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日銀の「総括的検証」は整理しきれていない部分がある(撮影:今井康一)
日銀が「量的緩和」を残したのは間違いだ
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160923-00137216-toyo-bus_all
9月23日(金)5時0分配信 野村 明弘 東洋経済オンライン
9月21日、日本銀行は異次元金融緩和の政策効果についてまとめた「総括的な検証」を発表したが、妥当な整理が行われた部分と混乱が解消しなかったところある。
まず妥当なところは、「金融環境改善の結果、物価の持続的な下落という意味でのデフレではなくなった」として、景気を吹かすためにどんどん戦力投入するという姿勢を明確に否定したことだ。
■日銀は市場からの期待に耐え切れなくなった
安倍晋三首相は参院選前の主要7カ国(G7)首脳会議(伊勢志摩サミット)で「現在はリーマンショック前夜」とぶち上げて消費増税を再延期したり、英国のEU離脱による市場の動揺を受けて大型補正予算を閣議決定したりするなど、安倍政権としては景気の実態を超えた前のめりの経済運営が目立っていた。こうした中で今夏には、日銀がヘリコプターマネー政策など超過激な金融緩和へ進むのではないか、といった期待が市場で囃される一幕もあった。
2%の物価目標が遠のく中で、こうした市場からの期待に耐え切れなくなったことが、今回の総括的検証を行う一つの理由にもなったのだが、今回、明らかに日銀は現在の景気状況なら緩和拡大の必要性はないとの姿勢を示した。もちろん、今後急激な経済変動があれば対応するとの姿勢は変えていない。
今年1月末に導入を決定したマイナス金利政策が効きすぎて、資産運用会社や企業年金基金などが真っ青になるほどの長期金利の全面的なマイナス化を招いてしまったため、今回の金融政策決定会合では、長期金利を「ゼロ%程度」まで戻す「イールドカーブ・コントロール(長短金利操作)」という手法が導入された。この部分は、単純に「緩和」か「引き締め」か、と問われれば、「引き締め」ともとられかねないものだ。「日銀はもっと緩和をやれ」との声が一部に根強いが、日銀は「金融政策は効いている」としてノーの意思表明をしたとみられる。
■混乱が解消しなかったところとは?
一方、混乱したままのところもある。それは2%のインフレの実現と期待インフレ率の押し上げに拘泥している点だ。もともと現在のようなゼロ金利制約下で、設備投資など景気に影響を与えると考えられる実質金利を下げる方法として、インフレ期待は表舞台に登場した。実質金利は名目金利から期待インフレ率を引いたものなので、名目金利がゼロ近辺に張り付いていても期待インフレ率が増大すれば実質金利を下げることができるからだ。
日銀は「総括的な検証」の中で、先述のようにマイナス金利政策導入によって名目の長期金利が大幅に下がった結果、実際には期待インフレ率が想定したとおり増大しなくても、実質金利は景気をサポートする上で十分に低い状態だと、明記している。であれば、そのような緩和的金融環境の中で景気、賃金、物価の上昇が醸成されるのを見守ればよいのであり、今もって期待インフレ率の引き上げにこだわる必要はないはずである。
だが、日銀は総括的検証の中で、2%のインフレ実現のために「インフレ期待をより強固な形で高めていくことが必要である」として、「物価上昇率の実績値が安定的に2%を超えるまで、マネタリーベースの拡大方針を継続する」とのオーバーシュート型コミットメントなるものを新たに導入した。
日銀はなぜここまでインフレ期待に固執するのか。それを理解するには少しだけ経済理論の変遷を見ておく必要がある。
■「合理的期待仮説」とは?
経済学の中に明示的に「期待(予想)」という概念を取り入れたのはジョン・メイナード・ケインズだ。人々が期待を基に行動すると何が起きるかという思考プロセスを入れたのだ。
だがここで重要なのは、ケインズ経済学は、「人々は将来の結果を知り得ないことを知っている」という不確実性の想定を置いていることだ。その結果、人々は不確実な将来へ購買力を持ち越すため、生産や雇用に直結しない貨幣などの流動資産の形で貯蓄し、そのことが有効需要不足につながって不況や非自発的失業を生み出すと論じた。将来の結果を合理的にすべて知っているわけではない人間がこのような行動を取ることは「合理的」だとケインズは考えている。
1970年代以降、ケインズ経済学が後退して新古典派経済学が復権する中で、この「期待(予想)」の位置づけが大きな変貌を遂げる。決定的だったのは、ロバート・ルーカスが主導した合理的期待仮説だ。
ルーカスは、確率論の形を取りながらも人々は今日取られた行動が将来にどのような結果をもたらすかをすべて知っているという、古典派、新古典派以来の確実性の仮定を強固に据え直した。その結果、政府や中央銀行が何らかの政策を行っても、人々が先回り的にその結果に対応した行動を取るため、政策は無効になってしまうと論じた。
■量的緩和の副作用
日銀に話を戻すと、日銀のいうインフレ期待とは、大元となった1998年のポール・クルーグマンの論文を含めて、合理的期待仮説が下敷きになっていることは間違いない。日銀が「将来にインフレを起こさせる行動」を取ると、その帰結を知っている人々はそれを見て将来はインフレになると合理的に予想し、その結果インフレ予想に対応した賃上げなどが進んで実際の物価上昇をサポートするという考え方だ。確かにそれが起きれば理想的だが、実際にはこれは実現しえない。2つの大きな欠陥があるからだ。
一つは「日銀が将来にインフレを起こさせる行動」とは何かということだ。その中心は量的緩和だが、かねてエコノミストや学者が指摘するようにゼロ金利下で日銀が金融機関から国債などを大量購入しても銀行が日銀に積む当座預金(マネタリーベース)が増えるだけで、民間銀行の信用創造を通じて市中に出回るおカネを含むマネーストックはほとんど変化しないことがわかっている。
したがって、量的緩和は「日銀が将来にインフレを起こさせる行動」にはならない。であれば、人々が将来を完全予想できる合理的期待が本当に成立するなら、インフレ期待は高まらないというのが正解で、現状を変えることはできない。
もうひとつの問題は、そもそも日銀が従う合理的期待仮説が強固な確実性の仮定の上に立っているという非現実性だ。実際には現在のような経済低成長の時代になれば、不確実性がますます高まっているのが現実だ。
ケインズのように不確実性の仮定の上に立つとどうなるだろうか。日銀のインフレへのコミットメントがあっても、人口減少や巨額の政府債務、海外への生産移転など多数の不安材料が蔓延し、人々は将来の強い日本経済を予想できず、したがって生活防衛的なデフレ的行動を取るということは十分にありうる。
■量的緩和は政策からはずすべきだ
日銀は今回の総括的検証の中で、日本は長期間のデフレを経験したため、現実の低インフレ率が続くと予想する「適合的なインフレ期待形成」の影響が大きく、それが期待インフレ率の高まらない要因だと説明した。しかし、将来のことがわからない不確実性の下では、そうした生活防衛的な適合的インフレ期待形成こそが実際には合理的な期待形成と言える。そのような中で、欧米の中央銀行ですら2%のインフレ目標に届かず苦心している現況では、日銀がこれを実現することは非常に困難だ。
確かに異次元緩和の始まった2013〜2014年夏にかけてだけはそれなりに順調に期待インフレ率が高まったが、それは急速に進んだ円安による輸入物価上昇という実際のインフレがあったからだ。もし日銀がこのときの動きをもってインフレ期待仮説をまだ放棄できないと考えているとすれば、もう一回論点を整理し直してみるべきだ。
量的緩和は名目長期金利を押し下げるという効果はあるものの、政府の財政規律弛緩を誘発するなどの極めて大きな副作用もある。この「取扱注意」の量的緩和についてはいかにスムーズに出口に向かうかに頭脳を使うべきであって、「インフレ期待」に拘泥しすぎて、これを残すことは危険極まりない。
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