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2016年10月24日
「働かないオジサン」はなぜ職場に増殖するのか?「職場の『お荷物』社員」
「週刊ダイヤモンド」2014年8月2日号特集
今、職場で働かないオジサンへの不満が高まっている。日本企業の採用や育成に関する仕組み、労働市場を硬直化させる政府の政策が、働かないオジサンを量産している。まさに日本特有の構造問題なのだ。(「週刊ダイヤモンド」2014年8月2日号特集「職場の『お荷物』社員」より)
ある大手通信会社のグループ会社の職場では、別のグループ会社から出向してきた中高年の社員が多い。職場の誰もが知る、押し付け人事だ。
「毎日、仕事をしているようには見えるのですが、結果が出ない。よくまあ、ずっと仕事のふりを続けられるもんだと感心しました。しかも、同じように出向してきた社員同士で、仕事のなすり付け合いをする始末で……」と、30代後半の女性社員はため息をつく。
今、職場で働かないオジサンへの不満が高まっている。中でも被害が大きいのが、周囲に攻撃をしてくるケースだ。
契約先の企業で産業カウンセラーを務める見波利幸・エディフィストラーニング主席研究員の元に、ある日、沈鬱な表情をした関本賢さん(仮名、40代)が訪れた。
関本さんは企画・販促のセクションの課長だ。つい最近、定年後再雇用のシニア社員が配属されてきた。それが不幸の始まりだった。この社員は、以前に部長職も経験しており、関本さんにとっては上司格に当たる人物だったのだ。
日頃は体を動かさないのに、企画会議では「そんな奇抜な企画、本当にできるの?」「費用が掛かり過ぎる!」などと、ことごとくダメ出しをし始める。
ある日、ダメ出しを連発するシニア社員に、関本さんは少し強い口調で言った。「自分でアイデアを出さない人が、他者の意見を否定しないでください」。
するとシニア社員はこう言って逆ギレした。「平日に休みを取ったりしないで自分がアイデアを出せばいいじゃないか」。関本さんが、少し前に娘の学校行事のために、1日だけ休みを取ったことを批判してのコメントだ。
悔しさと、強い怒りが込み上げてきた。関本さんにとっては、そのシニア社員が最大のストレスとなっている。見波主席研究員によると、ここ1〜2年、職場でのシニア社員の振る舞いに関する相談が増えているという。
若い社員はミドル、シニア社員に対して、「使えないなあ」となじるかもしれない。
しかしこれは、働かないオジサン本人の資質だけが問題なのではない。日本企業の採用や育成に関する仕組み、労働市場を硬直化させる政府の政策が、働かないオジサンを量産している。まさに日本特有の構造問題なのだ。
新卒を大量に一括採用する一方で、解雇は難しい。加えて、労働市場の流動性が低く中高年の転職も活性化していない。そのため、入社した会社で定年まで働く社員がほとんどだが、社内でのスキルアップ教育はほとんどなされない。その結果、“使えない”オジサンが社内に滞留していく。
それでも、経済が右肩上がりの時代には、その存在は目立たなかった。企業が拡大する中で、新しい子会社や部署をつくり、成果を出せない社員にも、無理やりポストをあてがうことができたからだ。業績が良ければ給料が上がるため、若い社員も明るい気持ちになれた。
ところが、バブル崩壊とリーマンショックを経て、状況は激変した。事業縮小によりポストが圧倒的に足りなくなった上に、気持ちの余裕もなくなってしまったのだ。
今の若い社員も、この構造が変わらない以上、いずれ何割かは働かないオジサンになっていく。
50代で見える限界
管理職のやる気奪う役職定年の「壁」
サラリーマンのやる気がなくなってしまう理由の一つに、「先が見えてしまう」ことがある。人事コンサルタントの多くは「40代で、どこまで出世できるのかがだいたい見えてしまう」と明かす。
たとえ管理職になっていても、まったく安心できない。50代半ばになったら、課長や部長といった役職を外し待遇も下げる「役職定年」という制度が大企業の約半分で導入されているからだ。これは、ポスト不足の中で、若手にポストを譲ることを促す制度だが、管理職にとってはまさに鬼門だ。
役員など上の役職に昇進できなかった管理職は、50代半ばで強制的に降格となり、年下の上司の下でヒラ社員として働くことになる。
『働かないオジサンの給料はなぜ高いのか 人事評価の真実』の著者である、楠木新氏は「40歳がちょうど入社してからの会社人生と、実際の人生、両方の折り返し地点で、迷いや不安を抱える人が多い。いわば、40歳は“心の定年”ともいえる時期なのです」と明かす。
40代後半で、もはや自分が出世できないことに気付く。そして、50代で自分の先行きがほぼ完全に見えてしまう。
その一方で、働く期間は65歳までと長期化している。かつては55歳定年で、退職後の人生は短かった。ところが、今は会社人生も65歳までで寿命は80歳近くまである。息切れするのも当然だ。
つまり、低いモチベーションのまま、会社人生の残り10〜15年を過ごすことになるのだ。そこに、仕事の進め方や、評価の仕組みの変化が追い打ちをかける。
今の営業の現場ではITを活用してチームで仕事をするという考え方が主流だ。名刺の情報だけでなく、業務のこつなど、何でもネットワーク上で共有している。その雰囲気になじめなければ、職場で浮いてしまう。
さらに、1990年代後半から、多くの大企業で、評価の軸がそれまでの年功序列から成果主義へとかじが切られた。それまで、年を取ることは能力が上がることと見なされ評価されていたのが、突然、成果を求められるようになった。
驚くべきデータがある。転職サービスのビズリーチでは、日本とアジアで転職サービスを手掛けているが、アジアでは登録者への企業からのスカウト数が、年齢が上がってもさほど低下せず横ばい傾向なのに対し、日本のスカウト数は20代半ばをピークに急降下している(下図参照、ただし転職決定者は30〜40代でも多い)。
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「海外ではスペシャリストが育ちやすく評価されるが、日本ではさまざまな部署を経験させるジェネラリストが多いことが原因」(佐藤和男・ビズリーチ執行役員)
会計のプロ、営業のプロ、宣伝のプロというよりは、今居る企業内の事情に精通した社員ばかりが育つ。その結果、他の会社ではノウハウが生かせず、年齢が進むにつれて転職の市場価値も低くなってしまうのだ。
働かないオジサンが増えていくとどんな問題が起きるのか。
まず、本人にとって非常に深刻な事態を招く可能性がある。
2013年から、60歳で定年退職した社員に対し、本人が希望すれば65歳まで再雇用することが義務付けられた。ところが、その待遇の中身に関しては特に規制が存在せず、企業側が好きなように設定できる。
「定年直前までは年収1100万円だったが、今は200万円台。でも、仕事内容はまったく一緒」「パート社員のような条件を提示されて驚いた」。取材をしていると、こうした声が多かった。
60歳での再雇用時の処遇は、実は査定期間である50代の働き方で決まる。その時代に自己研さんを怠り、しっかり働かなかったオジサンは、60代で泣くことになるのだ。今後、年金の支給開始年齢はさらに引き上げられる可能性があるから、50代の働き方は老後の生活設計にも大きく影響するのだ。
迫るバブルの時限爆弾
オジサン活用は待ったなし
働かないオジサンの問題でより深刻な打撃を受けるのは企業側だ。大量採用したバブル世代という“時限爆弾”を抱えているからだ。
空前のバブル景気に沸いた89〜92年、日本企業は信じられないほど大量に新卒採用を行った。ある大手都市銀行では89年の入行組が1700人と、地方銀行丸々1行分の従業員数に迫る。
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上図で示したように、今から5年後の20年ごろには、年齢構成で突出しているバブル世代が50代前半に達し、企業は人件費の増加と、仕事と能力のミスマッチに悩まされることになる。さらに、10年後にはバブル世代が役職定年に、15年後には定年後再雇用となる。ある精密機器メーカーでは、バブル世代が50代に差し掛かる3年後には、全社員の50%が50代以上になってしまうという。
総務省の調査によれば、従業員1000人以上の大企業全体で、40代後半から60代半ばの社員は500万人程度おり、中小企業を含む全企業では2500万人に上る。加えて、現状では、労働生産性は40代後半をピークに、50代、60代は下がる一方だ(総合研究開発機構調査、農業政府部門を除く)。
「活用されていない中高年は言ってみれば社内失業者。余裕のある今のうちにその社内失業者を顕在的失業者にしておくべき」と説くのは、中高年の再教育のための教室を始めた野田稔・社会人材学舎代表理事だ。本人にとっては転職がしやすく、企業にとっては原資を獲得しやすい、景気の良い今こそ、対策を講じるべきなのだ。
NTT(日本電信電話)のように再雇用を維持するために、現役世代の給与体系を見直す企業も登場している。今後、その動きは他の日本企業にも広がるだろう。
いずれは、「働かないオジサンの食いぶちを他の社員全員で出し合っている」という不満が上がり、士気低下による生産性低下、ひいては企業の競争力低下を招きかねない。
働かないオジサンの活用は、日本企業と日本経済の命運を握っているのだ。
聞いてくれオジサンの生の声
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http://diamond.jp/articles/-/105312
アングル:「現実のシンデレラ」映画が伝える香港家政婦の苦難
[ジャカルタ 23日 トムソン・ロイター財団] - 香港の美人コンテストに優勝し、観衆の声援に笑顔で応えながらティアラとトロフィーを受け取るとき、黄色のイブニングドレスに身を包んだフィリピン出身のシリル・ゴリアバさんのエレガントさは際立っていた。
だが帰りのバスのなかで紫色のアイシャドーとつけまつげを取ると、高揚感は消えていき、ゴリアバさんは翌週のことで頭がいっぱいになった。
「家に帰ると、突然悲しくなった。友だちとの時間が終わってしまったから」とゴリアバさんは話す。
「また仕事だけの1週間が始まる。ストレスの多い仕事を6日間しなくてはならない。食事を独りで食べ、一日中単調な仕事をする毎日が」
ゴリアバさんは家政婦をしている。ゴリアバさんや彼女と同じようなフィリピン人家政婦の話が、新たなドキュメンタリー映画のテーマだ。同映画は、世界中の家庭で働く何百万人もの女性に対するステレオタイプなイメージを打ち砕こうとしている。
ドキュメンタリー映画「サンデー・ビューティー・クイーン」のなかで、監督のバビー・ルース・ビララマ氏は、フィリピン人家政婦5人が美人コンテスト出場に備え準備する様子を追っている。同コンテストは家政婦が主催し、2008年から香港で毎年開催されている。
完成までに4年を費やした1時間34分の同映画は、ありがちな「気のめいるような」方法ではなく、異なるアングルから家政婦のストーリーを伝えようとした、とビララマ監督。「ステレオタイプや、よくあるアプローチの仕方を壊したかった」と、同監督はマニラからスカイプを通じて語った。
「撮影するうちに、彼女たちが生きる世界から逃げ出そうとしているのではなく、困難から何かを生み出し、自分たちの幸せを見つけようとしているのだということが分かった。彼女たちは目的のようなものを得るのだ」と、ビララマ監督は話した。
<ソファ禁止>
同映画は今月、アジア最大の映画祭である韓国の釜山国際映画祭でプレミア上映された。
香港には30万人を超える外国人家政婦がおり、その大半がフィリピン人かインドネシア人だ。彼女たちは雇い主の家族と共に暮らし、通常は1週間に6日間、1日当たり16─20時間働く。
日曜日だけが唯一の休日だ。
ゴリアバさんらの日曜日の予定は、モデル歩きのレッスンやリハーサルで埋め尽くされている。毎年恒例であるこの美人コンテストやその前に行われるイベントへの参加は、厳しい仕事からの息抜きを彼女たちに与えている。
映画は、彼女たちの毎日のきつい仕事や雇い主との関係、直面する困難などを描いている。搾取や、虐待を報告する意欲もそぐような厳しい就業規則、そしてソファに座ることを禁止されたり、台所で寝ることを強いられたりといった扱いまで、その内容は多岐にわたる。
コンテストに参加したある家政婦は、ある日曜日に門限の午後9時に間に合わなかったことで職を失った。
「これは現実のシンデレラの物語だ」とビララマ監督は言う。
<反移民感情>
香港で働く外国人家政婦は、他のアジア諸国で働く家政婦よりも保護されている。しかし、2014年にインドネシア人家政婦が雇い主から暴行を受け、熱湯でやけどを負わされた事件以来、香港における外国人家政婦の社会的排除と虐待は厳しい目にさらされるようになった。
3月に発表された調査では、香港で働く6人に1人の外国人家政婦は強制労働の犠牲者であり、かなりの割合が人身売買によるものであることが明らかとなっている。
その一方で、フィリピン人家政婦2人が香港の永住権を求めた裁判を起こし、2013年に敗訴してからは反移民感情が急速に高まった。
だが映画が示しているように、全ての香港市民が外国人家政婦に偏見を抱いているわけではない。
コンテストに出場した家政婦の1人であるマイリンさんと生活するジャック・スーさん(67)は映画のなかで、外国人家政婦がいなければ香港は「困難な状況になる」と語っている。
「外国人家政婦なしで家族がやっていけるか想像してごらん。どうやって外に働きに出るのか。子どもたちの面倒は誰が見るのか」
ビララマ監督は、この映画が外国人家政婦による貢献に光を当て、彼女たちの扱いが変わることを期待している。
「美人コンテストは明るい話だが、その陰にはわれわれが直面しなければならない現実がある」と同監督は語った。
(Beh Lih Yi記者 翻訳:伊藤典子 編集:下郡美紀)
http://jp.reuters.com/article/real-life-cinderella-ph-maids-idJPKCN12O0HL
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社内に埋もれたデータを見つけ出す
「特に活用されていない調査」も、その多くは何らかの経営に影響しそうな理論に基づき、専門家が手間暇かけて作ったものである
アイディア出しが終わったらいよいよ実際のデータを収集しよう。
新規で調査を行なう前に、まず社内にはどのような人材に関するデータがあるか明らかにすることをおすすめする。仮にまだ電子化されていなくても、入社時に提出された履歴書やエントリーシートを見れば、その人がどのような教育を受け、どのような知識と経験を持っているのかわかるはずである。入社年度によって多少形式は変わるだろうが、採用時にSPIなどのテストを受けていれば、従業員それぞれに関する、言語や数の処理に関わる認知能力の指標と、内省性や達成意欲といった性格特性の指標が測定されている、ということになる。
これ以外にも大きな企業であれば、さまざまなシンクタンクやら調査会社から営業を受け、社員のモチベーションやらストレス耐性やらさまざまな項目の調査を導入していることもある。こうした調査はたいていの場合、多少の集計結果だけを報告されて終わり、という以上には活用されていなかったりもするのだが、いざ本書のような枠組みで分析してみると、思った以上に従業員ごとの収益性に影響を与えているのではないか、と示唆されることもある。
こうした「特に活用されていない調査」も、その多くは別にデタラメに作られたものというわけではなく、何らかの経営に影響しそうな理論に基づき、専門家が手間暇かけて作ったものである。毎年定期的に回答しているはずの社員自身でさえ、社内で従業員向けにどのような調査が行なわれているか忘れそうになるが、せっかく分析するのであれば、こうしたデータも活用したい。
アナログな調査だけでなく、社内で管理される情報システムやエクセルシートの中にどのようなデータが存在しているか、というのも大事な視点である。たとえば従業員ごとの勤務日数や、上司からの評定といったデータぐらいは多くの会社でため込まれているはずである。また、プロジェクト管理の行き届いた会社であれば、担当営業の誰が契約してきたプロジェクトについて誰がどのような作業をどれほどの時間担当し、いくらの経費といくらの売上になったのか、といったデータが社内のどこかに蓄積されているはずである。
分析者の立場によっては、必ずしもこれら全てのデータにアクセスできるとは限らないが、匿名化や分析プロジェクトに携わる人員の体制などをうまくコントロールして、可能な限り多様なデータを活用できるように心がけよう。
アウトカムの設定の注意点:データ不足をうまく補う
こうしたデータを揃えたうえで、すでに考えておいたアウトカムとできるだけ一致するような指標はどのように定義できるかを考える。本来なら個人があげた正確な利益が知りたいが、コストに関してはたとえば売上と商品の仕入れ値はわかっても、売上までに至る広告費や接待費などを含まない不完全なデータしかない、という状況が考えられる。このように出した利益の額をアウトカムとして採用することに問題はないだろうか? などと、現実的なデータの制約を考慮したうえで最も良いアウトカムを考えるのである。
そしてアウトカムが決まれば、そのアウトカムと関連することが当たり前、ということにならない説明変数の候補を可能な限りたくさんリストアップする。たとえば成果主義に基づいたボーナス支給が行なわれている会社で、アウトカムを(何らかの)業績に、ボーナス支給額を説明変数にする、というのが「当たり前」になってしまうということである。
おそらく分析結果上、「ボーナスが高い人ほど業績が高い」という結果は得られるだろうが、だからといってただいたずらに従業員に高額なボーナスを支給しても業績は上がらないはずである。こうしたアウトカムとの関連が当たり前になってしまう説明変数は最初から分析すべきではない。
一通りすでに社内に存在しているデータの整理が終わり、その中に必要とするアウトカムや説明変数のデータが不足していれば、次に新規でどのようなデータを調査するか考えなければならない。
ここでは特にアウトカムに関するデータの不足は致命的となる。実際に社内のデータを掘り進んでいくと、本来ならば各従業員の担当したプロジェクトの粗利の総額を知りたいのに、経理システム上、なぜか担当営業が誰かという情報は保持されていないことがある。あるいは、保持されていてもなぜか全て営業部長の名前が入っている、といったデータの限界に気づくこともある。
こうした場合、記憶のある範囲で過去の取引あるいは取引先である顧客をリストアップし、「営業として誰が主に担当したか」という点を関係者に記入してもらう作業が必要になるだろう。
またどうしても利益に関わる金額を従業員個人に紐付けることができない、ということであれば、まったく別の、しかしながら現在利用できる限りにおいて最も妥当に従業員の価値を示すようなアウトカムを考えなければいけない。
たとえば最悪の場合、他に良さそうなデータもないし、上司からの評価をアウトカムとして使うのはどうか、という状況も考えられる。ここで、「上司が正確に部下を評価できそうだよね」という合意が関係者内に得られるのであればそれでも問題はない。しかし、「そうすると上司に媚びるやつのほうが高評価になっちゃいそうだよね」といったことが心配になるようであれば、せめて上司の評価以外に、部下や同僚、取引先の評価の平均値などを取る、いわゆる360度評価の結果を使ったほうがよいだろう。
ちなみに本章でヴィンチュールらによるメタアナリシスの結果を紹介したが、彼らは同じ論文の中で「営業マンの営業成績」だけでなく「上司からの評価」というアウトカムについても同様の分析を行なっている。営業成績に対しては達成性、セールス能力テスト、興味テストが営業職への志向性を示しているか、という3点が重要だったが、上司からの評価で「優秀だ」と思われているかどうかという点では少し結果が異なってくる。
すなわち、達成性という心理特性は実際の業績よりも上司の評価に繋がらない一方、実際の営業成績ではあまり関連の見られなかった一般認知機能(つまりIQ)と、経歴が立派かどうか、という観点が上司からの評価では重要になってくるのである(図表2‐5)。
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これを素直に解釈すれば、上司は実際の業績云々以上に「知的な受け答えができる立派なキャリアの持ち主」を過大評価してしまう傾向にあるということである。こうした傾向が皆さんの会社内でも存在するのかどうか私は存じ上げないが、「そういう可能性もある」ということを注意しておくにこしたことはない。
説明変数に関わるデータの拡充:性格特性の測り方
アウトカムと比べれば、説明変数に関わるデータの不足、というのはまだ小さな問題であるが、それでもせっかく考えた説明変数がアウトカムと関連しているかどうかわからない、というのは残念な話である。
たとえばいくら関係者一同が「IQ(一般認知能力)なんかより、理不尽な顧客の前で自分をコントロールして商談を冷静に進められるかどうかが大事だよね! わかる!」と意気投合したところでデータがなければどうしようもない。使えるデータには履歴書に書いてある学歴と専門資格のありなし、それと入社時の筆記テストと面接の成績ぐらいしかない、という状況では果たしてセルフコントロールがどれほど業績に影響を与えうるのか、どうやってもわからないわけである。
それでは実際にセルフコントロールを測れるように追加で調査をしよう、ということになるが、これは「あなたは自分をよくコントロールできるほうだと思いますか?」というような質問にイエスかノーかで答えるアンケートを取ればいい、ということではない。
どのような問題を出せば適切にIQが測れるのか、という問題と同様、どのような質問にどう回答させれば性格特性を測定できるのか、という点は、専門的な知識を要する難しい問題である。思いついた質問項目で調査を行なうこと自体が悪い、というわけではないが、人間の性格や心理などの特性を測定しようとすることは、後述の「縮約」など思った以上に難しい問題が背後に存在していることを覚えておいてほしい。
自前で適切な質問項目を作りその組合せで人間の特性を測定するのはたいへん難しい作業だが、それより専門的な心理統計学者たちが作った測定尺度を使って、得られた指標を分析するほうが簡単である。
たとえば、知りたい概念と「質問紙尺度」という言葉を合わせてGoogle検索すれば、案外簡単に心理学者が作った心理測定尺度が見つかる。あるいは、サイエンス社から全六巻の、これまでに作られたさまざまな心理測定尺度を集めた、『心理測定尺度集』という本が刊行されているのでこちらも参考になるだろう。
また近年多くの心理学者たちは「できるだけ少ない項目で正確に心理特性を測れる尺度は何か」というチャレンジをしており、たとえばビッグファイブも10項目の質問で測定できるようになっている。たった10項目ぐらいなら、何かの調査のついでに答えてもらっても大した手間ではないだろう。
仮に尺度自体はよくできた妥当なものであったとしても、それを実際にビジネスプロセスに使えるかどうかとなるとこれはまた別の問題である。たとえば一時期日本でも流行したゴールマンのEQのように、非認知能力を測定する質問紙尺度にはさまざまなものがある。こうした質問紙によってセルフコントロール能力を測ることができる、というのはウソではない。だが、いざ測定したセルフコントロール能力が業績をよく説明することがわかったときに、採用などに使おうとするとどのようなことが起こるだろうか?
IQのテストならいくら受験者が「頭をもっとよく見せたい」と思ってもどう答えればいいかわからないだろう。しかし、セルフコントロールが高いと仕事で成功しやすい、という知識を持った人間ならば、どのように答えれば自分のセルフコントロール得点が高くなりそうか、考えてウソの回答をすることだってそう難しくはないのである。
だとするならば自分での回答ではなく、観察する他者からの評価を使って非認知能力を測ったほうがよいかもしれない。あるいはもっと手の込んだ、意図的なウソのつきにくい実験方法を応用心理学者たちはいくつも考案している。
たとえば「答えの出ないパズルを与えてどれだけの時間ギブアップせずにいられるか」あるいは「バネのついたハンドグリップをどれだけ握っていられるか」という時間を測る、というやり方がある。あるいは、赤い色で書かれた「緑」とか、青い色で書かれた「黄色」など、意味と実際の色が異なる文字を表示された状態で正しく色を認識して回答できるか、というテストもセルフコントロールの測定に使われることがある。何らかの画面を集中して見続けなければいけないテストを出題している横で笑い声付きのコント番組を流され、うっかりそちらに気をとられたり視線をやったりしないか、というようなテストさえある。
もちろん、セルフコントロールを測るためだけに長時間採用希望者に答えの出ないパズルを与えて拘束するのはどうかというところだが、たとえばワークサンプルテストの一環としてこのような課題を紛れ込ませるという手もある。よっぽどのベテランでさえ解決できないような課題を出題し、「あきらめずトライし続けられたか/途中で集中を切らしたり退出したりしたか」といった観点で採点すればある程度こうした非認知能力も反映した評価ができるかもしれない。
ビジネスにおける調査は、学者の研究と違ってクリティカルな損得に繋がる。それは分析しその結果を活用する企業側にとってもそうだが、採用されたい志願者や、待遇をあげてほしい従業員、あるいは有利な取引をしたい顧客にとっても同じことは言える。彼らの中には出てくるデータや分析結果によって直接的な利害がからむ者もいるのだ。そのため、意識してかせずしてか、彼らから多少なりとも偏った答えが出てくるということは当然あらかじめ想定しておかなければならない。
そうした利害にまつわるデータの偏りが出ないよう、あるいは出たとしても補正できるよう、データの取り方自体を工夫することが、人材に関わる分析を行なううえで最も重要なポイントになるのである。
http://diamond.jp/articles/-/104793
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