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諫山創『進撃の巨人』第1巻(講談社)
逮捕された講談社社員“『進撃の巨人』生みの親”報道は間違いじゃない! 報道を非難するネット世論の歪み
http://lite-ra.com/2017/01/post-2847.html
2017.01.13. 講談社社員「進撃の巨人」報道の是非 リテラ
大きな衝撃を与えた妻殺害容疑での講談社社員逮捕。男性は「少年マガジン」副編集長、「別冊少年マガジン」編集長(肩書きは班長)などを歴任し、現在「モーニング」の編集次長。講談社の社長賞も受賞した経験をもつという。現役の大手出版社編集者が殺人容疑で逮捕されるというのは前代未聞のため、マスコミも大々的にその仕事内容を伝えた。
ところが、これに思わぬ反応を見せたのがネットだった。多くのマスコミが容疑者について「『進撃の巨人』“生みの親”」と表現したことについて、こんな批判が殺到しているのだ。
〈容疑者と「進撃の巨人」とは全く無関係です。あなた方はよく調べもせず「生みの親」などというデマを堂々と報道するのですね。関係者ならびに作品のファンに強く謝罪を求めます。〉
〈容疑者は「進撃の巨人」の編集とは無関係なんでしょ?事件自体もそうだけど、マスコミ各社による「進撃の巨人」への印象操作についても報道してもらえません?〉
〈進撃の巨人には何の関係もないのに、マスゴミ内部のクソチョンがここぞとばかりに大嘘を……チョン死ね(直喩)〉
(註:容疑者の名称については引用者の判断で削除した)
つまり、『進撃の巨人』の“生みの親”というのはデマであり、殺人事件で名前を出すのはおかしい、というのだ。これを受けて、一部ネットニュースもこの“報道への反応”を取り上げ、『進撃の巨人』が見出しなどに使われることに対して疑問を呈している。また現在、容疑者の男性が編集次長を務める「モーニング」も公式サイトで11日、〈一部メディアの報道には「『進撃の巨人』の立ち上げ担当」とありますが、これは事実ではありません。本人が『進撃の巨人』を担当したことはなく、正確には「掲載誌の創刊スタッフ」であったことをお知らせいたします〉と発表するに至った。
だが、この流れにはかなり違和感がある。そもそも、容疑者を“『進撃の巨人』の生みの親”と表現することは、けっして間違いではないからだ。
たしかに、容疑者の男性は『進撃の巨人』の直接の担当編集者ではない。しかし、『進撃の巨人』の掲載誌「別冊少年マガジン」を2009年に立ち上げ、同誌編集長を長らく務めた。そして『進撃の巨人』は、同雑誌創刊号から連載をスタートした生え抜きの看板作品で、著者・諫山創のデビュー作である。
「もちろん最終的に、連載のゴーサインを出したのは編集長です。というか、『少年マガジン』などでは連載できない『進撃の巨人』のようなマニアックな作品を連載するために『別冊少年マガジン』を立ち上げた。彼がいなくては、『進撃の巨人』は世に出ていなかったと思います」(講談社社員)
ようするに、容疑者が『進撃の巨人』の生みの親のひとりであることは動かしがたい事実なのだ。むしろ、それをファンが「無関係」と言い切るのは、逆に同作の経歴を無視していることになるだろう。
もっとも、事実であっても、容疑者の段階で氏名や勤務先など個人情報を報じるべきではない、という論理ならよく理解できる。たしかに、逮捕されたとはいえ、民主主義国家には推定無罪の原則があるし、この容疑者の男性はまだ容疑を否認している。「知る権利」との兼ね合いの問題はあるが、有罪が確定していない段階で犯人扱いをし、個人情報を書き立てるのは人権侵害だ、というのはひとつの考え方だろう。
ところが、いまネット上で飛び交っている発言を観察すると、容疑者の男性の氏名や、講談社勤務であること、逮捕前の彼のSNSでの発言が盛んに報じられていることについては、まったくクレームをつけていない。また、男性は「少年マガジン」副編集長などを歴任し『GTO』や『七つの大罪』、『聲の形』などの大ヒット作も手がけており、マスコミはこれらの作品名も報じているが、ネットではほぼ『進撃の巨人』の報道だけが批判の矛先になっている。
そう考えると、いまネット上で叫ばれているのは「容疑者段階で個人情報を報じるな」という話ではない。「俺の大好きな『進撃の巨人』を汚すな」という話にすぎないのだ。
だとしたら、これは報道というものをまったく理解していないと言わざるをえない。逮捕された以上、ある程度の個人情報を報道してよいという立場に立つなら、その仕事内容も社会の正当な関心事として伝えることになる。とりわけ、容疑者が作品などの表現に関わる仕事をしていたのならば、その人物が手がけた作品名を報じるのは、当然だろう。
それを、「報道するな」とがなりたてるのは、“見たくないものは見たくない”という個人的な感情を社会正義として押し付ける傲慢な行為であり、民主主義の根幹である表現の自由、報道の自由をゆるがす幼稚な態度だ。
しかも、こうしたネット世論の“見たくないものは見たくない”という感情の押し付けは、一方で反転し、逆に“見たいものだけを切り取り、攻撃材料にする”というグロテスクなかたちで表出している。いま、ネット上では、またぞろネット右翼たちが、容疑者の男性が韓国籍であるのをあげつらって、こんなことをほざいているのだ。
〈また韓国人か……もううんざりだ。福島で仏像や石像を破壊して回ったのも韓国人だったし〉〈犯罪ミンジョクは日本から出て行け!〉〈残虐極まりない民族だな!日本から韓国人を排除せねばならない!〉〈講談社は超反日左翼出版社。内部に朝鮮人いたんだねー〉
毎度、引用するのも躊躇われる連中の醜悪なヘイトスピーチには、心底辟易させられる。言うまでもなく、個人の出自をあげつらって差別し、民族という特定の属性をもつ人々全員に対し「日本から出て行け」「死ね」など扇動するは、ヘイトスピーチでありヘイトクライムに他ならない。というか、容疑者が韓国籍だからなんなのか。これまで、殺人の容疑がかけられた日本国籍の人間など数え切れないし、海外で検挙された日本人も山ほどいるが、ではネトウヨは「日本人は犯罪民族」とでも主張するのだろうか。ありえないだろう。
しかし、それがどれだけ異常な差別意識の発露であっても、こういう犯罪と国籍を結びつける言辞が日本社会で蔓延している事実は無視できない。たとえば、作家の百田尚樹が、千葉大医学部の学生3名が集団強姦致傷容疑で逮捕された事件で氏名が未公表だったことについて、〈犯人の学生たちは大物政治家の息子か、警察幹部の息子か、などと言われているが、私は在日外国人たちではないかという気がする〉とツイート、なんの証拠もなしに“犯人は在日”と言いふらしたことは記憶に新しい。なお後の週刊誌報道で、容疑者のひとりが“法曹界の名家”出身者であることが報じられ、百田のツイートが実際に悪質なデマであることも確定している。
いずれにせよ、愚昧なネトウヨ連中は、“叩きたいものだけを叩く”ために“見たいものだけを見る”。そうして恣意的に容疑者の属性の一部分を抜き出し、バッシングやヘイトに利用しているにすぎない。
そして、繰り返すが「『進撃の巨人』の名前を出すな!マスコミは謝れ!」という“見たくないものは見せるな”という態度もまた、これとコインの裏と表の関係にあるように思える。
しかも、問題なのは、こうした幼稚なネット世論が最近、個人のSNSにとどまらず、ニュースサイトや新聞、テレビにまで波及し、それが「正義」として現実を動かすようになってしまったことだ。これはかなり危険な傾向だと思うのだが、いかがだろうか。
(宮島みつや)
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