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シニア層に優しくない、日本の労働市場 義務的に仕事してるあなたには「○○力」がない 
http://www.asyura2.com/16/hasan110/msg/720.html
投稿者 軽毛 日時 2016 年 7 月 12 日 02:31:58: pa/Xvdnb8K3Zc jHmW0Q
 

シニア層に優しくない、日本の労働市場
上野泰也のエコノミック・ソナー
65歳以上の就業者は大幅増だが…
2016年7月12日(火)
上野 泰也

65歳以上の労働力人口はこの10年間で240万人も増加した。しかし働き口は限られているのが現実だ。選択の余地はあまりない
韓国と台湾の中央銀行が利下げ
 6月9日、韓国銀行(中央銀行)は金融通貨委員会を開催し、政策金利(ベースレート)を0.25%ポイント引き下げて1.25%とすることを決定した。利下げは1年ぶりで、過去最低を更新。対外公表文は、輸出の減少、消費の弱まり、センチメントの停滞などに言及している。穏当な成長トレンドを予測しつつも、内外情勢から下振れリスクが高まったと判断した。
 その後、6月30日には台湾中央銀行が政策金利(公定歩合)を0.125%ポイント引き下げて1.375%とした。利下げは4四半期連続。必要があれば「リーマンショック」後の局面で記録した過去最低水準である1.25%へのさらなる利下げも辞さない構えとみられる。今年1月の日銀によるマイナス金利導入(一種の利下げ)から半年以内に、地理的に近い韓国と台湾が利下げで追随した形になった<図1>。
■図1:日本・韓国・台湾の主要政策金利

http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/248790/070700052/photo01.jpg

注: 月末値。日本は、量的緩和期(2001年3月〜2006年3月)はゼロ金利とみなし、包括緩和期(2010年10月〜2013年4月)の翌日物金利誘導レンジ「0〜0.1%程度」は0.1%とみなし、量的・質的金融緩和期(2013年4月〜2016年2月)も0.1%とみなし、マイナス金利付き量的・質的金融緩和期(2016年2月〜)は政策金利残高に適用される▲0.1%とした。韓国は政策金利(ベースレート)。台湾は政策金利(公定歩合)。
(出所)日本銀行、韓国銀行、台湾中央銀行
 韓国銀行の李柱烈(イ・ジュヨル)総裁は記者会見で「企業の構造調整が実体経済などに与える悪影響を和らげておく必要がある」と説明。決定は全員一致だったことを明らかにした。李総裁はその後、「国内外の経済状況を踏まえると、韓国経済が早期に低成長、低インフレから脱却するのは難しいだろう」と述べつつ、国内については低水準の出生率、高齢化、家計債務の増大などが消費の回復を妨げているとした。
低出生率と高齢化は、日本・韓国・台湾に共通の問題
 ここで指摘された3点のうち最初の2つ(少子化および高齢化の着実な進行による消費市場の縮小)は日本と台湾にもあてはまる、きわめて重大な問題である。
 ちなみに、日韓台いずれも現在の政府トップ(安倍晋三首相、朴槿恵<パク・クネ>大統領、蔡英文総統)には子どもがいない。また、韓国と台湾のトップはいずれも独身女性である。
 戦後に高度経済成長を遂げた日本。その後を追って経済が急速に発展し「アジアNIES」「フォードラゴンズ」と呼ばれた4か国・地域に含まれる韓国および台湾。
 だが、「下向きの人口動態」という構造的な要因に加え、経済的な結び付きが強くなった中国の景気減速、主要な稼ぎ手であるIT分野の需要伸び悩みなどから、経済の低迷がこのところ顕著になっている。
 その結果、日本・韓国・台湾の主要政策金利は、異例の低水準まで下がることになった(日本と韓国は過去最低)。日本・韓国・台湾はいずれも、少子高齢化トレンドを背景とする経済成長率の下方シフトをどのように乗り越えるかで試行錯誤している。だが、日本の経験から明らかなように、無理な金融緩和を重ねることは解決策にならない。人口対策をどのように展開するかが、中長期的な経済の下支えを図る上でカギになる。
女性と高齢者の「活躍」で労働力人口増狙う日本
 日本の安倍内閣は、戦略的な外国人(移民)の受け入れという人口対策の「切り札」には手をつけず、女性と高齢者の「活躍」によって労働力人口を増やすことにもっぱら注力しているように見える。だが、これでは人口対策として不十分であるし、問題含みでもある。女性活躍については当コラムで以前に取り上げているので(2014年9月30日配信「結局、女性に『強さ』を求めるだけの日本の少子化対策」ご参照)、ここでは日本の高齢者向け労働市場の厳しい現実を取り上げたい。
 総務省が集計している労働力調査の2005年と2015年の計数(暦年・平均値)を用いて、シニア層(65歳以上)が労働市場でどこまで活躍の場を広げたかを確認してみた。年月が経過する中で同じ世代の人々の動きをトレースするのではなく、2つの年を選んで労働市場の断面図的な比較を行った。
 まず、「15〜64歳」と「65歳以上」の2005年から2015年の人数変化は、下表の通りである<図2〜5>。
■図2:労働力調査 年齢別の人数変化(男女計) 2005年→2015年

(出所)総務省資料より筆者作成
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/248790/070700052/photo02.jpg

■図3:労働力調査 年齢別の人数変化(男) 2005年→2015年

(出所)総務省資料より筆者作成
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/248790/070700052/photo03.jpg

■図4:労働力調査 年齢別の人数変化(女) 2005年→2015年

(出所)総務省資料より筆者作成
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/248790/070700052/photo04.jpg

■図5:労働力調査 年齢別就業者数 2005年→2015年の変化

(出所)総務省資料より筆者作成
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/248790/070700052/photo05.jpg
65歳以上の労働市場は、ほぼ完全な「買い手市場」
 65歳以上の労働力人口はこの10年間で240万人増加しており、そのほとんどは就業者になっている。65歳以上の働き口が限られていることは残念ながら今の日本では自明であるため、求職活動を行うなどして完全失業者の定義にあてはまっているシニア層は非常に少ないことが示唆されている。言い方を変えると、65歳以上の労働市場は、ほぼ完全な「買い手市場」である。
 次に、労働力調査の詳細集計にある「年齢階級別、雇用形態別雇用者数」を参照して、こちらでも2005年から2015年の変化を調べてみた。
 すると、65歳以上の雇用者(当たり前のことだが就業者よりも少ない)のうちかなりの部分が、賃金水準が相対的に低いことが多いと考えられる「非正規の職員・従業員」であることが確認される<図6>。
■図6:労働力調査(詳細集計) 年齢別 65歳以上の役員除く雇用者 正規・非正規別内訳

(出所)総務省資料より筆者作成
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/248790/070700052/photo06.jpg
65歳以上のシニア層が直面する厳しい現実
 2005年には、65歳以上の雇用者が236万人で、役員を除くと160万人。うち「正規の職員・従業員」が52万人、「非正規の職員・従業員」が108万人(そのうち「パート・アルバイト」が65万人)。
 2015年には、65歳以上の雇用者が458万人で、役員を除くと360万人。うち「正規の職員・従業員」が93万人、「非正規の職員・従業員」が267万人(そのうち「パート・アルバイト」が179万人)。
 非正規比率(雇用者に占める「非正規の職員・従業員」の割合)は05年には67.5%だったが、2015年には74.2%に上昇した。
 安倍内閣は、「アベノミクス」の新たなキャッチフレーズとして「一億総活躍」を掲げており、女性と高齢者の労働市場への積極参入を促している。
 だが、ここで見てきた通り、65歳以上のシニア層が直面している日本の労働市場の状況は決して「優しい」ものではない。
 そもそも論を言うと、「アベノミクス」第2ステージで新たな「3本の矢」の1つになっている「希望出生率1.8」が日本の人口を1億人で下げ止まらせることのできる数字にはなっていないところに、矛盾が内包されているとも言える。
 合計特殊出生率が人口置換水準である2.07まで上昇しないと、人口の減少は止まらない。それでも海外からの移民など外国人の積極的受け入れ策への慎重姿勢を崩さないところに、「アベノミクス」に行き詰まり感が漂っており、海外投資家が日本株の売り越しに転じた大きな理由があると、筆者はみている。


このコラムについて
上野泰也のエコノミック・ソナー
景気の流れが今後、どう変わっていくのか?先行きを占うのはなかなか難しい。だが、予兆はどこかに必ず現れてくるもの。その小さな変化を見逃さず、確かな情報をキャッチし、いかに分析して将来に備えるか?著名エコノミストの上野泰也氏が独自の視点と勘所を披露しながら、経済の行く末を読み解いていく。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/248790/070700052

 
義務的に仕事してるあなたには「○○力」がない

河合薫の新・リーダー術 上司と部下の力学

結果出しても、義務感でやる仕事の主語は「自分」ではなく「他者」だ
2016年7月12日(火)
河合 薫

「上司から、『キミは義務感だけで仕事をしてる』って。言われたときは意味がわからなかった。いいじゃん、義務感持って、ちゃんと仕事してるからって。でも、今日、講演を聴いて気がつきました。僕には“意志力”がなかった。目から鱗でした!」

 先日、若手社員向けに行った講演会に参加した30歳の男性社員から、こんなメールが届いた。

 意志力(Grit)――。

 これは「自分がなりたいもの」や「自分がやりたい仕事」ではなく、「自分がどうありたいか?」「自分がどういう価値観の下で自身のキャリアを形成するか?」といった仕事上の、いや人生上の価値観や信念のこと。

「“意志力”を明確にできれば、Grit(=意志力)の翻訳どおり、気骨、不屈の精神、前向きな力を持って、仕事に取り組むことができる。意志力は、心のエンジン」

 私が講演会で、こんな具合に意志力の大切さを話していたので、「目から鱗」メールを送ってくれたのだ。

「義務感だけで仕事をしている」という批判の意味

 義務感だけで仕事をする、か……。

 ふむ、これってどういうことなのだろう。

 言われたことしかできない? 自発的に動けない? 多くの上司たちが部下に対して抱えるこういった不満を意味しているのか?

 それとも、ただ単に「情熱のかけらもなく、淡々と仕事する」ことに、上司は物足りなさを感じていたのか。

 あるいは、よくお店のレジで、おばあさんがお財布から小銭が上手く出せないときに、「ゆっくりで大丈夫ですよ〜」とか、「その500円玉で足りますよ〜」とか、一声かけてくれるだけでもいいのに、ただただボ〜ッと動きを止めるだけで、肌のぬくもりが微塵も感じられない機械的な働き方のことなのか。

 実際の彼の働きぶりは想像するしかない。だが、誤解をおそれずに率直に言わせていただくと、義務感だけで仕事ができるなんて、ちょっとばかりうらやましかったりもする。

 個人事業主のフリーランスがそれをやったら、食べていけなくなる。「アンタじゃなくても、別にいいよ」と言われるのがオチ。

 もちろんそれは未熟な私レベルの話で、「○○さんしかいない」という社会的地位を確立したフリーの方には当てはまらないのかもしれないけれど。

 いずれにせよ、「働く」という行為が何かとネガティブに捉えられる、ざらついたご時世で、彼に「意志力」が刺さったのがうれしかった。

 しかも、意志力の欠如が「義務感だけで仕事をする」ことだったとは! 私も目から鱗が5枚ほど落ちた。

 なんせ、「意志力を明確にすることの重要性」は散々、訴えてきたし、研究も積み重ねてきたが、「意志力の欠損」に関しては、なおざりだったから。

 おまけに彼のメールには、彼が行ったちょっとした調査結果も書かれていて。それが実に興味深く、是非ともみなさんにご紹介したいと思った次第だ。

 というわけで、今回はこの男性の知見をベースに、「意志力」をアレコレ考えます。

意志力のある人とない人の違い

「私は仕事を真面目にやってきました。きちんと成果も出してきました。といっても、チームでひとつのプロジェクトに取り組むので、私個人だけの力ではありません。

 それでも自分の分担はしっかりやっていたつもりだったので、上司から、『キミは義務感だけで仕事をしてる』って言われたときは、自分に対するダメだしだと思っていたんです。

 そもそも上司のいう“義務感”の意味がわからなかったし、義務感だろうとなんだろうと、ちゃんと仕事してるんだからいいじゃないかと、反発も正直ありました。

 でも、講演会で『意志力』のことを聞いて。意志力を明確にすることが、『一歩前に踏み出す』ことの原動力になるとわかって。私にはなかった視点で、目から鱗でした。

 自分には意志力がない。なかった。というか、具現化できていなかったんです。

 講演を聞いたあと、自分の意志力は何なのかなぁって、ず〜っと考えていました。河合さんが教えてくれた、見つけ方も実践してみました。でも、あと一歩、というところまでくるんですけど、『これだ!』ってところまでたどり着けない。それで周りの人の意志力を聞いてまわったんです。

 『この仕事を、なぜ、してるのか? この仕事を通じて、何を実現したいのか?』と、総勢50人くらいに聞いて回りました!

 私の質問に即答する人、考え込む人、ありきたりの答えをいう人、情熱的に語る人、いろいろいました。それで、答えられた人=意志力のある人、答えられない人=意志力のない人、ってわけて、両者で何が違うのか?を考えてみたんです。

 意志力のある人とない人の違い。意志力のある人は、何か問題にぶつかったときに、『どうやれば解決できるか?』を考えて動いていました。何かのせいにしたり、文句をタラタラいうんじゃなくて、具体的な解決策を考えて、実行してる。

 意志力のある人は、期待を超えるアウトプットを出しているなぁ、とも感じました。たとえ、最終的なアウトプットにプラスαがなくても、そこに至るプロセスに工夫があったり、より効率的であったり。常にポジティブに取り組んでいる。

 河合さんが『意志力が明確になると、一歩前に踏み出すことができる』って言ってましたよね? 確かに私の周りの意志力のある人は、一歩前に踏み出そうとしている人たちだった。 

 私の意志力は何なのか? まだ、これだ!と、100%明確にはなっていません。でも、おぼろげながらその姿が見えてきました。

 なんか青臭くて、自分でも頬が赤くなってしまうようなことなんですけど、『人に話しているうちに具現化できる』と河合さんが言っていたので、別紙にまとめたので見ておいてください。よろしくお願いします!」

 以上が、彼から送られてきたメールの一部です。

「意志力」がなければ、困難は乗り越えられない

 ちなみに別紙には、「うわぁ!ステキ!」と、嬉しくなるような彼の“思い”が書かれていた。

 彼は「まだ、100%明確になっていない」と言っていたけど、それでいいのだと思う。だって、「自分がどうありたいか?」「自分がどういう価値観の下で自身のキャリアを形成するか?」といった人生上の価値観、すなわち意志力は、個人の内部に宿る内的な力。その存在にまずは気付き、どんどん掘り起こしていけば、やがて明確になる。

 大抵の場合、なんらかの壁にぶつかったときにこそ、「そうだ。これだ!」とはっきりする。

 私は常々、困難とは“ストレスの雨”であり、それに対峙する“傘”をたくさん持っている人がストレスに強い人である、と言ってきた。

 ストレスに対峙する傘には2つの置き場所がある。自分の心の中にある「傘=内的資源」と、自分を取り囲む環境にある「傘=外的資源」だ。

 内的資源は「内面に潜在的に存在する、知識や信念、才覚」のこと。意志力とは、まさしく内的資源なのだ。

 「意志力のある人は、『どうやれば解決できるか?』と、具体的な解決策を考えて、実行してる」――。彼が分析したとおり、この内的な力なくして、厳しい仕事を成し遂げることも、困難を乗り越えることも、容易ではない。

 個人的には、彼の調査で、自分が信念をもって訴えてきたことが、実証されたようでうれしかった。

 だから、ライブ(=講演会)はやめられない。同じ話をしても、受け手次第で化学反応が起きる。それが今回のように、私自身の糧になる。

 それは、私の意志力がさらに強固になっていく瞬間でもあり、「また、がんばろう!」と勇気が出る瞬間でもあり。とにもかくにも、いろんなことが上手くいかなくて折れそうになっていた心に、息吹を吹き込んでくれた彼に、心からありがとう!と感謝した。

ハイパフォーマーを生む「計画的訓練」と「意志力」の関係

 そもそも「Grit(:グリット=意志力)」という概念が生まれたのは、米フロリダ州立大学心理学部のアンダース・エリクソン(K Anders Ericsson)教授が提唱する「計画的訓練」がきっかけだった。

「優れたパフォーマーと、パフォーマンスを発揮できない人の違いは、不変のもの、すなわち遺伝子に定められた才能によるものではない。このような違いは、生涯にわたって行われる、パフォーマンス向上のための計画的訓練(deliberate practice)によって生じる」

 エリクソン教授は、こう世の中に訴えたのである。

 米誌「ザ・ニューヨーカー」のマルコム・グラッドウェル氏が世の中で“天才”と呼ばれた偉人たちを調べ上げ、導き出した

「彼らは生まれながらの天才ではない。1万時間ものトレーニングを積み重ね、天才と呼ばれる能力を開花させたのだ」

という「1万時間の法則(10000-hour rule)」は広く知られているが、これこそが「計画的訓練」である。

 一方、計画的訓練の重要性が明らかになってからというもの、世界中の研究者たちから、

「何をもって計画的訓練というのか?」
「どんなやり方でも、1万時間トレーニングすればいいのか?」
「1万時間も努力を持続させるには、どうしたらいいのか?」
「それができること自体が、ある種の特別な能力なんじゃないか?」

などなど、さまざまな議論が巻き起こった。

 そこで注目を集めたのが、「Grit(:グリット=意志力)」。「Gritこそが、計画的訓練を可能にする」ということが、さまざまな実証研究で認められたというわけ。

 そして、今回。彼は“意志力”が、「困難を乗り越えるための資源」や「計画的訓練の源泉」だけではないことを教えてくれた。

 意志力がないと、義務的になる――と。

 義務でする仕事は、楽しくない。満足感や達成感を得ることもない。やらなきゃならないから、するだけのこと。言われたことを淡々とやるだけ。義務感の仕事の主語は「自分」ではなく、「他者」だ。

 だが、意志力を意識すれば、少しだけ変わる。送られてきた別紙には、彼の夢が書かれていた。夢を夢で終わらせない人と、語るだけで満足する人の違い。それが「そこに意志力があるか、ないか」だということを、彼は教えてくれたのだ。

「志」を奪った理不尽なテロ

 意志力を、あえて「志」と置き換えてみると、彼の分析がもっとわかりやすくなる。

 例えば、バングラデシュのテロで、途上国発展のために情熱を注ぎ、汗を流していた日本人7人の方たちには、明確な「志」があった。

 テレビ画面に映し出された、事件前の7人の方たちには、笑顔がみなぎっていた。言葉も文化も違う土地で、そこに行った人にしか知り得ない、いろいろな困難やいくつもの壁にぶつかっただろうに、彼らは生き生きとした、温かい笑みをうかべていた。

 自分の仕事への誇り、国際援助に関わることへのワクワクした感情。いかなる状況の中でも、何をすべきかを考え、プラスαのパフォーマンスを発揮する。そんな力強さが彼らにはあったはずだ。

 いや、彼らだけではない。彼らと一緒に写っている人たちの、笑顔。そこには目に見えない大切なモノがたくさん散りばめられているように、私には見えた。

 その志が、皮肉にも日本を参考にして国旗を作ったとされるその地で、許されないカタチで断ち切られた理不尽さには、強い怒りを感じる。これに関する意見は、他のコラムに書いたのでここでは深くは触れないけれど(バングラテロの犠牲者7人に“国葬”を!)、世界に誇る高い技術力と、現地に寄り添う謙虚さ、そして、何ものにも変え難い「高い志」を持った人たちがいたからこそ、世界各地で「日本人はすばらしい」と評価されているのではないだろうか。

 志も意志力も、冒頭の男性がそうだったように、恐らく誰もが実際には持っているんだと思う。

 ところが、大きな川に漫然と流され続けていると、その意志力を忘れてしまったり、日常の雑務で追われ、仕事をこなしているうちに、意志力の存在そのものが心の奥深くに閉じ込められたりする。

 かの吉田松陰は、「志を立てて、以って万事の源となす」と説き、「志を立てることからすべては始まる」と、弟子たちの心の中に志を確立することを教育の主眼に置いた。

 あなたの志はなんですか? 意志力はなんですか? 少しだけ仕事が楽しくなるためにも、是非、考えてみてくださいまし。


このコラムについて

河合薫の新・リーダー術 上司と部下の力学
上司と部下が、職場でいい人間関係を築けるかどうか。それは、日常のコミュニケーションにかかっている。このコラムでは、上司の立場、部下の立場をふまえて、真のリーダーとは何かについて考えてみたい。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/200475/070800061


 

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