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なぜこうなった?民放の信頼度急上昇、ネットは下落
既存メディアに依存し続ける日本人、「報道の多様化」の日は遠い
2019.3.11(月) 加谷 珪一
相変わらず多くの日本人が新聞やテレビに高い関心を寄せている(写真はイメージ)
メディアに関する信頼度調査で、民放テレビが上昇する一方、インターネットの信頼度が低下していることが分かった。
日本はもともと新聞に代表される従来型メディアに対する信頼度が異様に高いという特徴が見られる。近年の日本では、あらゆる階層の人が、新聞やテレビをはじめとする従来型メディアに対して激しい批判を行っているが、こうした言動も、裏を返せば、多くの人が新聞やテレビに対して高い関心を寄せていることの証拠である。
ここまでネットが普及したにもかかわらず、日本ではニュースの多くを従来型メディアに頼っている。だが従来型メディアに対する精神的な依存から脱却しない限り、報道の多様化は進まないだろう。(加谷 珪一:経済評論家)
相変わらず信頼度が高いNHKテレビ
公益財団法人「新聞通信調査会」は毎年「メディアに関する全国世論調査」を行っている。最新の2018年版によると、各メディアに対する信頼度は、NHKテレビが最も高く、2位が新聞、3位が民放テレビ、4位がラジオ、5位がインターネット、6位が雑誌だった。
メディアの信頼度に関する順位は、長期にわたってほどんと変化しておらず、NHKに対する信頼度は2008年が74点、2018年も70.8点と高得点が続いている。新聞もほぼ同レベルで2008年は72点、2018年は69.6点だった。一方、雑誌の信頼度の低さにも変化がなく、2008年度は48.2点、2018年でも43.1点と大きく変わっていない。
年代別でも大きな差は見られない。トップのNHKテレビは得点こそ年齢が下がるにしたがって低下してくるが、20代、50代、60代、70代以上でトップとなっている。30代と40代だけは新聞とテレビが逆転しているが、働き盛りの年代なので、あまりテレビを見ていないことが影響していると思われる。
そうした中で近年、顕著に変化したのが民放テレビ局とインターネットである。
民放テレビ局は、2017年の調査は59.2点だったが、今回の調査では新聞との順位逆転には至らなかったものの点数が急上昇し62.9点となった。2017年まではほとんど点数が変わらなかったので、これは2018年に特徴的な動きといってよい。
一方、インターネットはここ2〜3年、下落傾向が顕著となっている。2008年の段階では58点と雑誌よりもかなり上に位置していたが、年々信頼度を下げており、2018年は49.4点と40点代まで下落している。
各年度の調査結果における点数の上下変動の幅を考えると、2018年における民放テレビ局の上昇幅は突出している。よほどの出来事がないとここまでの変化は生じない可能性が高いが、2018年に民放テレビ局の信頼度を著しく上昇させる出来事があったとは思えない。
今回の民放テレビの数値上昇には、調査方法の変更が関係している。
民放テレビ急上昇の理由は?
この世論調査は、新聞通信調査会が行っているものなので、どうしても新聞に関する質問項目が多くなっていた。だが2018年からは、幅広いメディアを対象とした質問項目に変更され、テレビ報道に関する質問も加えられたことから回答者の印象が大きく変わった可能性がある。
今回のポイント急上昇が質問項目の変更によるものなのか、別の要因があるのかについては、来年度以降の結果を見て判断する必要があるだろう。
一方、ネットの信頼度低下については、以前からの傾向なので2018年だけに特徴的な現象ではない。ネットが登場した当初は、不特定多数が情報発信できる点が評価され、既存メディアに取って代わるのではないかとの期待があった。実際、ネットの初期にはリテラシーの高い利用者も多かったが、ネットが社会に普及するにつれてフェイクニュースが増え、信頼度を低下させた可能性は高い。
確かに近年のネットにおけるフェイクニュースのひどさは目を覆うばかりだが、一方で、日本の従来型メディアに対する信頼度の異様な高さにも危うさを感じる。
同じ条件での国際比較調査は存在しないので単純に結論付けることはできないが、米国で行われている各種メディア調査の結果を見ると、新聞やテレビがここまで高い信頼度を得るケースは少ない。新聞やテレビに対する信頼度が過度に高いというのは日本社会における1つの特徴と言ってよいだろう。
「公式発表」に利用されている新聞とテレビ
従来型メディアに対する日本人の依存度の高さは、近年、激しくなっているマスメディア批判からも逆説的に読み取ることができる。
かつて、既存メディア批判というのはネットにおける特徴的な現象だったが、今となっては、政治的な立場や社会階層を問わず、多くの人がメディアの報道を激しく批判している。つまりどのような立場の人であれ、自分が理想とする報道を新聞やテレビが行わないことに対して激しい怒りを感じるということであり、これは新聞やテレビといった既存メディアが、依然として日本人のメンタリティの中に大きな存在感を示していることの裏返しでもある。
そもそも自分が軽視しているメディアがどのような報道をしようとあまり関心がないはずであり、実際、米国ではここまでのメディア批判は見当たらない。
批判という形であれ、多くの人が従来型メディアの報道に激しく感情を揺さぶられているということは、新聞やテレビの潜在的な読者(視聴者)は極めて多いということであり、媒体としての価値は依然として高いという結論にならざるを得ない。
政府や企業が何らかの発表をする際、ウェブサイトには情報を掲載せず、新聞社とテレビ局だけに情報を流すケースは意外と多い。公式発表ではないので、あえて分類すれば単なるリーク記事ということになるが、多くの人はこれに気付いていない(普段マスメディアを声高に批判している人が、こうした報道を公式発表だと勘違いしてツイッターなどで拡散していたりする様子は滑稽である)。
事件報道も同じで、多くの人が公式発表だと思っているものの大半は、警察関係者による特定のメディアを対象としたリークで成り立っている。もしこうした憶測やリークに基づく報道がなければ、公になる事件の情報は激減してしまうというのが実状なのだ。
行政機関や企業が、既存メディアを過度に優遇するのは、批判という形であれ、日本人が既存メディアに精神的に強く依存しており、その影響力が大きいと判断しているからである。
マスメディア批判が逆に影響力維持に貢献という皮肉
もし本当に従来型メディアに不信感を持っており、その影響力を排除したいのであれば、無視するのがもっとも簡単な方法である。NHKを除いてテレビや新聞はあくまで商業ジャーナリズムなので、広告媒体としての価値がなくなれば、あっという間に経営は困難になるだろう。
だが多くの人は、批判という(アンビバレントな)形で新聞やテレビによる報道を最優先で話題にしてしまう。結果として広告媒体の価値は落ちず、情報の独占もなくならない。つまりマスメディアを激しく批判している人は、実は自分のクビを締めているのだが、なかなかその図式に気付かない。
おそらくだが、日本人が既存メディアに過度に依存していることの背景には、一種の「甘え」があると筆者は考えている。真偽不明の情報の中から自分のリテラシーに従って、信用できる情報を自ら選択するよりも、一定の体制を持った機関に情報を管理してもらい、そこに依存する方がラクだという感覚が存在していると思われる。だからこそ多くの人が、自分の気に入らない報道に対して感情的になってしまう。
こうした甘えがあると、どうしても従来型メディアが有利になり、一次情報も独占されてしまう。
今回、取り上げた調査では、情報への対価についての質問もあるが、「ニュースは無料で入手したい」と考えている人の割合は45.1%、一方で「信頼性の高いニュースを得るためには代金を払ってもよい」と考える人は25.6%しかいなかった。どちらともいえないという人が27.7%いるが、この回答者の多くは最終的には無料を希望する可能性が高いと考えられる。
報道に相応の体制を求めつつも、対価を支払うことについて極めて消極的ということであれば、少なくともテレビの優位性は当分の間、継続する可能性が高いと考えざるを得ない。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55696
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- データ主義時代の新たな銀行「情報銀行」とはなにか 「個人情報を信託」する情報銀行は受け入れられるのか うまき 2019/3/11 10:24:58
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