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「フィリピンのトランプ」はなぜ選ばれたのか
ニュースを斬る
アキノ路線の継承者を一本化できず
2016年5月11日(水)
白壁 達久
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最後の遊説に臨んだドゥテルテ氏(写真:AP/アフロ )
ベニグノ・アキノ大統領の任期満了に伴うフィリピンの大統領選挙は5月9日に投開票され、ロドリゴ・ドゥテルテ氏が当選を決めた。
71歳のドゥテルテ氏は、フィリピン南部ミンダナオ島にあるダバオ市で1988年に市長に就任。それ以来、現在まで市政のトップに君臨し続けてきた。
内外のメディアの多くは同氏を「フィリピンのトランプ氏」と呼ぶ。米大統領選挙において共和党候補への指名を事実上決めたドナルド・トランプ氏は、「メキシコとの国境に壁を作る」「イスラム教徒の入国を禁止する」など、過激な発言を繰り返して注目を集めている。ドゥテルテ氏が市政において示した姿勢が、こうしたトランプ氏の姿勢に重なって見える。
ドゥテルテ氏は長く首長を務めてきたものの国政の経験はない。ダバオ市は、150万人近い市民を抱える大都市の1つであるとはいえ、一地方都市にすぎない。それゆえ、その外交手腕は未知数だ。ほかの候補がいずれも国政経験を持つなかで、なぜフィリピンの民意はドゥテルテ氏を次期大統領に押し上げたのか。
強硬策で犯罪を駆逐
ドゥテルテ氏がダバオの市長に就任するまで、同市はフィリピンの中で最も治安が悪い地域として有名だった。同氏は市長就任に際して「ダバオを東南アジアで一番安全な街にする」と宣言。犯罪者を一掃すべく取り組んできた。その結果、確かにダバオ市を「フィリピンで最も安全な街」と言われるまでに変革した。これが同氏の大きな勝因となっている。
ただし、そのやり方に疑問を持つ人は少なくない。例えば、ドゥテルテ氏が組織したDDS(ダバオ・デス・スクワッド)と呼ばれる自警団が、麻薬密売人など凶悪な犯罪者を裁判することなく射殺しているとされる。真偽のほどは定かではないが、地元市民はそう信じているようだ。今回の大統領選挙の過程でも、同氏は「大統領になっても犯罪者は法の範囲内で殺害する」と公言している。
これまでのそうした言動を前に、「独裁者が殺し屋を雇って街を浄化した」と批判する声も聞かれる。
現職のアキノ大統領も汚職撲滅を掲げて一定の効果を上げてきたが、完全に撲滅できたわけではない。ドゥテルテ氏はこの点を指摘したうえで「汚職を半年で撲滅できなければ、大統領を辞する」と自信を示す。
観光客の口に火のついた煙草
彼の“実行力”を示す伝説はDDSに留まらない。
マニラ市内の銀行に勤めるドゥテルテ氏の支持者は得意げにこう話す。「ドゥテルテ氏は、定められた少数の喫煙所以外、市内の公共の場所を全面禁煙にしたんだ。ある時、観光客が規則に従わず、煙草を吸い始めた。近くに居合わせた市民が何度注意をしても聞かなかったため市に報告したところ、ドゥテルテ氏が自ら現場に駆け付けて喫煙者が吸う煙草を奪い取り、火のついた方をそいつの口に差したんだ」。
都市伝説のような話で、にわかには信じがたい。だが、この逸話はSNSなどでシェアされ、フィリピン全土に広がっている。こうした話が彼の支持者を増やすのに一役買っている。
一方、ダバオ市内を走るタクシー運転手はこう語る。「政治家や官僚は賄賂ばかり要求し、民間の事業を邪魔する存在でしかない。だがドゥテルテ氏は違う。やり方に異論はあるかもしれないが『正しいことをする人が報われる社会』を作ったのは確かだ」。
フィリピンにはぼったくりタクシーが数多く存在する。首都マニラの空港から市内へのタクシーに乗ろうとすると、正規料金の3倍以上をふっかけられることがざらにある。だが、ダバオではこうした行為はご法度とされており、安心してタクシーに乗れる。
銃社会のフィリピンでは銃を使った強盗や殺人など、凶悪な犯罪がまだ多く発生している。だが、ダバオは夜に女性が一人で歩いても平気な街を標榜しており、おかげで観光客が増えてタクシーの運転手も恩恵に預かっているという。
ドゥテルテ氏は、外資企業の誘致にも積極的に取り組んできた。海外企業がコールセンターなどを設置して、フィリピンにおけるBPO(ビジネス・プロセス・アウトソーシング)の拠点の1つとなっている。貧困問題は多くのフィリピン国民が問題視するテーマだ。一向に解決しない貧困問題への不満が、雇用機会の創出などで実績を上げたドゥテルテ氏の支持拡大につながったようだ。
ドゥテルテ氏の勝因は彼自身が上げた治安向上や雇用創出の成果だけによるものではない。アキノ大統領が、自らの後継者選びに失敗したことも理由の一つにある。
高い経済成長率を誇ったアキノ時代
アキノ政権は任期中、2011年を除いておよそ年6%の経済成長を維持。東南アジア諸国連合(ASEAN)諸国の中でも高い伸びを誇る。
フィリピンはかつて、外資系企業が進出をためらう国の1つであった。政権が変わるごとに政情が不安定になり、治安への不安も大きかったからだ。このためタイやインドネシア、マレーシアやベトナムなどASEANのほかの国に後れを取っていた。
だが、アキノ政権は犯罪の撲滅を進めてきた。近隣国の人件費が急騰するなかで、これを年率2〜3%程度に抑えたフィリピンは、外資企業が注目する存在になった。優遇税制を整備するなど、海外から直接投資を呼び込む経済政策を推進。失業率も低下する傾向にあった。
こうした実績により、アキノ大統領は内外から高く評価されている。だが、フィリピンの憲法は大統領任期を6年と定め、再選を禁じている。二度と「独裁者」を生まないためだ。マルコス元大統領の長期政権を終焉させた「人民革命」の後に制定された現行憲法は、たとえ評価が高い大統領であっても、6年後には必ず代わることを定めた。
アキノ後継を一本化できず
今回の選挙の争点の一つは、アキノ路線を継承するか否か。各候補が獲得した票数を見ると、アキノ路線を否定する声が大勢を占めたわけではないことが分かる。
アキノ路線を引き継ぐとした候補が複数立候補し、一本化できなかったために票が割れてしまったのだ。
無所属で立候補したグレース・ポー上院議員はアキノ氏の路線を継承すると宣言して人気を博した。かつて孤児だった同氏は、フィリピンの人気俳優であるフェルナンド・ポー・ジュニアの養子となる。米国で政治学を学んだ経験があり、イメージもクリーンだ。
だが、アキノ大統領は後継者にマヌエル・ロハス前内務・自治相を指名した。ロハス氏は有名な政治一家に生まれ育った。祖父は元大統領で、フィリピンの100ペソ札の肖像にもなっている人物だ。父親は元上院議員。だが、ロハス氏自身は人気に乏しい。
それでもアキノ大統領はロハス氏を後継に推さなければならない理由があった。6年前に行われた前回の大統領選挙で、党候補者を一本化するため、ロハス氏がアキノ氏にその座を譲った経緯がある。
ロハス氏の得票率は約23.2%(開票率89.3%時点)で、ポー氏は約21.7%。ロハス氏とポー氏の得票を合計すれば、当選したドゥテルテ氏の得票率(約38.7%)を上回る。「たられば」の議論になるが、候補者を一本化できていれば、アキノ路線の継承は可能だっただろう。
対中関係、TPPなどに不安
ドゥテルテ氏が大統領に就任するのは、議会による承認を経た後の6月。次期政権の政策で気になるのは、対中政策とTPP(環太平洋経済連携協定)への取り組みだ。
南シナ海のスプラトリー(中国名・南沙)諸島に中国が人工島を造成し、滑走路や港湾を整備している。軍事拠点化が進むとの懸念があり、フィリピンとの間に緊張が高まっている。
フィリピンは米軍の再駐留を認める「米比防衛協力強化協定」を2014年に締結した(米軍は1992年にいったん撤退していた)。これは南シナ海への進出を強化する中国をけん制するための措置だ。米比両政府は今年3月18日、米ワシントンで戦略対話を行い、フィリピンにある5カ所の空軍基地を米軍の拠点とすることでも合意している。
アキノ大統領は昨年6月に訪日した際、安倍晋三首相と会談し、安全保障面での協力を深化させることで一致した。
これに対してドゥテルテ氏は、南シナ海において中国と資源の共同探査をするなどと発言しており、親中路線に舵を切るのではとの懸念が高まっている。
アキノ大統領は昨年12月、TPPに参加する意欲を口にした。フィリピンがTPPに参加するかどうかは、同国への進出を考える日系企業にとって重要なポイントだ。ドゥテルテ氏はいまのところ、TPP参加について否定も肯定もしていない。
次期大統領となるドゥテルテ氏の行動次第で、アジアの均衡が崩れる可能性がある。
このコラムについて
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日々、生み出される膨大なニュース。その本質と意味するところは何か。そこから何を学び取るべきなのか――。本コラムでは、日経ビジネス編集部が選んだ注目のニュースを、その道のプロフェッショナルである執筆陣が独自の視点で鋭く解説。ニュースの裏側に潜む意外な事実、一歩踏み込んだ読み筋を引き出します。
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