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シベリアの凍土で発見された3万年前の新種巨大ウイルス〔AFPBB News〕
AI、IoTの発展で職を奪われないための処方箋 ほとんど自動運転になった旅客機にパイロットが必要な理由
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/48177
2016.10.21 伊東 乾 JBpress
21世紀のジャンボジェット旅客機、どれくらい「手動」で運転されているでしょうか?
本当に細かなことは、専門家にお聞きしなければならないと思いますが、以下ざっくりと考えてみたいと思います。
特に国際線の巡航状態ではかなりの部分が自動化され、パイロットの仕事は時々刻々の運転と言うより、運転システムが異常なく動いているか、地上との連絡を含め全体に気を配り、客室での顧客サービスと飛行の安全確保、航行全体の管理が第一になっているでしょう。
もし飛行機に乗っていて、突然機内アナウンスがあって「当機はこれから手動モードでの運転に以降します。お座席にお戻りになり、安全ベルトをしっかりと締めて・・・」などとて言われた日には、いったい何が起きたのかと心配になることでしょう(そういうアナウンスがあるかどうか、現実問題は別として)。
さて、ここで今回の本題を考えてみたいのです。
AIやIoTが「予想外の急ピッチ」で発展したとしても、決してすべての雇用がなくなることはないでしょう。
ただ雇用の絶対数が減る職種というのはあると思います。
でも、1つの現場には必ず1人は、人間が残る。それは、何かあった時に責任を取る主体としての人員が必要不可欠といった理由からも、原理的に明らかと言っていいように思います。
その「未来図」を予測したいと思ったら、飛行機の搭乗傭員をよく観察するのが有効なのではないでしょうか?
そこでは基本的な運転業務がすでに自動化され「それ以降」の仕事をもっぱら人間が担当しているのですから。
飛行機自身の運転に関わるスタッフと、乗客へのサービスに関わるスタッフ、そして、その双方いずれもが、もし緊急の事態に直面した際には危険を回避しリスクを最小限に抑えるクルーとして活躍できるようになっている。
いずれのケースについても、現場で、人間(顧客)を対象に、こまやかな人間(被用者)でしかできない判断を的確に下してチームワークを取れるよう、訓練を欠かしていない少数精鋭の人員であること・・・。
AIやIoTの進んだあらゆる職場で「最後に職場に残される数人」に求められるのは、優秀な飛行機のパーサーのような能力であるのは間違いありません。
■ルーチンではなくサービスと危機管理
サービスと危機管理。この双方の徹底を考えるとき、人間の原型として念頭に置くとよいのが「育児」です。
実際、飛行機の客室システムは幼児向けと言っていいような構造になっている。赤ん坊はベッドや乳母車に括りつけられていますが、飛行機ではお客は座席に縛られている。
客室乗務員に来てほしかったら「来て!」というボタンを押してランプをつける。赤ちゃんは「来て!」と思ったら断固として泣く。方法はやや異なっていますがスタイルはほぼ同じです。
赤ん坊は概してお腹をいっぱいにしておけばおとなしく寝ている公算が高い。飛行機も特に長距離便などは、さっさと機内食をあてがって、あとは部屋を暗くして寝かせてしまう。目が冴えてたら映画でもゲームでも勝手に遊んでなさい・・・言ってはなんですが、子供をあやしているようなものです。
さて、ここまではルーチンですが、お客というのは常に予想を超えたリクエストをしてくるものです。
突然病気になるとか、イスラムなので礼拝を始めるとか、イスラムの一家なのだけれど赤ちゃんにハラ―ル・フードの離乳食を、なんてリクエストがあるかどうか分かりませんが、ともかく「想定の範囲外」の出来事がいつ起きるか分からない。
それに的確に対応できるか、否かで、サービスの水準が決まってしまう。風評なども立つでしょう「A航空に乗ったけれど、全く酷い対応だった・・・」
クオリティは人材によって担保されるのに違いありません。
「想定の範囲外」が必ず起きるのは非常時でしょう。飛行機は車などに比べると、確率的にははるかに安全な乗り物とされています。自動化されているから、というのが1つの理由なのでしょう。
しかしいったん予定と異なる事態、それがハイジャックであれ機器の故障であれ、あるいは間違って困ったエリアに突入し軍やミサイルの攻撃を受けるといった事態であれ、相当大変な事態を迎えかねないのも間違いありません。
そのような非常時、想定されていない場合を「想定されたケース」の応用でなんとか対処していかねばならない。そういう「臨機応変」が、一般にプリプログラムされた自動システムは苦手です。
最終的にハドソン川に胴体着陸、などという局面では、熟達したパイロットが手動で操縦しなければどうにもならない・・・。
このようなフィジカルな技能、あるいは仕事柄思いますが本当に高度で当意即妙な楽器演奏など、自動化は永遠に不可能と私は思います。万が一できたと強弁する人がいても、必ず限界がはっきりしているはずで、人間は当分、その半歩先を瞬時にしてたやすく凌駕すると思います。
なぜそう思うのか。例えばIoTのセンサーに生き物の代用をさせた場合、致命的な原理的欠陥がいくつかあるからにほかなりません。
■生命の世界認識は利己的
「AIやIoTの発展スピードは決して侮れない」などという話をして人を脅かすのが好きな向きがあります。
カストリ雑誌に出ている明らかなインチキ広告、「このブレスレットでパワーストーンを身に着けてから、万馬券は当たるわウハウハ」みたいなやつがありますよね。
こんなものでも広告費かけて出しているということは、お金払う哀れな人がいるのだろうなと思いつつ、インチキ広告とほとんど変わりがないと思わざるにいられません。もっとも、あまり頭のない政治家は占い師が好きですね・・・。
いま、ごくシンプルで原始的な生命体、例えば「アメーバ」を考えてみましょう。
アメーバというのは、鞭毛も繊毛も持たず、無定型な自分の身体の表面(便宜的に仮足と呼ばれる)で移動して行く単細胞の原生生物の総称で、様々な種類が存在します。大きなものは体長1ミリを超えて肉眼でも見えるものもいる。高校生向けの巨大アメーバの観察動画教材がありましたので、リンクしておきます。
彼らは細胞の中味(原形質)の流動によって移動して行きますが、しっかり目的をもって行動します。
彼らも動物ですから餌を捕獲して食べなければ死んでしまいます。しかし、アメーバが世界を認識するセンサーはニューロンのネットワークによる判断組織を持ちません。自分自身が単細胞で1個のニューロンと変わらないのだから、ネットワークになりようがない。
では何で世界を感知しているのか?
ネットワーク化されたIoT以前のスタンドアローン・センサー、例えば部屋に個別に着けられた火災報知器のように、細胞膜や膜内部のローカルな機能構造体、オルガネラが個別に対象を認知・判断して、動物としての行動が引き起こされていきます。
2016年度のノーベル医学生理学賞を受けたオートファジー、自食のメカニズムは、1個の細胞の中にあって、これはバラした方がいい、と判断された要素があると、隔離膜という部品がアメーバではないですがどんどん成長してターゲットを取り込んでしまう。
そこに消化剤が導入されて、細胞の中に作られたミニ食胞オートファゴゾームの中で、あわれターゲットはバラバラに消化されてしまう、というものでした。
明らかに隔離膜は細胞内の小宇宙で、何らかの世界認知をして判断、行動している。その結果、老廃物が排除されたり、新陳代謝が活発になったりしている。
単細胞で仮足で動き回るアメーバは身の回りにあるものを手あたり次第認知判断して、餌が休止状態にあると(世界)認識すると、取り込んで消化してしまいます。
この同じ原理がなければ、私たち人類も生存することはできません。
私たちの体内では、いま現在も無数のアメーバ白血球が体内の異物、ばい菌であれ病原体であれ、おかしなものがいればローカルにセンスして貪食します。
そして、ウイルスや細菌が私たちの体内で異常繁殖した状態、つまり病気の感染・発症につながるのを防いでくれます。健康な恒常性、ホメオスタシスを発揮しているわけです。
単細胞生命体であるアメーバ、私たちの体内にある細胞である白血球から、自然界に棲息するあらゆる動植物は「利己的」に世界を認知判断し行動します(植物も蔓が茎を伸ばしたり、タンポポがタネを飛ばしたりするように「行動する」という含意です)。
このとき、生命体には一つとして「価値中立的」な世界認識がないんですね。自分にとってプラスかマイナスか、単細胞のアメーバだって知っています。
観察のためアメーバに炭素の粉を食べさせる実験動画がありましたが、アメーバ体内の食胞は炭素を上手く活用できないと知れば体外に排出してしまう。
アメーバは収縮胞という開閉する穴から不要な水や物質を身体の外に効率よく排泄してしまいます。収縮胞は腎臓兼肛門といった働きをしているのでしょう。
やたらと原生動物や細胞の話題の細部に踏み込んだと思われるかもしれませんが、ポイントは簡単なことです。
生物のセンサーはネットワーク化されないローカルな段階で十分戦略的であるということ、つまりインテリジェントで、かつ自分にとってプラスかマイナスかの判断を下せ、直ちに行動できるということ。
IoTで活用する人工的なセンサーは必ずしもそのようにはなっていない。
火災報知器は煙や火の気を感知するけれど、「ピー、火事デス。ピー、火事です」と事前にプログラムされたアラーム音を出すだけで、その場で当意即妙に判断して、「小さい火なら消しときまひょか」、なんて気は利かないわけです。
こんなレベルのセンサーに、客室乗務員が取って代わられることは当分ないでしょう。それどころか、育児、いや病人や子供の見守りシステムだって、十全なことができるわけがないのは、原理的に明らかなのです。
IoTの現実的な用途の1つとして、高齢者やペットなど人間以外の対象も含め「遠隔見守り」のシステムが提案されますが、これらはあくまで「人間に知らせる」までの用途にとどまります。
「火が出たから自動的に水をかける」くらいのことはできても「おじいちゃんが苦しがり始めたから自動的に水かけときました」程度の対応では、まともなケアなどできません。
それには3つの大きな「センサーとしての構造的難問」を解かねばならないのです。
■意識の3段階説
IoTで活用される現行のセンサー類には、生物、いや単一の細胞ですら持っている「合目的性を持った世界認識」が全くできません。バイオセンサーは似たことができるように思われるかもしれませんが、シグナルが半導体や金属のシステムに入ったとたん、生硬な情報処理しかできなくなります。
アメーバには鼻も目もありませんが、しっかり世界を認識し、自分のプラスになる判断と行動、例えば餌の捕食をします。
もう少し複雑な生命体、例えばエビ・カニなどの仲間、甲殻類はどうでしょうか。彼らは背骨を持ちませんが、目も触覚も持っています。
ミジンコは特殊な場合を除いて単為生殖で(「特殊な場合」に関する基礎生物学研究所のビデオをリンクしておきます)メスがメスを産んで増えていきます。
ただし、食べ物が不足したりすると「産まない性」として雄が発生するようになり、オスとメスの出会いで作られるタマゴは耐久卵といって長い時間持つ特徴があるそうです。男女の出会いというのは、長年の苦労を共にするためにあるというのはミジンコですら実現している世界の真理であるようですね・・・。
大ミジンコの母親が普通に卵を産むと、生まれたばかりの子供はカンガルーの袋ではないですが、母親の背中の殻の内側に守られて育てられ、そこそこ自立して生きていけるようになると、外に出してもらいます。
ミジンコの一生は極めて起伏に富み、ドラマティックで、彼らもしっかり意識を持って行動して、ミジンコなりの2か月ほどの生命を全うしていきますが、彼らには「自己意識」と呼び得るものがない。「私は私である」というエゴを彼らは持っていない。
これがネコやイヌではどうでしょうか?
トリでもサカナでも構いません。テリトリー、自分の縄張りを持った生物は、己の領域に入ってきた他者、特に同種の仲間であるはずの存在を激しく排除します。
ミジンコにはそんなものはない。用水路に大量に発生してワラワラと浮かんでいたりしますが、俺が俺が、と仲間を排除したりはしない。その代わり増えすぎて赤潮状態となり、全部まとめて死んでしまうといったリスクは抱えている。
これを避けるべく、ある種の脊椎動物以上が身に着けたエゴの感覚を「自己意識」と呼びます。
自己意識を持って個体と個体が一定以上生活圏を分けるというのは、過度の集住によって群れ全体が一挙に滅亡しないための生命の知恵にほかなりません。
イヌやネコを飼っている方は、彼らに自分の意見があるのをよくご存じでしょう。散歩に連れて行ったとき、どうしても動きたがらない、とか、いつも食べてるカリカリをなぜか今日はどうしても食べたがらないとか・・・。
こういう個別の意見を持つ「自我」という意識状態もまた、生命が滅亡しないために作り出された生存のための知恵にほかなりません。
飛行機内の乗客なぞというのは、わがままな自我の集合のようなもので、これをきちんと当意即妙にあしらうには、少なくとも「自己意識」を持ったシステムが必要不可欠です。
しかし、ノイマン式計算機のアーキテクチャーで自己意識の発生に成功した例はいまだかつてなく、今後当分、成立の原理的予測すらつかないのが実情です。
■なぜネコは鏡を見ないか?
さて、では仮に、この「自己意識」があればAIやIoTは人間を駆逐するほど十分なサービスやリスク回避ができるようになるのか。程遠いと言わねばなりません。
ネコやイヌに鏡を見せても、そこに映ったのが自分だということを意識できません。犬などは、動いているのは分かるので、鏡の中の自分とじゃれたりすることはありますが、それが自分だということは分からない。
翻って私たち人類、あるいはオランウータンやボノボなどの高等霊長類は、鏡を見て自分が自分だと理解できる分別を持っている。
このような高度な自己意識は、極めて高度な発達を遂げ、よく覚醒した脳によってのみ実現されるもので「再帰的自己意識」と呼ばれています。
私たち人間も新生児のとき、あるいは入眠中、さらに老化や疾病によって神経系を損傷してしまうと、これを持つことができません。まして死亡してしまったり、火葬に付したあとの遺骨には、再帰的自己意識を持つことはあり得ない。これは生命観、死生観を考える上で1つの重要なポイントと思います。
イヌやネコは鏡を見てお化粧などしません。彼ら彼女らの脳には再帰的自己意識の機能がないから。こういう話題の基礎的な部分にご興味の方は、拙著「なぜ猫は鏡を見ないか」(NHKブックス 2012)をご参照ください。
いまここで重要なのは、AIやIoTが基本的に特異な演算は何か、それによって消えてしまう職種にはどういうものがあるか、という話の表裏として、AIやIoTのセンシングや判断に原理的に欠けているものを話題にしています。
まず、単細胞生物でも持っている本質的に利己的な認識様式の完全な欠如。
加えて多細胞生物として複数のセンサー情報を統合し判断モジュールを高度化して生まれた(ミジンコ程度の)意識というあり方、生物の意識に付随する判断部分=中枢神経系つまり背骨と脳がさらに高度化して生まれた「私」という意識、つまりイヌやネコでも持っている「自己意識」というモジュール」の欠如。
さらに、生命の本質に付随して発達した背骨=脊髄や脳の中枢神経系が一部特異に発達(大脳新皮質の局所モジュール群)して可能になった、鏡を見て自分が自分と分かる、人類などに特有の高度な「再帰的自己意識」の機能を、ノイマン式計算機のシステムで代替することはできない、というポイントにほかなりません。
ちなみに、やや面倒なことを記せば「自然数の公理系」を構成するには再帰的な自己意識に相当する判断が必須不可欠であることから、抽象的な数理や演算、高度な自然言語を作り出すためには、この最も発達した脳が必要不可欠という別の観点があります。
ここでは深入りしませんが、一番本質的な難点はこのあたりにあります。
女の子も中学生くらい、いやいや小学校高学年くらいにもなると、鏡を見始めたり服や靴に凝り始めたり、そもそもお父さんとお風呂に入るのを嫌がったりと、様々な変化が見られるようになりますが、これらすべて「再帰的自己意識」がなければ成立しない反応です。
そういう「再帰的自己意識」の塊みたいな集団であるジャンボジェットの乗客のご機嫌を損じないため、あるいはそのような勝手な行動を取り得る集団に、リスクにあたって整然と行動してもらうために、最終的には上記のモジュールを備えた人間の脳による判断が必須不可欠になるのは、実は「高度な発達」がポイントではないのです。
顧客に満足してもらう、あるいはリスクを回避し安全を確保する、さらには赤ちゃんを無事に育てる、患者や高齢者をきちんとケアする・・・。
こういった業務の判断は、随時「価値判断」を伴うもので、細やかに「これでいいかな? ダメかな?」と検討判断し続ける「ジアタマ」、アメーバでも持っている「利己的な価値判断」の能力が必須不可欠です。
コンピューターは「ジアタマが悪い」。
ミジンコどころか粘菌、アメーバのレベルにも当分到達する見込みすらない。
このポイントは、実はいろいろな証明も存在する冷静な議論ですので、押さえておいていいように思います。
2020年、25年、30年さらには2050年、AIやIoTは現在よりはるかに進んだサービスを私たちに提供しているでしょう。1980年代、誰が今日のアマゾン・ドットコムのサービスやドローンの普及を予想したでしょう。
あれから約30年で現在の進展、これから30年経っても、いま大学1年生で私の教室にいる子たちは48歳でいまの私の年齢に達していない。
すぐそこにある未来としての2040年代、50年代を考えるとき「ジアタマ」の強化、過去のアーカイブを引っ張って「前例によれば・・・」というのは計算機の方がはるかに得意なわけですから、そうではない、ニンゲン様は少しアメーバより上等なのだよという部分のインテリジェンスを磨いておく方が、生き生きとした社会生活、あるいは少なくとも雇用の確保にはつながるように思います。
脳と心の進化を前提に、30年後システム自動化がより進んだ時代に求められる人材・能力像、未来のコア世代を育てるべく今日のティーンに提供すべき教育、人材育成のあり方について、もう少し踏み込んでみたいと思います。
(つづく)
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