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1990年代、日本の生産性向上が止まってしまった要因とは?(米国経済統計局、内閣府データより筆者作成)
日本を「1人あたり」で最低にした犯人は誰か 「世界最高の労働者」を活かせないという罪
http://toyokeizai.net/articles/-/150913
2016年12月23日 デービッド・アトキンソン :小西美術工藝社社長 東洋経済
日本は「成熟国家」などではない。まだまだ「伸びしろ」にあふれている。
著書『新・観光立国論』で観光行政に、『国宝消滅』で文化財行政に多大な影響を与えてきた「イギリス人アナリスト」にして、創立300年余りの国宝・重要文化財の補修を手掛ける小西美術工藝社社長であるデービッド・アトキンソン氏。
彼が「アナリスト人生30年間の集大成」として、日本経済を蝕む「日本病」の正体を分析し、「処方箋」を明らかにした新刊『新・所得倍増論』は、発売3日で2万5000部のベストセラーとなっている。その中から、「日本人の生産性向上を妨げる犯人」について解説してもらった。
■生産性向上なしに、日本の問題は解決しない
前々回(「1人あたり」は最低な日本経済の悲しい現実)と前回(日本は、ついに「1人あたり」で韓国に抜かれる)の記事で、日本の生産性が他国と比べて相対的に低下している現実を指摘し、生産性向上の必要性を訴えてきました。
このような主張をしていると、必ず「生産性向上など必要ない」という意見をもらいます。しかし「GDP=人口×生産性」です。
人口が増えない中で、生産性を向上させないなら、これから確実に増える社会保障費をどうやってまかなうのか。先進国の中で貧困率がトップクラス、まさに「ワーキングプア大国」という現実をどう解決するのか。「生産性向上など必要ない」と主張する方にはぜひとも教えていただきたいのですが、納得のいく意見を聞いたことがありません。妙案がある方がいらっしゃいましたら、ご連絡をお待ちいたします。
さて、記事への反応の中には、「問題提起だけで解決策が書かれていない」という批判もありましたので、今回はその点を解説していきたいと思います。
まず、「あなたの会社の生産性は、こうすれば上がります」などという魔法の杖は存在しません。各企業が抱える問題はそれぞれですから、対応策も異なります。私自身、小西美術工藝社という300年以上続く会社の経営者として日々生産性向上に努めていますが、うまくいくことばかりではありません。さまざまな抵抗や反対にあい、改革が遅々として進まないことも珍しくありません。
ですが、ひとつだけはっきりしていることがあります。それは、「生産性が相対的に下がったのは、誰のせいか」ということです。「誰が生産性向上の責任を負っているのか」と言い換えても構いません。
■生産性低下の犯人は「長い会議」などではない
記事に対するコメントを拝見していると、「犯人探し」が盛んです。たとえば「会議が長い、根回しが大変、働き方が非効率。だから日本は生産性が低い」という意見がありました。たしかにそれらは日本の特徴かもしれませんが、別に今に始まった話ではありません。日本の生産性の伸びがほぼ止まったのは1990年代からですので、説明要因としては不十分でしょう。
為替調整済みの生産性の推移。これを見ると、「古くからある日本の特徴」は、生産性停滞の直接の原因とは考えられないことがわかる。なお、過去のデータが存在しないため、購買力調整は行っていない(出所:米国経済統計局、内閣府データより筆者作成)
他にも、「画一的な教育が悪い」という意見もあります。かつて日本の教育は、「世界一勤勉な労働者を育成している」と高く評価されていましたが、最近では「個性やクリエイティビティを養うことができない」と言われ、さまざまなところでやり玉に挙がっています。
私は日本の教育を受けたことがないので、日本の教育制度の是非を論じることに抵抗がありますが、外国人の視点から言わせていただくと、このようにかつて良いとされていたことが時代遅れと批判される現象の根底には、「経済の停滞」があるのではないかと考えています。これは世界的にもよくあるパターンです。
たとえば、英国経済が低迷していた時代、私の母校でもあるオックスフォード大学は痛烈な批判に晒されていました。「アカデミズムに偏りすぎで卒業生はビジネスに向かない、社会で本当に役立つことを教えていない」という、どこかで聞いたことのある批判がなされていたのです。
ですが、経済が好転した今、オックスフォード大学の評価は180度変わり、2016年には「世界一」と言われるまでに復活しました。では、オックスフォード大学は何か変わったのでしょうか。いえ、オックスフォード大学の制度も文化も、12世紀からそれほど変わっていません(もちろん、多少の「調整」はしています)。にもかかわらず、経済が好転すると「成功の主要因」のように語られるのは、興味深い現象です。
日本の教育に関する議論にも、同じことが言えるように思います。もちろん、日本の教育に何も問題がないとは言いませんが、それを「生産性停滞の犯人」と決めつけるのは、冷静に考えれば早計だと思います。
また、「日本人が勤勉でなくなった」という意見もあります。こういった人は、「働く人ひとりひとりが生産性を意識しなければいけない」という主張になりがちです。
大変立派な姿勢ですし、生産性を高められれば、もしかしたらその人のお給料は上がるかもしれません。しかし、すべての労働者にそれを求めるのは、一言で言えば「過剰な期待」です。
労働者が自主的に生産性を高めることなど、世界の常識に照らせばあり得ません。「生産性が低いから会議には出ません、報告書も書きません」と言って許されるとは思えませんし、そもそも、労働者には生産性を上げる義務も、インセンティブもありません。
日本では「従業員も経営者目線を持ちなさい」と言われることがあるようですが、そう言うならば、労働者にも経営者と同じだけの給料を支払わなければいけませんし、同じ権限を与えないと理屈が通りません。
そもそも、経営改善は経営者の仕事です。だから「経営者」というのです。生産性の改善とはとりもなおさず「経営改善」のことですから、生産性を改善していく義務は、第一義的に経営者にあるはずです。極めて単純な話です。
国連の調査によると、日本の労働者の質は世界最高と言われています。世界最高の労働者から、先進国最低の生産性しか引き出せていない。私には、日本の経営者の「罪」は決して軽くないと思わずにはいられません。
高スキル構成比とは、「高スキル労働者」が全労働者に占める割合。主に数学的思考能力、識字能力、ITを使った問題解決能力などをベースに国連が独自に算出している(出所:国連データより筆者作成)
■生産性を向上させないと、社会保障が守れない
日本は今、年金、医療、介護に加えて、貧困、ワーキングプア、国の借金など、非常に多くの問題を抱えています。だから安倍政権は、600兆円というGDP目標を置き、女性の活躍、給料の引き上げ、内部留保の活用などを訴えています。人口が増えない中でGDPを増やすというアベノミクスの目標は、生産性を高めていこうということと同義です。
この目標を達成するため、日本政府は公共投資、減税、低金利に続くゼロ金利とマイナス金利、円安誘導に規制緩和と、さまざまな手を打ってきました。政府は企業経営こそできませんが、それ以外にできることはほとんどやっていると思います。しかし、経営者は生産性向上のために動き出していません。「生産性を向上させるべき」という意見に賛同していないのか、その必要性を認識していないのか、自分の責任を感じていないのかはわかりませんが、動き出していないのは明らかです。
私は本を出版する前の2年間、経営者が動き出さない理由をずっと考えていました。さまざまな仮説を立てて、データを分析して検証をしましたが、満足のいく説明はできませんでした。ですが、夏休みのある日、鎌倉のビーチで悟りました。「経営者のモチベーション」こそが問題であると。
日本社会が抱える問題は、経営者にとっては「関係ないこと」です。どれほど社会保障費が膨らんで国の借金が増えても、どれほどワーキングプアが増えても、経営者は困りません。経営者には、自社に対する責任しかないのです。
それに拍車をかけているのが、「日本型資本主義」という幻想です。多少極端な言い方ですが、「大切なのは利益ではない、合理性ではない。仕事は『道』である。日本の精神性を捨てるべきではない」などと言って、生産性改善に向かわない「怠慢」をごまかしてきました。いい加減な経営をしても、内部からのプレッシャーもありません。外部の不満が募って、たとえば敵対的買収の動きになっても、政府に頼んで規制で守ってもらってきました。事実、日本は1990年代から「世界一株価が上がらない国」になっています。
昭和の時代なら、このやり方でも何とかなっていました。それは人口激増という恩恵があったからです。利益を気にしなくても、人口が増えるから、利益は後から自然についてきました。つまり、日本型資本主義は、単なる「人口激増依存型資本主義」だったのです。人口増加が止まった1990年代初頭に経済成長も止まった事実からも、それは明らかです。
しかし、今は平成です。人口横ばい時代を経て、人口激減時代に入っています。日本型資本主義を支えた基礎条件が変わったのですから、いまだに「日本型資本主義」などといって甘えることは許されません。いま「日本型資本主義」などと言っているのは、まるで「天動説」を信じ続けている人を見たような滑稽さを感じます(この点については、回を改めて詳しくご説明します)。
■生産性向上のため、政府は「外圧」となれ
日本政府は、今まではずっと経営者を信じて、プレッシャーをかけてこなかったどころか、「ハゲタカ」などとも言われる外資系金融機関から日本企業を守るという形で、プレッシャーを軽減してきました。人口激増時代には、それで問題ありませんでした。しかし、人口増加が止まった今、この政策はうまくいきません。では、どうすればいいのでしょうか。
私は、政府が公的年金などを通じて「日本一のアクティブ・シェアホルダー」となり、各社に生産性を上げるように強制するべきだと考えています。生産性を上げられない、無駄な内部留保を活用できない経営者は、有能な経営者が現れるまで首を切るべきでしょう。
世界一有能な国民を預かっている以上、経営者には仕事を効率化し、生産性を上げていく義務があります。給料を抑えるだけという単純な戦略ではなく、「本物の経営」をするようにプレッシャーをかけるべきです。そのプレッシャーによって、経営者は株価を継続的に上げる経営をせざるをえなくなります。各社が努力をして、生産性を上げます。その努力の積み重ねによって、GDPは増えるのです。
「そんなことをすると、リストラによって失業者が増える」という反論が予想されますが、今や、人が足りないから移民を迎え入れようという、極めて危険な動きがあります。移民にはさまざまなリスクもあります。人が足りないなら、今いる労働者の生産性を上げていくことによって補えばいいのです。こんなに生産性が低いのですから、移民を迎えることを考える前にやるべきことはあるはずです。
極端なことを言えば、今までの日本の経営者は、「経営」をしてきませんでした。激増する人口という恵まれた環境に甘えて、「管理」をしてきただけです。今となっては不幸なことに、それで大成功を収めてしまいました。この大成功の幻想を追うあまり、人口減少時代に求められている経営に気づけないのだと思います。
これからは経営者という立場の人たちには、きちんと「経営」をしてもらわないといけない時代に変わりました。経営者が危機感を持たず、人口減少時代にふさわしい「経営」をしないなら、強制的にでもさせるしかありません。
「アメリカのような極端な利益至上主義は人を幸せにしない」と言われます。その通りです。しかし、アメリカの極端な「利益至上主義」に対する批判を、日本の「利益否定・生産性軽視」の口実にしてはなりません。
何度も言いますが、生産性を高めないかぎり、増え続ける社会保障を維持することも、先進国でトップクラスの貧困率を改善させることもできないのです。アベノミクスの真の狙いは生産性を上げることです。それを意識して、実行に移す以外に、日本が再生する方法はありません。
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