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バブルもびっくり!? 戦前昭和クリスマスの狂乱っぷりがスゴかった 軍靴の音もどこ吹く風…(現代ビジネス)
http://www.asyura2.com/16/hasan115/msg/612.html
投稿者 赤かぶ 日時 2016 年 11 月 13 日 09:08:20: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 

バブルもびっくり!? 戦前昭和クリスマスの狂乱っぷりがスゴかった 軍靴の音もどこ吹く風…
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50195
2016.11.13 堀井 憲一郎 コラムニスト 現代ビジネス


そもそもは日本人とは縁もゆかりもない外来の祝祭、クリスマス。それがなぜ日本では恋人たちの夜になったのか?

その歴史的変遷をホリイ博士がずんずん追いかける連載第16回、いよいよ昭和に突入! 私たちの歴史イメージとはまったく違う当時の日本人の狂乱ぶりとは?(前回はこちら http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50194 第1回はこちら http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47056

■戦前のクリスマス狂騒時代

昭和のクリスマスは狂乱の度合いを高めていく。

1928年から1933年までが、まさにクリスマス狂騒時代だと言っていいだろう。
 
1928年(昭和3年)になると、クリスマス騒ぎはもとに戻ってくる。12月25日が大正天皇祭であるにしても、それはそれとして、という空気が強くなってくる。

東京朝日新聞でも12月6日から5日連続で「話題と解説」というコラム欄でクリスマスの特集をしている。5日連続の読み物である。初日はクリスマスの謂われ=A2日目は欧州のクリスマス事情=A3日目がサンタクロース=A4日目がクリスマスプレゼント=A5日目にクリスマスのお祝い料理≠ニなっている。

街にクリスマス気分が横溢としているのがわかる。10日にクリスマスプレゼント紹介の記事があり、またクリスマスイヴのラジオでは、クリスマス特集が組まれている。

子供向けのクリスマス会も盛んである。かつては教会でおこなわれていたクリスマス祝会を(おそらくこの時代でも行われていたとおもうが記事になっていない)企業が主催するようになってくる。

代表的なのは、森永製菓主催のクリスマスの集いである。最初は日本青年館で開かれ、のちには日本劇場や日比谷公会堂という、当時のトップクラスのホールで開かれるようになる。

入場料は年によって違うのだが、30銭から50銭、クリスマスの歌、お芝居、お伽噺、お笑いそして映画が上映され、みなにお土産が渡される。かなりの人気だったことがうかがえる。毎年目立った広告が出されている。前売り入場券は都内各所の森永キャンデーストアで販売している。

のちに似たような会を朝日新聞も開く。

お子様向けのクリスマスは、教会から離れ、企業主催で、お菓子たっぷりのお土産付お楽しみ会として開かれるようになる。その内容を見ていると、私でさえいまでもちょっと行きたくなる。当時、これに連れていってもらえる子供は、とても楽しみにしていたのだろうと想像できる。

■国会開催中は野外での集会禁止

キリスト教会でのクリスマス風景は、もう、ほぼ報道されなくなる。

1920年代に入り、クリスマスは教会のものではなく、日本人の一般大衆のものへと移っていったということだろう。もちろんキリスト教会でのクリスマス祝会が開かれてないわけがない。キリスト教の祭日なのだから。でも、それは報道されなくなった。異国文化としての報道価値もあまり認めなくなったということだろう。

欧州大戦ののち、世界五大国のひとつとなったと信じている国民にとって、欧州各国なみにクリスマスを騒ぐことは当然、という気分があったのではないか。

やがて、日本は欧州各国との対立状態に入っていくのだが、そうなっていくと、いきなりクリスマスはきれいに切り捨てられていく。そのあたりにも、日本のクリスマスという存在の特殊性がよく出ているとおもう。

ちなみに1928年(昭和3年)にはこども会中止広告がのっている。

「「クリスマスこども大会」は二十五日日比谷公園での開会の筈でありましたが、議会開会となり、野外集会禁止となりましたので、残念ながら中止する事になりました。いずれ後日あらためて、ご案内致しますからそれまでお待ち下さい 十二月二十五日 ライオン児童歯科院」

このライオン児童歯科は、ライオン歯磨とは関係のない歯科医院である。

ただ、当時は議会が開かれると、野外での集会が禁止になるという集会条例が有効だったことが時代の空気としてよくわかる。

政治集会ではなく、クリスマス子供会であっても、国会開催中は野外での集会は禁じられていたのである。そういうお上の力がとても強い時代の、市民たちによる大騒ぎというのは、また別の側面を持っていた。

■朝日新聞の「同情週間」

朝日新聞社主催でこの当時は「同情週間」というキャンペーンがあった。気の毒な生活の人たちに同情してなにか施しをしようというイベントである。

いまだととても考えられない上からの発言「同情」であるが、そこは当時の世相なのか、その名前で続けられている。そのイベントは12月に行われていたため、途中から、クリスマスイベント絡みとなっていく。つまり、恵まれない子供たちに同情して、彼らにプレゼントを贈る、という動きになっていくのだ。

あらためて自分の言葉にして書いていると、やはり「同情」という言葉を選んだのは朝日新聞のセンスなんだろうとおもう。書き写していて、いい気持ちにはなれない。

1929年(昭和4年)のクリスマス記事は比較的におとなしい。おそらく経済的に不調だったからだろう。ただ、その不調がずっと続くわけではない。

1929年のクリスマスではパリ在住の世界的な画家藤田嗣治がフランス人妻を連れて日本に帰ってきており、その若妻に高島田に着物を着せてパーティを開いている写真が載っている。かなり目立つ写真である。

彼女は「身の丈五尺四寸、足袋は十文半、駒下駄も特別あつらえ、それが裾模様の着物を来てすっくと金屏風の前に立った姿は、舞台の女形のごとくにあでやか」と紹介されている。

女形のようだってのを、女性に向かって言って、褒め言葉になっているともおもえず、すげえ大きな外国女だなあ、という気分だけで書いているようで、当時の新聞の大束な気分がよく伝わって来る。

■エログロとカフェーとダンスホール

1930年代に入り、日本のクリスマスはより狂奔しはじめる。

まず何より1930年(昭和5年)の紙面に出ている広告が、やたらとエロティックなのである。いまだとNGだとおもわれる女性の胸部がまるまる出ている広告まである。1930年の新聞広告にはおっぱいの露出した写真が載っている。

新聞を見てるだけで「エログロ」という文字がやたらと飛び込んでくる。

「ウルトラ・エログロ」「世界性愛奇談全集」「猫も杓子もエロだグロだと喚く」「ニューヨークの壁画 これがエロとグロの基本図か」

わかりやすい流行語である。

少しあと、1933年には変態の記事もあった。「男同士の三夫婦 夫のために万引き 変態の六青年御用」という記事である。ふしぎと退廃的で倦怠感が漂っている。新聞記事を通して、当時のそういう世相の空気が感じられる。

エログロが流行り、街ではカフェーが大流行した。

当時の大人が、若者に流行るカフェーをうさんくさく論じていたのであろう。

前年の1929年であるが12月17日に「カフェー礼賛」という文章が寄せられていた。横山桐郎。おそらく当時35歳の昆虫学者だとおもわれる。(同名の別人であるかどうか、ちょっと確認できていない)。カフェーは若者にとって(35歳は若者とはいえないのだが)、とても居心地の飯場所であって、あたら非難の対象となるようないかがわしい場所ではない、との弁護である。

女給がいる、若い娘が給仕をしてくれるだけで、胡散臭くみられる、という文化が、我が国にはしっかりとあった。(旅先の宿で、給仕をしてくれる女性は、同時に夜伽を頼むことができる、というのが常態であったから)

カフェーは、珈琲やビール、洋食などを摂る店であり、バーとよく並び称されており、カフェー、バーという言葉が新聞によく出ている。女性が接待に出るが、むかしながらの待合やら茶屋などと違って、洋風である、というところに意味があった。

その洋風の女性接待付飲食店が、1920年代から爆発的な人気となり、1930年代にはその退廃的風潮とあいまって、より注目されるような店となった。

この、カフェーと、もうひとつ、ダンスホールを中心として「大人のための遊興クリスマス」が盛んになってくる。

カフェーにしても、ダンスホールにしても、それまでの日本に根強く息づいていた純日本的風俗(待合や料亭や、妓楼での遊女や芸者などと遊ぶこと)に対して、よりモダーンな感じがしたところが受けたのである。性風俗でも、西洋風が好まれた。そこにクリスマスは簡単に融合した、ということである。

クリスマスはある意味、西洋的である、というサインでしかない。誰もさほど大事にしていないので、便利使いされている軽いメルクマールという感じである。

■1980年代よりも派手

1930年代前半には熱狂的にクリスマス騒ぎが広げられるが、後半になるとあっという間に捨てられる。この熱狂的狂乱クリスマスの記憶さえ捨てている。あまりにも冷淡な仕打ちと見える。

1980年代に熱狂的クリスマスと話題になったことがあるが、1930年代の熱狂ぶりはその比ではない。1930年代前半のほうがあきらかに派手である。

1929年の紙面からはカフェーのブームが感じられ、1930年の紙面からはウルトラなエログロの空気が伝わってくる。

1930年のキリスト教でのクリスマスも、やや狂奔的である。

「色とりどりな 国際Xマスの賑い」

「キリスト教青年会主催の恒例、国際クリスマスの集いは、おあつらえ向きにチラホラ雪の降り出した二十二日午後六時から神田のYMCA会館で催された。

定刻集まった人の数は二百名近く、これを人種別に見ると、英、仏、独はいうも更なり、露、支、印、フィンランド、ポーランド等々々、正しく国際クリスマスの名にそむかぬ華々しい集まり、おかげで食堂行きは二組に分けて、直に余興に移るといった盛況。

そのまた余興たるや、ハーモニカ、独唱、ヴイオリン、ピアノ等々本職連のが終わると、お婆さんからお嬢ちゃんまでもつとも親しい敵、味方に分かれていわく「イス取り」「風船玉の破裂」「嫁さがし」等々のゲームに打ち興じて笑い転げ、騒ぎつくして、まどらかな一夜を時の経つのも忘れて楽しんだ(写真は余興に夢中のところ)」

キリスト教青年会の集いではあるが、キリストも降誕も、旧約聖書も出てきていない。御当世ふうに浮かれ騒いでいる、という状況である。

ラジオではアメリカ、イギリスからの国際中継が始まった。

「舞ひこんで来た 英国議会ビッグ・ベン 十二の時声 手に取るような向こうのXマス気分 米国からの放送成功」

アメリカのジャズが続けさまに流れ、最後はロンドンのビッグベンの鐘も流された。「これでわざわざ海外に行く必要もなくなった」という街の声も紹介されている。

アメリカはまさにジャズの時代、日本にも大量のジャズが流れこんできていた。

■「Xマス・イヴを踊り抜く」

1931年になると、もっと派手になってくる。

1931年12月13日日曜の「こどもペーヂ」はほぼ一面がクリスマス特集で、クリスマスやサンタクロースの由来や、海外のクリスマス風景、野口雨情の詩「クリスマス」、ロシアの伝説など、クリスマス関係の記事が満載され、80年を越えて見ていても、楽しい気分が伝わってくる。

1931年12月16日には家庭欄に「近づくクリスマス こうして祝いませう★本格的な祝い方の順序」という記事があり、祝い方を教えてくれている。教えてくれているのは駿河台のキリスト教青年会館の幹部の奥様方。クリスマスツリーの大きさから、贈物の贈り方、お昼のディナー(これはちょっとわからない概念なんだけど、お昼の御馳走ということなんでしょう)の内容などが紹介されている。

家庭にもきちんとクリスマスが定着しているのがわかる。

東京市主催のクリスマス会も毎年開かれている。この年も日比谷公会堂で開かれている。それが20日で、森永製菓のクリスマス会も日比谷公会堂で、これは25日。

1931年12月24日のラヂオ欄が紙面の半分が取られていて、とても大きい。局はNHK一局だけである(ただ東京以外にも、大阪、名古屋、仙台、札幌とあってそれぞれ少し内容は違う)。ラヂオ欄ながら写真もいくつも取り入れられ、クリスマスの講演に歌、お話などが紹介されている。大正天皇祭の講演も紹介されている。

1931年のクリスマスイヴの記事は「Xマス・イヴを踊り抜く」である。

1931年12月25日記事。

「ここはインターナショナル帝国ホテルのクリスマス・イヴ。きらきら光るツリーの下からジャズが流れて、踊る踊る、さすがの大ホールは溢れるばかり。

男女の群が御自慢のステップを踏む、赤や青の紙ゑぼしを道化師のそれのように被って狂喜するのが目につく、其の肩の間を縫ってグロテスクなサンタクロースが進む、卅一年クリスマスの光景だが、今年はどうしたことか外人が数える程しかいなかった」

大混雑のダンスホールの写真が載っている。女性は和装と洋装が入り交じっている。紙ゑぼし、つまり紙の烏帽子ですね、いまでも見かけるクリスマスのときにだけ出てくる紙の三角帽、とんがり帽子ですが、それをかぶっている男性もいっぱい写っている。

この帽子を被ると「私は全力でふざけているのだ」というサインになってわかりやすい。東急ハンズで買えるような近年の三角帽より、もっと頑丈できちんと作ってあるように見える。

■暴漢汚物をまく

ただこの狂乱クリスマスをおもしろくないとおもってる人も実際にいた。

1831年12月26日の記事。

「仮装舞踏の最中 暴漢汚物をまく クリスマスの夜を踊り狂う 新宿帝都座の騒ぎ」

「二十五日午後六時半ごろ、百二十余人のダンサーを擁し、都下でもっとも豪華を誇っている開場間もないダンスホール帝都座(四谷区新宿三丁目・帝都座ビル内)に、二人組の壮漢が暴れ込み、汚物騒ぎを演じた。

あだかもクリスマス当夜、同ホールでは、中央のバンド団の両側に大きなクリスマス・ツリーとサンタクロースを飾り、天井から放つ五彩の光線は場内をいやが上にも華やかにしていた。

そしてちょうど仮装舞踏会の催しで、水兵や奥女中にふんしたダンサーと、おどけたペーパーハットや目かくしのマスクをかけた踊り客とがもつれあい、まさにフォックスロットが始まろうとして、九十組ばかりがステップをふもうとしていた時、ニコニコがすりの袷に袴を穿いた五尺八寸ぐらいの大男と洋服の男が、場内につかつかと入って来、その和服男はホールの真中に立ちはだかり、いきなり大声に「この馬鹿野郎ども!」とどなるや一升びんに詰めた汚物の栓をとって、ぐるぐる頭上にふり回し、あたり一面にまき散らした上、そのびんを床上にたたきつけた。

命の次に衣物が大事な百二十余名のダンサーと、三百余人の踊り客や見物人達はあつけにとられ、中にもダンサーたちは悲鳴をあげて、場内をにげまどい、色を失って知り合いの客とともに逃出す者等あり、一時場内はざわめき立った。」

和服の男は悠々と5階から4階へ階段をおりているところを事務員にとらえられ、駆けつけた警察官に引き渡した。男は39歳、新宿の暴力団員で、「わたり」をつけようとして断られたので汚物をまいたという。

「満州事変の起こっている際、踊り狂っているのは怪しからぬから、やつたのだ」とも豪語している。

ダンサー小杉千代子は語る「あれで六時半頃ならよかったものの、あれが八時から十時頃の混み合う時だと大変だったと思います」

長々と引用したが、当時のダンスホールの雰囲気がよくわかる。

バンド団(おそらく当時流行していたビッグバンドのことだとおもう)がジャズを中心に演奏しており、その両側には大きなツリーとサンタクロースがあり、妖しく五色のライトが輝いている。

もっとも混むのは夜8時から10時くらい。店に専属のダンサーがいて、客は彼女たちと踊ることができる。おそらくクリスマスイブとクリスマス当日が一年でももっとも稼ぎ時だったとおもわれる。そういう風景がわかりやすい。

■満州事変などどこ吹く風!?

また壮漢は「満州事変が起こっているのに、怪しからぬ」と言っているところがひとつのポイントでもある。

新聞記事は、あくまで暴力団員が「わたり」をつけようとして断られたこと(いわゆるミカジメ料を取れなかったということ)が騒動の原因だとしており、満州事変の、という部分は後付けの理由だと言外に記している。彼の口からはそういう言葉が出ているが、どう見ても、用心棒代を払わないための嫌がらせだろう、と読める記事である。

つまり、新聞の意見としては、満州事変だからクリスマスは自粛するべきである、とはまったくおもってないこと、が暗示されている。しかし同時に、世間の一部では反クリスマスの感情があるということも示唆されている。

満州事変はこの年1931年の9月に勃発し、翌年に満州国の成立をもっていちおう終結する。この12月は関東軍は満洲エリアにおいて戦闘を継続している。

紙面にもその状況は刻々と伝えられているが、しかし、後年の私たちが考えるほど(このあとこの動きがどうつながっているかという視点から憂うほど)世間は動揺していない。楽観してる。

日露戦役も欧州大戦でも日本は勝ったわけで、日本軍は初動の電撃作戦が得意で序盤で勝ち続けることによって、日本軍は世界でもトップクラスに強い軍隊だと国民全体が信じていた気分がよくわかる。

陸軍という役所が、海外でまた次の事業を始めているというような他人事感がとても強い。国民ががんばらなくても、軍隊が何とかしてくれるよ、という雰囲気がある。たぶんそれが当時の正直な気持ちだとおもう。

満州事変や国際連盟の脱退くらいでは、クリスマス熱狂はおさまらない。

そのへんのクリスマス昭和史は、できれば強く覚えておいていただきたい。

もちろん「ぼんやりとした不安」を抱えていた人たちもいたのだろう。その不安ぶん、かえって狂乱的な消費に走っていた、と見られなくもない。事象としては、満州事変の勃発した昭和6年から3年ほどが日本クリスマス史上、もっとも狂乱的に騒いでいた時期≠セと言える。

(つづく)
 

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コメント
 
1. 2016年11月13日 20:17:19 : 9QewkUGcqk : 4QXc8C8kgnU[235]
個人消費の壊滅的減少がよっぽどこたえているようだな。
さらに締め上げてやる。
企業がカネを使えよ。湯水のごとくに。しこたま溜め込んでいるんだからよ。

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