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【第69回】 2017年1月18日 浅川澄一 [福祉ジャーナリスト(前・日本経済新聞社編集委員)]
外国人介護者の増加策は「移民」本格化の突破口になるか
人員不足が深刻化
外国人介護者ラッシュも
外国人介護者への門戸が大きく開放されつつある。十数年前までは考えられなかった。介護現場での人員不足が深刻になり、「介護は日本人で」としていた従来の発想を一変させた。介護分野で今年最大の注目を集めそうだ。
「介護は日本人で」などと言っていられない
昨年11月に新法の技能実習適正実施・実習生保護法と改正入管難民法の2法案会が成立した。これにより、技能実習生の実習先として新たに介護が加わった。農漁業や製造業と異なる「対人サービス」が初めて登場する。同時に実習期間を3年から最長5年に延ばすことにした。
また、外国人の在留資格の「専門的・技術的分野」に介護が新しく加わり、介護福祉士の資格を取得した留学生は期間限定なく、ずっと日本で働き続けられるようになった。
3年ごとに改定される介護保険制度の次の改定は来年4月。外国人介護者の新制度は今秋には実施されることになり、アジアからの数万人規模の介護者ラッシュが起きそうだ。
有料老人ホームや特別養護老人ホームなどの施設運営者は、すでにアジア諸国での人員確保のパイプ作りに走り出している。現地の介護者養成機関や日本語学校、自治体などを訪ね独自のネットワークの構築を急ぐ。
全国で約470の事業所を運営する湖山医療福祉グループは、中国から100人以上の技能実習生を受け入れる方針だ。上海で定員約600人の大型老人ホームを建設を進めており、将来、技術を習得して帰国した実習生の働く場とする。
「ベネッセ」ブランドの有料老人ホームを全国展開している大手事業者のベネッセスタイルケアは、2017年度中に約10人の実習生を受け入れ、ツクイもベトナムから150人を迎えるという。学研ココファンも2020年までにミャンマーや中国フィリピンなどから120人ほど受け入れる。
人手不足解消のための
「裏口入学」の門戸を広げただけ?
技能実習生制度は19993年に創設された。途上国への技術移転を目的に実習生を受け入れる制度。金属プレス工、建築大工、漁船漁業、畜産など74の指定職種で、昨年6月末時点で約21万人が働いている。
介護は「日本が特に優れている業種とは言えない」として、含めていなかったが、今回新たに加えた。
同制度は、残業代など賃金の不払いや過酷な労働実態などの問題があり、それによる失踪や労災事故も起き、抜本的な見直しが指摘されてきた。新法では、新たに「外国人技能実習機構」を設立し、実習先の実習計画遵守や実習生の人権侵害を防ぐことにした。本部と13カ所の地方事務所を設け、約330人の職員を揃える。
実習が4年目に入る時に、転職を認めることとし、働きやすい環境作りにも腐心した。ただ、関係者からは改善を求められていることはまだ多い。
相手国の送り出し機関が高額の手数料を実習生から集めていたり、国内の受け入れ窓口となる監理団体が実習先から毎月数万円の監理費を徴収し、それが賃金抑制につながっている、ともいわれる。送り出し機関への指導・監督の強化を促すための相手国との協定締結は、法律の付帯事項に記されたが、努力義務に止まった。
そして、介護事業者にとって最大の懸案は、実習生が労働者でないことだ。つまり通常の職員として、介護保険法で定められた人員配置基準の人数に含めることができない。特養や有料老人ホームでは、入居者に対する職員の比率は最低3対1とされており、グループホームの日中勤務者は、定員9人であれば3人以上の職員がいなければならない。
実習生はこうした最低配置人員からはずれた「余剰職員」の扱いとなってしまう。働き手にはなっても、それに見合う介護保険による介護報酬が得られない。いわば、人件費は事業者からの持ち出し。それでいて、労働基準法や最低賃金法など労働関係法の順守を迫られる。経営者にとっては頭の痛いところだ。
一方、経済連携協定(EPA)によって、ベトナムやフィリピン、インドネシアから介護福祉士の候補生として来日している職員は労働者とみなされる。従って、配置基準に含めている。
EPAの来日者も当初は人員にカウントされなかったが、今では就労半年後か「N2」の日本語能力があれば基本人員の対象となる。とはいえ、EPAの来日者は8年間で約2800人、そのうち介護福祉士の資格を取得した勤務者は約310人に過ぎない。
もともと関税協定のなかで登場した来日者で、厚労省も「人員不足対策とは全く異なる」としており、この先も本流とはならないだろう。
ではなぜ、技能実習生は労働者ではないのか。国は「あくまで経済発展を担う人づくり、国際貢献が目的」と説明し、外交や経済問題と位置付けているからだ。歴代政権が「単純労働者の在留は認めない」「移民は絶対受け入れない」という原則を掲げ続けていることも背景にある。
そのため、実習生の滞在期間を3年に限定し、母国での同種業務の経験という「前職要件」を課している。
ところが、現場の受け入れ先では「事業を維持させるために雇う」のであり、労働者として処遇している。なかには、海がない山国から来日し、カキの養殖場や漁業に従事している実習生もおり、祖国への技術移転の趣旨にそぐわないケースもある。
つまり、国の「建前」と現場の「本音」が大きく乖離しているのは明白である。今回の法改正が人手不足解消のための「裏口入学」の門戸を広げたのは間違いない。「移民」と言う言葉を使わないで、巧妙に「裏口」を増やして、実質的には「安価な労働力の受け入れ」への舵を切った。
介護福祉士資格取得で
日本で働き続けられるように
技能実習生と並んで新たに突破口が開いたのは留学生の専門職への道である。在留資格に新たに「介護」が加わったことで、介護福祉士の資格さえ取得すれば、卒業後に在留資格を「留学」から「介護」に切り替え、就労ビザで長く日本で働き続けられる。
技能実習生と違って、期間制限ない。これまでは、介護福祉士の資格を取得しても、介護の仕事はできなかった。
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来日後に福祉施設で最長週24時間のアルバイトをして現場体験を重ねながら、介護福祉士養成施設で学んで資格取得を目指す留学生が増えるだろう。
各地の介護福祉士の養成学校ではアジアからの留学生が急増している。専門学校や短大で構成する日本介護福祉士養成施設協会(東京都千代田区)によると、これまで20人ほどだった留学生の入学者が昨春は257人にも増えた。
2022年度以降は介護福祉士の国家試験を合格しなければならないが、それまでは2年以上学んで卒業すれば資格を得られる。
ベトナムやネパールからの入学者が増えており、この数年急増している両国からの在留者がますます多くなっていきそうだ。
こうした留学生からの専門職ルートには先例がある。医療機関が看護師育成に乗り出している。
板橋中央総合病院(東京都板橋区)を中核とするIMSグループは中国人看護師を日本に呼び入れ、日本の看護師資格を取得してもらい、その後3年間はグループの病院で働く仕組みを作った。受験に備えた教育機関とも連携し受験期間の生活費や家賃を提供している。
2014年の看護師試験の外国人合格者176人のうちIMSグループから40人、その前年は176人のうち53人が同グループだった。相当の高率である。14年までの6年間で166人が合格しており、受験者は168人だからほぼ全員合格するという実績だ。
外国人が看護師試験に臨むには、日本語能力が最高度の「N1」を取得していなければならない。同グループでは、中国で日本語学科を持つ学校と連携して「優秀な」看護師を留学生とすることに奏功しているようだ。
こうした相手国機関との連携が介護分野でも大きなカギとなるだろう。
また、経団連は、介護福祉士よりも資格取得が容易な「介護職員初任者研修終了」者が就労と在留資格の更新ができるよう求めている。そうなれば、裾野は大きく拡大することになる。
政府は、このほかに、EPAで来日した介護福祉士の資格取得者に訪問介護
を認めることにし、この4月から実施する。
これまでの勤務先は、日本人職員が一緒の特養などの施設に限られていた。訪問介護は1人で高齢者の自宅などを訪問し、掃除や買い物、食事、入浴、排泄介助などを行う。
言葉や食事など生活習慣の違いがあるため、訪問介護は難しいと見られていた。受け入れ調整機関の国際厚生事業団が事業者を調査し、母国語での相談窓口を拡充して不安の払拭に乗り出すと言う。
施設だけでなく、訪問介護のヘルパー不足も深刻になっていることへの対応だ。EPAの介護福祉士試験の合格者が極めて少なく、広がりは期待でないが、外国人介護者への抵抗感が薄れていく一助となるだろう。
単純労働の外国人受け入れも
また、政府は遂に単純労働の外国人の受け入れに踏み出す論議を始めた。「1億総活躍社会」の実現を目指すために総理の私的諮問機関として「働き方改革実現会議」を設け、9月の初回会合で検討された。
介護をはじめ、育児や建設、農業など人手不足の分野でそれぞれ国別、業種別に国の管理下で外国人労働者を受け入れようというものだ。2国間での交渉で詳細を詰めていく。このための制度設計や法整備を目指す。
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現在、日本で働く外国人は、日系人や日本人と結婚した人たち、研究者や経営者などの「高度専門人材」、留学生のアルバイト、技能実習制度による実習生などがいる。合わせて2015年10月時点で90万7896人。その後の増勢で100万人は超えているだろうが、それでも、少子化による生産年齢人口の急減には追い付かない。
今や有効求人倍率が3倍を超えた業種も出てきている。そこで、政府は重い腰を上げ、思い切った政策転換を図ろうと動き出した。
「単純労働者の入国は認めない」「移民は解禁しない」と言い続けてきた基本政策の変更となる。それだけに、労働界や政権内からの反発が予想されるが、経済成長一辺倒の政策を掲げる政権には避けられない対策となってきた。
次の議論は移民の解禁であろう。
足元では、既に日系人に対して特別に単純労働を認めている。労働力不足に陥ったバブル期の1989年に出入国管理法を改正し、3世までの日系人に在留資格と就労を認めることとした。その多くはブラジルやペルーなど中南米諸国の日系人で、自動車や電機業界などの下請け企業で働き出した。
ここでも先例がある。韓国は、2004年に「雇用許可制」を取り入れ、政府の管理下での単純労働者の受け入れに積極的に取り組んでいる。
中国やフィリピンなど15カ国と覚書を交わし、単純労働者が2015年10月末には約27万7000人に達した。翌16年には、再入国者1万2000人を含めて、約5万8000人が加わるという。
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事業者は、2週間程度の採用募集をしても採用できなかった時に外国人を雇用できる。製造業が最も多く、建設業や農畜産業、漁業などに広がっている。
こうした施策もあって、韓国では外国人労働者が94万人となり、日本よりも多い。
台湾でも、単純労働者の受け入れもあって約59万人にも達しており、この10年間で80%も増えている。
「外国人住人との共生」を議論すべきときが来た
しかし、現行制度の改変では人手不足の解消策にはならないだろう。外国人をそのまま生活者として迎える方向に進まざるを得ない。移民である。
働く意欲が高い外国人は、普通の暮らしを営む生活者でもある。技能実習生の受け入れ企業からも「職業人として一人前になれば、長く働きたい人も多い。現場もその方がありがたい」と言う声が高まっている。
欧州諸国では人口の13〜15%が移民で構成されているが、日本ではまだ2%にも満たない。事実上の「鎖国」状態が続いている。長期的にみれば労働者に限らず、普通の市民の受け入れをも視野に入れねばならない。
外国人が多く暮らす地域や都市からは、「外国人との共生は国レベルで早急に議論すべきだ」と訴える声が上がっている。
浜松、四日市、上田市など25市で構成する外国人集住都市会議は、2015年12月の浜松宣言で「かつて、特定地域の一 時的なものとされた外国人労働者の受入れや外国人住民との共生は、今や国全 体で共有すべき課題となっている。外国人住民を受け入れ、多文化共生に取り組 んできた基礎自治体として、その経験や取り組みをこれからのまちづくりや地 域の活性化に生かしていかなければならない」と記している。
今年から技能実習生や留学生がどっと増えて来ることは間違いない。実習生は5年後には帰国を迫らるとはいえ、日本で暮らす外国人は確実に増大する。日々の生活の中で共生や社会的統合の施策を自治体に委ねる時期は脱した。国としてきちんとした移民政策に取り組むべき時代を迎えたと言っていいだろう。
(福祉ジャーナリスト 浅川澄一)
http://diamond.jp/articles/-/114546
News&Analysis
2017年1月18日 高須正和 [チームラボMake部]
人類史上最速で成長する都市「深セン」で何が起きているのか
わずか30年足らずで、人口が30万人から1400万人に増加するなど、人類の歴史上比類のないスピードで発展した深セン。世界の工場として知られたこの場所は、今も中国全土から若者が集まり、65歳以上の高齢者は2%しかいない。爆発的な発展が続く都市・深センの真の姿を、チームラボMake部の発起人で、深センで行われているDIYの祭典「メイカーフェア深セン」の運営委員を務める高須正和氏がレポートする。
深セン中心部の風景
若者が65%、老人は2%
30年で1400万人に膨張
この30年、深センの周辺はおそらく世界で最も変化した場所ではないだろうか。東京都ほどの広さに人口30万人が住むさびれた漁村だった場所が、わずか30年ほどで人口1400万人を超え、珠江デルタと呼ばれる一帯まで入れると4000万人を超える「世界の工場」エリアとなった。中心部は工場の街から金融とイノベーションの街に変化を遂げつつある。
出稼ぎ労働者や、投資マネーを当てにして一発を狙いに来る起業家を吸収し、まだ人口は増え続けている。1400万都市となった今も、20〜30代が人口の65%を占め、65歳以上の高齢者は全人口の2%しかいない。これだけ「長期間にわたって若者ばかりが住んでいる街」も、おそらく歴史上ないだろう。今やGDPが香港を抜き、中国でもっとも生活費が高い街となった深センに、退職後も住み続ける人は少ない。
深セン博物館に展示されている比較図。1985年から2012年までの約30年ですっかり変わった地形
上の図は、深セン博物館に展示された1985年と2012年の深センの街を比較したものだ。1985年といえば、ファミコン版「スーパーマリオ」が発売された年だ。あれから20年あまりで、土地を埋め立て、大量にビルを建て、深センの地形はすっかり変わった。
しかも、2012年以降も深センの発展はまだ続いていて、今なら上の風景の中に、世界最大のドローン企業DJIのフラッグシップショップが見えるはずだ。中国全土から稼ぎたい若者が押し寄せ、毎年新しい地下鉄の路線が通っている。この2年で深センは6本の地下鉄が開通し、路線図は倍以上になった。この10年で増えた人口は400万人以上、横浜やロサンゼルスまるごとに匹敵する規模で拡大しているのだ。
深センの地下鉄の比較。左は2014年に購入した地下鉄カード、1〜5号線しか通っていない。右は2016年のもの。11号線まで掲載されている
道ばたの露店でもスマホ決済
未来を生きる住人たち
人々の暮らし向きも急速に変化し続けている。現在、深センで暮らす人たちの祖父の時代、中国は文化大革命期であり、都市部のインテリ青年は農村での肉体労働に下放されていて、深センには本当に何もなかった。それが今、深センでは電化されたバスや電気自動車は珍しくないし、自転車より電気スクーターを見かけるほうが多い。
道ばたで果物を売る老人もスマホを手にしていて、決済はすべて電子決済。ぼくは深センでは、他の旅行者と割り勘するときぐらいしか財布を取り出す機会がない。
道ばたの果物の量り売りでも、スマホと電子決済で払うことができる
目にする自転車は大半がシェア自転車で、スマホでロックが解除できる。クレジットカードやPCでのインターネット、電子メールといったこれまでの発展の歴史をすっ飛ばして、いきなり最新のテクノロジーが普及したことにより、過去のレガシーにいっさい配慮しなくていい発展が街の隅々まで行き渡っている。
並んでいるのはさまざまなサービスのシェア自転車。GPSとインターネット常時接続が組み込まれていて、スマホでチェックインし、どこで借りてどこで乗り捨ててもいい
深センは中国最初の経済特区だ。この地で成功した経済特区のモデルはその後、中国国内各所に拡大したが、深センほどの劇的な変化は、他の都市では生まれていない。他の経済特区は元々が大都市で、多くの既存の構造や既得権益がある。
既得権益者がいないことは政治的に新しいことのやりやすさにつながるし、やり直しが利きやすく、失敗を許容しやすいことにもつながる。
レガシーを引きずっていないことは都市のマネジメントを変える。上海は深センよりも豊かな国際都市だが、多くの既得権益や遺産があり、深センほど早くは変化できない。北京に至っては数千年の遺産と人々を抱えている。「バスの支払いは全部電子決済にします」といった変化に、最も早く対応できるのは深センの住民たちだし、「新しいバスを全部電気自動車にしよう」のような取り組みができるのは、その地方に根付いた車の販売会社がない深センならではだ。歴史があり、過去のしがらみがあるところほどアップデートに苦労するのは、日本でも歴史ある企業や銀行のシステム刷新などで見られる通りだ。
深センは中国の政策が改革開放に転じた1980年代、当時の最高権力者、ケ小平の号令によりゼロから発展が始まった。そのときに深センの改革を主導したのは、「銭がないなら権をくれ」(*)という名言を党中央に対して主張した習仲勲、習近平の父である。
トライアルアンドエラーや変化を前向きに受け入れていくのは、そもそもの深センの成り立ちとも通じている。
(*)銭と権は中国語では同じチェンという音で、「補助金はいらないから、自由に工夫して商売する権利を深センに与えてほしい」という言葉。当時の中国は計画経済の全盛期で、人々が自分の意思で経済活動するという概念がそもそもなかった。
「地球の歩き方」には載っていない
日本人が知らない深センガイド
今、深センにいる人は、このもっとも成長し、賃金も急上昇している都市に働きに来た人々だ。
深センの発展は、世界の工場と言われるように製造業を中心に始まった。日本の大手メーカーも台湾のFOXCONN(鴻海科技集団/富士康科技集団)も深センに巨大工場を作っている。1990年代に作られた多くの工場は、すでに深センの中心部から郊外に移転し、今ではさらに中国の内陸部や、ベトナムなどに移っている。深センのGDPは香港を超え、もはや安い労働力を提供する場所ではない。
2017年現在、深センの工場で働く工員は、毎月5000元(約8万円)の収入を得ている。基本給2030元に、平均的な残業代と休日手当を含めると、5000元ほどになるのだ。雇い主が住居と食事を供給するのが前提での話なので、この5000元はかなりの部分が手元に残る。世界のほとんどの国より貧しい状態から、世界のほとんどの国より豊かになる状態まで、ほぼ一世代で来た。
出稼ぎの工員は給料の多くを親元に仕送りするが、投資と起業の街となった深センの中心部に住む若者たちはよく物を買う。市の中心部・南山にある「カフェ・インキュベータ」では、レイバンのサングラスをかけトールサイズのタンブラーを持った若者たちが、マックブックを前に英単語混じりの中国語会話をしている。
こうした短期間での生活の変化も人類史上に例がないだろう。
その名も「ベンチャー投資マンション」。この一角には、インキュベーション・カフェというコーヒーショップにインテリジェント・ミルクティーというメニューが並ぶ意識の高さ
急速に発展した都市。
今も発展し続けている都市。
そして、過去を引きずっていない都市。
こういう特異な場所でなければ見ることができない、面白いものがあるんじゃないか。
観光名所はなくても、テクノロジーや、その急成長と集中が生んだ独特の社会が好きな人にとって、深センには注目すべき場所がいくつかある。しかも、いずれも「地球の歩き方」ほか旅行ガイドには絶対に載っていない。
僕はDIYとものづくりの世界的なイベント「メイカーフェア」の、深センの運営委員をしている。また、日本のテクノロジー好きと深センの街を巡る「ニコ技深セン観察会」という不定期イベントの主催をしている。次回から本格的に始まる連載「変化し続ける街 知られざる深セン」で、日本では知られていない深センの街の様子や、魅力的な出来事をレポートしていきたい。
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