって「治癒」しようとし、インド大反乱によって自分たちの“善意”が裏切られてからは、病理を「無秩序」に変えたうえで、性急な西洋化の強要はかえって逆効果だとして、間接統治の名のもとにインド社会を分裂させ「中世」に戻そうと試みた。こうした構図は、アフリカにおいても繰り返されることになる。

 1833年に奴隷制を廃止して以降、イギリス帝国のアフリカへの「人道的介入」は植民者やムスリムの奴隷商人などから原住民を「保護」することが目的とされた。これが、奴隷制廃絶を求めるイギリス帝国の「人権外交」だ。

 奴隷解放運動の歴史で画期となったのは、1900年代初頭に、ベルギー国王レオポルド2世の私領だったコンゴ自由国で虐待や強制労働が常態化していることがイギリス人ジャーナリストらによって暴かれたことだった。アフリカの残酷な実態を知ったヨーロッパの世論は沸騰し、「国際組織による人道的な植民地管理」という発想が生まれる。ヨーロッパ各国による独善的な植民地統治は最良の処方箋ではなく、「劣等人種を教育する義務を文明国に課す真の国際委員会」による管理を目指すべきだとの構想で、これが第一次世界大戦後、アメリカ大統領ウッドロー・ウィルソンの「民族自決」(実際には、「文明国」による慈善的な指導のもと漸進的過程を通じて自治を獲得すること)の原理(ウィルソン主義)につながっていく。

 より興味深いのは、コンゴ自由国事件のあとに、「アフリカはヨーロッパの脅威に直面しているのであり、アフリカ人がアフリカ独自の線に沿って発展しなければならない」というパターナリスティックな間接統治の主張が登場したことだ。

 この新しい考え方は、ブール人(オランダ系移民。ボーア人ともいう)の指揮官として南アフリカ戦争を戦ったのち、イギリス帝国との協調を選んで南アフリカ連邦の首相となったヤン・スマッツの次のような発言に顕著に現われている。

「イギリス帝国は、人々を共通の類型に押し込めることを支持しません。帝国の人民は、それぞれの道筋に沿って自由に発展すべきものであるという考え方を支持します。この原理は帝国のヨーロッパ人だけでなく、アジア人やアフリカ人にも適用されます」

 ここでスマッツがなにをいおうとしたのかは、次の発言によって明らかだ。

「白人の文明に適用すべき政治的理念は、ネイティブの統治には大抵適用すべきではないとわれわれは気が付きました。同じ制度を白人と黒人に等しく適用することは、最良の結果にはつながらないのです。南アフリカでは実践が進み、(黒人と白人を分離した)二重の制度がつくられました。そのなかで、ネイティブには、白人用の制度と並行する彼ら独自の別の諸制度を与えたのです」

 前回の記事で、マイノリティ共同体の文化・伝統や「差異の権利」に配慮する「新しい人種主義」の台頭について述べたが、実はそれは南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離政策)を正当化する論理としてすでに使われていた。そしてそれは、イギリスの植民地省が「間接統治」と呼んだ支配形式を理想的なかたちにしたものだった。

[参考記事]
●かくして「新しいリベラル」と「新右翼(新しい人種主義)」は同類となった

開発トラスティーシップは、19世紀の植民地統治への先祖がえり

 第二次世界大戦が終わると列強の植民地が次々と独立を果たし、帝国主義と植民地主義は過去の遺物として全否定されることになる。こうして新たに「開発トラスティーシップ」の概念が登場するのだが、そこで重要な役割を果たしたのが植民地における貧困の発見だった。

 間接統治は「植民地のひとびとは自足的伝統的共同体」で暮らしているとの幻想を本国に振りまき、「植民地ではわれわれ(西洋人)より自然で健康的な食べ物を摂取して生活している」のと虚構がつくられていった。だが戦後のさまざまな調査や報道が、アフリカをはじめとする旧植民地でひとびとが慢性的な栄養失調、不十分な教育や医療、不衛生など深刻な貧困に苦しんでいる実態を白日の下にさらした。

 貧困の発見によって、先進諸国(旧宗主国)が「歴史の負の遺産」である旧植民地に巨額の資本を注入し、技術や知識を利用した開発計画を策定・実施することの重要性が強調されるようになる。それによって農業、産業、教育、その他の社会サービスが提供され、経済も発展するとされたのだ。

 だが米ソの冷戦構造のもと、各国がこぞって旧植民地国に開発援助を行なったが目立った成果はあげられないばかりか、貧困はさらに深刻化していった。その理由として、開発援助の拡大が途上国の援助に対する依存度を高め、利権の争奪によって現地社会の制度が破壊されるなどさまざまな弊害が指摘されたものの、それだけではいくら援助しても経済発展できない理由を説明することができず、80年代になると、問題は開発援助を受ける側のガバナンス(統治)にあるとの主張がちからを増すようになる。

 従来の開発トラスティーシップは、植民地主義への反省から、被援助国の政治や制度への介入には消極的だった。だが「良き統治」という新たな処方箋により、援助と引き換えに民主化や多党制の選挙、説明責任、透明性、法の支配などが条件とされるようになっていく。これによって援助国(強者)と被援助国(弱者)の非対称な関係はより際立ち、パターナリスティックな「植民地トラスティーシップ」に近いものになったと石川氏は指摘する。

 先に述べたように、イギリス帝国による当初の植民地統治は、啓蒙主義(功利主義)的リベラリズムに立ち、西欧の諸制度を「野蛮」な植民地に移植することで原住民を「文明化」することだった。それが宗主国に対する反乱を招いたことで「間接統治」の理論が登場するのだが、近年の開発トラスティーシップにおける「良き統治」は欧米の民主的諸制度を途上国に導入することを求めるのだから、19世紀的な植民地統治(人道主義)への先祖がえりともいえる。

「良き統治(制度改革)」の開発トラスティーシップに加え、冷戦後の1990年代以降、カンボジア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、ルワンダなどの人道危機に対し、紛争が抑制なく勃発している破綻国家では、選挙支援などの統治改革では「人間の安全保障」が実現できないとして、国連やEUなどが平和構築の主体となるよう要求されるようになった。これが「平和構築トラスティーシップ」で、国家が自国民の生命維持の基準を守れないならば、「保護する責任」によって、国際社会による主権への介入が正当化されるのだ。

 目の前で罪なきひとびとが殺されていくとき、「主権」の壁の前で手をこまねいていていいのかとの批判にはじゅうぶんな根拠がある。だがここで登場する「保護する責任」が、植民地時代に唱えられた「白人の責務」や「文明国の義務」と瓜二つであることも否定できない。

 アジアの経済発展という大きな変化はあったものの、現代世界においても、欧米を中心とする先進諸国と、貧困と無秩序に苦しむアフリカや中東諸国の二極化の構図は変わらない。国際社会に顕著なヒエラルキーがあれば、そこからトラスティーシップが生まれ、人道主義が主権への介入を正当化する。18世紀から21世紀にかけて「トラスティーシップ」と「人道主義」の同じイデオロギーが通底しているのだから、G7サミットの記念写真が帝国主義・植民地主義の時代を髣髴とさせるのも偶然ではないのだろう。

 だがこれは、人道主義が欺瞞だとか、開発援助や平和維持活動が「新しい植民地主義」だということではない。

 人道主義は容易に独裁や抑圧の正当化につながり、トラスティーシップは介入される側の抑圧をともなう。「良い人道主義」と「悪い人道主義」の単純な二分法は抑圧される側の反発を招くだけだが、これらを全否定しても問題はなにひとつ解決しない。石川氏が示唆するように、わたしたちはこの「悪」を受け入れつつ、目の前の課題をひとつずつ解決していくことしかできないのだろう。

橘 玲(たちばな あきら)

作家。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ベストセラーに。著書に『日本の国家破産に備える資産防衛マニュアル』(ダイヤモンド社)など。中国人の考え方、反日、歴史問題、不動産バブルなど「中国という大問題」に切り込んだ『橘玲の中国私論』が絶賛発売中。最新刊『「リベラル」がうさんくさいのには理由がある』(集英社)が発売中。

●橘玲『世の中の仕組みと人生のデザイン』を毎週木曜日に配信中!(20日間無料体験中)
http://diamond.jp/articles/-/92775  

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
 
1. 2016年6月10日 20:21:41 : 2FbCg9vijk : ylRMDBXhDG8[59]
独裁を 正当化する 綺麗事

  拍手はせず、拍手一覧を見る

フォローアップ:


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法

▲上へ      ★阿修羅♪ > 国際14掲示板 次へ  前へ

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。
 
▲上へ       
★阿修羅♪  
国際14掲示板  
次へ