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電通の「過労自殺」議論で、抜け落ちていること
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20161019-35264565-bpnet-life
nikkei BPnet 10月19日(水)9時47分配信
■違法な長時間労働にだけ目を奪われがち
報道によると、大手広告会社の電通に勤務していた20代の女性が、長時間労働などにより、昨年11月にうつ病となり、12月に「過労自殺」をしました。今年の9月に、労災認定がされました。うつ病発症前(昨年10月9日〜11月7日)の1か月の残業時間(時間外労働)は、約105時間と認定されたようです。
10月14日には、厚生労働省東京労働局の職員らが、違法な長時間労働が常態化していた疑いがあるとみて、電通の本社を立ち入り調査しました。その後、地方支社や主要子会社もまた、その対象となっています。
今回、あらためて「過労死」や「過労自殺」(過労自死)について考えてみます。
月の残業がピークで100時間を超えていたとされる労働時間については、有識者が新聞やテレビ、ネット上でコメントを寄せています。現在、政府が「働き方改革」などで、長時間労働の是正について議論をしていることにともない、多数の識者が労働時間の規制について発言も繰り返ししています。
したがって、この記事では、長時間労働についてふれることは避けます。むしろ、「過労死」や「過労自殺」について議論をしながら、なぜか、誰もが取り上げないことについて考えます。
■歯止めがかからない職場のあり方こそ問題
私が、「過労死」や「過労自殺」について問題視するべき、とかねがね思っているのは、その「前段階」です。たとえば、今回のケースでいえば、入社1年目でこれほどの量の残業をさせていることへの、同じ部署の社員からの意見などはなかったのか、ということです。
もっといえば、職場で「まともな議論があるのか否か」、「市民感覚の良識が働いているのか、否か」です。それらの議論や良識がないがゆえに、歯止めやブレーキがかかることなく、問題が問題として放置されると思えてならないのです。
いじめやパワハラ、セクハラ、退職強要、退職脅迫、あるいは、不当とも思える配置転換や人事評価などが大企業から中小企業にいたるまで多発しているのは、この歯止めがかからない職場のあり方に、大きな原因があるように思います。
たとえば、人事評価に納得がいかないときに、上司らと話し合いすらできない職場が多数ではないでしょうか。上司の指示・命令は「絶対」とされ、そのほとんどに従わざるを得えないのではないでしょうか。それらの中には、明らかに問題があるものも少なくないでしょう。
ところが、部下はそのことが堂々と言えないし、そんな場や機会すらないのです。亡くなったこの女性社員がツイッターでつぶやく内容は、20代前半の会社員のものとしてみると、私には理解できないものも少なからずありました。
おそらく、職場で上司などにきちんと意見がいえない、あるいは、いえるような工夫や空気がないがゆえに、このようなつぶやきになっていたのではないか、と思います。
■「過労死」や「過労自殺」の引き金になる「前段階」
電通に限らず、日本の多くの企業の職場では、上意下達の思想や企業文化が強すぎるのです。そこには、「まともな感覚」や「市民感覚の良識」が見事なまでにないのです。
部下が上司に何かをいえば、「協調性がない」「反抗的」と言われがちです。人事評価や人事異動などで復讐をする上司は、実に多いのです。
私は会社員の頃、お世辞にも優秀とはいえない上司(40代後半・部長)の、仕事のすべての指示に納得がいきませんでした。皆の前で、「本当に(この仕事の)経験者なのでしょうか?」と何度も言ったことがあります。上司は、興奮して怒っていました。
同じ部署のほかの社員は、素人に近いこの上司に従い、残業を月に60〜70時間もしているのです。もっと多い月もありました。私は、そんな仕事を放棄していました。努力のかいがあり、ほかの部署へ追い出しを受けました。私は会社から追い出しを受けても生きていくことができると思っていたから、強気に出ることができたのです。実際のところ、このような社員はほとんどいないのです。
「過労死」や「過労自殺」は、この歯止めや良識がきかない職場の、クライマックスでみられるものに思えてならないのです。言い換えると、「過労死」や「過労自殺」の引き金になる「前段階」は、ほとんどの職場にあります。
■過剰労働で、重い脳障害を患った、超エリート社員
ほかの「過労死」や「過労自殺」、「長時間労働」で、私が強く印象に残っているケースが2つあります。
1つは、10年前の2006年、人事労務の雑誌で、ある弁護士の講演を取材したときに知ったものです。その弁護士はほかの弁護士らとともに、1990年代半ばから、三菱重工業の長崎研究所で起きた労働事件(実質的には、「過労死事件」)を扱っていたのです。
長崎研究所室長の男性社員が、1990年代の半ばに、脳に重い障害を負ったのです。その原因は、「過重労働が原因」として、三菱重工業に謝罪と損害賠償を求めていた労災事件でした。最終的に、三菱重工はこれに応じ、和解合意が成立したのです。
弁護士から話を聞くほどに、上司たちは、この社員に激しいいじめをしていたように私には思えたのです。男性社員は、学歴・職歴とも超トップレベルでした。すさまじいほどにエリートなのです。
上司からの指示などで、仕事の量は膨れあがり、残業が増え続けます。休日出勤も増えます。私の受け止め方では、上司はこのエリート社員がつぶれるように、あえて過剰な労働をさせていたのではないか、と感じたほどです。つまりは、嫉妬心やねたみなどです。
男性社員とその妻の闘いにより、ついに会社は非を認め、上司らも形式上の謝罪をしたのです。私は当時、30代後半で、取材者としてビギナーの域を出ていなかったこともあり、弁護士の話の最中、涙が出そうになりました。この夫婦と弁護士らへの敬意とふるえるような感動で、冷静ではいられなくなったのです。
■「不当な行為」を「正当な行為」にすり替え部下を潰す上司
上司が、「不当な行為」を「正当な行為」にすり替え、優秀な部下をいかに潰すのかがよくわかる事例でした。「過剰労働で、重い脳障害を患った」のは「結果」であり、その前段階では、「一流企業」とは呼べないようなことが起きていたのです。世間がうらやむ一流企業でありながら、なぜ、こういうことがなくならないのでしょうか。
弁護士の話を聞く限りでは、周囲の一部の社員は、いじめが行われていたことを知っていた可能性があるようでした。「良識をもった社員」がいたとしても、それが働かない文化や風土、空気、世論などがあるように私には思えてならなかったのです。
本来、「過労死」や「過労自殺」の議論は、この「前段階」にこそ、目を向けるべきなのではないでしょうか。残業時間の上限は法律で規制するようにやがてなるのでしょうが、法である以上、必ず、抜け道がつくられるはずです。
政府・与党(一部の野党を含む)、経済界などはその抜け道をつくるために着々と手を打っています。政府の「働き方改革」の参加メンバーの発言を見聞きすると、その抜け道をつくるためのパイオニアや、旗振り役をしていると思える人もいます。本人がその蛮行に気がついていない、と感じられる人もいます。
残業時間の上限を法律で規制するようになったところで、「前段階」のところをしらみつぶしにして正していかない限り、形を変えて同じことが繰り返されていくはずです。
■会社はスレイブ・ドライバー(奴隷使い)
印象に強く残るもう1つのケースは、2013年に取材をした過労死遺族である、馬渕郁子さんです。今回の記事を書く数日前にも、3年ぶりに馬渕さんとお会いし、取材で話をうかがうことができました。
馬渕さんの夫・カンラスさんは、61歳だった1988年7月、心臓発作(虚血性心疾患)により、突然亡くなりました。外資系海事会社の日本支社で、鑑定人(サーベイヤー)として働いていました。
港に停泊する船に泊まり込み、船荷、船体、海上火災などの鑑定業務を厳密に行い、鑑定報告書をつくります。船に事故があれば、深夜であろうと休日であろうと、現場に向かっていました。
オフィスで報告者が書き終わらないときは、自宅で夜半までタイプをたたいていたのです。死亡する前の15年間は、自宅で馬淵さんが手伝うほどでした。カンラスさんは、「この報告書を提出しないと、給料が出ない」と話していました。
語学に堪能で、鑑定や報告書作成などに慣れていました。社内では、その代わりになる人が見つからないために、仕事が押し寄せていたのです。支社には社員が50人ほどいましたが、労働組合がありません。
■歯止めやブレーキが一切働かない職場
上司である部長からは休日、家にまで電話があり、仕事の指示がなされました。カンラスさんは休日を返上し、現地に向かいます。仕事のスキルが高いがゆえに、次々とこなしますが、より一層に仕事が増えていくのです。休日になると、上司からまた、家に電話が入り、出社し、遅くまで仕事をする日々のこの繰り返しだったのです。
カンラスさんは「会社はスレイブ・ドライバー(奴隷使い)だ」と馬渕さんには漏らしていました。亡くなる2カ月前には、「もう、辞めたい」と口にしていたのです。
このあたりのいきさつや状況は、次の2冊を読むと、くわしくわかります。私には、カンラスさんの上司やその上にいる人、そして見て見ぬふりの周囲の社員は、結果として「殺人に近い行為」をしていると思えるのです。それでいながら、何喰わぬ顔でその後も生きているのかと想像すると、私はそこが許せないのです。
このような職場には、少なくとも、良識を保つための歯止めやブレーキが一切、働いていないのです。
『日本は幸福(しあわせ)か--過労死・残された50人の妻たちの手記』(全国過労死を考える家族の会編 教育史料出版会)
『枯葉によせて』(馬渕郁子 著・教育史料出版会)
死にいたったその日、千葉県君津市の港での仕事を終えて、家に帰ろうとしていたのです。電車に乗り、JR秋葉原駅に着いて、最終の山手線に乗り換えようとしたとき、心臓発作に襲われました。駅の通路で倒れるようにしゃがみこんでいたのです。
■「過労死」や「過労自殺」で泣き寝入りする遺族たち
カンラスさんの死は1990年3月末、過労死に認定されました。都内では初めての認定(中央労働基準監督署)であり、全国では2人目です。馬渕さんは、夫が死にいたったいきさつを調べていくうちに、カンラスさんが3人分のサーベイヤーの仕事をしていたことを知りました。会社のリクルート係は、そのことを隠していたようです。
馬淵さんは業務上の死であることを立証するために、夫の同僚らに証言を依頼したのですが、難航しました。同僚には、馬淵さんが書いた報告書にサインをしてもらうことを求めたものの、すぐには承諾をしなかったのです。
馬渕さんが3年前の取材で話していた言葉で、私が深く考え込んだのが次にあげたものです。
「こういう死を許してはいけない。会社はあれほどまでに酷使し、いざ死んでしまうと、業務上の死とは認めない。それは、あまりにも不合理……」
「会社って、組織って本当に冷酷……。会社員が自己保身的になり、会社の上の人たちは社内のことを必死に隠そうとする。これは、世界の国々で見られること。だけど、日本ほどひどい国は少ないと思う」
過労死遺族への支援を長年してきた馬渕さんによると、この30年弱の間に、家族が「過労死」や「過労自殺」となりながらも、闘うことを諦め、泣き寝入りをした遺族が多数いるのです。一部の企業が「生活保障金」などといった名目で、一定のお金を遺族に支払い、死に至った経緯などを封印したケースもあるのです。
■上司の間違った考えや判断が過労死を招く
今回、取り上げた電通に勤務していた20代の女性、そして三菱重工業の長崎研究所や馬渕さんの夫・カンラスさんの置かれていた状況は、それぞれ異なります。業界や業種、職種、労働環境、さらに年齢、性別、キャリアなどが違いますから、一概に比較はできないものの、重なるものもあります。
特に後者の2人はよく似ています。ともに職場で欠かせぬ存在であり、エースに近い働きをしています。インテリで、ひたむきで、誠実そのもので、仕事に常に全力投球でした。その姿は、涙がこみあげてくるほどなのです。それでありながら、上司などの間違った考えや判断により、大きな障害を受けたり、死に至ったりした可能性があることは否定しがたいと思えるのです。
長時間労働が大きな問題であることはあえて論じるまでもないことですが、その前段階で、職場で良識が働いていたとは到底思えないのです。前述の2冊を読み、遺族らの声を取材の場で聞くと、そのように確信します。私などは怒りのあまり、次のページになかなか読み進むことができないのです。
今回、馬渕さんと数年ぶりに再会し、2人の娘さんのことも聞きました。ともに立派に成長し、幸福な家庭を築いているようです。しかし、馬渕さんをはじめ、この娘さんたちにも心の傷は残ったままであり、決して消えるものではないように私には思えました。
■「なぜ、死にいたったのか」という検証こそ必要
過労死は、最終的には病死であったとしても、その前段階では、殺人に近いことが行われている疑いがあります。そして、それを覆い隠す人たちがいます。組織的に封印する会社もあります。
遺族は、ここに許せぬ思いがあるのです。愛する家族を利用するだけ利用し、死に至れば、徹底して軽く扱い、存在すらなかったことにしようとします。人間としての尊厳を隅々まで踏みにじられたことに、全身からの憤りを感じているのです。
過労死であれ、過労自殺であれ、なぜ、死にいたったのか、という検証は、徹底して行われるべきではないでしょうか。労働時間のみがその人を殺すのではなく、上司をはじめ、会社員こそが死においやるのだと私は考えています。
会社という、あの無機質な建物ではなく、そこで働く人こそ、狂気を秘めているのです。
(文/吉田典史)
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