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地方で自殺が急増した「意外な理由」〜日本社会の隠れたタブー 保険と自殺のキケンな関係
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50183
2016.11.18 貞包 英之 山形大学准教授 現代ビジネス
■「自殺の時代」は終わったのか
今から振り返ると、20世紀の終わりから21世紀初めにかけては「自殺の時代」としてあったことが分かる。
2万人台前半で長い間推移していた自殺者数が、1998年、突如として3万人を超える。以後、警察庁の統計では2003年に3万4427人と統計上最多を記録するなど、15年近く、自殺者数は高止まりを続けた。
そうした自殺はなぜ起こったのかを探っていくと、日本経済の闇と、それと強く結び付いた地方の闇がみえてくる。
たしかに2012年以降、3万人を割り込むなど、自殺問題は一定の落ち着きを取り戻している。しかしそれで全て解決されたわけではない。かつて自殺を増加させたこの社会の闇は、かたちを変えながら、より深く、私たちを取り囲んでいる可能性が高いのである。
■増加の理由は経済的問題?
ではなぜ20世紀末以降、自殺は多発したのか。
その理由は様々に説明されているが、なお充分とはいえない。表面的には妥当な説もある一方で、なぜそうした状況が生まれたのかは、必ずしもあきらかにされていないからである。
たとえば経済的な不況が自殺を引き起こしたという指摘は、たしかに重要になる。98年頃から悪化したバブル崩壊の影響で、失業や倒産、非正規職員が増加し、それがストレスとなり、「うつ」につながることで、自殺が急増したとしたり顔でしばしば説明される。
警察の自殺の動機調査は、それを裏付ける。1997年から98年にかけて「経済・生活問題」で死んだ自殺者は、3556人から6058人へと、1.7倍に急増した。
この意味では、自殺の急増が経済的貧困によって引き起こされたとすることには説得力があるが、ただしそれで全てが解決されるわけではない。問題は、貧困がいつの時代にも、自殺に直結してきたわけではないことである。
たとえば長期的にみれば、貧困は自殺の主因だったわけではない。戦前では、経済的問題はむしろマイナーな自殺原因に留まり、また徐々に減少していた。
それが一転するのは、高度成長期以後のことである。この時期以降に、経済問題が自殺の原因として増加し始める(図1)。
豊かになりゆく社会のなかで、経済的問題はますます多くの自殺の原因になり、20世紀末に自殺は急増したのも、あくまでその延長線上でのことである。
だとすれば経済的困難が自殺を増加させるという状況そのものが、なぜ生まれたのかをもう一度検討する必要があるだろう。
■自殺が多発した地方を読み解く
その際、注目されるのは、20世紀末の自殺の急増が、地方を中心としていたことである。
実際、自殺がもっとも増えた03年とその直前の97年を較べると、1.67倍の福井を筆頭に福島、三重、福島、長崎、石川、青森、熊本、香川、岩手、秋田が増加の激しかった10都道府県として続く(図2)。
東京都の1.31倍など、大都市でもそれなりの増加はみられた。だが1995年以降ワースト1位の座を19年維持した秋田を代表に、地理的に列島の周辺に位置するこれらの地域の多くでそもそも自殺率が高かったという意味で、20世紀末から21世紀初めにかけて地方における自殺率の悪化はしばしば記録的なものとなったのである。
ではこの地方における自殺率増加の原因を、厳しい自然環境や、伝統的な人間関係のせいにできるかといえば、それはむずかしい。
そもそも高度成長以前、自殺は都市部で目立ち、たとえば1965年の自殺率の上位10都道府県には、東京、大阪、京都、兵庫などの人口集積地が顔を出している。その意味で、地方で自殺が多いのは、昔からの風習や自然環境に基づいているという見方は妥当しない。
ではなぜ高度成長期以後、地方で自殺が目立ち始めたのかといえば、そのもっとも大きな理由は、高齢化である。高齢者の自殺率は相対的に高く、だからこそ高齢化の進む地方で自殺は多発した。
ただしそれだけでは20世紀末の自殺の急増は理解できない。その時期とくに目立ったのが、高齢者ではなく、中高年男性の自殺だったからである。1997年と2003年の自殺率を性別・年齢階層別に較べると、40〜49歳の男性が1.68倍と最も増加し、50〜59歳の男性が1.55倍でそれに次ぐ(『自殺対策白書』)。
それは地方においても同じである。たとえば自殺率も自殺増加率も高かった秋田県でも、1993〜1997年から1998〜2002年での自殺率の増加は、45〜54歳と55〜64歳男性でそれぞれ1.68倍、1.62倍と性別年齢階層のなかで1、2位を占めている(自殺予防総合対策センター「自殺対策のための自殺死亡の地域統計1983-2012」)。
この意味で20世紀末の自殺の急増を考えるためには、地方の中高年男性の動向に注目する必要がある。なぜ彼らがその時期、数多く自殺を選んでいくことになったのか。その謎を解くことが「自殺の時代」のあり方を理解するキーになるのである。
■生命保険と自殺の関係
多くの中高年の男性が、地方で経済的問題を苦に自殺していく理由の詳細な分析は筆者の共著(『自殺の歴史社会学:「意志」のゆくえ』)を参照していただくことにして、端的に結論を述べれば、そうした自殺の構造的土台として無視できないのが、20世紀後半における生命保険の普及である。
とくに高度成長期以後、中高年男性を中心に生命保険の普及が進む。戦前にも生命保険はマイナーではなかったが、この場合の保険は、死亡時にもらえる保険金の倍率が低い貯蓄的性格の強いものだった。対して戦後には、死亡時に掛け金の数十倍もの保険金を払う定期付養老保険という特殊な商品が一般化していく。
それを買ったのは、まず当時増加した核家族である。夫の給与に依存し、親族や近隣の人びとから孤立した核家族が、まさかの時に備え生命保険に加入する。それを安心の材料として、先取りした消費もおこなわれる。たとえば団体生命保険に入ることを前提に、資金を持たない核家族も、住宅を購入できるようになったのである。
加えてそれ以上に、生命保険の普及を底支えした集団として注目されるのが、中小企業の経営者である。
高度成長のなかで中小企業は、土地とさらに生命保険を担保として、銀行の融資を取り付けることが求められる。戦中・戦後の金融市場の転換によって、親族や投資家に資金を頼りづらくなった中小企業は、そうして銀行の融資を当てとして規模を拡大するか、事業を止めるのかの選択を迫られたのである。
こうして「命」を賭金とした保険に入る人びとの増加が、全国的に自殺の増加を引き起こす構造的な土台になった可能性を否定できない。
生命保険加入を前提に住宅を購入し負債を抱えた核家族や、さらに生命保険に多重加入することで融資を繋いでいた経営者が、不況の際に借金を精算するために自殺は利用されただけではなく、残される貨幣が「後顧の憂い」を断つことで、自殺は増加していくのではあるまいか。
それを一定の仕方で裏付けるのが、高度成長期以後、自殺総数に対して保険金支払い件数や金額が急増していくという事実である(図3)。
1999年には、同年の3万1413人の自殺者に対して12万270件という4倍にせまる保険金が自殺に対して払われている。それは単純にいえば、自殺者の多くが生命保険に、それも複数加入していたことを示している。
そして、これが20世紀末に地方を中心として自殺が増加した理由もよく説明する。問題は、土地の信用力の弱い地方の経営者は、融資の担保として、複数の生命保険に加入することをなかば強制されていたことである。
そこにバブルの崩壊が襲う。地方へのバブルの到来は遅れたにもかかわらず、その落ち込みはひどかった。この踏んだり蹴ったりの状況のなかで、とくに地方では中高年男性を中心とする多くの経営者が自殺を選択し、借金を精算することに追い込まれていったのではないか。
■「意図」を隠さなければいけない自殺
以上は大まかな見取り図であり、その詳細を確かめるには、さらに多くの分析が必要になる。
ただしひとつだけ留意しておくとすれば、矛盾するようだが、単純に個々の自殺者が保険金の支払いを目的として自殺したとは、実はいいがたいことに注意しておこう。
保険金を目的として自殺がどれほど実行されているか。それにはもともと多くの議論がある。警察庁は2007年以降、保険金を目的としたとみられる自殺数を公表し始めるが、たとえばその年では男性で139件、女性で12件と全体の0.5%しか保険金を目的とした自殺は確認されなかった。
ただしそれだけで、生命保険と自殺のかかわりを全否定することもできない。
問題は、自殺者に保険金の支払いという目的を隠すことが陰日向に求められるという社会的な仕組みである。
たとえば通常、契約後の免責期間(近年では3年)内に行われた自殺は、保険金を目的とした「不誠実」なものとして、保険会社はその支払いを拒否できる。
そのために自殺を引き伸ばすか、たとえばそれを事故に紛らわせることに誘導されるのであり、まただからこそ偽装の必要のない免責期間直後に自殺が急増するというデータもある。
加えて免責期間後も、保険金の受取という目的を公言できるかといえばむずかしい。保険金目的が露骨な自殺に対する支払いの免責を近年、保険会社が法廷に訴え始めたからだけではなく、そもそも世間体がそれを許さないためである。
単に体裁を守るために隠されるわけではない。より重要になるのは、自殺の意図を曖昧とする暗黙の習慣を土台として、自殺と生命保険のつながりが社会的にむしろ活用されてきたことである。
まさかのときには、みずから死を選ぶことで住宅ローンや、会社への融資が返されることは、たしかに公言されない。しかしだからこそそうした実践は道徳的な追及を受けることなく社会に受け入れられ、とくに住宅を売る側や、企業に融資をおこなう側に都合よく利用されてきた。
生命保険にかかわる自殺では、意図を公言しないことがこうしてシステム的に求められる。その意味では先の警察のデータも、生命保険を目的とした自殺が少ないことをそのまま示すとはいえない。
より直接的には、それはむしろ保険金とのかかわりを認めることが、この社会でどれほどタブーになっているかを浮き彫りにするのである。
■自殺問題は本当に解決されたのか?
結論をいえば、こうして生命保険を媒介に、自殺を多額の金で償う社会的に黙認されたシステムが、些細な経済的な不況に反応しとくに中高年男性を中心に自殺を頻発させる社会をつくりだしてきた。
ただし現在、システムに対する問い直しが、進められていることも事実である。
生命保険各社は近年、自殺に対する支払いを退ける免責期間をかつての1年から延長し、さらに保険金を目的とした自殺の非道徳性を法廷に訴え始めている。加えて政府も連帯保証人制度を改め、少なくとも当事者以外の生命保険を担保とする融資の規制に乗り出している。
一部にはこうした動きの成果として、自殺は減ったといえるのだろう。2012年以降、3万人を割り込むなど、自殺の減少が顕著である。なかでも経済問題を原因とした自殺は、2003年の8897件をピークとして、(2007年以降特定される動機が3つにまでに増えたにもかかわらず)2012年には4144件にまで急減している。
ただしそれが手放しで喜べるかといえば、そうではない。ひとつには生命保険にかかわる自殺が、みえない「暗数」になっている可能性が疑えるためである。
免責期間を延長するなどした結果、自殺を「隠す」動機も強まっている。そのせいで自殺は、たとえば事故死に紛れ込まされているのではないか。それを実証することはたしかにむずかしいとしても、他方で自殺を「うつ」などの精神病の結果の「病死」として法廷に訴える事例が増加していることは事実である。
■保障を欠いた生の増加
さらにそれとは別の角度から、貨幣に替えることさえできない自殺が増加しているという深刻な問題が生まれている可能性もある。
生命保険の普及率は近年、減少しているが、それは貨幣的な保障を遺族や周囲の者に残さない自殺の増加に直結する。
それがとくに顕著なのが、@就職難や非正規労働化で生命保険加入が減っている若年層に加え、Aバブル崩壊以後の経済の沈滞で自営業や企業経営そのものが低調な地方においてである。
まず若者に関していえば、自殺が総体として減少している一方で自殺の下げ止まり、または増加がみられる。たとえば2003年から20012年まで20代の自殺は13.6%も増加しているが、問題はこの若年層で生命保険加入率が同時に下がっていることである。その結果、総体としてみると、貨幣的に償われる自殺は明らかに減っている。
地方に関しても類似した事態がみられる。まず20世紀末に自殺が急増した多くの地域で、今度は自殺者の急減がみられた。
なかでも経済問題を原因とした自殺の減少が顕著で、たとえば2003年から12年まで38.1%減と全都道府県で三番目に自殺率が減少した秋田では、経済生活問題で自殺した人は、204人から31人に急減している。
それは表面的には喜ばしくみえるとしても、裏面では地方のますますの貧困を意味している危険性がある。自営業的経済活動が停滞し、生命保険を担保とした融資が通用しなくなった/求められなくなった結果として、経済問題を原因とするとみられる自殺は減少しているのではないか。
この意味では自殺の減少という総体としては望ましくみえる現象も、手放しで喜ぶ訳にはいかない。それは他方で、自殺によって貨幣を得ることさえできずに、既存の経済体制から弾かれ、「保障のない」裸の生を生きる若者や地方の人々の姿を浮かび上がらせもするためである。
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