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『それでも家を買いました』(矢崎葉子/太田出版)
タワーマンション購入の悲劇…25年前の郊外戸建て購入者がたどった悲劇の再来か
http://biz-journal.jp/2016/10/post_16881.html
2016.10.13 文=牧野知弘/オラガ総研代表取締役 Business Journal
■山村夫妻の住宅探し
平成バブルの頃まで、新興戸建て住宅地は庶民の憧れの街だった。「とにかく郊外でも家を持ちたい」という憧れは、誰しもが抱く自然な欲望だったのだ。この辺の事情をよく表しているのが、1991年4月から6月、TBS系列で放映された連続テレビドラマ『それでも家を買いました』だ。
このドラマは矢崎葉子原作、主人公山村浩子(田中美佐子)と新婚の夫、山村雄介(三上博史)が社内結婚後、神戸から神奈川に転勤、社宅に住みだすものの、複雑な人間関係を嫌気して住宅を探し出すという物語である。
折しも時代は地価高騰期、初めは横浜の東部エリアで探そうとした山村夫妻は、あまりに高い住宅価格に驚愕しながら、次第に横浜市西部の奥地に家を求めてさまよい始める。夫妻は泉区の緑園都市近辺も探すが、200倍を超える倍率の抽選に当たらなかったり、価格が高すぎたりして希望の住宅に巡り合うことができない。
そして、流れ流れて最後に到達するのが、神奈川県津久井郡城山町の戸建て分譲地だ。この地は今では平成の大合併で相模原市城山町となっているが、ドラマでは最寄り駅がJR横浜線相原駅から「三ケ木操車場」行きのバスで20分という設定。夫の雄介は原チャリで駅までの道を急ぐが、どうみても会社までの通勤は2時間以上かかる。
ドラマはここで終わるのだが、主人公のこうした滑稽とも思われる住宅探しは、実は一般庶民ではごくありふれた光景だった。日本のサラリーマンはそうまでしても「住宅を買わなければならない」状況にあり、過大な住宅ローンを組んででも、とにかく住宅を買わなければ一生住宅を持つことはできないと、当時は誰しもが信じていたのだ。
今、残念ながら相模原市城山町が通勤のための住宅地として発展を続け、不動産価格が高騰しているという話は聞かない。もし山村夫妻が現実の人だったとしたら、その後の人生はどうなっているのだろうか。
実際には、こうした人たちは世の中にたくさんいる。住宅探しをしていたのが30歳前後とすれば、あれから25年の時がすぎた。今、50歳過ぎの夫婦とその家族に起こっている現実とはなんだろうか。
■ニュータウンは黄昏れて
2013年1月、新潮社から刊行された小説、垣谷美雨著『ニュータウンは黄昏れて』には、バブル時代に一生懸命取得したニュータウンにある団地に住む一家のその後を描いていて興味深い。
織部一家は、バブル絶頂期に家探しに奔走し、都心まで遠いニュータウンの中の中古団地を買う。駅からはもちろんバス便。購入価格は当時で5200万円。4200万円で30年ローンを組んだものの、夫の勤めるソフトウェア会社はその後、吸収合併の憂き目にあい、夫はリストラで役職を降格、給料は激減となってしまう。
二人の子供のうち、長男は大学を卒業し高校の先生になるのだが、妹は学費を教育ローンで補わなければならず、卒業した今は正規雇用につけずにフリーター、教育ローンの返済原資が滞る事態になっている。
夫は住宅ローンの支払いができず、妻は弁当屋でパートアルバイトをしながらなんとか生活を続けている。恨まれるのが、あの頃、住宅神話を信じ切って多額のローンで家を買ってしまったことだ。団地の価格は暴落。売りに出したところで買手もいない。住宅価格は暴落しても、ローン残高は暴落してくれない。
この話は、現在のニュータウンの抱える実情を活写している。管理組合や自治会が高齢化して、大規模修繕や建替えなどが不可能であるさまを描き、高齢者が中心となる共同体で生じるさまざまな問題にも光を当てている。
さて、この話を91年のドラマ『それでも家を買いました』の山村夫妻に当てはめると、どんなドラマができあがるのだろうか。
山村夫妻も今は50代だ。91年に購入した城山町を舞台に、もう一度登場してもらうことにしよう。
夫婦はおそらく城山町に新居を構えたのち、2人くらい子供(長男・長女)をもうけている。子供たちは大学を卒業、または在学中。これは『ニュータウンは黄昏れて』のストーリーとまったく一致する。
山村雄介の会社は比較的規模の大きい製造業だった。その後の日本経済の盛衰のなかで、倒産や中国企業に吸収合併されていてもおかしくはない。子供たちの就職は、彼らバブル世代とはまったく事情が異なる氷河期。長男は時代を反映して引き籠もりから就職できずにフリーターに。長女はお父さんがリストラの憂き目にあい、泣く泣く教育ローンで大学へ。夜は教育ローンの返済のために居酒屋でアルバイト。
さて、山村雄介は何を想うのだろうか。輝かしかったバブルの絶頂期に、完全に信じ込んでいた「住宅神話」。うまくいくはずだった人生が、会社からはリストラ。もはや50代では新たな未来を展望できない。
城山の自宅はすでに築25年。家のあちらこちらに傷みが目立ってきた。それでも住宅ローンの返済すら覚束ないなかで、修繕なんてできやしない。城山に来てから専業主婦となっていた妻の浩子も、地元の介護施設で介護の仕事をして家計を支えるけれど、息子はフリーター、娘の学費すら出してやれない。
なんの希望もなく、急速に老け込んでしまった雄介を、それでも性格は明るく挫けない、妻の浩子が笑顔で支える山村家、そんな姿が透けて見える。
山村夫妻は何を間違えてしまったのだろうか。実は郊外戸建て住宅地には、このストーリーと重なる話が実に多い。不動産価格の高騰を享受できたのは戦中世代から団塊世代あたりまでといわれている。
その後の世代、50年代後半から60年代前半生まれの人たちの多くが、「現在の山村夫妻」状態になっているのだ。彼らは親が残した郊外の実家の後始末とともに、自分が買った平成バブル時代の住宅ローンを延々と返済し続けなければならない辛い世代である。
■25年後の世界を見据えよう
このようにみてくると、25年という四半世紀の時の経過は、世の中の価値観を大きく変えているということに気がつく。ということは、これからの25年も、世の中の価値観は大きく変わっていく可能性があるのだということを考えざるを得ない。
“25年前(2015年)”に若々しかったタワーマンション購入者も、“今(40年)”は多くが高齢者世代に足を踏み入れようとしている。あの頃は、輝かしかったタワマンの建物も、かなり老朽化が進んでいる。
管理組合からは、大規模修繕実施の議案が組合総会にかけられるが、議決できるだけの賛成が得られない。所有者は外国人、投資用として賃貸に出している投資家、そして新築時に購入した所有者。外国人所有者とは連絡がとれない、投資家も日本人の借り手がいないので外国人に貸している。なかには不法滞在者と思われるような輩もマンション内を跋扈している。
修繕費も目をむくような高さだ。超高層マンションは足場を組めないので、ゴンドラ作業。200mを超える高さでは上層部は常時強風で、作業時間がほとんど確保できない、入居時は必須と思われた自家用発電機は、一度も使われないまま更新費用は数億円。
建物修繕積立金は新築時、戸当たり月額7000円でリーズナブルだったのが、今や5万円。ちなみに当時の販売担当者は、「タワマンは戸数が多いので一戸当たりの修繕費はお安くなるのです」と言っていた。さらに今回の修繕に当たっては、戸当たり100万円の追加負担。
首都圏は20年を境に人口は減少、高齢化率は全国平均と同じ33%、消費は低迷したままのなか、資産価値は大幅下落。住宅ローン残高が大きく残る世帯には到底負担できない額。
このままではタワマンごとスラム化の道をまっしぐら。こんな事態が都内の各処で引き起こされているのかもしれない。
その頃、『ニュータウンは黄昏れて』ならぬ『タワマンの末路』という小説が、売れているかもしれない。
(文=牧野知弘/オラガ総研代表取締役)
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