古代ローマのドナルド・トランプ ポピュリズムを爆発させたクロディウス 2016.4.11(月) フィリップ・フリーマン 共和政ローマ時代の古代建築、ポルトゥヌス神殿(出所:Wikipedia) (アイオワ州デコラより)ポピュリズムは長い間アメリカ政治史を彩ってきた。左派のヒューイ・ロングから右派のジョージ・ウォーレス、そして最近では1992年のロス・ペローや、今日のドナルド・トランプがポピュリズムの立役者たちだ。しかし、ポピュリズムの起源は、古代共和政ローマの衰退が始まる時期まで、およそ2000年を遡る。 共和政ローマは、その歴史の大部分において、古くからの政治一族や影の実力者たちによって支配されており、彼らは大衆をどう服従させるかをよく分かっていた。 選挙は行われていたが、その選挙は、大衆の最大獲得票が支配階級のものになるように意図的に設計されたものだった。選挙制度を始めたローマの貴族たちが要職の職員を選んだとしたら、その職員が下位階級によって投じられた票を数えなかったこともざらであっただろう。 折に触れて、不満を抱く農家や居酒屋の店主、ロバ乗りたちは立ち上がり、支配者に債務免除を迫ったり、政府内部に声を届かせたりようとしたりしてきた。しかしこういった反抗は、支配階級が来るべき良き時代を約束したり、非番の剣闘士を何人か雇ってトラブルメーカーのボスを抹殺したりすることによって、すぐに鎮圧されていた。紀元前2世紀末、グラックス兄弟は政府内部から政治革命を起こそうとしたが、保守的な貴族たちに暗殺されて終わった。 最終的に制度を転覆するのに成功した男は、プブリウス・クロディウス・プルケルという、金持ちで野心家の貴族だった。 クロディウスはポピュリズムの扇動政治家で、ルールを守って勝負することを拒んだ者だった。彼は常に、ローマ大衆にショックを与えると同時に楽しませるような、突飛で予測不可能な行動をとった。若い時代には、彼は義兄弟の軍隊の中で反乱を起こした。その後、海賊が彼を捕らえたときには、彼は、海賊が彼の解放のために受け取った身代金の少なさに激怒した。 クロディウスにとっては、聖域などなかった。彼の行動が大胆になればなるほど、大衆は彼を愛した。 彼はローマでは有名な色男だった。彼は「ローマの女神ボナ・デアの祭り」という女性限定の宗教祭に女装して潜入するという冒涜を犯したが、これはユリウス・カエサルの妻ポンペイアを誘惑する目的だった。このときのスキャンダルによってカエサルはポンペイアと離婚する羽目になり、「カエサルの妻たる者は疑惑を招く者であってはならない」という有名な皮肉のことわざが生まれた。 大がかりな弁護士集団を雇い、多額の賄賂をばらまくことで、クロディウスは刑罰を受けずに済んだ。その後、彼は、支配者階級の敬意を勝ち取るために政治の世界へ入った。 彼を道化師として片づけるにはまだ早い。彼に対する批判は、彼が賢く、決定力があり、一般大衆の苛立ちを良く理解していることを見過ごしていた。 エリート層が彼を拒絶すると、クロディウスは権力を求めてすべてのルールを破り始めた。彼は、貴族側から出馬することをあきらめ、「怒れるローマの労働者階級のリーダー」というポジションに身を置いて、平民側から出馬することにした。生来の魅力や激しい言葉遣い、節度ある政治家を演ずる鋭い感覚をフルに使って、彼は西洋史上初の、穀物を無料で配給する法案を強行通過させた。これにより彼は大衆の支持を得た。特に、そのころの経済変動により失業した者の支持を得た。 彼はローマの街の王様となり、共和政が今まで見たこともないようなポピュリズムを爆発させた。 ローマの支配階級は、自分たちが軽蔑するクロディウスをどのようにして制御できるかが分からなかった。節度ある政治家であるキケロは嘆いた。「共和政が倒れるとしても、少なくとも本物の男の手によって倒れてほしい」と。 クロディウスはキケロを恨み、亡命に至らせた。そして彼自身が政治のトップに上り詰めるという計画を敷いた。 彼は、執政官の次の地位にある法務官(プラエトル)職へ向けて選挙運動をしていたが、その間に彼の信奉者と彼の政敵アンニウス・ミロの派閥との間で、町中で衝突が起こったために、選挙は二度も延期された。アッピア街道でクロディウスがミロと遭遇したとき、護衛同士の間で乱闘が勃発し、クロディウスは重傷を負った。そこで、怒れる生きた政敵よりも死んだ政敵の方が脅威は少ないと考えたミロは、彼の部下にクロディウスを暗殺するように命令した。 **** しかし、クロディウスは殺されたとしても、彼が解き放ったポピュリズム勢力は強く生きていた。そしてすぐに次なるポピュリズムの闘士を見つけた。それがかの有名なカエサルだ。 支配者階級の貴族たちがなすすべもなく茫然と立ちすくむ中で、彼らが何世紀もの間手にしてきた国家統治権は、あっけなく手の中からすべり落ちていった。 紀元前49年には、カエサルはルビコン川を渡り、ローマは内戦の波に飲み込まれた。紀元前44年3月15日にカエサルが暗殺されると、引き続いてすぐに反乱がおこり、支配者たちの権力はそれを最後に奪われた。こうやって独裁の帝政ローマが興り、共和政ローマは永遠に失われたのだった。 c Project Syndicate, 2016. www.project-syndicate.org http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/46556 トランプの"暴言"に感謝してもし足りない日本もしもの核攻撃に備える一刻も早いシームレスな法整備を 2016.4.11(月) 森 清勇 トランプ氏「世界知らない」=日韓核武装論を批判−米大統領 日本と韓国の核武装容認論をぶち上げて物議をかもしているドナルド・トランプ氏〔AFPBB News〕 米国大統領選の共和党候補指名争いで首位に立つドナルド・トランプ氏の発言が関心を呼んでいる。中でも日米同盟の破棄、在日米軍の撤退、さらには日韓の核武装容認発言など、日本が無関心ではいられない発言も多い。 民主主義国家の最高責任者は国民が選挙で選ぶ。かつてヒトラーも民主的な選挙で選ばれたように、当該国の国民が支持すれば権力の座に着くことになる。 トランプ氏が大統領に選ばれるか否かはともかくとして、日米同盟を基軸において非核3原則を呪文のように唱えてきた「他人任せの安全保障」に鉄槌を落としているかのようである。 改めて言うまでもないが、フランスの元大統領シャルル・ドゴールが「同盟などというものは、双方の利害が対立すれば一夜で消える」と喝破したように、国益に関する日米双方の考えが食い違えば、思わぬ事態に突入しないとも限らない。 日本および日本人が国家や主権の在り方、そして安全保障問題を考える機会としてはいかがであろうか。 施行された安保法制 自衛隊は平和維持活動(PKO)や大規模災害救助活動などで海外に派遣されることが多くなった。しかし、従来は平和維持活動で外国の軍隊に守ってもらいながら、その外国軍隊が危険に直面しても守ってやれなかった。 また、日本の安全に関わる活動をしている米国や友好国の軍隊が攻撃に晒されてもただ傍観するしかなかった。 しかし、3月29日に施行された安保法制で、前者は「駆けつけ警護」として、また後者は「集団的自衛権の一部行使」で可能となり、国際信義にもとる状況を解消させることになる。 トランプ氏の「日米安保条約は片務的な取り決め」であり、「不公平だ」との批判に応えることにもなる。この点から見ても、先の国会における民主党など野党の論点は間違っていたし、いままた安保廃止法案提出の暴挙は二重の過ちを犯していると言えよう。 民主党など法案反対政党の「戦争法案」というレッテル貼りで踊らされた人々は、自衛官のリスクの高まりを強調していたが、国民の共感を得ようとした姑息な計算であったと言っても過言ではない。 実際の任務に就く自衛隊はそうしたリスクもさることながら、防護してもらいながら防護してやれない国際信義にもとる行為しかできないことに対して忸怩たる思いを抱いていたと仄聞する。 そもそも派遣される部隊や自衛官は、「自隊のリスク」よりも「国家・国民のリスク」の排除や低減を意識しているのであり、そうした目的のために自衛隊の行動を律する安保法制である。 ともあれ、自衛官のリスク問題は派遣前の十分な教育訓練と、今次法制によって可能となる現場での適時適切な対処行動でむしろ安全が高まり、派遣部隊のリスクは軽減されると見ているようである。 法制の施行がもたらす最大のメリットは、国際信義にもとる行為の解消であろう。援護してくれる部隊を援護してやれないことは、日本人、なかでも自衛隊にとっては武士道精神に悖る「恥」以外の何物でもなかったからである。今回の施行によって、総合的な安全と国際信義が高まることは言うまでもない。 シームレスになったか 潮匡人拓殖大学客員教授は『正論』2015年12月号で、「あんなに大騒ぎしたのに、こんなにショボい安保法制」という論考を寄稿している。大山鳴動したが、「無いよりはマシ。現状より多少は改善する」程度で、最も懸念される領海警備さえできない法案であると指摘する。 法案が大詰めを迎えていた2015年9月16日、ロイターは「安保法制で転換迎える日本、『普通の国』なお遠く」と題し、「自衛隊と米軍は中国を想定した備えができるようになるが、(中略)英国やオーストラリアといった『普通の国』とは、まだ開きがある」という記事を配信したそうである。 記事の中見出しの「『普通の国』の半分」では、豪ニューサウスウェールズ大学のアラン・デュポン教授が「これまで(普通の国の)25%だったものが倍増して50%になり、海外に自衛隊を派遣する柔軟性と能力が増す。しかし『業界標準』からすれば、まだ50%足りない」と語ったことを紹介する。 しかも、米国と日本では集団的自衛権に対する認識に差があり、摩擦が生じることが懸念されるともしている。そのうえに、政府・与党は一部野党を法案賛成に引き込むために、努めて国会承認を得るという歯止めを合意して付帯決議した。 このようにして、重要影響事態や存立危機事態などの事態の推移認識に関わる切れ目、国会承認に要する時間的な切れ目、また領域警備に関わるグレーゾーンに対しては警察権の行使から準有事的事態や防衛出動事態への切れ目などシームレスになるどころか、いくつもの切れ目が生じてしまったようである。 最大の切れ目は「核対処」 安保法制はシームレス、すなわち切れ目のない対応が最小限できることを目指すものであったが、核対処については米国の「核の傘」に依存するというだけで考慮外であった。 こうした点から、ハドソン研究所主任研究員の日高義樹氏は同誌で、「中国・ロシア・北朝鮮・・・日米の最大の脅威は核軍拡だと銘じよ」というタイトルで、「平和を祈るだけでは対処できない厳しい現実」を具体的に描き出している。 そして、極めつけがジャーナリストの東谷暁氏による「日本の核武装を可能にするのは何か〜60年代の蹉跌を教訓に」であろう。 国民にほとんど知られていないが、日本の安全に関して「核装備」が多くの首相の頭をよぎったことが書かれている。国家の安全に責任を持つということはそうした意識のことであろう。 安保法制であれほど騒いだ日本である。ましてや核武装となると、とてもすんなりとはいかないことは火を見るよりも明らかであろう。ただ、現在はリアリズムで考えなければ日本の安全には結びつかない。 独自の核装備はできないが、北朝鮮は国際世論や国連の制裁決議にもかかわらず、なりふり構わずに核装備に邁進している。 中国は影響力を行使できないし、表向きの国際社会に協調する発言とは裏腹に、国連制裁をかいくぐって支援さえしているとも見られている。こうして日本への核脅威はどんどん高まっているという認識を共有することが必要であろう。 その核兵器について、日本は米国が提供することになっている拡大抑止力に依存している。ところが、核の運用については、ドイツと異なり日本の意志は考慮されるメカニズムにはなっていない。 2015年4月に再改定された「日米ガイドライン」を見ると、核関係についての言及は「日本に対する武力攻撃が発生した場合」の「c作戦支援活動」中の「vCBRN(化学・生物・放射線・核)防護」の項目であり、下記のように言及されている。 「米国は、日本における米軍の任務遂行能力を主体的に維持し回復する。日本からの要請に基づき、米国は日本の防護を確実にするため、CBRN事案及び攻撃の予防並びに対処関連活動において、適切に日本を支援する」 すなわち、相手がCBRN兵器を使用した場合の防護についてだけの言及であり、米国の主体は米軍の防護である。もちろんのことながら、相手の核運用に関して日本が云々言えるようにはなっていない。 通常兵器による対応では一応シームレスを目指す努力をしているが、通常兵器と核兵器の間には歴然とした切れ目がある。ドイツも日本と同様に自国の核兵器は保有しないで、米国の拡大抑止力に依存する考えは同じである。 しかし、ドイツは普段から核兵器の運用などに関わる計画などに関与するようになっている。最終的に使用する状況になった場合、同盟国と米国の双方の同意のもとに発射される「二重キー方式」と呼ばれるシステムをとっている。この点については郷友総合研究所編『日本の核論議はこれだ』に詳しい。 おわりに 日本の安全を日常の生業にしている自衛隊や海上保安庁などを除いては、多くの国民、また国民の信託を得て国家の安全に関心を持つべき多くの政治家もほとんど無関心できたのではないだろうか。 安保法案の審議において、国際情勢、中でも日本を取り巻く近隣諸国の情勢がほとんど取り上げられることがなかったことが何よりの証左であった。 シームレスを目指したはずの安保法制であったが議論がかみ合わなかったことから、多くの切れ目を残した。これに関しては、今後逐次の改正もあり得るであろうが、問題は従来無関心で来た核抑止やより大きな視点での国家安全保障についても、真剣な検討を要する状況になりつつあるということである。 核抑止については米国の拡大抑止に依存していることはドイツと同じであるが、ドイツは関与できるシステムをとっているのに対し、日米間においてはそのようにはなっていない。日本から米国への働きかけなども必要ではないだろうか。 さらに大きな問題は、「安全保障基本法」ともいうべきものが存在さえしないことである。戦争の危機や戦争が発生した場合、国会や内閣が平時同様に機能するとは限らないし、むしろ機能しないと考えなければならない。 例えばスウェーデンでは憲法の最後の章を「戦争および戦争の危機」としている。内容は国会の機能不全と戦時代表団の発足・権限、内閣の機能不全、国会や元首の所在など13か条にわたって書かれている。国会同様に皇居も安全とは限らないので移動もあり得るからである。 日本以外のほとんどの国がこうした非常時対応の条項を何らかの形で設けている。安保法制にすら野党は「戦争法案」のレッテルを張ったので、安全保障基本法などにはさらにトーンを上げたレッテルが張られよう。 しかし、非常時対応は平時において行っておかなければ、泥棒に入られて鍵をかけるようなもので後の祭りである。国家の安全及び国民の生命財産の保護に後の祭りは許されない。 http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/46554 コラム:米軍を待つ「メガシティ」という新たな戦場
Column | 2016年 04月 11日 08:08 JST 関連トピックス: トップニュース 4月6日、5年近くにわたるシリア内戦で明らかになったのは、混み合った都市環境においてテロリストや反政府勢力に対する諜報、監視、偵察活動を行う際に軍が直面するいくつかの難題だ。写真は3月2日、アフガニスタンのカブールで、アフガニスタン駐留米軍司令官に就任したジョン・ニコルソン米陸軍大将。代表撮影(2016年 ロイター/Rahmat Gul/Pool) Chad Serena and Colin Clarke
[6日 ロイター] - 5年近くにわたるシリア内戦で明らかになったのは、混み合った都市環境においてテロリストや反政府勢力に対する諜報、監視、偵察活動を行う際に軍が直面するいくつかの難題だ。 克服不可能ではないにせよ、米国のような最も現代的な軍隊でさえ、こうした課題には悩まされるだろう。農漁村を離れて都市に流入する人の動きは依然として衰えていないからだ。 予測可能な将来において、米国の戦略全体で最優先されるのが、今後もやはり、ロシアや中国といった対等に近い相手に対する抑止や対抗であることはほぼ確実だ。 だが、こうしたよく知られた国家の脅威に対応するだけでなく、米軍には、さまざまな暴力的非国家主体と戦うことが期待されることになるだろう。「暴力的非国家主体」とは、「イスラム国(IS)」やアルカイダなどの確固たる過激派組織や、多国籍犯罪集団MS−13から、それ以外の数限りない無名の民兵、反政府勢力、テロ組織までを含む、包括的な用語だ。 米軍がこうした組織に対抗するためには、人口密度の高い「メガシティ(巨大都市)」の内部や、その周縁部での作戦に従事せざるを得なくなることは、ほぼ確実だ。メガシティとは、複数の都市圏が融合して1000万人を超える人口を抱えているものをいう。 それは難しい問題だ。比較的小規模な市街地であっても、そこでの軍事作戦は本質的に複雑な企てになる。敵対する組織やその作戦は、建物や多数の人々の陰に潜み、隠蔽される。そのため、軍が作戦を成功するために必要な諜報、監視、偵察プラットフォームの効力を低下させてしまうリスクがある。都市が大きく複雑になればなるほど、こうした困難はいっそう際立ってくる。 「メガシティ」という概念は、多くの場合SF作品に見られる未来のディストピアものに由来する。都市のスプロール(無秩序な拡大)現象と膨大な数の人々の集中を描いたのは、1995年の映画「ジャッジ・ドレッド」である。この作品における「メガシティ」は、犯罪と武装したギャングの巣窟であり、多くの社会悪が蔓延している。 ボストンから首都ワシントンまで、あるいはサンフランシスコからサンディエゴまで延びる単一の都市圏というのは想像しがたいかもしれないが、メガシティは実際に存在するし、これからもっと一般的になっていくだろう。 2015年の時点で、メガシティの定義に合致する地域は世界で27カ所あるが、国家情報会議の予測によれば、都市成長の結果、アフリカとアジアを中心に、今後15年間でさらに十数以上も増えるという。 メガシティは、それ自体の規模の大きさと、その統治に伴う困難さゆえに、無法地帯、もしくは巨大な「立ち入り禁止区域」化する可能性が高く、暴力的非国家主体にとっては人員徴募や資金調達活動にうってつけの場所となる。このような地域で非合法な市場や影の統治組織、ヤミ経済、暗黒のネットワークを生み出し、活用し、長期にわたって資金を稼ぎ、新たな人材を獲得することができるだろう。 ロシアのグロズヌイやイラクのサドルシティーといった場所で実証されてきたように、非常に能力の高い軍隊にとってさえ、人口稠密な都市環境において、暴力的非国家主体に対抗することはきわめて困難になる可能性がある。 グロズヌイの人口は数十万人、サドルシティーの人口は350万人前後だ。(1990年代のグロズヌイやイラク戦争中のサドルシティのように)非合法主体が都市環境にしっかりと根を張り、住民から幅広い支持を得ている場合、彼らの活動に対抗するには、かなりの時間と軍事資源を費やす必要がある。 メガシティにおける暴力的非国家主体の活動を示す現在進行形の例としては、イラク及びシリアのイスラム国支配地域に見ることができる。ここでイスラム国は、製パン工場、石油精製所、公益事業体など、互いに性質の異なる豊かな収入源を確保するとともに、支配地域内からだけではなく、世界中から新規メンバーを集めている。 ISの主要拠点であり、現在の中心地であるラッカの例を見てみよう。ラッカの住民は約25万人にすぎないので、メガシティとは呼べない。だが、IS戦闘員がラッカ住民の周囲で生活し、活動に従事しているため、シリアで作戦を行っている各国軍がISのグループを偵察し、目標を定めて空爆することは困難である。 目標をうまく特定できたとしても、住民が巻き添えになる懸念があるため、米軍はある種の戦術的攻撃を放棄せざるをえず、ひいてはそれが軍事作戦全体の範囲と効果を限定することになる。地上部隊による侵入を防止・抑止するため、ISが市内の至る所に即席爆弾による罠(わな)を仕掛けている可能性も高い。 では、ラッカに似ているが規模が40倍も大きく、さらに人口密度が高く、そこで作戦を行っている暴力的非国家主体を住民が熱烈に支持しているような都市を想像してみよう。これだけの規模の都市に潜む敵に対抗する難しさは、どれほど強調しても十分ではないだろう。 非正規の武装勢力にとって、特に諜報、監視、偵察能力の点で優位に立つ敵を懸念するのは明らかであり、それが彼らが人口密度の高い都市環境での活動を選ぶ理由の1つにもなっている。 こうした能力は都市での作戦には不可欠な要素だ。この能力によって、現代の軍隊は、戦闘地域を把握し、敵の動きを追跡、最終的には、陸空連動の作戦で最大限の効果を発揮することで、友軍や市民が犠牲になる可能性を低下させる。 だが、人や車、建物の量自体が膨れあがると、計算が複雑になり、困難度合いが増すだけでなく、その種類が変わってくる。 廉価で暗号化機能を持つ携帯通信機器が広く使われるようになったことで生じる、サイバー空間における電子的な「濃霧」は、米軍の光学的・電子的な偵察プラットフォームを圧倒し、敵の活動を効果的に把握し、追跡する能力を弱めてしまう。 即席爆弾を密かに製造して仕掛けることは比較的容易であり、より小型化し金額的にも入手しやすいドローンのような無人航空システムの拡散も続いている。これでは、ただでさえ複雑な問題が、さらにいっそう複雑になってしまうだろう。 今後、メガシティで作戦を展開する暴力的非国家主体に対抗するため、米軍には、非常に厳しい状況下においても、情報の全体像を包括的かつ効果的にまとめ上げる能力が求められる。 そのためには最低でも、敵組織による携帯電話の通信、ソーシャルメディアへの投稿、金融取引、作戦上の動きに伴う膨大な電子データを、リアルタイムに近い形で監視し、収集、解釈する能力が必要になるだろう。 そのための課題として、グロズヌイ、サドルシティー、そして今はラッカで明らかになっているように、米軍は、展開する情報網の数を増やし、絶えることのないデータの流れを迅速に把握して、解釈する能力を開発する必要がある。 これに失敗すれば、メガシティでの作戦活動に伴う困難が増大し、そこでの紛争を長引かせ、敵グループに、米軍が監視できない物理的・仮想的な聖域を享受する環境を整えてしまうだろう。 *筆者のChad C. Serenaは政治学者。もう一人のColin P. Clarkeは非営利・無党派のランド・コーポレーションに所属する政治学者。 http://jp.reuters.com/article/column-us-army-megacities-idJPKCN0X50SY
[32初期非表示理由]:担当:要点がまとまっていない長文
|