http://www.asyura2.com/16/hihyo15/msg/323.html
Tweet |
(回答先: 語られないディズニー(4) (akazukinのブログ) 投稿者 こーるてん 日時 2017 年 3 月 01 日 17:50:11)
語られないディズニー(6)
2010-09-24 14:11:58
テーマ:ディズニーとハリウッド娯楽産業
今だかつて類を見ない詐欺の一つ ディズニー (6)
マインドコントロール
参考サイト(原文)
http://www.theforbiddenknowledge.com/hardtruth/the_disney_bloodlinept1.htm
*注 原文の中の著者とは「フリッツ スプリングマイヤー」
WHAT DO WE KNOW ABOUT THE DISNEY FAMILY IN GENERAL?
ディズニーの家族について。
ーー*この部分は少し省略して紹介します。
ウォルトの妻はリリアンLillianで二人の娘がいた。
ダイアンDianeとシャロンSharonである。
ダイアンは実子であるが、シャロンはもらわれて来た。
シャロンはダイアンの遊び相手が必要だったので養子にした。
しかし彼等は世間に公表せず、長い間秘密にしておいた。
(ウォルトは息子が欲しかったのだが、リリアンが娘をもらいたいと主張した)
最初、ウォルトはシャロンの名前さえ覚えず興味をしめさなかったが、
シャロンはソフトなブロンドで魅力的な少女に成長し、12歳になった頃、ウォルトは父として何年も無視していた娘に、突然取り憑かれたようになったのだ。
そして娘とアラスカ旅行に2ヶ月ほど行ったりした。
この期間はほぼ二人きりだったようだ。
ウォルトが彼女の世話を全てした。
旅行中は毎晩お風呂に入れてあげて、髪を梳いてあげたり、洗濯をしたり、高級レストランに連れて行く時は頭からつま先まで、注意深く
着付けした。彼は彼女が夢遊病で夜歩く後をついて歩いたりした。
なぜシャロンは分裂症の人だったのだろう?
彼女は比較的若くして死んだ。
ディズニー現象を知るにはウォルトだけ理解するだけでなく家族を知る事は重要である。
例えば、彼の妻リリアンは、
1958年に、ウォールストリートジャーナルは、リリアンディズニーが一般的なディズニー株の10%以上の受益株主であると言及した。
リリアン(ウォルトの未亡人)は、ナパバレーに静かに資産を購入して、60年代後半、そこに移った。 彼女はウォルトのRetlawエンタープライズとリリアンディズニーTrustを通して土地を購入した。 リリアンと彼女の2人の娘が長年Retlawを運営した。
中略
ディズニー家のこちら側(妻の側)およびロイO.ディズニーの家族側はナパバレーのイルミナティのインサイダーに避けられている。
非常に個人的だが、ダイアンディズニーミラーからしばしば宣伝されたことがある。
それは、
ディレクター/プロデューサーのフランシスフォードコッポラによって所有されていた地所、Niebaum-コッポラで行われた、"Planned Parenthood Shasta Diablo"(プランド ペアレンツ シャスタ ディアブロ)のための資金集めの催しのためにワインを寄贈した、などである。
フランシスフォードコッポラは古いマフィアの家族から来る。 彼は大きいワイン醸造所とディズニーのキャプテン EOフィルムを所有している。
ナパバレーの地域の地元住民はディズニーの誰をも、特にロイO側の家族を信じていない。
他の一人、オカルトの世界と結びつくディズニーがいる。 ウエスリー アーネスト ディズニーで、32位階のフリーメーソンでShrinerであり、国会議員であり、カンザスの職員で弁護士だった。彼にはリチャード レスター ディズニーという兄弟がいて、ローズ奨学生でありフリーメーソンである。
ところで、 ウエスリー アーネスト ディズニーはマスコーギカウンティー、Muskogee County(悪魔主義がコントロールするカウンティー)で弁護士としてスタートする。そしてクリスチャンサイエンスの信者だった。
彼はタルサTulsaに住んでいた。そこはイルミナティの階層構造の強力な都市である。
ドリス マイルス ディズニーはオカルトのフィクション作家で、The Magic Grandfather the Chandler Policy (1972) と Trick or Treat (1972) 、その他多くを執筆した。
A HISTORY OF DISNEY
ディズニーの歴史
アニメーションの最高の才能を持ったアーティスト達を集める事が出来たディズニーは目覚ましい成果を獲得し始めた。
1924年から1927年の間に、ウォルトディズニーは、3人の異なった6歳ぐらいの少女たちを使用した、56回のシリーズのアリスのコメディーを制作した。願い事を叶えるというマンガの世界で彼女ははしゃぎ、遊戯するというようなコメディーである。
これらの漫画は実写とアニメーションの組み合わせであった。 このシリーズが終わった時、ウォルトディズニーはアニメーションだけで制作してみたくなった。
ニューヨークのマーガレットウィンクラーが(チャールズ ミンツと結婚した)ディズニーのアリスのコメディーを配給した。
最初から、子供たちはウォルトが制作したものの全ての中心だった。
ウォルト自身、およびウォルトを支持したオカルト世界は、彼らが「子供」(様々な心理学者によって呼ばれる、人の中にある「子供」である部分)を持ち出すことができるなら、
大人がもつ「子供」の部分の好奇心と感情にアピールする事ができると信じてた。
もしそれが大人たちに効果があるなら、子供にも同じように効果があるはずだと知っていた。
彼らは、1920年代、30年代でさえ、何が新世界秩序のために秘密の偉大な計画が達成されなければならないかを知っていた。
イルミナティの偉大な計画は、
家族生活を破壊し、子供が彼らの両親に反逆して、世界がより乱暴になるようすることだった 。
子供達は、暴力的な社会を作り出すために、暴力のイメージで浸す必要があった。
例えば、1925年のフィルム、"Alice Stage Struc" はログに縛られたアリスが騒音をたてるのこぎりに切られそうになる様子を描いている。
また、彼らはアメリカ国民の通説的なオカルト、神秘信仰や魔法を作りたかった。
イルミナティは、彼らがすべての大人の中にある子供のような好奇心にアピールするなら、魔法を持ってくる事が出来ると感じた。
例えば、ドナルド・ダックの漫画コーンチップス(1951年)は、ドナルドがポップコーンの箱を盗んで、ポップコーンを庭いっぱいにまき散らしてチップとデールを悩ませる話だ。
(チップとデールは後でドナルドに仕返しをする)
このような漫画は、子供たちに何を教えるのだろう?
それは、恨みを返すために盗んでもオーケー、冗談(悪ふざけ)をすることはおもしろおかしいことを教える。
ディズニーの1920年代のフィルムでは、万引きして、学校をさぼって、ホッケーで遊ぶ事を見せている。
彼はアリスが冒険をするために責任から逃れようとするのを見せる。
彼は、囚人が逃げ出すのを、浮浪者が仕事から逃れるのを描く。
彼のフィルムは、不正行為が成功するのを表現しているのだ。 これは何を子供に教えるのだろう?
1951年の漫画では、ゲットリッチクィックではグーフィーはポーカーで勝ってお金を手に入れるが、ギャンブルがきらいな彼の妻は初めは怒ったが、彼がどれほど勝ったかがわかると彼を許すのだ。
グーフィーは、彼等が彼の妻に「得られやすいものは失いやすい!」と言う事で消費景気をもつことが出来ると示している。
「ギャンブルへの傾倒」とは、イルミナティがこの国(アメリカ)にしみ込ませたがっている非常に強力な精神だ。
ギャンブルを促進する漫画が、子供のために健全であるなんてことがあるだろうか?
中佐のデーヴ・グロースマンは兵士が人を殺すようにするためにはどのような状態にするべきかという軍事の専門家だ。
彼は彼が執筆した優れた本、On Killing (Boston, MS: Little Brown & Co., 1996)の中でこう書いた。
$akazukinのブログ
「政府が兵士たちに殺しをさせるようにするための条件のプロセスと同じ方法が娯楽産業によって行われている。」
唯一の主要な違いは軍では、兵士が殺すという行動をとるのは、上官に「命令された」という理由だけだ。それとは別に、我々の子供たちは殺したければいつでも殺す事ができるとテレビのエンターテイメントを通して教えられるという事だ。
グロースマンは308ページでこう述べる、「殺す調節は漫画で始まる。 」
「それは漫画から無邪気に始まり、次に、子供の成長に従い、テレビで表現される無数の暴力の行為に進んで行く、そして両親の無関心か意識的な決断で、ナイフが体に突き刺さったり、血が吹き出す長いショットや、銃弾が体を貫くと脳みそや血が炸裂したりする、R ratedの(低俗な)映画を見る事を許可し始める。」
「彼等がこの恐ろしい死をテレビで見る間、彼等はこの苦しみが、エンターテイメントと喜び、彼等の大好きなソフトドリンクやキャンディーバーと親密な彼等のデートと関連づける事を学ぶのだ。」同 P302
ーーー*残虐な殺人の場面などを盛り込んだ「娯楽」映画を見る行為は、同時においしいお菓子や家族、恋人、友人、居心地の良いシアター、部屋などという心地よいものとセットになっているというのは、
ちょっと考えただけでも不気味な効果があるだろうと思われる。。
ディズニーには、表面的には健全の外観がある。 しかしこの外観は偽りである。
ディズニー漫画の厳密な研究は、ディズニーの漫画の多くの暴力が漫画の中ではなく、実際の本物の生活の中の暴力でなければ表現する事が出来なかったことを暴く。
健全という見かけは欺瞞の一つであり、ディズニーの漫画と映画を非常に危険なものにする。
漫画が健全であるということがディズニーのイメージだった。
イルミナティのマインドコントロールプログラマーが、アメリカの一般市民がディズニーに対してどれくらいナイーブであるかと笑っている訳である。
ディズニーのガーゴイルスGargoylesの漫画は純粋な悪霊学のテレビシリーズである。
筋は、悪霊の人種がニューヨーク市を保護するということだ。 ガーゴイルスの1つはDemonaとさえ命名される。(Demon、デーモン悪魔)
イルミナティーのプログラマーは、群衆がどれくらい愚かで、容易にだまされるかに驚かされている。
ディズニー映画がプログラムのスクリプトとしてどのように利用されたのか、本章の終わりで1つの詳細例を紹介しよう。
イルミナティーとマフィアは、ウォルトにはイルミナティの偉大な計画が必要とした仕事を成し遂げる能力があったのを知っていた。 彼らは、彼に協力させるための「あめと鞭」を持っているのを知っていた。
ウォルトが働き者であったというのは疑いの余地はない、そしてその見返りに、彼の従業員からは高い規格を期待した。
中略
アリスシリーズの後に、ディズニーは、ラッキーなウサギのオズワルドOswald the Lucky Rabbitと呼ばれる完全にアンメーションだけのシリーズを始めた。
ここで、私たちは幸運についてのオカルト的意味をかすかに促進させているのを見ることが出来る。
ディズニー漫画は娯楽かもしれない、しかしまた、彼らは漫画を楽しませている間、同時に教義を刷り込むのだ。
1926年、ウォルト ディズニーは、Mintz and Film Booking Offices (EBO)と契約を結ぶ。
フィルムブッキングオフィスはイルミナティの中心人物でマフィアのボスのジョゼフ ケネディの会社だった。
少なくとも次の数年間、ディズニーはイルミナティの中心人物のケネディのコントロール(援助)の下で働いた。
全てのディズニーの映画は、ケネディのFBOの親会社の1つR-C Pictures社によって登録された。
また、ジョゼフケネディは他の大きいスタジオと共に働いていたRKOスタジオを支配した。それはどんな小さいスタジオも競争相手として発展させないようにするためだった。
1937年までには、20センチュリー、パラマウント、MGM、ワーナーブラザース、コロンビアピクチャーズ、ケネディのRKO、(20th Cent., Paramount, MGM, Warner Bros., Cohn’s Columbia Pictures ,Kennedy’s RKO)などのすべての大きいスタジオはマフィアにお金をかすめとることを許したのだ。
中略
1929年、漫画ハウンテッドハウス、The Haunted Houseが登場した。
それはミッキーマウスが嵐にあって、気味の悪い音楽会にミッキーを強制的に引き込む幽霊たちでいっぱいの幽霊屋敷に逃げ込む、という話である。
1930年、スタジオをコントロールしていた最も無情で芳しくない人間のひとり、ハリーコーンはディズニーのお金を盗んでいた詐欺師パットパワーズのウォルトの問題からウォルトディズニーを保釈した。
ハリーコーンは、シカゴの投資家によって、彼らのコロンビアピクチャーズへの投資のためとスタジオを経営させる目的で呼ばれた元ニューヨークのビリヤードのやり手ギャンブラーだった。
ハリーコーンはシカゴマフィアのジョニーロッセリJohnny Roselliが彼に与えたサファイアリングをはめていた。
後にロッセリはCIAの凶暴な資産になって、彼に手渡されたCIAの契約について議会の前で証言した。(the Church Committee on Assassinations in ‘74)
ロッセリはアンソニー アッカルドとサム ジアンカーナAnthony Accardo,Sam Giancanaを含むマフィアの「カウンシル9」Mafia Council of 9のために働いた。
ある人々によれば、 ハリー コーンはハリウッドで最も嫌われている男であると言われた。
彼のお金は「皇帝の権力」を彼に与えた。
その金は彼の欲望、快楽を満たすために、利用可能な最高の女性の肉体を提供した。
彼はいつも新しいドル紙幣の束と一緒にラスベガスから帰ってくるように見えた。
彼に近い関係の人間たちに、ハリーがラスベガスに旅行するたびいつも持って変えるその「新しい金」がどこから来るのか不思議がらせた。
1931年に、ウォルトは長い自殺的なうつ病に入った。それは1932年まで続いた。
1932年夏には神経衰弱から回復するために休暇を取った。
1932年に、インガソルIngersollはミッキーマウス腕時計の初版を売り出す。
ディズニー製品は世界への消費者運動のモデルとして登場する。
中略
ディズニー腕時計は絶え間なく作られていく。 80の米国の主要企業(ゼネラルフーズや、RCAやNationalディリーなど)が、ディズニー製品を売り出し始めるのだ。
エド サリバンは定期的にディズニーの仕事に関してほらをふく小説を書き始めた。 フリーメーソンのKleinsmid博士は、Dr. Rufus B. von Kleinsmid, pres. of the Univ. of So. Cal.,
ウォルトの「子供との仕事」の業績に対し、ペアレンツという雑誌から賞を与えた。
中略
1932年に、ロイは、コロンビアからUnited Artistsにディズニーを切り換えた。
[翻訳 そら]
- 語られないディズニー(7) (akazukinのブログ)(彼女は性的奴隷としてCIAによって使用された。) こーるてん 2017/3/02 21:35:19
(0)
- 語られないディズニー(5) (akazukinのブログ) (闇の紳士たち) こーるてん 2017/3/02 21:21:51
(0)
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
▲上へ ★阿修羅♪ > マスコミ・電通批評15掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。