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マーケット予想は「必ず外れる人」の逆張りがいちばん当たる!? 「当るも八卦当らぬも八卦」とはいうが
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50644
2017.01.05 安達 誠司 エコノミスト 現代ビジネス
いよいよ2017年が始まった。新年最初(1月4日)の日経平均株価は、前場が終了した時点で前日比400円以上の大幅高となっている。非常に幸先のいいスタートを切ったといえよう。めでたし、めでたし。
市場関係者による今年の株式市場の見通しも、「セールス・トーク」の側面が否定できないものの、堅調に推移すると考えている人が多いようだ。
一方、エコノミストの見方は幾分、慎重なようだ。筆者は某社の「2017年の見通し」というアンケートで、今年の日経平均のレンジを15000円〜21500円と回答した。幾分弱気かなと思ったが、結果をみてみると、他の回答者も17000円〜22000円程度のレンジを想定しており、筆者の見通しと大して変わらなかった(ただし、下値は筆者が飛びぬけて低かったが)。
通常、この手のアンケートの平均的な予想は、外れることが多いので、残念ながら、今回の筆者の予想も外れる可能性が高いだろう(正直なところ、「来年の見通しは?」と訊かれても、いろいろなリスクは指摘できるが、特段のアイデアは浮かんでこなかった)。
そのため、適時、修正したいと思っているが、予想のレンジが非常に中庸なものになったということは、今年の株価はひょっとしたら思い切り上振れるか、思い切り下振れるかのどちらかかもしれない。いずれにせよ、まだ全貌がみえないトランプ米新大統領の政策次第ということになろう。
■毎回「的中」させる人はいない
ところで、筆者は飲み会などでも、知人とマーケットの話をすることが多いが、そのときに、自分のことは棚に上げて半ば冗談で言うのが、「マーケットには、予想がほとんど的中する人は存在しないが、なぜか、必ず外れる人が存在する」ということだ。
メディアを通じてマーケットや経済についての予想を出す人の大多数は、「当るも八卦当らぬも八卦」で予想的中確率は5分5分といってよいだろう(筆者もその中の一人だと思う)。
だが、最近のマーケットや経済関連の本では、著者によっては、帯に「○○を的中させた」という売り文句がつけられていることが多い。だが、このような「当る」ことを「売り」とする論者の予想は、このような形でメディアに出るときには得てして外れる。
そもそも「予想が的中する」という定義も人によってバラバラであるし、場合によっては、リスクシナリオを何種類も出して、そのうちの一つが実現しただけで「当った」と声高に主張する人も少なからず存在する。困るのは、マスメディアがそれに無批判に乗っかったりするケースも多々あることだが、そのような予想は鵜呑みにしないほうがよい。
「予想が当たる人」がもし存在するとすれば、それは、インサイダー情報を持っている人か、自らの情報発信で、マーケットを誘導できる人だろう。もしそういう人を知っているのであれば、その人をフォローすることは有用かもしれない。
例えば、筆者は同業他社の話には全く興味はないが、ジョージ・ソロスなど老舗ヘッジファンドマネージャーの発言が耳に入ったときには、それが何を意味しているのかを割と真剣に考える。それは、彼らにはマーケットを「先導する」能力があるためである(とはいえ、インサイダーを装う人も経済評論家の中にはたくさんいるので注意が必要だが)。
■メディアの予想をどう見るか
話が脇にそれたが、マーケットの先行きを考える際に、「百発百中」ではないにしろ、極めて有用だと思われるのは、前述の「マーケット予想が必ず外れる人」の予想に耳を傾け、その逆の事象が実現すると考えることである。
この「マーケット予想が必ず外れる人」にはいくつかのパターンがある。1つめは、既に「消費」された(使い古された)情報に基づいて予想する人である。より具体的にいえば、有力な新聞や雑誌で取り上げられた情報を元に予想をする人である。このような予想では、現在のマーケットのトレンドが今後もそのまま続いていくという見方になってしまう。
昔のように、ある程度の知識がなければ経済(紙)誌を読みこなすことができない時代であれば、この手の情報が「消費」されるスピードは緩やかで、新聞や雑誌の情報を収集することにもそれなりの意味があったと思う。
しかし、現在のように、インターネットなどの発達で情報の流通速度が飛躍的に上がり、しかも、これらの経済(紙)誌のレベルが下がっている時代に、必死で新聞や雑誌の情報を集めても、集めた段階でその情報は陳腐化してしまっているケースがほとんどであろう。
また、マーケットでは、誰が買って誰が売っているという「需給分析」も重宝されている。このような「需給分析(もしくはそれに付随するチャート分析)」は、極めて短期的な取引(例えば、デイトレード)には有効であるようだ。その最たる例が、コンピューターによる「HFT(High Frequency Trade:高速取引)」ではないかと考える。
「HFT」では、現場のリアルタイムの売り買い情報(「板」という)から瞬時に価格の上げ下げを予想し、秒単位(もっと頻度は多いかもしれない)で売り買いの注文を繰り返し出すようなことがされているらしい。一つひとつの取引での収益は少ないが、取引の回数が多いので累積すると莫大な収益になりうる取引形態である。
だが、現場のディーラーなり、トレーダーからその手の情報を入手して、それをメディアなどを通じて伝えるアナリストの情報は役に立たない。そのような「需給」の情報の鮮度は極めて短期で落ちてしまうためだ。
従って、メディアを通じて流される「需給分析」は、一般投資家には知りえない情報であり、目を引くため、場合によっては説得されそうになるが、ある程度期間の長い(といっても週次や月次以上)予想には役に立たないことが多い。為替の予想などでは、「需給分析」が比較的長期の予想のツールとして用いられることもあるようだが、筆者にとって、この手の情報が役に立った記憶は全くない。
■「日経平均4万円説」は出るか?
2つめは、「極端なシナリオ」を提示する人である。マーケットは勢いがつくと一方向に流れやすいので、その過程で予想もどんどん「先鋭化」していく。
筆者がまだ新人だった1989年(バブルの終盤)に、「日経平均10万円説」というのがまことしやかに流れた。当時、日経平均株価はまもなく4万円に到達する状況だった。さすがに1年で10万円まで上がるとは誰も思っていなかったが、「約5年後の姿」として、多くの人が「日経平均10万円」の世界を思い描いていた(年率で20%の上昇を5年続ければ、実際の1994年末には10万円に肉薄していた計算となる)。
現時点で、そのような極論を出す人はまだ少数である。だが、区切りがいいところで、東京オリンピックが開催される2020年まで、当時の「日経平均10万円説」と同じように年率20%のペースで上昇していくと仮定した場合、2020年末の日経平均株は約4万円となる。
つまり、「東京オリンピックが開催される2020年に日経平均4万円説」は、80年代終盤のバブル期の「日経平均10万円説」とほぼ同じである。今回、これが真面目に語られるようになったら、株価はピークかもしれない。
もう一つの極論といえば、「世界経済崩壊説」である。名前は敢えて出さないが、ほぼ毎年、年末恒例となった「世界経済崩壊」本の出版が、昨年にはなかったことが一部で話題になった。話題になった理由は、これまでに、この本のシリーズが出版されなかったことが過去1回あり、それが、リーマンショックの前の年であったためだ。
すなわち、サンプル数は少ないが、この本の「逆神度」は極めて高く、この法則が当てはまるとすると、2017年にはリーマンショック並みの危機が到来することになってしまう。これは非常に不気味である。
3つめは、誤って理論を適用する人(もしくは理論を単純に適用する人)である。これは、何をもって「正しい」、あるいは「誤っている」を判断するのが難しいし、かつて正しかった理論が現在は誤っているという場合もある。
そのため、ここではこれについて言及しないが、結論だけいえば、筆者は、まことに失礼ながら、経済学者、シンクタンクのエコノミスト、公的機関(及びその出身者)の予想は信じない。IMFやOECDの経済予想のパフォーマンスをみれば納得いただけるだろう(ただし、その分析のフレームワークなどはおおいに参考にさせていただいているし、それを理解しようと努める)。
* * *
今回はいろいろとくだらない話をしたが、筆者が知る限り、マーケットでそれなりに成果を上げている人は、いろいろな情報を入手しながらも、それをすべて自分で咀嚼して、自分の「モデル(勝ちパターン)」の枠組みで消化している人である。
その「モデル」はその人それぞれで、これといった定型的なものはない。投資ホライズン(期間)も投資対象もまちまちである。要は情報を鵜呑みにせずに自分で考えるということであろう。
筆者も他人の意見に惑わされず、「自分で考える」ことを心がけたいと思う。
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