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「テロとの戦い」を政治利用するエルドアンの剛腕/川上泰徳
2016年03月21日
http://www.newsweekjapan.jp/kawakami/2016/03/post-13_1.php
トルコでテロが続いている。首都アンカラで3月13日に車爆弾によるテロがあった。少なくとも37人が死亡し、70人以上が病院に運ばれた。19日にはイスタンブール中心部の繁華街でテロがあり、少なくとも4人が死亡した。トルコは2011年以来、最悪の内戦が続くシリアと長い国境で接していながら比較的安定した国だったが、この1年で爆弾テロが続く国というイメージに大きく変わってしまった。
(中略)
いつテロが起きてもおかしくない状況
トルコ政府は「テロとの戦い」を強調し、国内とシリアに拠点を持つPKKに対して、軍事強硬策をとっている。さらにシリア北部に支配地域を持つクルド人組織「民主統一党」(PYD)と、その軍事部門「人民防衛隊」(YPG)はPKKと協力関係にあるとして、シリア国内のクルド人支配地域への空爆を繰り返していた。
しかし、いくらトルコ政府が軍事・治安対策を強めても、それだけでテロを抑え込むことができるとは思えない。今回のアンカラのテロの後、ドイツ政府は新たなテロの脅威についての情報があるとしてアンカラの大使館とドイツ語学校、イスタンブールの総領事館の閉鎖を発表した。この動きを見ても、トルコはいつテロが起きてもおかしくない治安悪化のがけっぷちに立っている。
クルド人の集会を狙ったISのテロ
トルコのテロはPKKやTAKなどのクルド人過激派だけではない。2015年で最も規模が大きかったのは、昨年10月にアンカラで連続自爆テロが起こり、約100人が死んだ事件だ。穏健派のクルド人や左派グループが開いていた平和集会が狙われた。治安当局はイラクとシリアにまたがる過激派組織「イスラム国」(IS)につながる組織の犯行と発表した。IS系組織は15年7月に南東部のスルチで32人が死んだ爆弾テロにも関与しているとされた。
安定した状況から一転して治安の悪化が始まるきっかけとなったのが、スルチのテロだった。それ以前、トルコ政府はPKKとの秘密交渉によって、2013年3月に停戦に合意していた。ところが、スルチ事件の後、和平交渉は破綻し、停戦も崩壊した。
スルチのテロでは、トルコ議会に参加するクルド系政党の人民民主主義党(HDP)支持者の集会が標的となった。シリア北部でクルド人勢力YPGが米国の支援を受けて、ISとの間で激しく戦っていたためである。一方で、HDPはテロの1か月前の6月総選挙で、初めて候補を立てて、定数550の議会で、80議席(15%)と躍進した。その選挙で、エルドアン大統領が率いる与党公正発展党(AKP)は2002年の政権発足以来、初めて過半数を割った。
トルコ政権による「両面」強硬策
トルコはISとの戦いに積極的ではなかった。米国が率いる有志連合によるIS空爆には参加せず、IS掃討のために他国が国内の空軍基地を使用するのも認めなかった。そのためトルコは欧米からはISに甘いと見られていた。シリアと長い国境を接しているトルコがIS空爆に参加すれば、ISのテロの標的となることは見えており、トルコとしても慎重な姿勢をとらざるをえなかったということだろう。
【参考記事】「イスラム国」を支える影の存在
さらに、米国がシリアのYPGを支援してISと戦わせるという戦略は、YPGをテロ組織と考えるトルコには受け入れることはできない。スルチでISによるテロが起きた時、クルド人の間には政権に対する批判が噴出した。政権がISを助けたという怒りの反応さえ出た。テロの2日後にトルコ南東部のシリア国境沿いで警察官2人が射殺され、PKKが「スルチの攻撃への報復」とする犯行声明を出した。
トルコはテロの後、米国に連絡し、有志連合のIS掃討作戦にトルコ国内の基地を利用することを認め、さらに自ら、シリアのIS支配地域への空爆を開始した。しかし、トルコのシリア領内への空爆はIS拠点だけでなく、PKKの拠点も含まれていた。
【参考記事】民主主義をかなぐり捨てたトルコ
エルドアン政権はPKKとの停戦と米国・有志連合のIS掃討作戦への不参加という2つの政策を捨て、PKKに対しても、ISに対しても、「テロとの戦い」を強化する「両面」強硬策に打って出たのである。それがかえってPKKとISのテロ激化へとつながり、治安の悪化をもたらしたということだろう。10月の100人規模の死者を出したISによる大規模テロや、今年になってのクルド人過激派による大規模テロが続く事態に陥った。
やり直し総選挙では過半数を回復
エルドアン大統領にとっては、スルチでのISテロの影響が広がらないように、PKKとの停戦と、IS空爆から距離をとる対応策を継続するという選択肢もあったはずだ。そうしなかったのは、6月の総選挙での過半数割れという政権与党としての「敗北」を受けて、大胆な勝負に出たということだろう。
治安は目に見えて悪化したが、それは政治にどのように影響しただろうか。6月の総選挙で単独過半数を失ったエルドアン大統領が率いるAKPは、11月のやり直し総選挙で、議席を50議席以上増やして、過半数を回復した。当時の朝日新聞は「社会不安が高まる中、有権者は安定を求めた」と分析した。スルチのテロの後で、「テロとの戦い」を掲げて一気に強硬策をとった政権は、政治的には成功したということである。いかにも強気のエルドアン大統領らしい手法である。
エルドアン氏は2002年にAKPを率いて総選挙で勝利して以来、今年で15年目になるが、2011年の総選挙に勝利した後、3期に入ってから「権威主義化」「強権化」の批判を受けることになった。さらに2014年に大統領直接選挙で大統領に就任してからは、メディアや市民運動への弾圧など、さらにその傾向を強めている。
下町の伝統で育った「庶民宰相」だったが......
2012年にエルドアン氏について集中的に取材をしたことがある。彼が少年時代を過ごしたイスタンブールでも最も伝統的で庶民的な下町カセンパシャを訪ねて人々の話を聞いた。周りを威圧するような親分的なエルドアン流の振る舞いが出てくる土壌を実感することができた。エルドアン氏は、かつて中東を抑えたオスマン帝国の伝統を引き継ぐ軍、官僚、財閥というエリートから全く遠いところから、イスラム的な伝統を実現する政策を掲げ、「民意」を手にしてトップに上り詰めた。まさに「庶民宰相」である。
元側近やエコノミストに話を聞いた時、「エルドアンは最初、様々な意見をよく聞いて決断したが、3期以降、独断専行の傾向が強まった」という声があちこちで出た。昨年6月にAKPが過半数割れしたのは、大統領権限の強化を可能にする憲法改正を公約として掲げたためであり、強権化に国民の警戒が強まったからだと分析されていた。
ところが、「社会不安が高まった」結果、AKPは過半数を回復した。エルドアン大統領の強権的な姿勢すら、多くの国民にとっては「強いリーダーシップ」として肯定的に評価されたのかもしれない。国の状況が変わったことで、政治の潮目が変わったのだろう。それは自然に変わったというよりも、テロに対して、エルドアン大統領が意識的に軍事強行策をとり、それによって治安の状況を険悪化させた結果と考えるしかない。
(中略)
パレスチナ問題で激しくイスラエル批判をしたエルドアン氏であるが、昨夏以降の政治手法を読み解こうとすれば、シャロン氏のことを思い出してしまう。危機を生みだし、状況を悪化させることで、政治の主導権を握る荒業である。ただし、剛腕政治家に振り回される国民にとって、一寸先は闇となる。
- トルコ“ISとのつながり疑われる男ら13人拘束”〜依然として新たなテロへの懸念続く/nhk 仁王像 2016/3/23 20:11:49
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- トルコ大統領 「史上最も大きなテロ攻撃の波だ」と強い危機感を示したうえで、テロ対策に全力を挙げると強調/nhk 仁王像 2016/3/22 06:17:27
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