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50オトコは「透明人間」。香山リカ氏が一刀両断
どうした50代!君たちは「ゆでガエル」だ
「何事も他人任せ」の50代男性の心理とは
2016年8月8日(月)
齊藤 美保
著書『50オトコはなぜ劣化したのか』(小学館新書)で、今の50代男性に厳しい評価を下している精神科医の香山リカ氏。50代は生まれたときから、平和で右肩上がりの楽観主義が刷り込まれた世代。そのため、外部環境が大きく変化しても、自らがリーダーシップをとって世の中をリードしていこうという気概に乏しいという。
日経ビジネス本誌は8月8・15日号で、「どうした50代!君たちは ゆでガエルだ」という特集を組んだ。小説『ハゲタカ』で知られる50代の作家、真山仁氏(54歳)や、昨年「32人抜き」で社長に就任した三井物産の安永竜夫氏(55歳)、団塊世代の代表として漫画『島耕作』の作者、弘兼憲史(68歳)など多くの50代、団塊世代などに話を聞くなどして、今の50代男性が直面している問題を多角的に分析した。
日経ビジネスオンラインの連載第1回は、香山リカ氏に50代男性を分析してもらった。
香山さんは、『50オトコはなぜ劣化したのか』(小学館新書)を6月に出版しました。今の50代男性に対して、このような思いを抱いたきっかけを教えてください。
1960年、北海道生まれ。東京医科大学卒。精神科医。立教大学現代心理学部映像身体学科教授。56歳。(撮影:竹井俊晴)
香山リカ(以下、香山):私自身もまさに50代なので、この本はすごく自分を棚に上げて書いた本なんです。ただ、政治や企業、社会活動など、あらゆるシーンを見渡したときに、50代の男性でリーダーシップをとって、世の中に発信している人が非常に少ないように感じました。
例えば私が所属している医学の学会でも同じような現象が見られます。今の学会の基礎を作り上げ、発展させたのは、ちょうど大学教授を定年になるような60代後半から70代ぐらいの人たち。一方、新しい感覚で色々研究したり、発表したりしているのは、40代など若い世代の医師たち。ところが、その間をつなぐ50代ぐらいが、あまり目立ちません。本当にこの世代が、ぽっかりといない印象です。
去年、安保反対などの運動があり、あの時に私も何度か国会前に出かけましたが、ここでも学生や30代くらいの会社員、そして60代の方などの姿が非常に目立っていました。しかし、ちょうど私と同世代の50代くらいの人たちが、あんまりいないんですよね。むしろ、こういうところでは、50代ぐらいがリーダーシップを取ってくれたらなと思うのですが。
とにかく、周囲を見渡すと、誰かがリーダーシップをとる必要があるあらゆる場面で、責任をとって応援しようとか、旗を振ろうとかいう同世代の男性たちがいなかったんです。むしろ女の方が、私みたいに「もう黙っていられん」「男に任せちゃだめだよね」と、いろいろな集団に足を踏み入れてものを言っているような感じがします。
50代は「平和信仰」の刷り込み強い
なぜ今の50代男性には、そうした傾向が生まれてしまったと考えますか。
香山:もちろん50代男性と言っても、様々な人がいますので、全員がそうだとは思っていません。それでも、今の50代男性には、そうした傾向があると思います。それはやはり、社会や時代の影響が大きいのだと思います。
1つは、私もそうですが、子供時代から摩擦のない良い日本を経験してきた影響が大きいのではないでしょうか。生まれたときから高度経済成長期で、「黙っていても社会は発展していく」といった、もの凄く楽観的な幻想を植え付けられました。しかも、それをやるのは自分ではなく他の誰か。自分はそれを、ただ楽しめばいいんだ、といった感じでした。何かを作るのではなく、できたものを洗練させていこうと。そういった思想が強かったと思います。
私は1960年生まれですが、物心ついたときには東京五輪(1964年)があり、どんどん高層ビルが建って、10歳のときには大阪万博(1970年)がありました。「Japan as No.1」と言われ、押しも押されもせぬ経済大国になっていくときに、ちょうど幼少時期から思春期を過ごしたわけです。
戦争も終わり、日本はとにかく平和な国、という意識が広がっていたような気もします。1968年とか69年に大学紛争がありましたが、それは「東京のお兄さん、お姉さんがやっていること」といったイメージが強かったですね。もちろん冷戦やベトナム戦争はありましたが、少なくとも日本に関しては平和を目指すんだというコンセンサスが社会の中にありました。今の50代は、こうした素朴な「平和信仰」のような環境の中で育った人が多いと思います。
50代は「偏差値偏重主義」の第一世代でもある
香山:それと、偏差値偏重主義の第一世代ということも影響していると思います。私は今のセンター試験の前の「共通一次試験」の第1号受験者ですが、とにかく勉強さえしていればよくて、数字が全てなんですよ。その人がどんな人物かは関係なく、数字で簡単に序列をつける。いい点数を取ればいい大学に入れて、いい会社に就職できる。人間関係で揉まれて何かスキルを身に付ける必要がなく、受験技術を身に付けて試験で良い点数をとればいいことがあるんだ、といった思想が強かった。
1986年に男女雇用機会均等法が施行されました。私が社会に出たのはちょうどこのときでしたが、まだ世の中の風潮としては男尊女卑みたいな、男性であればそれだけで偉いんだ、みたいな雰囲気がありました。ですから、女性は、いろいろな人と渡り合うコミュニケーション技術を身に付けないと、社会の中で生きていけないといった危機感があったように思います。
本の中で50代を「おまかせ世代」と表現していますね。遊び方や仕事のやり方など、全部がパッケージで出来上がっていて、それをやった方が一番利口だという風潮だったと。
香山:そうですね。いわゆる雑誌でいえば『POPEYE(ポパイ)』とか『Hot−Dog Press(ホットドッグ・プレス)』などが若い男性に流行っていました。マニュアル雑誌とかカタログ雑誌のようなもので、服装からデートの仕方から、聴く音楽、見る映画みたいなものまで、全て提供してくれるわけです。
バブルが崩壊しても「楽観的」
今の50代は30歳前後ぐらいでバブル崩壊というのを経験します。50代の考え方に、バブル崩壊後の長期低迷はどのような影響を与えたのでしょうか。
香山:バブルが1991年ごろに崩壊しているのに、全体的には「まだ何とかなるんじゃないか」と考えていた人は多かったですね。それでも、1997年に山一證券が廃業し、何かいよいよ大変なことが起きたんだと気が付き始めました。
しかし、2000年代になって小泉純一郎政権(2001〜2006年)になった後は、何かまた景気がよくなってきたぞと。「いざなぎ景気越え」と言われたら、すぐに「あ、そうなんだ」と鵜呑みにしてしまうほど、とにかくものすごく楽観論者が多かった。平和で右肩上がりの子供時代に刷り込まれた感覚と言うのは、やはり大きいなと感じます。
変革の先頭に立たず、変化に抗うこともしない
企業に目を向けると、1990年代以降、カルロス・ゴーン氏が改革した日産自動車のように、成果主義に基づく人事評価システムがどんどん入り始めます。こうした動きに、50代男性はどのように反応したのでしょう。
香山:こうした新しい変化に何も抗うことをしなかった、というのが正直なところではないでしょうか。「日本にはこんな成果主義のシステムは合わない」とか、「自分は終身雇用とか年功序列のときに入社したから、こんなのはおかしい」とか、変革するのか、あるいは抗うのか、どっちでもできたのですが、結局は何も言わなかった。
自分が表立って先頭に立ち、異議を申し立てることをしたくない人が本当に多い。何年後に、やっぱりこうなると思っていたとか、あのときちょっと言ったじゃないかとか、何かこう、ぶつぶつ言う人も結構多いんですけど。
1990年代の大きな社会の変化に、50代より上の世代と下の世代は、どういったアクションを取っていたのでしょうか。
香山:上の人たちは、あえて着いていかない、といった人が多かったですね。逆に、経営者だったら、もうこれは取り入れなきゃいけないんだ、と変革者になった人もいました。
下の世代はその頃からちょうどIT(情報技術)化が始まりつつあったので、先端技術に乗らなきゃいけないとか、グローバル経済に対応していかないといけないとか、そうした考えが頭にあったと思います。
「こんなはずじゃなかった」は自分のせい
こうした流れの中で、今の50代だけぽっかりと空いてしまったと。
香山:そうなんですよね。生まれたときからITがあったわけでもないし、かといって、「いや、俺だめなんだよ、携帯は」と言って済ますには、まだちょっと生きている時間が長いからやらざるを得ない。
50代は様々な変化の変わり目に当たっているので、自分が生きてきた価値観とかやり方があまり定まっていません。抗うでも完全に乗るでもなく、「まあ、何とかなるか」というスタンスが多いなと。やはり、おまかせして受け身だなと感じますね。
今は成果主義がどんどん導入され、役職定年の導入や天下り先の減少など、50代会社員への逆風は強いです。50代に仕事の満足度についてアンケートを取ると、「こんなはずじゃなかった」と回答する人が数多くいました。
香山:やっぱりそれは自分のせいですよね。自分が何もしてこなかったから、そうなっていったわけじゃないですか。
今60代だったら、年金はちゃんと65歳になったら支給されるだろうと思っているけれど、もう下の世代は年金なんかあてにならない。50代ぐらいの人は、ぎりぎり俺くらいまで出るんじゃないかな、といった甘い楽観論が染み付いています。自分にだけは悪いことが起きないんじゃないか、みたいな思い込みがあるんじゃないですかね。
楽観主義者は、実は心が折れやすい
精神科医の視点で見た時に、50代で心を病んでしまっている人は多いのでしょうか。逆に、楽観主義なので、そこまで深刻に思っていないのでしょうか
香山:50代男性は楽観主義者が多いのですが、いよいよどうにもならないというときがやってくると、実は脆い。リストラや会社の破綻、妻に逃げられたり、がんを告知されたり、いよいよもう現実を受け止めなければという段階になると、すごく弱いですよね。そういう状態になって、ポキッと心が折れて診察に来る方はすごく多いです。一方、50代女性の場合、社会は楽観的でも自分は楽観していられないような状況が、就職のときや社会に出てからもあったので、それほどでもありません。
リストラも離婚も病気も、その多くは予想できる範囲のことで、いずれも人生には付き物です。アリとキリギリスじゃないですが、自分がこれまで、こうした事態に備えてこなかっただけなんですよ。
香山さんが考える、今の50代を奮起させる処方箋はなんでしょうか。
香山:まず、「昔はよかった」とは絶対言わないことですね。ノスタルジーに浸るのは勝手ですが、「ああいう時代はよかった」と振り返るだけで、じゃあそのよかった時代をもう一度俺が作ってやろう、と腰を上げる人はほとんどいません。
例えば今回の都知事戦だって、本当に50代の人が少ないですよね(編集注:21人中4人)。政治の世界に目を向ければ、目立つ女性は何人かいますね。野田聖子さん(55)、辻元清美さん(56)、稲田朋美さん(57)など。でも、男性の政治家で50代というと、あんまり浮かばないですね。
あとは、自然災害やテロなども含め、これまでの社会がずっと続くという前提で自分の人生設計をするのはやめたほうがいいでしょう。少しでも、今の社会を維持するために自分は何ができるのか、あるいは社会がもしも今と同じでなくなったとしても、自分と家族を守ることはできるのかと。そんな風に考えてほしいですね。
「透明人間」にはなるな
上や下の世代とはどう向き合うべきだと考えますか。
香山:今の50代は、上の世代と付き合うときは上の世代の価値観に染まり、下の世代と付き合うときはそっちに媚びてしまっていると感じます。柔軟に色々な世代に適応、対応できるのは長所でもありますが、なんだか透明人間みたいですよね。上の世代が、「やっぱり男は偉い」と言えば、「そうですね」と言って、下の世代が「女性が頑張っている」と言えば「ああ、そうだよね」みたいな。その都度変わってしまうと、やはり自分がなくなってしまいます。
常に「俺は本当は何がしたいのか」「本当はどっちがいいのだろう」と、自分に問いただしたほうがいいと思います。
あとはやはり、下の世代と一緒にやっていく中で、自分の力を下に貸したり、もういっそ力の全てを提供したりするぐらいがいいと思います。50年の人生経験は長く、培ったものは決して、少なくはありません。
今は人生80年時代と言われています。50代でも、まだ30年ぐらいは生きるかもしれないですよね。意識さえ持てば、変わることはできます。ただそこで、相当な決意と、意識の変革は必要ですが。
このコラムについて
どうした50代!君たちは「ゆでガエル」だ
50代の存在感が薄い──。
みなさんの会社でこんな声は上がっていないだろうか。
若い時に日本の経済成長を謳歌し、終身雇用を信じて就職。だが、バブルは崩壊。「失われた20年」が会社人生と重なり、本格的な成果主義の洗礼を浴びた最初の世代となった。 上には経済成長を支えてきた団塊世代が居座り、じっと耐え忍ぶうちに居場所がなくなっていたという人も。そんな「ゆでガエル」世代は不幸を嘆くだけで終わるのか。 50代男性の今後の生き方が日本の浮沈を握る。(日経ビジネス8月8・15日号の特集「どうした50代!君たちはゆでガエルだ」の連動企画)
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/080500061/080500003
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