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電通「過労自殺」を「ないもの」にしようとする人たち
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20161102-36374192-bpnet-life
nikkei BPnet 11/2(水) 10:06配信
■「ひとりの命は会社よりも軽い」
大手広告会社・電通に勤務していた20代前半の女性が「過労自殺」をしたことをここ数週間、多くのメディアが報じました。首相や厚生労働大臣、経団連会長などもそれにともなう発言をしています。有識者も自説を盛んに展開しています。
電通をはじめ、多くの企業が今後、残業のあり方を大胆に変えていくのかといえば、その可能性はゼロに近いと私は考えています。数カ月以内に、このムードや空気は必ず変わります。半年後には、多くの人の中で「そんなこと、あったけ…?」となるはずです。1年後には、大半の人の意識から忘れさられ、3年後には話題にすらならないでしょう。
ひとりやふたりの社員の死で、巨大なエクセレント・カンパニーが大きく変わることはありえないのです。残念なことに、「ひとりの命は会社よりも軽い」のです。変わるとしたら、会社を取り巻く環境、特に業績に悪影響を与えるようなものが相当に強く働いたときのみです。会社を社内から変えることは不可能に近く、外からの圧力でしか、変えることができないのです。
変えないようにしているのは、そこで働く人たちであり、その人たちの意識です。前回の記事で書いたように、この意識こそが「過労死」や「過労自殺」を繰り返し生んでいくのです。
■忘れ去られた「過労死事件」
私が、そのように思う一例を挙げましょう。数年前、主要出版社(社員数300人前後)の1つである光文社の社員らと打ち合わせの合間に話したことを差しさわりのない範囲で紹介します。
私は、この会社でそれよりも10数年前に起きた「過労死事件」について質問を3〜5個ほどしました。目の前にいた40代の社員はこの事件が起きたとき、20代半ば〜後半の頃。それでも、同じ社内で起きた「過労死事件」のことをほぼまったく知らないのです。
逆に、私が質問を受けたくらいです。
「何歳ぐらいの人が亡くなったの?」 「その人は、正社員?」 「そんな人がいたなんて、知らない」
その後の2013年〜15年に、この出版社の退職者数人と仕事で知り合う機会がありました。同じ要領で「過労死事件」について聞きました。いずれも現在40〜50代であり、犠牲となった男性編集者と年齢が近いのです。
それでも、当時の事件のことをほとんど把握していないのです。ここでも、聞かれました。
「そんなこと、あったの?」 「どこの部署?」 「なんとなく、聞いたことがあるかもしれない」
■会社は一貫して「過労死ではない」と主張
「過労死事件」の概要は、このようなものです。
1990年代後半、男性の編集者が死亡しました。20代半ばで、雑誌編集者として働き、数年が経った頃です。遺族(両親)は、それを「過労死」として受け止め、出版社を相手に損害賠償請求訴訟を行いました。
裁判が進められましたが、東京地裁は双方に和解を勧告します。光文社が遺族である両親に7500万円を支払うことなどを和解条項としたものです。光文社は、それを受け入れたのです。
当時の報道(2003年3月7日、朝日新聞など)によると、一方で、遺族は、月80時間を超える残業があったとして、労災申請をしました。中央労働基準監督署は男性の職場が、社員が勤務時間を決める「裁量労働制」を採っていたことなどを理由に、労災とは認めませんでした。
しかし、厚生労働省が過労死の労災認定基準を見直したことにともない、中央労働基準監督署も、このケースを過労死と認定したのです。
以下は、当時の毎日新聞の記事の一部を抜粋したものです。
<和解>裁量労働制で初の過労死 遺族と勤務先の光文社が(毎日新聞)
勤務時間を本人の意思にゆだねる「裁量労働制」の職場で、初めて国から過労死と認められた雑誌編集者の遺族が、勤務先の「光文社」に1億6800万円の賠償を求めた訴訟は7日、会社側が7500万円を支払うことなどで双方が合意し、和解が成立した。光文社は一貫して「過労死ではない」と主張していた。 (毎日新聞 2003年03月07日)
■かん口令がしかれた社員の自殺
私にも、これに近い経験があります。15年ほど前のことで、30代前半の頃でした。年齢が近い男性社員(当時30代半ば)が、山の中で首をつって自殺をしたのです。
私の上司が、横浜の中華街の店で酒を飲み、多少、酔った勢いで部員10人ほどの前で得意げに語っていたのが、次のとおりです。この上司は女性社員がそばにいると、饒舌になり、かん口令がしかれているようなことまで語ります。
「ある部署の、40代後半の直属上司(その後、ほかの会社へ転籍)が、その男性社員に仕事上の指導で厳しく叱った。男性はそれを苦にして落込み、しばらくすると、それよりも数年前、社員旅行で行ったことのある、首都圏の山の中で死んでいた。母親は半狂乱となり、会社に抗議をしてきた」
上司が話していたとおり、この男性が自殺をしたことは事実なのでしょうが、それ以外の話は、私が当時、知り得た範囲では定かではありません。おそらく、管理職である上司にはしかるべきルートで、この話が知らされていたのでしょう。
当然、かん口令がしかれていたのでしょうが、酔いが入った上司はおもしろおかしく、社員の自殺を語っていました。5〜7人の女性社員(当時20代後半〜30代前半)たちは、興味しんしんに聞いていました。この女性たちは、自らの「産休」や「育児」の権利は盛んに求めるのですが、同じ職場の社員の自殺は酒のつまみにするのです。
こういう職場は、前回書いたように「市民感覚の良識が働かない」といえばそれまでなのでしょう。しかし、実は企業社会の相当に広い範囲で見られることなのではないでしょうか。
■過労自殺した社員のことはしょせん他人事
大多数の社員からすると、ひとりやふたりの社員の「過労死」や「過労自殺」はさしたる問題ではないのです。給料や賞与が下がるわけではなく、昇進・昇格には影響はありません。目の前の仕事を黙々とこなしていくことに変わりはなく、それ以上でもそれ以外でもないのです。
むしろ、このくらいのことを心の奥深くで感じている可能性が高いはずです。
「死んだ社員のことは、自分には関係がない。そんなことに、自分が巻き込まれるわけがない」 「死んだ社員はもともと、心の病となっていて、精神疾患がひどい状態になっていた」 「あれほどに残業をするのは、仕事を処理する能力が低いから。俺は、それほどに時間はかからない」
前回の記事「電通の「過労自殺」議論で、抜け落ちていること」で紹介した過労死遺族の馬渕郁子さんが、取材時に話していた言葉が象徴的です。
「ほとんどの会社員は、自分が過労死になったり、過労自殺したりするなんて思っていないのです。しょせん、他人事でしかないのです」
■「死」をないものにしようとする人たち
なぜ、「過労死」や「過労自殺」は風化していくのでしょうか。それは、風化させることを願う人たちがいるからです。社長以下、役員たちであり、その下にいる管理職たちであり、そこで働く大多数の社員たちです。
風化を後押しする社員たちがもっとも嫌がるのは、「検証」です。なぜ、死にいたったのかという調査を事実にもとづいておこない、社内や社外にできるだけ早く、正確におおやけにしていけば、各々の社員の意識はいずれ変わっていくはずです。風化を願う人はこれが、怖いのです。
検証されては困る人たちは得てして、実権を握っているものです。筆頭が、事件や事故が起きた部署の責任者や直属上司、そして側近たちです。この数人のところで、役員らに報告される内容はある程度、加工されるはずです。得てして、不都合なことは覆い隠されます。担当役員が関わることもありえます。陣頭指揮をとっている可能性もあります。
「過労死」や「過労自殺」の組織的な封印に加担をするのが、総務、人事などの管理職です。これら5〜10人ほどの関係者で、「死にいたったいきさつ」の、少なくとも半分は加工されるでしょう。大多数の人は、それを見て見ぬふりです。そもそも、関心すらない、というのが本音ではないでしょうか。これは、私がこれまでの企業などの取材で感じ取る実感です。
一連の「加工」の後、会社の側の弁護士などの入れ知恵で、「もっともらしいストーリー」が出来上がります。過去の裁判などの結果を踏まえ、会社にとって不利にならない事実が前面に出され、不都合な事実は消えていきます。
■問題の本質を見ない議論で真相は覆い隠される
これに対し、有識者は、「過労死」や「過労自殺」の問題が起きると、30年ほど前から毎度のパターンです。「労働時間の削減を」「成果主義の是正を」「労働組合の強化を」などと語ります。メディアは無批判に、この人たちの声を掲載します。
つまりは、論点がずれていて、多くの会社員からすると、遠い話でしかないのです。「過労死」や「過労自殺」の検証を封印した人たちはほくそ笑んでいるでしょう。「さすが、インテリ。企業の現場をまるで知らない。こんな連中が騒ぐほどに、真相は覆い隠される」。
皮肉なことに、インテリやメディアが問題の真相を覆い隠すことに加担しているのです。結果として「殺人に近い行為」は検証されることなく、闇の中へ葬り去されます。何事もなかったかのように職場は元のように動き、人びとの記憶から消えていくのです。
「過労死」や「過労自殺」を考えるとき、労働時間だけに目を奪われると、見えるものが見えなくなります。これらの死を封印する上司とその上のラインの人たち、さらにこのラインとつながる総務や人事の管理職がいます。そして、このグループを動かす役員や社長たちがいます。
ここに、企業内労組の役員が関わることさえあります。この役員を通じて、労組の組合員(=非管理職)が不穏な動きをとらないように、くぎを刺すのは日常茶飯事に行われていることです。
社員数が数千人〜数万人を超えていようと、この5〜10人前後のメンバーで「死」をないものにしようとしている可能性が高いはずです。このメンバーへの事実にもとづいた追及をすることこそが、「過労死」や「過労自殺」を防ぐもっとも効果のある試みです。
ところが、有識者もメディアもしないのです。「労働時間の削減を」「成果主義の是正を」と言っているほうが安全であり、危険が及ばないことを感じ取っているからなのでしょうか。それとも、企業の現場を知らないからなのでしょうか。
■加担したと思える上司たちに反撃する遺族
前回の記事「電通の「過労自殺」議論で、抜け落ちていること」で、私は2人の過労死遺族や家族を紹介しました。この人たちや弁護士は、「過労死」や「過労自殺」に加担したと思える上司たちに目をつけ、事実を積み重ね、迫っていくのです。当然、会社からの反撃やブロックなどがあります。それでも、ひるむことをしません。
こういう姿勢で上司らの行動を検証していくと、いじめやパワハラなどを見ていた社員が内通者として、家族や遺族ら、弁護士などにリークすることがあるのです。良識というものが働いているのです。
16年ほど前、30代前半の頃、取材をさせていただいた労働組合・全労連の顧問・三上満さん(故人)が、その場で語っていた言葉です。戦後一貫として、労働運動の闘士として闘ってきた方です。
「良識はどこかのタイミングで、何かのきっかけで必ず働く。まんざら、日本という国は捨てたものではない。どこかで、バランスがとれている、意識の高い国。私は、それを信じている」
寒い冬の日で、帰り際、JR大塚駅前で握手をしていただき、別れたことを記憶しています。
今回の電通の「過労自殺」は、多くの人の記憶から早いうちに消えていくはずです。しかし、社内にいるごく一部の人の、何かの動きで1ミリずつ変わっていくのではないか、と私は思います。
(文/吉田典史)
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