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科学ジャーナリスト・松浦晋也氏がマツダのスポーツカー「ロードスター」を1日乗り回して考えた“自動運転時代に残るマイカーの価値”とは?
クルマが自動運転になったら、マイカーを持つ意味は?
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160822-43499537-trendy-ind
日経トレンディネット 8月22日(月)12時4分配信
自動運転が当たり前になる時代がすぐそこに来ている今、マイカーを持つ意味とは。 “偏ったクルマ好き”を自称する科学ジャーナリスト・松浦晋也氏がマツダのスポーツカー「ロードスター」を1日乗り回して得た結論は?
2015年に発売されたマツダのロードスターを1日思いっきり試乗してきた。販売店の関東マツダ(東京都板橋区)が実施している「1日乗りホーダイ!! 1日試乗キャンペーン」に申し込んだのである(2016年8月時点では1日試乗キャンペーンは実施されているものの、ロードスターは対象外となっている)。
ロードスターは、1989年に発売された初代が「NA」という型式名を持つ。以後2代目(1998年発売)が「NB」、3代目(2005年発売)が「NC」で、2015年発売の最新型が「ND」である。
試乗当日、東名高速のインター近くの店舗に赴くと、白色のND型ロードスターが待っていた。もちろんマニュアルミッションモデルだ。操作上の注意を受けて、路上へと乗り出す。すぐに東名に乗って、目指すは箱根、そして伊豆スカイラインである。
ここで筆者のクルマ歴を書いておこう。現在、1994年製のマツダの軽スポーツカー「AZ-1」を所有している。ガルウイング、ミッドシップエンジン配置の特徴的なクルマだ。持っているのはこの1台だけ。15年も乗り続けている。
若いころは自動車に全く興味はなく、バイクに夢中だった。自動車に乗るようになったのは、ロケットの打ち上げ取材で度々種子島に行くようになり、現地の足としてレンタカーを使うようになってからだ。レンタカーでずいぶんさまざまな車種を運転したが、それでも、自分で自動車を持つことは考えもしなかった。
考えが変わったのは、2001年春に友人が所有していた1970年代製のスズキ「ジムニー」に乗ったとき。550ccの2サイクルエンジンを積んだ「SJ10」という車種だった。
SJ10はひと言でいうと“爽快なクルマ”だった。エンジンは非力だがよく回り、しかも車体が軽いので軽快に走る。インテリアと呼ぶのもおこがましい内装は、簡素にして必要最小限。ぜいたくを感じさせるものは何もない。が、何よりも乗ることが楽しい。ジムニー、特に古いジムニーには熱狂的なファンがいるが、その理由を私は理解した。乗る者の精神を鼓舞する自動車なのだ。
ずっとバイクに乗り続け、クルマに興味がなかったのは、バイクは乗るのが楽しく、クルマは楽しくなかったからだ。しかしジムニーSJ10はバイクのように楽しかった。これで楽しいクルマを運転したことがなかったことに気がついた。こんなに楽しいのなら、所有してもいいかもしれない。
そのときに思い出したのが、マツダの「AZ-1」だった。ジムニーの対極にあるような背の低い軽スポーツカーだ。私は大学院で学んでいたことがあるが、そのときキャンパスにいつも1台だけ、真っ赤なAZ-1が軽自動車とは思えないほどの存在感を放ちながら駐車していたのである。3カ月後、私はAZ-1のオーナーになっていた。それから15年、AZ-1は私の人生にとってなくてはならないクルマとなっている。
と、まあ、そんな偏ったクルマ歴の持ち主が最新のスポーツカーに乗ったことになる。
■優雅を極めたND型ロードスター
先に結論を書こう。ND型ロードスターはとても優雅なクルマだった。最高の訓練を受けた執事が日常生活をサポートしてくれたらこんな感じになるだろう、とでもいうべきか。
具体的には、乗り手の予測を裏切ることが決してない。一度シートに座り、着座位置を調整すれば、ハンドル、ペダル類、オーディオやナビなど、あるべき操作系がすべてあるべきところにあり、ストレスを感じずに操作できる。スポーツカーならではの低い着座位置だが視界は良好で、見たい方向がAピラーで見えないということもない。シフトの感覚もとてもいい。短いストロークでスパッと入る。
幌の操作性も良好だ。ドライバーシートに着座したままで、体をひねって後ろに手を伸ばし、幌を引き出すだけで展開できる。幌をかけてしまえば、室内空間は通常のハードトップとほとんど違いはない。
走り出すと、車両感覚にもすぐ慣れた。スポーツカーはたいてい背が低くてフロントが下がっており、車両感覚がつかみにくい。筆者はAZ-1に慣れるまで何度もフロントやら左リアをぶつけたり擦ったりした(その傷は今も残っている)。
ロードスターも、着座位置はかなり低い。それでいて、マツダのAZ-1よりもずっと車両の見切りが良い。おそらくは設計時に、着座時の目の高さや、そこから見える視界を相当緻密に検討しているのだと思う。見えるべきものはきちんと見えていて、一切ドライバーにストレスを感じさせない。
東名高速に乗り、厚木から厚木小田原道路へ。料金所で幌を下ろし、箱根ターンパイクを上る。ここからがロードスターの本領発揮だ。ハンドリングもエンジンのレスポンスも、ブレーキの効きも、ドライバーの予想を裏切らない。曲がるときは「これくらい」と思ってハンドルを回すと、まさにその通りに曲がるし、アクセルもブレーキも「これくらい」と思って踏み込むと、その通りに加速し、減速する。だから楽しい。私は馬に乗ったことがないが、完全に乗り手の意をくむ馬に乗る楽しさはこんなものなのだろう、と思わせる。
オープントップ時の風の巻き込みは、サイドウインドウを上げた状態では皆無だ。おそらく少しの雨なら幌なしで走れるだろう。あえてウインドウを一番下まで下げると、適度な巻き込みで風が顔に当たり、爽快だ。
私は興奮し、ゲラゲラ笑いながらターンパイクを上り、そのまま大観山レストハウスで休憩することなく、熱海峠から伊豆スカイラインへと乗り込んだ。
とにかく楽しい。しかも速く走っても遅く走っても楽しい。だから、どんな速度でもいら立つということもない。平日の箱根でも、時折りゆっくり走るクルマが前を遮ることがあるが、まったく気にならない。遅くても楽しいのだから、力んで飛ばす必要はないのだ。
一気に伊豆スカイラインを走りきって終点の天城高原でクルマを止める。ここまでほとんど休憩していないのだが、疲れはない。いやもう、楽しいとしか言いようがない。このクルマがあればどこまででも走れる……。いや違う。「走れる」ではなく、「自分が走りたい」だ。どこまででも走りたいという気分になる。
結局、この日はロードスターで300km近く走ってしまった。
■最後に残るマイカーの価値は「楽しさ」
1日試乗を終えて何よりも強く感じたのは、ND型ロードスターを作ったマツダの技術陣への畏怖心だった。よくここまで洗練された、楽しいクルマを作ったものだ。
自動車を巡る社会的状況は厳しさを増しつつある。排ガス規制をクリアし、衝突安全性をはじめとした各種安全基準を確保し、なおかつリーズナブルな価格の範囲内で、これだけのクルマを作るのは容易なことではなかっただろう。
まして、2人乗りのロードスターはそんなに数が売れるクルマではない。「デミオ」や「アテンザ」ならかけられる開発費が、ロードスターではかけられないといったことがあってもおかしくはない。それでも彼らはこの楽しさの塊のようなND型ロードスターを作った。“偉業”というのは言い過ぎかもしれないが、これは大変なことだと思う。
かつて、スポーツカーの価値は「速い」ところにあった。だが技術は発達し、どんなクルマでもそれなりに速くなった。こうなると人も荷物もろくに積めないスポーツカーの存在意義は小さくなる。最新のND型ロードスターは「楽しさ」を徹底的に突き詰めて、優雅さを感じさせるまでに磨き上げたといえるのではないだろうか。
「楽しいかどうか」だけで、マイカーを選べる人はそう多くはないだろう。しかも、2人乗りのツーシーターを選ぶとなると、かなりの勇気が必要だ。それでも私は、なるべく多くの人に、ND型ロードスターを体験してほしいと思う。試乗でもいいし、レンタカーでもいい。
乗れば、自動車という乗り物が「便利」「役に立つ」「快適」「所有すること」とはまったく別の、「楽しさ」という価値基準を持つことがはっきり理解できるだろう。そして「楽しさ」はほかの基準と比べて小さいわけではない。むしろ自動車にとって、とても重要なことだと実感できるはずだ。
現在、自動運転の研究開発が急速に進んでいる。いずれ「便利」「役に立つ」「快適」といった自動車の実用的な価値の大半は、自動運転車が担うことになるだろう。自動運転の可能性は非常に大きい。例えば、車内で寝ていれば目的地に連れて行ってくれるので、金曜日の夕方に車内で就寝すれば、土曜日の朝には観光地に着いて、日曜日の夜に観光地を出れば、月曜の朝に職場に直行ということも可能になるかもしれない。
タクシーを自動運転化すると、ドライバーの人件費が不要になるので、車内広告の収入だけでタクシー会社が収益を出せるようになる、という話もある。だから場合によっては「マイカーなんてものは不要。必要なときに無料の自動運転タクシーや自動運転レンタカーを使えばよい」という社会になるかもしれない。
では、最後まで残るマイカーの価値は何かと考えると、おそらく「自分のクルマで、自分が自由に走る」、つまり「楽しさ」だろう。ND型ロードスターが示した「楽しさ」の追求は、ひょっとするとマイカーという商品そのものの生き残りにとって重要なことなのかもしれない。
(文/松浦 晋也=科学ジャーナリスト、ノンフィクション作家)
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