http://www.asyura2.com/16/kokusai13/msg/294.html
Tweet |
米支配層は世界のエリートを操るため、買収、恫喝、暗殺、クーデター、軍事侵略を使い分ける
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201604080000/
2016.04.08 17:45:29 櫻井ジャーナル
アメリカを拠点にしている「オリガルヒ」は各国の「エリート」を操るために「飴」と「鞭」を使っている。カネと地位を約束して支配、そうした提示を拒んだ相手は何らかの手段で排除する。排除の手段には、例えば、メディアを使ったスキャンダル攻勢、情報機関による暗殺やクーデター、そして傭兵や正規軍を投入する軍事侵略がある。「留学」という形で若いうちから洗脳するということも行われてきた。そうした活動をテーマにした本も出されている。
http://economichitman.com/
買収にオフショア市場/タックスヘイブンが利用されることは言うまでもないが、その仕組みを作り、管理しているのは情報機関をコントロールしている米英の一部支配層。もし買収した相手が裏切ったなら、いつでも「不正」を暴露して報復できるということでもある。EUのエリートは多くが買収されていると言われ、アメリカ支配層に逆らうことは困難な状況だ。EUほどではないだろうが、中国も若手は買収済みだと見られている。だからこそ、中国がロシアへ接近したのはアメリカ支配層にとって衝撃だった。
買収に応じる、つまり私利私欲のために国を売り渡す人物が多いだろうが、拒否する政治家もいる。そうした人びとは排除されてきた。例えば、イランのムハマド・モサデク首相は1953年に、グアテマラのヤコボ・アルベンス・グスマン大統領は54年に、コンゴのパトリス・ルムンバ首相は1960年に、インドネシアのアハマド・スカルノ大統領は1965年に、チリのサルバドール・アジェンデ大統領は1973年にアメリカ主導のクーデターで排除された。1959年のキューバ革命を率いたフィデル・カストロはCIAから合計638回にわたって命を狙われたという。1981年にはパナマのオマル・トリホスが「飛行機事故」で死んでいるが、これはCIAによる暗殺だと言われている。
かつて、西ヨーロッパにもアメリカと一線を画すという姿勢を明確にしていた指導者がいた。そのひとりがフランスのシャルル・ド・ゴール。フランスはイタリアと同じようにコミュニストの力が強かった国で、アメリカ支配層から睨まれていた。
そのフランスで1947年に社会党系の政権が誕生、その内務大臣だったエドアル・ドプは、政府を不安定化するため、右翼の秘密部隊が創設されたと発言している。その年の夏に米英の情報機関、つまりCIAとMI6と手を組んで秘密部隊は「ブル(青)計画」と名づけられたクーデターを実行する予定で、シャルル・ド・ゴールを暗殺する手はずになっていたともされている。その後、新たな秘密部隊「ローズ・ド・ベン(羅針図)」が創設され、1961年にはOAS(秘密軍事機構)組織された。
OASは1961年4月にスペインのマドリッドで秘密会議を開き、アルジェリアの主要都市を支配してからパリを制圧するというクーデター計画について討議した。会議にはCIAのメンバーも参加している。その中心にはモーリス・シャレをはじめとする4名の将軍が存在、4月下旬に計画は始動した。
ところが、アメリカのジョン・F・ケネディ大統領はジェームズ・ガビン駐仏大使に対し、必要なあらゆる支援をする用意があるとド・ゴールへ伝えるように命じた。アルジェリアからクーデター軍がパリへ侵攻してきたならアメリカ軍を投入するということ。CIAは驚愕したという。(David Talbot, “The Devil’s Chessboard,” HarperCollins, 2015)
その後、ド・ゴール大統領はポール・グロッシンSDECE(フランスの情報機関)長官を解任、その暗殺部隊と化していた第11ショック・パラシュート大隊を解散させた。グロッシンはアメリカの極秘破壊工作機関のOPCを率いていたフランク・ウィズナーと親しい。
1962年6月にOASは休戦を宣言するが、その一部は決定に従わず、この年の8月にド・ゴール暗殺を試みて失敗、計画に加わったメンバー全員は9月に逮捕された。1963年11月にはアメリカでケネディ大統領が暗殺され、ド・ゴールも葬儀に参列する。帰国後、フランス大統領は情報大臣だったアラン・ペールフィットに対し、ケネディに起こったことは自分に起こりかけたことだと語ったという。黒幕は同じだという感触を得ていたようだが、実際、同じ人脈が背後で蠢いている。
1966年にフランスはNATOの軍事機構から離脱、翌年にはSHAPE(欧州連合軍最高司令部)がパリを追い出され、ベルギーへ移動しているが、1969年にド・ゴールが失脚するとアメリカの影響力は再び強まり、SDECEもCIAの命令で動くようになる。1995年にフランス政府はNATOの軍事機構へ一部復帰すると宣言し、ジャック・シラクの次に大統領となったニコラ・サルコジ大統領は2009年にフランスをNATOへ完全復帰させた。シラクは大統領の座を降りてからスキャンダル攻勢にあい、2011年に執行猶予付きながら禁固2年が言い渡されている。
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。