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2016年07月21日(木) 河合敦
100年前と比べると、こんなに違う「ニッポンの偉人」〜『世界一受けたい授業』河合先生の驚きの歴史講座
〔PHOTO〕gettyimages
歴史の解釈は時代とともに変わる、とは言うけれど、人気のある偉人も、時代とともに変わります。『世界一受けたい授業』でおなじみの河合敦先生が、歴史ヒーローの古今について、解説します。
女子高生の悲鳴に驚いたら…
数年前、高校で歴史を教えていた時に驚くことがありました。黒板に「長宗我部元親」と書いたら、突然女子生徒が「キャー」と声を上げたのです。なにが起きたのかと思い「どうした!」と尋ねると、「カッコイイ!」と。
私は仰天しました。現存する肖像画を思い浮かべる限り、長宗我部元親はとてもではありませんが女子高生がときめくようなルックスとは思えなかったからです。
後で分かったのですが、彼女の脳裏に浮かんでいたのは、戦国時代を舞台にしたテレビゲームで活躍する「イケメンの元親像」だったのです。そのゲームでは、大変に美化された武将たちが登場するのですが、特に元親の人気が高いと聞き、時代の変化に驚いたものです。
テレビや雑誌などでは、しばしば「好きな歴史上の人物・偉人ランキング特集」が組まれますが、その多くは、決まったメンバーが顔を揃えていますように思えます。
戦国時代だと、確実に上位にあがってくるのが織田信長、真田幸村、伊達政宗などでしょう。幕末では坂本龍馬がダントツで、さらに高杉晋作、土方歳三、沖田総司などが続きます。そのほかの時代では卑弥呼や聖徳太子、夏目漱石なども根強い人気です。それこそ、今の女子高生に聞くと、「長宗我部元親」という声も上がるのかもしれません。
でも、戦前に同じアンケートをとったら、その結果は全く変わったものなったはず。たぶん今では考えられない、楠木正成、中江藤樹、二宮尊徳、和気清麻呂、乃木希典などがランクインしているのではないでしょうか。
時代によって偉人の人気や評価が変わる理由はどこにあるのでしょうか。
戦前の歴史教科書を紐解くと…
その理由一つは、皇国史観にあります。戦前は、天皇に忠節を尽くしたかどうかが、歴史人物の評価基準になっていました。だから、後醍醐天皇のために命を捨てた楠木正成や、皇位をねらった道鏡の野望をくじいた和気清麻呂が英雄視されたし、逆に、後白河法皇から朝廷の実権を奪った平清盛、後醍醐天皇の建武政府をつぶした足利尊氏の評価はクソミソだったのです。
平清盛と言えば、今では悲劇のヒーローとしてとりわけ女性の間での人気が高いようですが、戦前は180度違った捉えられ方がされていました。昭和18年の国定教科書『初等科国史 上』(文部省)にはこうあります。
「思いあがった清盛は、勢の盛んなのにまかせて、しだいにわがままをふるまふやうになり、一族のものもまた、これにならひました(原文ママ)」
なにもそこまで言わなくても…と同情したくなるほど、ヒドイものですね。
足利尊氏も、皇国史観の犠牲者の一人と言えるでしょう。幕末には、尊氏を憎んだ勤王の志士たちが、京都・等持院にある尊氏の木像の首を切り、三条河原にさらしています。イラク戦争後にサダム・フセインの像が引き倒される映像を憶えている読者も多いと思いますが、多分あんな感じだったのでしょう。
明治時代に入ると、尊氏を評価した国定教科書の記載が政治問題に発展し、教科書の執筆者が処分されるという事件まで起きているのですから、驚きです。以後、尊氏の立てた北朝は正統ではないとされ、「南北朝時代」という教科書の項目は、南朝に都があった吉野にちなみ「吉野時代」と改められ、尊氏はことさら貶めて書かれるようになったのです。
こうした尊氏のヒールなイメージは戦後も続きましたが、1991年にNHKの大河ドラマ『太平記』が放映されると、状況が一転。尊氏演じた真田広之の人気もさることながら、朝敵となったことを恥じて戦いから離れるなど、悩める姿が好感を呼び、尊氏は一躍国民的な英雄として認知されるようになりました。先の清盛についても、やはり大河ドラマで印象が変わった人が少なくないでしょう。
このようにドラマや映画、さらに著作物が偉人たちの評価に大きく影響することも珍しくありません。最近で言えば、直江兼続、篤姫、白洲次郎などは、本やドラマなどで取り上げられ、人気がジャンプアップした偉人たちと言えるでしょう。
特に最近、その影響力が増しているのがテレビやスマホで遊ぶ歴史ゲームで、冒頭の長宗我部元親などがその典型です。
いずれせよ、メディアが偉人の評価に与える影響は絶大なのですが、なかでも国民的な歴史作家である司馬遼太郎は、ぬきんでています。
恐るべき司馬史観
20年前のことでした。私が母親と話をしているとき、日露戦争で活躍した乃木希典のことが出ました。私が「乃木が無能だったので、旅順攻撃で多数の兵士を死なせた」といったとき、母がムッとして「あんたの言っていることは間違い」と言い返えされました。
母親がいうには、幼い頃「ノギサンハ エライヒト」といって遊んだというのです。これは「だるまさんがころんだ」と同じ遊びらしいのですが、母は終戦時の年齢が6歳だったので、当然、民主主義教育をうけて育ったと思っていただけに、あの発言には驚いたのをよく憶えています。
戦前の乃木は、明治天皇に殉じたので神として乃木神社に祀られ、忠臣の手本として国定教科書にも掲載されていました。そんな英雄像を一変させ、我々世代の知る乃木に代えてしまったのが先の司馬です。
彼は『坂上の雲』や『殉死』、『要塞』といった作品で、乃木の軍事的無能さを繰り返し述べています。
たとえば、乃木と第三軍の参謀であった伊地知幸介について、『要塞』のなかで「乃木と伊地知は、なおも二〇三高地に攻撃の主眼を置こうとはせず、頑固に最初の強襲攻撃の方針をすてず、連日おびただしい死を累積させつつあり、そういう乃木や伊地知のすがたは、冷静な専門家の目からみれば無能というより狂人というにちかかった」と記しています。
これは、二〇三高地を攻略し旅順を落とした児玉源太郎の功績をことさら大きく見せるための演出だったと思われますが、よくぞここまで大胆に言いきったな、と感心します。
同じことは、忠臣蔵の吉良上野介でもいえます。講談や歌舞伎での、吉良の浅野長矩(赤穂藩主)へのいじめはすさまじい。ある意味、ここまで吉良がひどい悪党なので、私たちは赤穂浪士の討ち入りに爽快感を味わうことができるのです。しかし実際の吉良は、地元では名君として住人から今も慕われているのです。
ともあれ、司馬作品は説得力があるし、それゆえに影響力があるので、希典の評価は史実として定着してしまったのです。
ただ、乃木のために弁解すれば、もともと陸軍は旅順要塞を簡単に落とせると過小評価しており、乃木の第三軍に不十分な武器・弾薬しか持せませんでした。
また、近年の軍事史研究では、初めから二〇三高地を主攻点として陥落させても無傷のロシア軍に奪還されるのは明らかで、もし二〇三高地に全力を向けていたら東北方面のロシア軍が左翼や背後から迫り、日本軍は全滅した可能性があるといいます。だから乃木が無能というのは明らかに言い過ぎなのです。つまり、私も司馬史観に毒されていたわけですね。
女性の評価は、昔のほうが高かった?
かくも司馬の影響は大きい。坂本龍馬、新選組の土方歳三、沖田総司などを国民的なヒーローにしたのも彼にほかなりません。
龍馬は維新前に殺され、土佐閥の多くが政府から下野してしまったこともあり、明治時代は忘れ去れた存在でした。日露戦争のとき、明治天皇の皇后の夢に現れ、日本の勝利を確約したことで多少話題になった程度です。それを戦後、司馬が再評価し、『竜馬がゆく』によって国民的な英雄に仕立て上げたのです。
新選組も全く同様ですが、龍馬と新撰組を比較すると、両者には決定的な違いがあります。新選組についていえば、教科書での評価は極めて低いということ。
教科書は、世間とは評価基準が異なり、歴史的な功績が重要視されるのだから当然と言えば当然ですが、たとえば、薩長同盟や大政奉還は歴史を転換させる出来事であり、これに深く関与した坂本龍馬の名は、教科書の本文でゴチック(太字)扱いになっています。
それに対し、新選組は、教科書の注書きに少し登場する程度で、土方歳三は1社の教科書にしか出て来ないし、沖田総司にいたってはその記述は皆無。いくら有名でも、歴史を大きく動かしていなければ教科書では軽い扱いなのが、現実なのです。
ただ、教科書も流行や時代の空気に左右される部分もあります。
例えば30年前の教科書を見ると、いまより女性の偉人の記述が多い。源頼朝の妻・北条政子の箇所を今と昔で比較すると、その違いは明らかです。これは、1960年代後半に日本でウーマンリブ運動が起こると、70年代に女性史ブームが到来したことと関係があると考えられます。
また、この頃、永井路子の『北条政子』、『炎環』、『つわものの賦』などを原作とした大河ドラマ『草燃える』が放映されており、こうした世相と無関係ではないでしょう。
時代のムードが歴史を変える?
ところで、今現在人気が高い歴史の偉人たち、その理由はどこにあるのでしょうか。
例えば戦国大名でも昭和時代には圧倒的に人気が高かったのは秀吉ですが、今は信長が勝っています。維新についても、少し前は西郷隆盛や吉田松陰でしたが、今は龍馬がダントツ。信長で言えばゲーム『信長の野望』の影響もあるでしょうし、龍馬については福山雅治の『龍馬伝』のインパクトが大きいのは間違いありません。
ただそれ以上に、時代のムードが彼らを求めているのではないか、と私は感じています。つまり、彼らに共通するのは、古い価値観を破壊して新たな時代を生み出したり、そのきっかけを作ったりしたこと。そこに、どこか閉塞的な今の時代を生きる多くの人は魅力を感じているのではないでしょうか。
このように偉人の人気や評価は、そのときの思想、流行やさらに研究の進展などによって大きく変化していくわけで、人気の高い偉人を知ることで、逆にその時代を取り巻く空気や方向性を認識することもできる。これも、歴史のひとつの楽しみであり、活用法と言えるかも知れませんね。
http://gendai.ismedia.jp/articles/print/49145
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